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第一部 第二章 (1)過去2年半前
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しおりを挟む「――――今月でここを辞めます、マックス」
翌週そうそう私は診療が終わってあれから地獄の午餐となった昼食を済ませた後私は彼に退職を告げていた。
「なっ、何を行き成り言うのかと思えばこれは冗談だとすれば少し性質の悪いものだよ、フィオ」
そう言って私を窘めつつも軽く受け流そうとするマックスに私は「冗談じゃないですよ」と賺さず言い返す。
それから暫くの間退職を「する」「させない」と言い合いが続くもこれでは埒が明かないとみたマックスは深く嘆息しコーヒーを一口流し込んでから口を開いた。
「先ず――――理由は何かな?」
「一身上の都合です」
「それでは認められないね、第一君をなくしてこの診療所を僕1人でやっていけると思うの?」
「私が来るまではマックスは1人だったのでしょう? だったら昔に戻るだけなのでは?」
「ははは……君は時々酷い事を言うね、それ、ちゃんと自覚して言っているのかな?」
「マックスも結構酷いですよ。私が何も傷つかない人間みたいな事を言うのですから……」
「フィオ……君は――――!?」
「いえ、もういいです。兎に角今月末で辞めます、それともう時間なので今日は失礼します」
そう言って逃げるように帰ったのは一昨日の事……。
そして今日も精神的に仕事が辛い〰〰〰〰。
だけど欠勤なんて出来ないもの。
最後までちゃんと仕事をしたいし何より先立つモノは多ければ多い程いいものねでも……。
あ゛あ゛〰〰〰〰お金や生活の先の事等細かく心配する様になってしまうなんて、ホント7年半前の私に思いっきり言ってやりたいわっっ!!
何があってもお父様を止めろってね。
本当にここは居心地の良い職場だったのに、こんな形で出て行く事になってしまうなんて……初志貫徹が出来なかった事だけが悔やまれる。
「……フィオちゃんフィオちゃん」
「どうかしましたか?」
受付で考え込んでいたらアルノーさんが珍しく今日は1人で杖をついてやってきた。
何時もはご近所で仲良しのバヌロさんと一緒なのに珍しい事もあるものだと思っていた。
私は普通に受付をするのだと思ってカルテを用意していたら彼はこそっと小声で話し掛けてきたわ。
「何かあったんかい?」
「えっ? 何がって何をですか?」
意味わからないと頭の上で?マークを3つか4つ出していたら彼はいいえ、今ここにいる患者さん全員がまさか同じ事を思っているなんて思わなかったのっっ。
「先生と喧嘩でもしたのかい?」
「いえ、喧嘩なんてして……ないです」
そう、これは喧嘩ではない。
だけどアルノーさんが言うには兎に角マックスも私も可笑しいのだと言う。
おまけに訪れる患者さん全ての人達が最近何時もの診療所の空気と違うなんて事を言っているらしいのだ!!
――――で、アルノーさんは皆を代表して私に聞きに来たのだと言う訳。
本当に単なる喧嘩であったのならばどんなに気が楽だったのだろう。
だってお互いに悪いのであれば『ごめんなさい』と一言謝れば済む問題なのですもの。
でも私達は……少なくとも私は違う。
今こうして目の前で心配そうに聞いてくれているアルノーさんやそして診療所の微妙な空気を読みとってくれている患者さん達にとって、私は憎まれるべき対象なのですもの。
そして許される事のない対象でもある。
彼らに私の素性を知られていないのがせめてもの救い……なのかもしれない。
少なくとも私にとっては……。
戦争で傷ついた身体は時間が経てば大部分が治癒するものだとしても、たった2年で心は癒えない事がはっきりわかってしまったのだもの。
私の素性を知ればここにいる全ての人から私は殺されるかも……いいえ、例えそうであっても私は文句が言えない立場だ。
逃げる事は許されないのだけれど、私にはたった1人ついてきてくれたアナベルを守る義務もある。
彼女だけでも逃がさなければ私は彼女の両親に合わせる顔がない。
後3日、そう後3日間私はマックスの助手なのよ。
しっかりしなさいエヴァンジェリン!!
