星のカケラ。

雪月海桜

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百番目の物語。

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「ひとつ」
 ある夏の夜に、人目を忍んで家を抜け出した子供達が、ひとつの部屋に集まった。
「ふたつ」
 窓も閉め切り蒸し暑く、蓋をした箱のように暗い部屋の中に、幾つもの蝋燭が灯る。
「みっつ」
 息をするのも憚られるような静かな部屋の中、見詰める先にある炎は、風もないのに小さく揺らぐ。
「よっつ」
 部屋の四隅に一人ずつ座り、一人が語り手となって真ん中の蝋燭の前に座る。そうして幾重にも折り重なり繰り返される物語。
「さあ、百物語を始めましょう」


*******


「九十七話、おしまい!」
「お疲れ様、恵。……次は私の番だね」

 恵の番が終わり、彼女がこちらにやってくる。次の語り手となる私は、場所を譲るべく立ち上がった。

「愛子も頑張って……あ」

 しかし恵はハッとしたようにして、手に持ったままのメモ帳を隣の座布団近くに置きっぱなしにしていた可愛らしい鞄へと戻しに行った。

「ごめん野秋くん、ちょっとこれしまわせて」
「ああ」

 ここまでの間、恵はメモ帳でカンニングしながら怪談をしていたのだ。雰囲気も何もないが、何しろ一人二十話近くのノルマがあるのだから仕方ない。
 ある程度覚えていても、他の人と被らないようにと用意したたくさんの物語は、後半になるにつれ何を話すか分からなくなる。

 九十七話目、恵の話す番はもう終わりだ。メモ帳はもう必要ない。ここからは聞くのに集中出来る。この湿度の高い室内、手汗で鉛筆の文字が伸びてしまったのだろう、来る時には綺麗だった恵のメモ帳は、遠目に見ても炭色に薄汚れてしまっていた。

 私も改めて話す内容を確認し、蝋燭に照らされた真ん中の席へと移動する。万が一にも蝋燭が畳の上に倒れでもしたら大変だ。慎重に座布団へと腰を下ろせば、一息吐いた。

 夏休み始まりの日、あまり遊んだことのない望月さんから「百物語をしよう」なんて誘われた時にはどう断ろうかと悩んだのに、いざ来てしまえば、夜遅く家を抜け出し子供達だけで集まり火を囲む非日常感に、つい気分が高揚してしまう自分が居た。
 どうせ夏休みには虫取りや川遊びくらいしか予定がなかったのだ、こんなにわくわくするのは久しぶりだった。

 部屋の四隅には、クラスメイトの望月さんと田代くん。それから親友の恵と、前からいいなと思っていた野秋くんが居た。誰が誘ってくれたのだろう、野秋くんと居られることが、ドキドキを増幅させた。

 それぞれが順番に怖い話をして、話し終われば次の語り手が真ん中に座り、終わった者はその空いた隅へと座る。

 それを繰り返して、もうかなりの時間が経った。始めに灯した蝋燭は、もうかなり短くなっている。それが尽きてしまわぬ内に、話をしなくてはいけない。
 恵が席についたのを確認し、私は四隅の誰に視線を合わせるでもなく、ぴったり閉じられた襖に向かって物語を紡ぎ始めた。


*******


「これは、私の友達の話……学校の子じゃないんだけどね、チョコレートが怖いって言う子が居たの。ここではAちゃんってしておこうかな」
「……チョコレートが怖い? 饅頭怖いとかそういう?」
「あはは、それなら私も、アイスが怖いわ」

 私の言葉の出だしに、恵達が思わず笑う。先程まで背筋も凍るような怖い話が続いていたのだ、少しだけ気が緩んだようだった。
 つられて皆の空気が僅かに和むのを感じつつ、私は話を続ける。

「ううん、そうじゃなくて……チョコレートの中に、指が見えるんだって」
「指?」
「ほら、どろどろに溶かしたチョコってあるじゃない? Aちゃんはお菓子作りが趣味で、よくチョコレート菓子も作っていたの。でもある日、いつものように溶かしたその中に……ふと、指が沈んでいるのが見えたんだって」

 各々がその光景を想像しているのが窺えた。先程までの茶化すような空気はなく、私の話に耳を傾ける。

「その指は子供の指くらい小さくて、チョコレートの中にあってもチョコまみれにならずに、血の気がないように白く見えたんだって。……最初は勿論、何か間違えてボウルに落としちゃったのかなって思ったらしいの。でも……爪もあるし、関節もある。それは、どう見ても指だった」

