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【第五章】エメラルドの森の異変。
⑪
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(sideオリヴァー)
翌日、早朝からの侯爵としての仕事を粗方片付け、そろそろ朝食にするかと執務室を出た際に、廊下で聖女の付き人を名乗る先日の少年に出くわした。
今日は他の子供は居ない。子供嫌いを明言している私に配慮して、あの中で一番落ち着いていた彼一人なのか。
「おはようございます、エメラルド侯爵。彼女が森でお待ちです」
「彼女?」
「はい……お嬢様がお待ちです」
「お嬢様……? 誰のことだ、聖女ではないのか?」
少年はにっこりと微笑み、答えることはなかった。
渋々赴く森の中、少し進むと、例の色付いた木々の葉が揺れるのが見える。
不意に、その木陰に少女の後ろ姿を見付けた。……背が低い、子供だ。聖女ではない。
また町の子供が入り込んだのかと眉を寄せるが、その姿には見覚えがあった。
艶を帯びた琥珀色の長い髪、お気に入りだった赤いドレス。色付いた葉を見上げて、紅葉のような小さな手を伸ばしている。
あれは……あの姿は……。
「……メイプル……?」
思わず名前を呼ぶと、少女はぴたりと背伸びをやめて、振り返ることなく駆け出してしまう。
私は反射的に追い掛け、歩幅からすぐに追い付けると思ったところで、伸ばした手が彼女に触れることはなかった。
不意に強い風が吹いて落ち葉を舞わせたかと思うと、目の前で彼女は幻のように消えてしまったのだ。
「……っ、待ってくれ、メイプル……メイプル!」
辺りを見回しても、既に彼女はどこにも居なかった。
目の前を舞い散る赤や黄色、時には混ざり合い橙色に染まる木の葉。これは、あの日の火の粉とは違う。
冷たい風に揺れ擦れ合う葉の音だけが、痛いくらいの静寂の世界を現実のものと実感させた。
不意に、燃えた記憶の奥に閉じ込めた愛しい声が甦る。
『よその土地では、秋になると赤や黄色の葉も見られるらしいの。わたし、見てみたいわ!』
『葉っぱって、いろんな色に染まるんでしょう? 素敵よね!』
『この土地は寒くないから、この樹からはメープルシロップはとれないんだって……残念。この前食べたの、すっごく美味しかったから、うちでもとれたら良いんだけど……あんまり寒くないからなのかなぁ?』
『……ねえ、パパ。いつか戦争が終わったら、赤い葉っぱ、見に行こうね!』
かつて、メイプルが見たがった景色。
そして、彼女が見られなかった景色。
ひらひらと舞う紅葉に、深紅のドレスを揺らす彼女の姿が重なった。
色付く葉も、彼女が居ない日々も、受け入れられなかったのは……変われなかったのは、私自身だ。
「ああ……君が見たかった景色は、美しいな……メイプル」
戦火を彷彿とさせ、直視するのも苦しかった紅葉を手に取り、その場に崩れ落ちる。
俯くと眼鏡が濡れて、視界が滲んだ。ぼやける視界でも尚、その葉は美しかった。
子供嫌いと周知して、メイプルと同じ年頃の子を見ないようにして、心の傷から目を背けた。
葉が染まったと聞いた時、せっかくメイプルの願いが叶ったのに、彼女が居ないのでは意味がないとその存在自体を忌避して、皆もそうだと決めつけた。
領地の子供達が、その葉を気味悪がるどころかはしゃぐ姿を、見て見ぬふりをした。
「すまない、メイプル……、……すまない……」
これまでずっと、人知れず厳格な仮面の下で泣いていた。悲しみから目を背けて、領主として復興にのみ力を注いで来た。
けれど、もうその仮面も必要ない。
この紅葉をこんなにも美しいと感じられるのは、彼女がくれた愛しい思い出があるからだ。
逃げずに向き合えば、痛む心の中に、確かに彼女は存在するのだ。
「メイプル……目を背けて、すまなかった……」