ちゃんとお給金を頂くのだからその分お仕事に専念しなくてはいけないのよ!!
患者さんに心配させる様な事等あってはいけない。
私はそう考え直してアルノーさんにちゃんと向き合って返事をする。
「心配をおかけして申し訳ありません。私もマックスも大丈夫ですよ、きっと先日の捕りもの騒ぎの所為でしょう。あんな間近で見たのは初めてだったもので、そうきっとその所為です」
「でもフィオちゃんはそうでも先生はなぁ……」
従軍していたから見慣れているだろうってアルノーさんは呟く様に言うけれど、私は敢えてアルノーさんの言葉を遮って言いきった。
「先生のは何時もの事でしょ? 大丈夫ですよ、後で私が喝を入れておきますからっっ」
「そっ、そうかい、フィオちゃんがそう言うんだったらそうだなぁ。だがな先生は何時もの事かもしれんがフィオちゃん自身に困る事があったら遠慮せんとわしらに言ってくるんだよ。わしらは皆フィオちゃんの味方だからな」
「アルノー……さん?」
そう小さく呟きながらふと周りをみると、待合所にいる患者さん皆が笑顔で私を見てくれていたの。
「あっ、有難う御座いますっっ」
思わずそう言って深深と礼をする。
とても嬉しくて心がほんわかと温かくなる偽りの姿としての自分と、私に向けてくれる笑顔に我が国が取った行動の罪深さをまざまざと見せつけられ苛まれていく本物としての2つの心が、私の中で拮抗していた。
翌日私はアナベルを送り出し家事手早く済ませて買い物へと出る。
何時もであれば休日は離宮で大人しく仕込み等をしていただろう。
でも今はのんびりなんて出来ない。
私は早速お肉屋さんへ行き干し肉を多めに購入した。
勿論明日の分のお肉もね。
それから旅行用の少し大きめで茶色の鞄を2つ購入する。
その他ちょいちょいと買い物を手短に済ませて帰路へと着く。
帰宅して荷解き終えるとパンの仕込みにハンバーグの下準備をし、それらを済ませると寝室へ行き鞄の中に荷物……と言ってもあまりないのだけれどね。
必要最低限度の衣類と後は最後に食材を詰め込む予定。
何故なら鞄はそんなに大きくない。
それにあまり大きな物を抱えていると返って悪目立ちしてしまう。
だから必要最低限のモノが入ればいいだけのサイズのモノを選んだの。
そうしてアナベルが帰ってくる前に準備がひと段落ついた私は、そっと奥庭の菜園を見ていた。
最初は何もなかったのよね。
草が茫々と言うだけで本当に何もない所から泥だらけになって、草で手や顔などあちこち切り傷を作りながら……でも今ではこんなに立派なモノが出来上がったのよね。
しかしそれも後2日――――。
私達がここを去ればこの菜園はきっと元の草茫々に戻ってしまうのね。
そう思うと何とも感慨深い思いがしてならない。
この離宮もそう……。
台所もリビングや寝室、図書室も最初は手がつけられないくらいボロボロだったと言うのに、まぁボロさは今でもあまり変わらないかもだけれど、それでもそれなりに居心地の良い住まいだと思える様になったというのにね。
こんな寂れた場所でも私達は7年半もの間ここで生きてきた。
多少思い出の残る場所となった所だけれど感傷に浸っていても仕方がない。
もう決めた事ですもの、第三国――――南部一帯を支配するカルタン王国へ向かうと私達は決めたのだ。
本当は少しでもライアーンの傍に行きたいと思ったけれど、もし追手がかかれば直ぐにライアーン方向は国境を閉鎖されるだろう。
ライアーンはこのルガートより北にある隣国だ。
この国の目を欺く為にも私達は真逆にある南のカルタンへ向かう事にしたの。
最初はアナベルと一緒に脱出をするのだけれど暫くしてルガートの追跡が落ち着いた時点で帰国して貰う予定。
でもこれはまだ本人には秘密。
何故ならそんな事を言えば絶対反対するに決まっている。
だから無事に脱出出来るまでは絶対に知られてはいけない。
