星のカケラ。

雪月海桜

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愛本。

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「……ねえ、お母さん。この本あきちゃった」

 そう言って娘が子供用の背の低い本棚から取り出したのは、物心つく前から読み聞かせ続けたメジャーなタイトルの童話の絵本。分厚い頑丈な紙にも関わらず、繰り返し開いたそれは既に表紙もぼろぼろだった。

 それこそ、娘の成長を一緒に見守ってきた戦友のような存在。それを飽きたというのは、彼女が大人になった証とも言えたけれど、やはり少しばかり物悲しかった。
 わたしはそんなエゴを何とか抑え込み、本を片手に駆け寄ってきた娘を抱き寄せ、笑顔を向ける。

「そっかぁ。これは赤ちゃんの時からある本だもんね。……じゃあ、お母さんとオリジナルの本を作ろうか」
「えっ。本って、作れるの!?」
「もちろん! どこの本屋さんにもない特別なの、作ってみよう」
「……うん!」

 既製品の絵本だって、きっといろんな子供達の夢やわくわく、好奇心や願いを叶えるために作られているのだ。
 それならば、娘の心をより煌めかせることの出来る、娘のためだけの絵本を用意してあげたい。そんな願いを持つのも、親の愛のひとつの形だろう。

 日々少しずつ大人になる彼女には、絵本ではなく挿し絵のある児童書でもいいかもしれない。いつか飽きてしまうとしても、彼女のためだけの、今しか出来ない唯一無二の物語だ。

「よし、任せて! お母さんお絵描きは得意だから。とっておきの絵の具も使っちゃう。『大好き』を詰め込んだわくわくする本、一緒に作ろうね」
「やった! わたしね、アイドルの女の子のお話がいいなぁ。それでね、赤とピンクの風船で宇宙に行って、月のうさぎさんとたくさんの星の中で歌うの!」
「お星さま好きだもんねぇ。宇宙のアイドルかぁ、いいね、楽しそう」
「ほんと? お母さんはね、いちばん前のクッキーの席で見ていいからね!」
「……席がクッキーなの?」
「お腹空いたら食べられるの! 飴の席も、アイスの席もあるよ!」

 にこにこと楽しそうな笑顔で語られる子供ならではの自由な考えに、わたしは思わず笑みをこぼす。

「ふふ、美味しそう。よーし、それじゃあ、他にはどんなお歌を歌うのか、どんな衣装がいいか、他にも『好き』をたくさん教えて」
「あのね、手拍子でみんな一緒に楽しめるお歌とか、お布団の中で寝る前に歌えるのとか……たくさん歌うの! 百曲くらい!」
「わあ……一日じゃ終わらないね」
「うん、また明日ねーってする! それでね、虹をかけたり、キラキラのハートをたくさん降らせたりするの。公園や動物園で歌ったりとか……なんでも自由な楽しいステージなの」
「そっか、それは退屈しないね」
「うん! 衣装はね、キラキラの指輪に、星の腕時計に、かわいい靴下はいて、くらげの傘を差して、スカートはピンクにも水色にも見える天の川のぴかぴかのやつ!」

 子供の発想は無限大だ。たくさんの好きとキラキラを詰め込んで、カラフルな唯一無二の物語を紡ぐ。
 そんな時間は、例えこの先大きくなった娘が、いつかそのときめきを忘れてしまったとしても、子供向けの本を卒業したとしても、きっとかけがえのないものだ。

「お客さんはね、赤いリボンをつけたくまさんと、いろんな色の猫ちゃんと、魔法使いさんと、天国のおばあちゃんと……あ、わたしの持ってる本の探偵さんや、お姫様たちも一緒に! ドールハウスのお人形たちも!」
「みんな、きっと楽しんでくれるね」
「うん……!」

 わたしは楽し気な声と無邪気な笑顔を隣で見守り、胸に溢れた温かな気持ちを慈しむ。
 日記のように、読む度にこの気持ちを思い出せるようにと、手元の紙にひとつひとつ閉じ込めていった。


*******


「……如何でしたか? 『母親になったわたし』というバーチャル体験型のこちらの本は」
「すっごくよかったです! わたし、こんな風に子供と素敵な日々を送りたい……。妊娠してからずっと、ちゃんとお母さんになれるか不安だったけど……この本のお陰で、少し希望が持てました」
「それはそれは……ご満足いただけたようで何よりです」

 本は子供に読み聞かせるだけのものじゃない。大人も同じように、かつて憧れた世界を、いつか夢見た空想を、叶えたい理想を追体験出来る、開くだけで行ける心の旅の切符だ。

「この子が生まれたら、また買いに来ますね。今度は、この子のための本を選びたいです……将来、オリジナルの本を作る時のための、参考に」
「はい、是非。またのご来店、お待ちしておりますね」

 現実の世界は、本の中の物語のように、優しく幸せなものではないかもしれない。慣れない日々に忙殺され、文字を追う余裕も、想いを馳せる時間もないかもしれない。

 それでも、確かに今この瞬間心を動かした一冊が、ふとした瞬間の拠り所になればいいと願いを込めて。

 いつか『あなた』に読まれるのを待つ、本棚に並ぶ傷ひとつない真新しい背表紙を、ほんの一度、宝物のように柔く撫でた。

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