黄昏食堂。

雪月海桜

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 わたしは『黄昏食堂』の屋根裏の私室で、窓から差し込む朝日を受けながら荷造りする。結局一睡も出来なかった。

 お父さんにもらった服や髪留め。お客さんからのプレゼント。お店の秘伝のたれのレシピ。すっかり着古したお店のエプロン。後者は置いていくべきだろうか。
 鞄なんて必要もなかったから、持っていない。いろんな宝物を小さな段ボール箱に詰めて、あっという間に十年以上の思い出は纏まった。

「……よし。こんなもんかな」

 アキラくんはそもそも纏めるような私物はない。すぐにでも出発出来るだろう。
 ほとんど記憶もなく、お客さんの愚痴でしか知らない人間の世界に、恐怖がない訳ではない。それでも、ここに居続けることなんて出来なかった。わたしも、その人間なのだから。

「おはよう、アキラくん。準備できた?」
「椿姫さん……」

 バックヤードのソファーから起き上がるアキラくんは、わたしの顔を見るなり眉を下げる。泣き腫らしたままで徹夜したのだ、酷い顔をしているのだろう。

「ねえ……俺は、嫌だよ。こんなの」
「え……?」
「だって、椿姫さんがこの店を愛してるのは、傍に居て痛いくらい伝わってきた。客の皆からも、椿姫さんは愛されてる」
「でも……しかたないんだよ。店長も言ってたでしょ、この店は、あやかしが人間社会に疲れて癒しを求めに来てるの。人間が居ちゃ、ダメなんだよ」

 きっと、もう店長をお父さんなんて呼んではいけない。わたしには、本当の家族が居るのだ。記憶には、店長と過ごした思い出しか残っていないけれど。

 店長は、今頃店の方で久しぶりの仕込みをしている頃だろう。
 出て行くのなら、店が始まる前。今の内に、決心が鈍る前に、早く。

「それでも……皆が癒されてたのは『黄昏食堂』の料理と、看板娘の椿姫さんにだ。人間だとか、あやかしだとか、関係ない。椿姫さんだって、ここに居たいんだろ?」
「……それを決めるのは、わたしじゃないよ。それに、アキラくんだって、わたしを連れ帰りたいんでしょ?」

 逃げるように出ていこうとするわたしの手を、アキラくんが、掴む。

「……確かに、俺は椿姫さんを迎えに来た。でも、それで椿姫さんを悲しませるんじゃ、意味がない」
「意味って……」
「椿姫さんには、幸せで居て欲しい。笑顔で居て欲しい。俺が椿姫さんの笑顔に救われたように、椿姫さんも救われて居て欲しい」
「……」
「椿姫さんが迷いこんだのは、危ない場所だって思ってた。椿姫さんには帰る場所があるから、無事に連れ帰りたいって思ってた。でも……今の居場所は、ここなんだって、わかったから」

 わたしの今の居場所。そんなの、ずっと決まっている。もう人生の半分以上を過ごした、大切な場所。

 それでも、故郷を追われたあやかしたちもきっと同じだろう。ずっと居たかった場所を追い出されて、慣れない人間社会で生きる場所を探さなくてはいけない。
 わたしが鬼の子という鎧を纏って店に立っていたように、みんなだって人間という鎧で頑張っている。

「それでも、本来の場所に帰れるんだもの。追い出されるにしても、まだ幸せな方でしょ? 頑張らなくちゃ」
「……『黄昏食堂』は、どんなあやかしでも種族の隔たりなく本来の自分をさらけ出して、美味しい料理と、気心知れた仲間と、何より『看板娘』が受け入れてくれる、癒しの場所……そうだよね? みんな」
「え……?」

 みんな、という言葉に、思わず瞬きをする。
 すると、次の瞬間バックヤードと店を隔てた扉が開き、常連さんたちが狭い室内に一気に雪崩れ込んできた。

「え、え!? 皆さん……!?」
「黙って出て行こうなんて水臭いわよぉ。寧々子、人間そんな好きじゃないけど、椿姫ちゃんたちは別~!」
「そうだよ。確かに、美味しそうな血の匂いだなぁとは思っていたけれど……それとは関係なく、椿姫ちゃんが居るから、僕は……!」
「私も、会社のイヤな人間関係に疲れても、椿姫ちゃんに癒されてたんだよ!」
「そうやで、常連みーんな、そう思っとる。つばきちゃんあっての『黄昏食堂』やんな?」
「皆さん……なんで……。今はまだ、昼前で……仕事、とか……」
「ははっ、当日になって有給使ったのなんて、サラリーマン人生で初だよ」
「うむ、店の一大事だからな」
「人間の愚痴たくさん言っちゃってごめんね。あたし達にもいろんな性格のやつが居るみたいに、人間だって、みんながみんな悪い人間じゃないって、ちゃんとわかってるから……!」
「椿姫さんのお料理、また食べたいです!」
「人間って聞いて驚いたけど、そんなの関係ない! つーちゃんが居ない店なんてやだよー!」

 バックヤードに入りきらない店の方からも、聞き覚えのある声がする。
 状況が飲み込めないわたしの背を、アキラくんが軽く撫でた。

「みんなに、話したんだ。俺たちのこと」
「えっ、どうやって……」
「前に、寧々子さんに連絡先聞かれて。その時俺、携帯とか持ってないからって断ったんだけど……一方的に寧々子さんの電話番号教えてもらったから、椿姫さんが荷造りしてる間に店の電話でかけた」
「そうそう。寧々子ちょーファインプレー。常連同士って言っても連絡先知らないひとも多いからさ、SNSでうちらにしかわからないように拡散したらね、平日の午前中だってのにこーんなに集まってくれたの」
「え、えすえぬえす……?」
「つまり……集まってくれたみんな、人間だとかそんなの関係なく『椿姫さん』にここに居て欲しいってこと」
「え……」