そうして金曜日、とうとう最後の出勤日。
それでも朝は変わりなく訪れるし私はアナベルに見送られて診療所へと出勤をする。
因みにアナベルは今日荷物の最終チェックと明後日乗る予定の馬車の確認等という私の苦手な事をしてくれる。
しかしながら診療所へ向かう私の足取りは……重い。
とても重過ぎる。
まるで鉛の球を引き摺って歩いているような錯覚さえ感じてしまうとはいっても生まれてから一度もそんなモノは引き摺った事はない。
――――要するに例え、そう例えれば……というもの。
本当なら今日はお給料日でとても楽しい1日となる筈だったのに、少しも楽しいと思わないのはきっと今日でマックスや顔馴染みとなった沢山の患者さん達との別れが待っているから……。
私は本当の理由を告げる事無く偽りの姿としてここを去る。
だから患者さんが1人1人帰っていく毎に『お大事にして下さい』と言う言葉の裏で『今まで有難う御座いました、そしてごめんなさい』と、心の中でそっとその思いを載せて言う。
それが今の私に出来る精一杯の事だから……。
そうして最後の患者さんを見送りマックスは何時もの様に昼食前に出掛けて行く。
きっと何時ものケーキとお花を買いに行ったのだろう。
もうケーキのお花もいいのに……。
気を遣い過ぎですよ、マックス。
彼が留守の間にもう最後となる診療所や彼の寝室と台所を丁寧に片づける。
それからお昼ご飯にハンバークとサラダにスープは沢山作っておいた。
夕食様にローストチキンも丸ごと1羽分、パンも余分に持ってきた。
少しでも彼が食事に困らない様にと私に出来る唯一の事だから……。
「遅くなって悪いね、待たせ過ぎたかな?」
「いいえ、大丈夫ですよマックス」
「じゃあ食事にしようか」
「はい」
全部仕事が終えた頃にマックスは何時もの様に花束とケーキの箱を抱えて帰宅した。
それから私達にとって最後の晩餐ならぬ午餐が始まったの。
少なくとも私にとってはそういう気持ち……。
何も正式な午餐という訳ではない。
至って何時もの昼食と何ら変わらない。
ただ私の心の中でそう思っているだけ……。
そうして私達は贅沢とも言える昼食を終えて私達は今、食後のお茶をしているところ。
何時もだったらとても楽しい時間……でもそれも今日で終わり。
最後ならば笑顔で終わらせるというものが礼儀よね。
だから私は出来るだけ今この時間を楽しもうとしていた。
マックスにもそれが通じたのか、この1週間のぎこちなかった空気が幾分かましになっている……と思う。
「はい、フィオ今月のお給料とそして今月も頑張ってくれたからご褒美のケーキとお花だよ」
「有難う御座います、マックス。そして今まで有難う御座いました」
私は彼からケーキの箱に可愛い黄色の小さな薔薇の花束とお給金を受け取る。
この時間もこれが最後かと思えば少し……いいえ、かなり寂しいものね。
でもそんな私に彼は質問をしてきたの。
「ねぇフィオ、如何して急にここを辞めたいのかもうそろそろ理由を言ってくれてもいいと思うのだけれど……。それに取り消しは何時でも受け付けるからね」
人懐っこい顔で彼は訊いてくる。
でも幾らそんな顔をされても真実は絶対に語れないけれども、何か理由を言わなければ決して納得しないというオーラがマックスから凄く漂ってきている。
こんな時の彼はとても頑固で引き下がらない。
さて、如何したものかしら、真実を語れない以上彼を納得させるだけの嘘を吐かなければいけない。
嘘を吐くのは心苦しいけれどなまじ私の正体をバラして例えマックスが口を噤んでくれたとしても、秘密とは何時の時代もそんな些細な所から解き明かされるもの。
それが何かの拍子で第三者に知れてしまったらそれこそ彼の身にも危険は及ぶ可能性は十分過ぎる程ある。
だから私の身分は絶対に知られる訳にはいかない!!