 私は自らの指を蝋燭の炎の上に翳して、皆の視線を集め、想像を掻き立てるように小さく揺らす。

「しばらく動けずに、指と対峙するしか出来なかったAちゃん。意を決して、恐る恐る取ろうとした瞬間……それまで作り物のように動かなかった指は、突然痙攣するみたいに、びくびくっと小刻みに震えたの」
「ひ……」

 斜め後ろから小さく息を飲むような悲鳴が漏れる。田代くんは怖がりだ。野秋くんに誘われて来たのだろうけれど、自分が話す際にも落ち着かず視線が泳いでいた。
 今も、チョコレートの海に白い指が浮かぶ異質な状況をありありと想像しているのだろう。私はそのまま、言葉を続けた。

「Aちゃんは驚いて、反射的にボウルを落とした……その勢いで、近くに置きっぱなしにしていた包丁も、一緒に落ちちゃったんだって……落ちた包丁は、ボウルを振り払ったAちゃんの小指を掠めて……床に落ちた。指は幸いにも切断はされなかったけど、少しでもずれてたら危なかったって。今でもAちゃんの小指の根本には、その時の切り傷がくっきり残ってるんだ」

 最悪の事態にならなかったことに対する、安堵の溜め息が幾つも聞こえた。

「物音に驚いた母親が見に来て確認した時には、床に落ちたチョコレートの中に指はもうなくて、Aちゃんも怪我のショックの方が大きくて、あれは見間違いだったんだろうって結論付けた。でも……今はAちゃん、お菓子を作れなくなっちゃったんだ」
「怖いから?」
「ううん、後日気を取り直してチョコレート菓子に再挑戦した時に、うっかり、親指がなくなっちゃったんだって」
「えっ」
「その指も清潔にして病院に持っていけば、くっ付けられたかもしれないのに……チョコまみれで駄目だったみたい。母親が探したら、指はボウルのチョコの中に落ちてたんだって」
「……うっかりで親指がなくなるって、何事……」

 思わず呟いた恵の声に、私は肩を竦める。私も始めに聞いた時には、同じ突っ込みをしてしまったのだ。

「切り傷の状態から見て、包丁で切ったみたいってお医者さんに言われたけど……本人は記憶が曖昧らしくて。自分の親指をすっぱり切断なんて、力も要るだろうし痛いだろうし、うっかりじゃ難しいのにね。……骨まで綺麗に切れてたんだって」
「……それ、すぱんじゃなくて、ごりごりいくやつ」
「ひえ」
「親指がなくて、色々支障が出るからって今は作れなくなっちゃったけど……またチョコレートがその子の指を欲しがったら、うっかり作っちゃうのかもね?」

 皆の空気が重くなったのを感じて、私は冗談めかして終わりを告げ、目の前の蝋燭の炎を吹き消す。

「九十八」

 あと、二本だ。残りの蝋燭が減るにつれ、部屋は暗さを増した。私は次の子に席を譲り、その子が居た場所へと身を納める。
 次は野秋くんだ。私は他の子よりも幾分熱心に、彼の話に耳を傾けることにした。


*******


「……声が、聞こえたんだ。誰も居ない狭い部屋で。最初は外か、他の部屋のテレビか何かの音が聞こえたんだと思った。でも、暗い廊下に出ても、何も聞こえない。もう夜遅くで、家族は寝静まっていた。試しに窓を開けても、外からは特に人の声は聞こえない。夜は車すら通らない田舎道で、蛙や虫の声が響く程度だった」

 物語は、彼の体験談のようだった。その田舎道は、私達もここに来るのに通って来た。確かに人が立ち止まって話をすることもあまりない道だ。彼は普段と変わらず淡々と、揺らぐ炎を見詰めながら語る。

「おかしいなと思ったけど、虫の声でも聞き間違えたのかと思い直して、窓を閉めた。そろそろ寝ないといけない、またベッドに横になって、目を閉じた。するとやっぱり、話し声が聞こえる。……その声は、男も女も子供も年寄りも居るようで、高いのも低いのも聞こえた。会話してると言うよりざわざわとした、休み時間の喧騒や、テレビを何台もつけた時に近かった。だから何人居るのかも、何を話してるのかもわからなかった」

