星のカケラ。

雪月海桜

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くっきー。

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 甘く濃厚なバターの香り、卵の黄身のつるんとした光沢、ほんの少しのミルクや、チョコチップやアーモンドなんかのその時々の彩りを纏って『ぼくのもと』は作られる。

 そしてグラム単位で計られた粉の柔らかな手触りを、そのまま混ぜて、捏ねて、伸ばして、冷やして、たくさんの可愛らしい型の中から一つ選ばれて、それを以て『ぼく』は生まれるんだ。

 ぼくという自我が芽生えたのは、いつのことだったろう。

 粉だった頃は特に意識はなくて、そんな無の全体にバターやミルクが染み渡る感覚に、ほんのり「あったかいなぁ」と感じた気がする。
 やがて彼女の温かな指先で生地として纏まって、そのあと伸ばされて冷蔵庫に入れられて、「寒いなぁ」とかぼんやりと感じながら微睡んでいた。

 そんな生地だった頃は、おそらく人間でいう『生まれる前のお母さんのお腹の中』とか、『物心つく前のゆりかご』みたいに、何も考えなくても安心が包み込んでくれるような、そんな心地よさがあった。
 個としての感覚や自覚はあんまりなくて、ぼんやりまったりみんながくっついて、寂しさも悲しみもない大きな一つの夢の中で揺蕩っていたんだ。

 それが、彼女にひとたび形作られて、ぼくは明確に個としての存在と意識を得た。

「あ、この型初めて使ったけど、かわいいかも!」

 その女の子は、柔らかな笑みを浮かべながら型に嵌まるぼくを持ち上げ、嬉しそうな声をあげる。
 そうか、ぼくは『かわいい』んだ。

 彼女の幸せそうな様子にぼくまで嬉しくなって、ついそのまま型から離れずにいると、それを剥がそうとした彼女の指先に触れて、どこかでピリッと音がした。

「あっ。やっちゃった……この型難しい」

 胴体と頭の境目が破けてしまったぼくは、他の型抜きされたみんなみたいにシートに載せてもらえずに、そのまま穴ぼこの生地の上に落とされた。
 痛みは特に感じないけれど、彼女の笑顔がなくなってしまったのは悲しかった。

 最初にぼくを作った型はやっぱり難しいらしくて、同じ形の仲間が生まれては、やはりどこかしら千切れて落とされていく。

 それでも何度かチャレンジしていた彼女は、たくさんの失敗作を生み出し、やがて諦めたようにハートや星なんかの簡単な型を使って生地に穴を空けていった。

 そして穴がもっと空いた頃に、失敗作のぼくたちは丸められて伸ばされて、またみんなと一緒になった。
 さっき生まれたぼくと、他のみんなの一部が混ざって、また個の曖昧なぼくになっていく。

「よし、もう一回……」

 残り少なくなった塊の中、冷蔵庫のせいでひんやりしていた生地は、室温か彼女の体温かわからないけれどほんのり熱を帯びて、二度寝のお布団みたいに心地良い。

 けれど一度個となったぼくがまたぼんやりとみんなと混ざっていく感覚は不思議で、転生前と転生先の記憶が両方あるタイプの異世界転生ってこんな感じなのかも、なんて、ぼくを作った女の子の好きな知識が指先からなんとなく伝わってきて、見たことはないものの例えがしっくりきた。

「やっぱり胴体ない方が簡単かな……」

 再び彼女の指先によって捏ねられ、伸ばされ、二度目の形を得る。
 そして今度は、胴体のない簡単なフォルムの新しいぼくに生まれ変わった。

 最初にかわいいと言ってくれた手足がある型でないのは少し残念だったけれど、同じ失敗作や切れ端をないまぜにした新しいぼくを、彼女は気に入ったようだった。
 新しく生まれたぼくたちを、今度こそシートに乗せて並べて、微笑んでくれる。

「うん、かわいい」

 そうして今度こそちゃんと生まれたぼくは、あつあつのオーブンのサウナでじんわり焼かれて、少し膨らんでから、やがてこんがり仕上がった。

 柔らかくて簡単に千切れてしまいそうだったふにゃふにゃの身体は既に固くて、もうぼくはぼくとして揺るがない。
 そのことが嬉しくて、一緒だったみんなと別のものになってしまったのが、ちょっぴり寂しかった。
 隣のハート達も寂しかったのか、膨らむ途中で二つくっついて、そのまま連なるハートとして焼き上がっていた。

「あれ、ここくっついちゃってる……まあいっか」

 ぼくが焼かれている間にも、残された生地が何度目かの転生を経て全員形作られていったのだろう。ぼくたちがオーブンから出されると、みんな新しい個になって、代わりにオーブンに入っていった。あの中に、最初に千切れたぼくの胴体もあったかもしれない。

 なんとなく気になって目で追うと、おそらく最後のひとつなのだろう、型抜きできる量もない残骸の寄せ集めは、ただ丸めて潰しただけの何とも歪な形だった。
 それを見て、ぼくはああならなくて良かったと心底感じた。だって、あんなの彼女の喜ぶ『かわいい』とは言えないのだから。