それにしても前にも『一身上……』と伝えた筈なのに、やはりそれだけでは納得がいかないのね。
私は天井を見上げゆっくりと深く嘆息すると、前を見据えマックスと視線がぶつかった。
「一身上とお伝えした筈では……」
視線を逸らさず私は無駄な足掻きと思いつつも、もう一度そう伝えてみる。
「うん、でもそれでは納得出来ないなぁ、何と言っても君はこの診療所ではなくてはならない人となってしまったからね。週明けに患者さんからこの僕が責められるんだよ、週明けのあの殺人的な忙しさ中で君は僕1人にこの診療所をやっていけというのだからね。君の姿がなければきっといや、絶対に君が辞めた事を知った患者さん達は僕を責めるだろうね。なのに君は良いよね、そんな理由で逃げてしまうのだから……。でも残された僕は患者さんにどう説明すればいいのかな?」
「マックス……」
あ゛あ゛〰〰〰〰敢え無く撃沈?
次はなんと言えばいいの?
マックスも患者さんも納得する様な……あっっ!?
「……実は親戚の叔母の具合が、あっ、病気じゃないのですがもうかなり高齢で……ひ、1人暮らしも、も、問題ではないかとアナ、あっ、姉と相談して向こうで一緒に暮らす事になったのですっっ」
う、嘘を即興で吐くなんて芸当は私には向いてないのかもしれないという事が、この一瞬で嫌という程自覚出来たけれど……。
「ふーん、で、何処まで行くの?」
彼は綺麗な青い瞳を細めてじーっと私を見つめて質問してくる。
それはまるで尋問にでもあっているかと思う程だったわ。
まぁ生まれてから一度も尋問等された事はないのだけれどね。
例えよ、例え。
「え……と、ルガートとシャロンの国境近くです」
幾ら嘘が苦手でも素直に南へ行くなんて、そんなお馬鹿な回答は私でもしない。
まぁ一介の街の医師に何が出来るという訳でもないのだけれど、用心は越した事にない。
でもこれ以上のボロを出さない為にもここは早々に帰る必要があるのだけはわかるわっっ。
私は食事の後始末をし始めるとマックスはまだ話し足りない様に声を掛けてくる。
「僕はね、フィオが先日の捕りものの事が理由じゃないかと思っていたんだ。うん、これは聞き流してくれても構わないのだけれどね、このルガートは建国してまだ歴史の浅い国なんだ。でもねその分この100年は戦争の絶えない血みどろの時代でもあるんだよ。シャロンより独立して以来敵はシャロンだけではなかったしね実際のところ……。このルガートを取り巻く大小様々な国々と何時も争いが絶えなかったし、この王都にも何度か敵が攻め込んできた事もあるし間者も沢山侵入してきたね。うん、厳密に言えば今現在も多少でい潜んでるのじゃないかな? そんな中北方の隣国ライアーンだけは中立を保っていたのに8年前、そのライアーンにも裏切られた……かな?今この国はやっと表向きの戦争を終える事が出来たところなんだけれど、それは今の陛下の力によるところが大きいと僕は思っている。だけど復興はまだ始まったばかりなんだ、そして後何年掛るかもわからない。僕も含めて先日の騎士達もそしてこの国の人間は皆他国者に関しては疑心暗鬼の目で見ているところが大きい。僕は反省しているんだ、君に先日言われた事をね。君に何時も命の重さを言っていたのは僕なのに、その僕が自分を見失っていた事が本当に情けないと思ってね。だからもし、それが理由ならば君には辞めて貰いたくはないんだよ。君の様な助手がいてくれないと僕はまた道を違えないとも限らない。それに――――陛下にとっても王妃様という存在はなくてはならないものだと思うんだよ」
えっっ!?