この心の中に、この場所に、今も尚、彼女への愛は存在し続けているのだから。
*******
翌日、早朝からの侯爵としての仕事を粗方片付け、そろそろ朝食にするかと執務室を出た際に、廊下で聖女の付き人を名乗る先日の少年に出くわした。
今日は他の子供は居ない。子供嫌いを明言している私に配慮して、あの中で一番落ち着いていた彼一人なのか。
「おはようございます、エメラルド侯爵。彼女が森でお待ちです」
「彼女?」
「はい……お嬢様がお待ちです」
「お嬢様……? 誰のことだ、聖女ではないのか?」
少年はにっこりと微笑み、答えることはなかった。
渋々赴く森の中、少し進むと、例の色付いた木々の葉が揺れるのが見える。
不意に、その木陰に少女の後ろ姿を見付けた。……背が低い、子供だ。聖女ではない。
また町の子供が入り込んだのかと眉を寄せるが、その姿には見覚えがあった。
艶を帯びた琥珀色の長い髪、お気に入りだった赤いドレス。色付いた葉を見上げて、紅葉のような小さな手を伸ばしている。
あれは……あの姿は……。
「……メイプル……?」
思わず名前を呼ぶと、少女はぴたりと背伸びをやめて、振り返ることなく駆け出してしまう。
私は反射的に追い掛け、歩幅からすぐに追い付けると思ったところで、伸ばした手が彼女に触れることはなかった。
不意に強い風が吹いて落ち葉を舞わせたかと思うと、目の前で彼女は幻のように消えてしまったのだ。
「……っ、待ってくれ、メイプル……メイプル!」
辺りを見回しても、既に彼女はどこにも居なかった。
目の前を舞い散る赤や黄色、時には混ざり合い橙色に染まる木の葉。これは、あの日の火の粉とは違う。
冷たい風に揺れ擦れ合う葉の音だけが、痛いくらいの静寂の世界を現実のものと実感させた。
不意に、燃えた記憶の奥に閉じ込めた愛しい声が甦る。
『よその土地では、秋になると赤や黄色の葉も見られるらしいの。わたし、見てみたいわ!』
『葉っぱって、いろんな色に染まるんでしょう? 素敵よね!』
『この土地は寒くないから、この樹からはメープルシロップはとれないんだって……残念。この前食べたの、すっごく美味しかったから、うちでもとれたら良いんだけど……あんまり寒くないからなのかなぁ?』
『……ねえ、パパ。いつか戦争が終わったら、赤い葉っぱ、見に行こうね!』
かつて、メイプルが見たがった景色。
そして、彼女が見られなかった景色。
ひらひらと舞う紅葉に、深紅のドレスを揺らす彼女の姿が重なった。
色付く葉も、彼女が居ない日々も、受け入れられなかったのは……変われなかったのは、私自身だ。
「ああ……君が見たかった景色は、美しいな……メイプル」
戦火を彷彿とさせ、直視するのも苦しかった紅葉を手に取り、その場に崩れ落ちる。
俯くと眼鏡が濡れて、視界が滲んだ。ぼやける視界でも尚、その葉は美しかった。
子供嫌いと周知して、メイプルと同じ年頃の子を見ないようにして、心の傷から目を背けた。
葉が染まったと聞いた時、せっかくメイプルの願いが叶ったのに、彼女が居ないのでは意味がないとその存在自体を忌避して、皆もそうだと決めつけた。
領地の子供達が、その葉を気味悪がるどころかはしゃぐ姿を、見て見ぬふりをした。
「すまない、メイプル……、……すまない……」
これまでずっと、人知れず厳格な仮面の下で泣いていた。悲しみから目を背けて、領主として復興にのみ力を注いで来た。
けれど、もうその仮面も必要ない。
この紅葉をこんなにも美しいと感じられるのは、彼女がくれた愛しい思い出があるからだ。
逃げずに向き合えば、痛む心の中に、確かに彼女は存在するのだ。
「メイプル……目を背けて、すまなかった……」
この心の中に、この場所に、今も尚、彼女への愛は存在し続けているのだから。
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