 彼は声を思い出すように、双眸を伏せる。そして、再び目を開けると、すっと天井を指差した。

「確実にたくさんの人が何かを話してるのに、何を言ってるのか単語すらわからない。変な感じだった。気になって眠れずに、俺は電気を付けて部屋の中を見回した。明るくしても、声は聞こえた。俺は本棚とか、机の下とか、手当たり次第色んな所に耳を傾けてみた。……音の出所は、どうやら上からだった」
「上? 二階からってこと?」
「いや、俺の部屋は二階で、その上は屋根だ。……俺は上からの声が気になって、少しでも高い所に行こうとした。さすがに屋根には登れないから、椅子や机に乗ってみたり、押し入れを開けて上段に登ったり……そうしたら、押し入れの上の方から、特に声が大きく聞こえたんだ」

 普段身近なものの、埃と古い木の匂いがする、暗くて狭くてじめっとした押し入れという空間。そんな独特の空気を思い出し、私達は何と無く嫌な感覚を覚える。

「声は押し入れが今までで一番近くに聞こえた。でも、やっぱり何て言ってるのかは分からなかった。……懐中電灯で辺りを照らすと、上の狭い収納スペース……天袋に、ごみ袋の掛かった黒い箱のようなものが見えた。押し入れの中には、使わなくなった物とか、衣替えでしまった物とか、季節柄使わない毛布とか湯たんぽとか色々入ってたけど……その箱には一切見覚えがなかった」

 彼は大きさを示すように、両手で箱の形を再現する。デスクトップのパソコン、ブラウン管テレビ、ビールの入った箱。比較的馴染みのある、イメージしやすい大きさだ。私達高学年が両手で抱えられるくらいの箱。

「俺は気になって、その箱を天袋から下ろした。そのごみ袋が埃避けなのか、捨てようとしてやめたのか分からなかった。……開けてみると、箱だと思ったそれは、艶のある黒をしていて、角には金の飾りがついてた。傷もないし、単純に綺麗だと思った……けど、袋を開けて気付いた。声は、その中から聞こえて来たんだ」
「……ラジオが入ってたとか?」
「いや、箱には扉が付いていて、開けたら一番手前に、何か書かれた黒い板みたいなのがあった。縦に文字が書いてたけど、読めない漢字が多かった。……でも、その板は仏壇にあるのと同じようなやつだった」
「それって、小さいお仏壇だったってこと……?」

 想像して、ぞわりと背筋が粟立つのを感じる。しまい込まれた見知らぬ仏壇と複数の声。私なら絶対寝られない……が、彼は淡々と、声の出所が分かったから満足してそのまま寝たと話す。……普通無理だ。

「朝になって母さんに確認したら、大分前に病院で亡くなった独り身の親戚の家から預かってきて、置き場所を決めるまで閉まっておこうとして、葬儀やら何やらでばたついて忘れてたんだと。……あの声がその親戚なのか、あの仏壇に何人あれしてんのかとか、そもそも何で俺の部屋に置いたのかとか、細かいことはわかんないけど。スペース作ってお供えとかちゃんとしたら、あれから声は聞こえなくなった」

 これでこの話は終わり、と彼が蝋燭を吹き消す時、先程から皆の話に相槌や質問を投げ掛けていた少女、望月さんの声が響く。

「……もしかしたら、その仏壇の人は、寂しくて野秋くんのことを連れて行きたかったのかもね」
「は……?」
「供養されない可哀想な親戚さんは、その辺の悪い霊達に取り込まれて、その箱から出たくて君を呼んでたのかも?」
「おい」
「これで九十九……」

 一本だけ残った蝋燭の炎が先程よりも大きく揺れる。
 そういえば、百物語を完成させたら、何か良くないことが起きるのではなかっただろうか。この九十九話目で、終わりにした方が良い気がする。
 しかし次の語り手である望月さんは、野秋くんを押し退けて真ん中の座布団へと腰掛ける。野秋くんは納得いかない様子だったけれど、渋々空いた座布団に腰掛けた。

「百話目は、私ね」

 あまり遊んだことのないクラスメイトの女の子、望月さん。転校してきた三年生からずっと同じクラスで、同じ係にもなったことがあるけれど、彼女はあんな風に強気だっただろうか。

「……ねえ、この百物語、参加者は何人だった?」

 不意に紡がれた望月さんの言葉に、思わず皆がきょとんとする。

「……? 五人だろ?」
「今はね。でも思い出して。最初、四隅に一人ずつ、自分の場所を決めて荷物を置いた……話し終わったら、その場所に戻るから。……でも、話し終わったら、次の子が居た場所に座るようになったのは、何故?」
「あ、れ……?」