――――今、何か言いましたマックス???
何故ここに王妃の話が出てくるのっっ???
私は胸をドキドキさせながらそれでも何も知らないという様に彼へ質問を投げかける。
本当はさっさとこの場から本当に1分1秒でも早く立ち去りたいっっ!!!
だけどっ、だけど……。
「あっ、あらふっ、不思議な事を……たっ、確かアルノーさんだったでしょうかっっ、おっ、王様は独身だとおっ、お聞きしたのに、きっ、聞き違いだったのでしょうか?」
あ゛あ゛〰〰〰〰なんだか嫌な汗を掻いてしまうっっ。
でもそんな彼は慌てる私とは正反対に落ち着き払った様な口調で返事をする。
「あぁ、それはアルノーさん達の勘違いだよ。陛下は独身ではなく既婚者だよ。君は知らないかな? 王妃様はライアーンの百合と称えられた御方でね、僕も一度だけその御姿を見たのだけれどそれは見事な赤毛交じりの金色の髪をしたそう――――君と同じ髪をした美少女だったよ」
びくん――――っっ!?
マックスの最後の一言に身体が無意識に反応してしまうっっ。
国民は皆陛下が独身だと……そうよっ、忘れられた王妃の事なんて最初から存在してない筈――――なのにどうして彼は陛下を既婚者だと断言するのっっ!!
然も私の事を見たですってっっ!!
有り得ない、有り得ないわっっ、だって忘れもしない誰1人として歓迎される事はなく、8歳の私は大勢の臣下が控えている玉座の間ではなく、誰にも見られる事ないまるで本当に隠されている様に陛下の執務室へ連れてこられ、ただ一度だけそう、あの時たった一度だけ陛下のお顔を拝顔し、言葉もなく半ば強制的に結婚証明書へサインさせられただけで後はそのまま離宮へ送られていたのだもの。
だから私を見たのは陛下に近しい者だけで国民――――いいえ、街の医師であるマックスは私を見る機会等ありはしないというのにどうしてそんな嘘を吐く必要があるというのっっ!?
それに何故その様な嘘を吐く必要があるのかを是非とも問い質したい気持ちは満載だけれども、私の心の奥底よりこれ以上会話に踏み込んでは取り返しのつかない事になると警鐘が鳴り響いている。
そうね、気にはなるけれども兎に角私は別人だと言って一刻も早くこの場より離れた方が良策だわっっ!!
うん、その方がいいっっ、絶対その方が良いに決まっている!!
そして明後日の早朝出来るだけ早くこの国から脱出するに限るわっっ。
ん、何故明日でなく明後日なのかって?
そんな事決まっているじゃないっっ。
今日は私のお給料日で、明日はアナベルのお給料日だからよ!!
お金はどれだけあっても邪魔にはならないし、それに先立つモノは多ければ多い程良いに決まっているもの!!
王女らしくはないけれども、この7年半の間に経済観念はしっかり身についたものね。
私は手早く身支度を整えマックスから頂いたケーキと花束それと忘れてはいけないお給金をしっかり持って暇をしようとした時、背後よりマックスは声を掛けてきた。
でももうはっきり言って彼と話すのが怖い……。
真実が見破られているような錯覚を感じてしまうのが何とも拭えないっっ。
でも、本当にこれが最後だと思って私はゆっくりと振り返る。
「どうしました、マックス?」
「ねぇフィオ、賭けをしないかい?」
「はい?」
何を言いたいのだろう?