*******


 焼きたてのぼくたちのあつあつの身体からはバターの香りが強くして、口に入れると甘くてさっくりするに違いない。我ながら良い出来だと思う。

 生地の時はあったかいと思っていた室温はひんやりとしていて、ぼくたちはしばらく冷まされる。
 その間にも、彼女はたくさんの同じ型から生まれたぼくたちを見比べて、より良いものを選んでいるようだった。

 形や焼け具合、厚さや曲がり方、欠けていたり顔が薄くなってしまっていたり、ひび割れてしまっているのもある。同じ型を使っても、ひとつとして同じものはなかった。

「こっちのがいいかな」

 その中でぼくは彼女に選ばれて、完全に冷えてから箱に詰められる。他にも選ばれたハートや星に型抜きされた幾つかと一緒に、透明の窓のついた箱の中から彼女を見た。

 ぼくたちは、きっと彼女に良いものとして選ばれた少数精鋭だ。たくさん見比べて、悩んだ結果彼女がぼくを摘まみ上げてくれた時は、まさに天にも昇る気持ちだった。

 けれどその優越感と幸福感は、選ばれなかったはずの、あの残骸でしかなかった丸めただけのあいつを彼女が食べるのを見て、一瞬でなくなってしまう。

「ん、さっくさく。おいしい!」

 幸せそうな笑みを浮かべながら、彼女は選ばなかったはずのみんなを次々口へと放りはじめた。

 どうしてだろう。ぼくがその幸せそうな笑顔にしてあげたかったのに。てっきり選ばれたぼくたちが、彼女に食べて貰えると思っていたのに。

 ならなくてよかったとさえ思ったあの歪な塊が、彼女に一番に食べられた。あのぼくたちを生み出した温もりの中に還ったのだと思うと、羨ましくて仕方なかった。

 そして結局、箱の中のぼくたちは取り残されて、絶望と共に寒い冷蔵庫に戻されてしまった。


*******


「あのさ。クッキー焼いたんだ……その、よかったら……」
「えっ、俺に?」
「うん……たくさん作りすぎちゃって。あ、でも、手作りとか苦手だったら無理しなくても……!」
「いやいや、めっちゃ嬉しい! ありがとう!」

 紙袋に収まり揺れる箱の中で、ぼくたちは欠けたりしないよう必死に頑張った。
 だって、ぼくたちは彼女に選ばれた、一番出来の良いクッキーなのだ。

 もしもぼくたちがやけくそになって箱の中で暴れて粉々になったら、渡すことなんて出来ずに彼女が食べてくれたかもしれない。
 けれど、学校に着くなりぼくたちを箱の窓越しに確認して、ほっとしたように微笑む彼女を見てしまったからには、そんなこと出来るわけがなかった。

「あ、美味そう!」
「えへへ……一番上手く焼けたやつ持ってきたんだ」

 彼女とは違う大きめの男の子の手によって、紙袋から出されて、箱を開けられる。久しぶりの外の空気は、ぼくたちの甘い香りを漂わせた。

「えっ。一番いいやつ、貰っていいのか?」
「うん……」

 ぼくたちは何度も捏ねられて、型抜きされて、何回も生まれ変わった。少しのひび割れや欠けも妥協せずに、お前に喜んで欲しいって、彼女は一生懸命ぼくたちを作ったんだ。

 本当は、彼女に食べられたかったけど。もとは同じだった星やハートも同じ気持ちだろうけど。

「一番良いのは……鳥羽くんに食べて欲しいから」
「それって……」
「あ、えっと……とりあえず、食べて!」
「うん……いただきます」

 彼女がぼくたちを作る間、指先から伝わる熱で、どんなにこの男を想っていたかも知っているから。

「……彼女を笑顔にしないと、承知しないからな!」

 小麦粉みたいに小さすぎるぼくの声は、きっと届かないけれど。すぐに消えてしまうぼくの願いは、きっと誰にも気付かれないけれど。
 それでも、ぼくを摘まみ上げる彼のお腹の中で、告白の行方を見守るくらいは、許されるだろう。

「ん、美味い……!」
「本当!?」
「うん、優しい甘さ。これならいくらでもいける」
「よかった……また、作ってもいい?」
「それは嬉しいけど……いいのか?」
「もちろん! ……あのね、わたし、ずっと前から、鳥羽くんのことが……」

 ほんのり甘くてさくさくで、口にすれば笑みが溢れる美味しいクッキー。そんな中で彼女に一番に選んで貰えたぼくが、かわいいあの子の幸せのきっかけになれるといい。

 彼女に食べて貰えなかったのは残念だけど、直接幸せに出来なかったのも悔しいけれど。
 丁寧に箱詰めされる中で、彼女の特別な表情を見られたのは、その切実な願いを託されたのは、きっとぼくたちだけの特権だから。

「ごめん、四葉」
「……っ! あ、えっと……」
「俺から言わせて」
「え……?」

 ぼくの気持ちを代弁するように紡がれる、熱を帯びた言葉。声を発して震える彼のお腹の中を粉々になって落っこちながら、薄れゆく意識の中で、こちらに向けられた彼女の幸せそうな声を、遠くに聞いた。

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