 わたしを見る皆の顔は、とても優しい。わたしに向けられる声は、とても温かい。
 小さい頃から家族のように見守ってくれたお客さん、ご新規さんでもすぐに打ち解けたお客さん、営業日は毎日のように通ってくれる常連さん。まだ数回のご来店で、これから仲良くなれたらいいなと感じたお客さん。

 きっと、人間嫌いのひとだって居る。それでも、少なくともここに集まってくれた皆はわたしを受け入れてくれるのだと、胸と喉の奥が熱くなる。

「わ、わたし……やっぱり、ここに居たい……」

 我慢できずにぼろぼろと涙を溢しながら、俯き座り込む。あの日ひとり彷徨った子供の頃のように、帰る場所を求めて嗚咽が漏れた。

「ずっと……『黄昏食堂』で皆さんとご一緒したいです……」

 少しして、不意に優しく撫でてくれる手のひらの感触に、顔を上げる。

「それが、椿姫の本当の願いか」
「……店、長?」
「今なら、アキラと帰れる。元の家に、元の世界に。それでも……この店に居たいのか?」
「はい……わたしの居場所は、お父さんが居て、皆が居てくれる、この場所だから」

 わたしの答えに溜め息混じりに微笑んで、お父さんはくしゃりと頭を撫でてくれる。いつもの優しい、お父さんの顔だ。

「……なら、いい。よし、『黄昏食堂』リニューアル記念だ。今日はこれから特別営業とするかね!」
「え……?」
「ほら、椿姫。さっさと顔洗って支度しろ。……お前さんはうちの看板娘、だろ」
「……っ、うん!」

 わたしは涙を拭って立ち上がる。皆の安心したような声に頭を下げて、顔を洗いに戻ることにした。
 ぼろぼろの頬を叩いて気合いを入れていると、後ろから、続けて声が聞こえた。お父さんとアキラくんだ。

「アキラ、お前さんもだ」
「えっ」
「帰る場所、ねぇんだろ。椿姫と纏めて面倒見てやる。ただし、きっちり働いてもらうからな。……今日は客が多い、外にも席を作ってきてくれ」
「……、はい! お義父さん!」
「ああ!? 店長って呼べ……!」

 賑やかな声を背に、こうしてわたしの『鬼の子椿姫』としての日々は、終わりを迎えた。

 そしてこの店で、皆と同じように身を守るための偽りの鎧を脱ぎ捨てて、本当の自分で居られる日々が始まったのだった。


*******


 それから、店へと至る手順のまじないは、定期的に書き換えられるようになった。鬼の庇護下とはいえ、人間が二人、あやかしの領域で生きるには守りが万全に越したことはない。

 お客さんたちは相変わらず複雑な新しい手順を覚えるのに苦労しているようだったけれど、それでもこれまで通り、変わらず店に足を運んでくれた。

 それに、手順を伝える用にと、お客さん同士での交流も以前より盛んになったように思う。
 わたしを含め、この店で日々の疲れを癒しながら、店を通じて家族になったひとたちの集まりのようだった。

「椿姫ちゃん、きつねうどんのおかわりお願い」
「はぁい、ただいま!」
「わー! つばきちゃん、おしぼりくれへん!? 酒溢してもうた!」
「大変、染みになっちゃう! 漂白剤要りますか!?」
「木綿ボディに直付けされてまう!?」

 相変わらず賑やかな店内は、個性豊かで美味しそうな料理の香りと、皆の笑顔で溢れている。

「アキラくん、鑼木さんの所にトマトジュースお願い!」
「あれ、血のワインじゃなくていいの?」
「なんか、禁酒するんだって」
「ふうん? 椿姫さんを守るためかな。……負けてられない」
「……? わたし?」
「なんでもない。じゃ……行ってくる」
「うん、お願いね!」

 アキラくんも、すっかり店に馴染んでいた。今ではわたしのフォローも必要ないくらいだ。
 まっすぐ伸びた背と、随分柔らかくなった表情が、この店が彼にとっても居場所となれたようで嬉しかった。

「こ、こんばんは……あの、寧々子さんの紹介で……あ、寧々子さんは後から来るはずです。ワタシ、初めてなんですけど……その、大丈夫ですか?」

 不意に店の扉が開き、黄昏時を過ぎた夜の香りと共に、また新しいお客さんがやって来る。
 どこか気弱な様子のこのひとも、きっと人間の世界で揉まれて疲れているのだろう。
 この店自慢の美味しい料理と、温かな真心で、少しずつ心を癒して、この店を好きになってくれるといい。

「いらっしゃいませ! お席にご案内しますね。お好きな食べ物がありましたら、メニューになくてもご注文いただけますよ」
「えっ、いいんですか?」
「はい、あなたの好きなものを教えてください。変化も自由に解いていただいて構いません。……ありのままのあなたを受け入れる場所、『黄昏食堂』へようこそ!」

 ここに来る皆がいつも笑顔で居られるように、一時でも辛さを忘れられるような、帰る場所のひとつになれるといい。
 そう願いながら、わたしは今日も、とびきりの笑顔でこの店に立つのだった。

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