そして何を賭けるというの??
もう私はここへは来ないというのに……。
私には彼が何を言わんとしているのか皆目見当つかずただ質問するしかなかった。
「賭け……とは? もう私はここへは来ないのに如何して賭けが成立するのですか?」
そう、今日が最後の出勤日。
私がこの診療所へ訪れるのも今日が最後――――だから賭け事なんて出来よう筈がないのに何を以って彼はそんな意味不明な話しをするのだろうか?
何時もの温和なマックスとはまた違う一面を見てしまった様だわ。
でも彼はそんな私の疑問には答える様子はなく、賭けの内容を淡々と押し進めてくる。
「――――賭けは簡単だよ。金銭の賭け事はしない、それは違法だからね。ただフィオが無事に目的地へ着く事が出来ればフィオの勝ち。でも、フィオが目的地に着く事も出来ずこの国からも出られない時は僕の勝ちって事で君はまた僕の診療所で働いてくれる事」
「そっ、それの何処が賭けになるというのですかっっ!! まして私が負ければここで働くというペナルティーだけどっっ」
「うん、勿論お給料は今まで通りだし条件も何も変わらない」
「――――では私が賭けに勝った時はどうなるのですか?」
もう胸のドキドキが止まらないっっ!!
一体なんだというのっっ、この展開は!!
そしてマックスは含みのある悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「フィオ、それは敢えて口に出すものではないと思うんだよね。聡明な君ならわかる筈だよ、君が勝利を得た時に手に入るものの価値をね」
まっ、まさか……まさかっ、マックスは全てを知っている上で私を……っっ!?
「さぁあまりゆっくりしていると日が暮れてしまうよ。賭けは今からスタートだね、月曜日は僕が出張に出かけるので診療所は休診だから結果は水曜日って事になるかな。楽しみだよ、フィオ」
あぁ何というか今私はマックスの闇を見たような錯覚を覚えてしまう。
だけど私もアナベルを無事に脱出させるのが目的ですもの。
こんな所で気を弱くなんてしていられないっっ!!
でももう賽は投げられたのだ、前に進むしかない。
そう思い直し私は挨拶を済ませ診療所を後にした。
翌日荷物をもう一度確認する。
そう、脱出に必要なモノは全て準備万端整っている。
そして陛下や少なくともこの王宮内の者達には私達の計画は未だ気付かれていない……筈なのに、どうも胸の奥より何とも言えない不安が込み上げるのはきっと昨日交わした、いえ一方的に賭けを持ち掛けられたマックスのあの態度と言葉。
まるで彼の口振りでは私の正体を知っている様にしか思えない。
もし全く知らなかったとしても何故あの様な賭けを持ち掛けたのだろうか?
彼のあの何か自信めいた口振りでは私の計画が失敗に終わると言っている様にも取れる。
んー私、いやいやアナベルもだけれど例え私達がいなくなったとしても誰もそう、陛下でさえ困る事はないでしょう?
それとも……私だけが知らない何か秘密でもあるとでも言うの?
んー何か、そう何かを見落としているのかしら……?
だとしても今更計画を断念する事なんて出来ない。
万が一計画が破たんし私が拘束されてもアナベルだけは無事に国外へ逃がさなければ、それが長年忠義を尽くしてくれた彼女への私に出来るささやかなお礼……。
それから数時間が経ち、夕刻になってアナベルは帰ってきた。
私達は早めに夕食を済ませ湯浴みをし、明朝早くに離宮より脱出する為に2人で寝台に潜り込む。
これから先どうなって行くのかは未知数でわからない事が多過ぎるけれどもきっと何とかやっていけるだろう。
そう、未来とは決まっていないもの。
今を変えていく事が未来に繋がるものなのだから……そう信じて私は静かに眠りにつく。
だから暫くしてアナベルがそっと寝台を抜け出したのもわからないくらい私は熟睡していた。
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