 そういえば、私が話し始める前、恵は野秋くんの傍までメモ帳をしまいに行っていた。彼女のお気に入りの鞄。普段遊ぶ時には、肌身離さず持ち歩いていた。
 話し終えて戻るのが定位置だったなら、鞄の置きっぱなしにも納得出来る。

「つまり、百物語中に……この中の誰かが、増えてる……?」
「うそ……やだ……!」
「誰だよ、それ!」
「も、もう帰ろうよ!」

 皆が疑心暗鬼に陥る。部屋の中はパニックだ。お互い顔見知りで、名前だって分かるし、学校での思い出がちゃんとある。それなのに、この中の誰かが幽霊だとでも言うのだろうか。

 半狂乱になった田代くんを野秋くんが宥め、私と恵は寄り添い合う。けれど語り手として蝋燭の傍に居る望月さんだけは冷静だ。

「ねえ、私、正解を知ってるの。誰が幽霊か……知りたい?」
「……知ってるなら教えろよ、誰なんだ?」

 野秋くんの言葉に、望月さんはスッと指先を伸ばし、私達の方へと向けてきた。

「……、わ……私?」

 私と恵は、顔を見合わせる。そんなはずない。私達は、幼稚園の頃からずっと親友だ。
 しかし次いで、彼女は反対の隅に居た野秋くんと田代くんの方へも指を動かす。

「?」
「四隅に、四つの鞄があるでしょう? その持ち主がわかれば、自ずとわかるんじゃない?」

 彼女の言葉に、私達はそれぞれ自分の荷物を主張した。あの可愛らしいのは恵の。この手提げは私の。向こうの手提げは田代くんの、あっちの風呂敷は野秋くんの。

「荷物がないのは、望月さん……?」
「ひっ!?」

 怯えた田代くんが、部屋を飛び出そうとする。しかし、襖はぴったりと閉ざされ開かなかった。

「嫌だ! 出してよ!」
「たすけて!」
「……ねえ、荷物。本当にあなた達の? こんな、のが」

 望月さんの言葉に、私達の動きはぴたりと止まる。そして彼女は小さな板のような物をポケットから取り出して、指先で板の表面をなぞり始めた。するとその板は懐中電灯のように光り、手近な私の荷物を照らした。
 暗さに慣れた目には痛いくらい眩い光の下、私の白かったはずの手提げは、真っ黒な炭のようだった。

「え……?」

 見たこともない光る板、黒焦げの手提げ、開かない部屋。もう、訳がわからなかった。
 唯一残った百本目の蝋燭は、もう短い。それが消えれば、この悪夢は終わるのだろうか。
 望月さんは、私の考えを察したように、何処か寂しそうに微笑む。その表情は、同い年とは思えないくらい大人びていた。

「……百話目。毎年この日になると、村の外れの廃墟で百物語を繰り返す、二十年前に亡くなった四人の小学生」

 静かに呟かれた彼女の言葉に、混乱していたはずの私達はやけに納得してしまった。先程までの恐怖を忘れ、大人しくなる。あれだけ疑心暗鬼だったのに、誰一人、反論しなかった。

「……四人の、小学生……。席の移動がいつもと違うのは、望月さんが、今日初めての参加だから……?」
「うん……途中から混ぜてもらったの。二十年、待たせてごめんね」

 ああ、なんだ。百物語をして出てきた幽霊は、私達四人の方だったのか。

 ああ、そうだ。私達は、とっくに死んでいた。四人で二十年間も同じ百物語を繰り返して、百話目を迎える前に、やっぱり死んでしまう。それが心残りだったのかもしれない。

 あるいは、私達は消えてしまわない為に、終わらない百物語を続けたかったのかもしれない。そんな自覚が芽生えても、今更遅いのだけど。

 だって私達は、とっくに百話目になっていたのだ。百物語は、既に完成していたのだから。

「……なぁんだ、そっか。……望月さん、最後に参加してくれて、ありがとう。五人で出来て、嬉しかった」
 生きている頃、学校ではあんまり遊べなかったけど。五人で居られた今夜は、今までで一番楽しかった。
「……、私も」

 いつの間にか大人の姿になっていた望月さんは、驚いたように目を見開いた後、小さく微笑んで、最後の蝋燭を吹き消した。

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