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第8話 牛と呼ばれる女
しおりを挟む翔さんや染野さんと同様に商社勤めの近野くん。
どうやら普段は相当忙しい様子。
商社で働くなんて、さすが近野くんだわ‥
意地だけで就職してしまって、早々に仕事を辞めた私なんかとは本当に比べ物にならない程に立派。
確か近野くんはT大に行ったはずだったけど(私の大学より遥かにレベルが高いけど中の上レベル)、それでも有名商社に就職できるんだなぁ‥なんて、近野くんとSNSのやりとりをしながらふと思った。
そして、野球観戦の日は割と早く訪れた。
日曜日のデイゲーム。
時刻は13時前。袖がレースになっている小綺麗な紺色のワンピースに、緩く一本に編み込んで横に垂らした長い髪。
佳代だとバレない為に、化粧なんかはもちろんダヨ風にしてるけど、ほんの少しナチュラルにしちゃっているのは僅かに持ち合わせている私の乙女心のせいだろう。
ドキドキしながら、待ち合わせ場所である球場の最寄駅の改札を抜けると‥
Tシャツにジーンズ姿の近野くんが駅構内の壁に寄りかかりながらスマホをいじっていた。
うん、めちゃくちゃ様になってる。かっこいい。イケメン。
少しずつ近づいていくと、近野くんがふと目線を上げた。
「あ、ダヨちゃん」
そう言って、にっこりと笑う近野くん。
お店の外で『ダヨちゃん』と呼ばれるのもどうかと思ったけど、それは致し方ないだろう。
「ごめんね、待った?」
「いや、全然。ていうかまだ待ち合わせ時間前だし」
「あは、そうね」
こんな時つくづく思う。
きっと何かの奇跡があって、仙崎佳代の姿でもし近野くんとこうして話す機会があったとしたら、こんな風に会話なんて出来ていないはず。
緊張で口数も少なく、目を合わせることもできず、顔を赤くしていたんじゃないかな。
ダヨである以上、佳代とは別人格じゃないといけない。
余裕たっぷりのクールビューティ風に見せなくてはいけないからこそ、私は普通を保てた。
とは言っても‥
近野くんが当時、仙崎佳代に対してどんな印象を持っていたかによって、状況は変わってしまう。
ヤンキー集団の中のビッチ枠だったからこそ、こうして男性と普通に喋れるもんだと思っているかもしれないし、そもそも私に対する印象を何も持っていなかったかもしれない。
まぁ、どちらにしても‥
ただただダヨを貫き通すっていうのが今日の課題だ。
「わ、背ぇ高‥。モデル?」
学生らしき集団の真横を通り過ぎる際に聞こえたそんな声。
今の私は167㎝+ヒール5㎝。どう見ても大きい。その上、乳と尻もでかいから余計に大きく見られがちだったりする。
だけど、ヒールを履くとその乳と尻がやや隠れる気がするというか、ヒールがないと益々乳と尻しか印象に残らない気がするというか。
とにかく、私は大きいのだ。
ちらりと近野くんを横目で見上げてみる。
そんな大きな私の目線より、近野くんの目線は高い。
180㎝はありそう‥。
普段、1人で歩く私に対して第三者のそんな言葉が聞こえてくると、私は堪らず視線を下げる。
今日は大きい私より大きな近野くんが隣にいてくれるから、私は視線を下げずに済んだ。
学生集団を見てみる。
男女の比率は同じくらいで、女の子たちの頬は赤い。
近野くんに見惚れているなぁ、これは。
‥まぁ無理もないよね、当然だ。
「彼女の方も凄いね、峰◯二子みたい」
「いやモ◯ローでしょ」
「「‥‥」」
どこに行ったってこういう扱いは変わらないかぁ。
ボディーラインが目立ちにくいワンピースを選んだけど、私=セックスシンボルになってしまうらしい。
「‥褒め言葉だね」
結局視線が下がってしまった私に対し、近野くんが口角をあげた。
‥いつもどおり落ち込んでどうする!
私はいまダヨなのよっ。
「それ以外に何かある?」
うふ、とお茶目に笑ってみせると、近野くんも柔らかく笑ってくれた。
本来ならば上にシャツを羽織ったり、ワイドパンツを履いてみたりと乳と尻を隠す術はある。
だけどそんなカジュアルな格好を、恐らくダヨはしない。
自分自身が架空のキャラであるダヨをイメージし、それに沿って言動を行う。
ダヨにとって、セックスシンボルは間違いなく褒め言葉なのだ。
「まぁ肩は凝るし走る時邪魔だしうつ伏せになると苦しいし、結構不便なのよねぇコレ」
「あはは‥入れすぎちゃったの?」
近野くんの言葉でハッとする。
そうじゃん。私の体は整形を繰り返して自らこの体型にしたって設定じゃん。
「そうそう。整形って癖になると感覚麻痺しちゃうのよねぇ。
ちょっと失敗よ。私お店で牛って言われてるし」
「牛って!あはは。
そんなことないでしょ」
「そ、そうかしら」
「うん。全然牛には見えないよ」
「そりゃそうよ人間なんだから」
「あはは」
近野くんは笑い上戸だ。シラフ同士で会うのは高校生ぶりだけど、お酒を飲んでいなくてもよく笑う。
自然に、屈託無く。
笑った時に目尻にできる皺がなんだかとても可愛くて、自虐ネタを話して良かったと思った。
ダヨの姿だからこそ、こういう返しができた。
まだオカマバーで働き始めて間も無いけど、いつのまにか私も人を笑わせることができるようになったみたい。
良かった‥。
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