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第1章ーー始まりーー
第1話
しおりを挟む軋む床に跪き、せっせと雑巾掛けをする。継ぎ接ぎだらけの薄汚れたワンピースは、これでもエレンの自慢の一張羅だ。
亜麻色の肩までの髪を揺らしながら、床を水拭きしていく彼女の雑巾が動きを止めた。
「ちっ、なんだよ邪魔だなあ。
退けろよ、ゴミ!俺の前で掃除すんな!」
「ご‥ごめん」
雑巾を踏んづけておいて、あからさまな暴言を落としたのは、後妻の連れ子である2歳年下の義理の弟『バン』だ。
「やめなよぅ、お兄ちゃん。
エレンは一生懸命掃除してるんだから」
こんなボロ屋に似合わない、派手な今時の女の子がそう言って、険しい表情を浮かべているバンを制す。
そして、悪びれもなく敢えて飲みかけのジュースを床へとボタボタと溢した。
バンの双子の妹『プラム』は、表情の曇ったエレンを見て高らかに嗤う。
「ほら、エレン。
貴女これくらいしかすることがないんだから、仕事増やしてあげたわよ」
「‥‥うん」
エレンは反抗することなく、グッと唾を飲み込んでまた手を動かした。
‥この生活が始まって2年程だろうか。
病弱な父が、突然派手な女性と3人の子供を引き連れて、再婚すると言い出した。父が望むなら、と祝福したのだが、まさかこんな扱いをされることになるとは当時は思ってもいなかった。
大方、後妻の狙いは父が所有する『服従』のスキルだろう。そうでなければ、あのド派手な後妻がこんな片田舎の貧乏な宿屋に嫁ぎにきたりしないはずだ。
父の『服従』のスキルは、後妻にとってはとても魅力的なスキルだろう。商人に使えば宝石が手に入り、王に使えばこの国を動かすこともできるかもしれない。それほど、欲のある人物からすれば喉から手が出るほど欲しいスキルを父は持っている。
だが、穏やかで優しい父は、生まれ持ったそのスキルを欲の為に使う人ではなかった。
父に取り入って、そのスキルを使いたかったのであろう後妻は、次第に本性を表していき、今やその血を分けた子どもたちもありのままの姿を晒している。
父と離婚しないのは、父の気が変わるのを期待しているのかもしれない。
ホールの床掃除を終えると、エレンは各客室のシーツ交換を始めた。各居室と言っても、部屋数はかなり少ないのだが。
幼い頃に母を亡くし、父と2人でこの宿屋を切り盛りしていた。だから別に、仕事量はなんら変わりはない。きっと父は、病気がちになったことで娘に負担を掛けたくない、と今後のことを考えて再婚したのだろう。
大量のシーツを抱え、廊下をパタパタと走る。階段を降りる手前で、腕から垂れ下がるシーツに足を取られ、私の足は宙に浮いた。
ーーーあ、やばい。
私まで怪我をしてお店の仕事ができなくなったら、宿屋が営業できない。
なんせ、義理の兄弟たちはスキルを持っているのに、宿屋の仕事を手伝ってはくれない。いや、手伝うわけがない。彼らは、街の紹介所の依頼を受け、そのスキルを生かして稼いでいる。3人の給与を合わせたら、この宿屋の稼ぎよりもうんと高い。つまり、3人にとってこの宿屋は別にあってもなくても関係ないのだ。
だけどその稼ぎは、家に入れてくれるわけじゃない。つまり、私が宿屋の仕事をしていないと、父も私も生きてはいけない。
「ほんと、鈍臭いね」
不意にそんな声がしたと思ったら、体がふわふわと宙に浮いた。
金髪の髪をくるんと指で弄りながら、1歳年上の義理の兄である『パイン』が唇を歪ませた。
最近のパインは、下心を滲ませたジトっとした瞳を向けてくるから、そういう意味では3人の中で一番扱いにくく苦手だ。
「ありがとう‥!」
だが、今回ばかりは感謝せずにはいられない。
おかげで怪我をせずに済んだのだ。
「‥‥」
「‥‥?あの‥」
おかしい。
何故降ろしてくれないのだろうか。
パインのスキル『浮遊』のおかげで、エレンはぷかぷかと宙に浮いたままの状態だった。
「‥降ろしてほしいかい?」
「え、ええ」
そりゃあもちろん。早くこのシーツを洗濯して、買い出しに行かなくてはならない。昼過ぎには、お客さんを迎えられるようにしないといけないから‥。
時間に余裕があれば、父さんの元へも行きたい。体調を崩していても、自分のことは自分でできる父とは、毎日顔を合わせられるわけではない。
家事に宿の仕事、それらを一挙に請け負うエレンに、隙間時間などなかった。夜になれば、やっと時間に余裕ができるものの、その時間には父は眠ってしまっている。
昨日も会えなかったから、今日は会いたいけど‥時間作れるかなぁ‥。
パインは言うか言うべきか迷っているかのように、口元を緩めて言い淀んでいる。うーん、と口元に人差し指を当ててあからさまに迷っているアピールをしている。
パインの言動は、普段からナルシストであることが滲み出ているのだが、それは今も同じだ。イケメンであれば、エレンの心もここまで嫌に乱れてはいないだろう。
だが、今のエレンの心情は、勿体ぶらずに早く降ろしてよっ!の一言に尽きる。
「今夜、僕の部屋に来るのならいいよ?」
「‥え?」
「来ると言うまで降ろさないけどね」
何を言っているのだと目をぱちぱちとさせてみるが、どうやら聞き間違いではなかったらしい。
行ったら何をされるかなんて、容易に想像がつく。それこそ、新たなる地獄の幕開けとも言える日々が始まってしまうかもしれない。
やたらと最近、下から上まで舐めるような視線を送ってきて、気持ち悪いなぁなんて思っていたけれど、まさかここまであからさまに誘ってくるなんて。
ーーいや、誘いではなく脅しか‥。
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