23 / 53
第三章 たどり着く先は……
1 パーシヴァルの決意
しおりを挟む「お嬢様は現在身籠られておられます」
「そう、有難うジェンキンス先生。急に呼び出して申し訳ありません」
「いやいや医師として当然の事ですがしかし……」
「如何なさいました?」
アイリーンの診察を終えたジェンキンス医師は、カーク侯爵家のパーラーメイドの淹れたお茶を美味しそうに一口飲んだ後、やや怪訝そうな表情を湛えたまま何やら言い淀んでいる。
それに気付いたパーシヴァルは柔和な笑みを湛え、やんわりとジェンキンス医師へ問い掛けた。
「はあ、まあ、お嬢様とパーシヴァル様の御事情は敢えて私は何も訊きますまいと思っていたのですが、しかし少々気になりまして……」
そう言ってもう一人の当事者でもあるパーシヴァルよりも、寧ろエステルの存在をジェンキンス医師は気になっていたらしい。
ジェンキンス医師からすればエステルはお仕着せを着た一侍女に過ぎない。
一介の侍女が主の秘密を易々と知っていい存在ではないのだが――――。
「先生、彼女の事はどうかお気になさらず。そして心に思っている事をどうか忌憚なく仰って下さい」
「ですが……」
「先生、彼女は、エステルは当家の侍女ではなく、先程先生に診て頂いた女性の侍女なのです。そして二人はとても信頼し合っています。私もエステルに隠し事をするのを止める事にしたのです。ですからどうぞ先生も考えていらっしゃる事を私達へ教えて頂けないでしょうか」
穏やかな口調でパーシヴァルはジェンキンス医師とエステルを、交互に見つめながら告げた。
そしてそんなパーシヴァルの願いに応えるべくジェンキンス医師は、重い口をゆっくりと開いていく。
「お嬢様はパーシヴァル様を多分シリル様と混同されておられるように見受けられます」
「うん、そうですね。それは間違いありません」
「しかし何故、シリル様とは……ベディングトン公爵家のシリル様で相違ないので御座いましょう? 確かにシリル様とパーシヴァル様は御親戚筋であられる故に面影がよく似ておられるのは理解出来ますがしかし、それはあくまでも面影であり、御二方の纏っておられるもの全てが同一では御座いませんでしょう。誰しも一瞬の見間違いはあると致しましても、肌を重ねられたお相手を間違える……いえ最早パーシヴァル様がシリル様だと思っておられるのかもしれません」
ジェンキンス医師は何とも言えない、実に苦々しい表情で淡々と自身の考えを語っていく。
一方パーシヴァルと言えばそれはとても瑣末な事でしかないと言う面持ちで口を開いた。
「先生の見解は強ち間違ってはいませんよ。確かにアイリーンは僕をパーシヴァルと認識していながらもその一方で僕をシリルだと強く思い込んでいる。いや、もう外見……一応他人がいる前だけは辛うじて僕はパーシヴァルなのだろうね。でも二人きりともなればパーシヴァルである僕は彼女の目の前より存在を失せ、彼女の心の底より望むシリルとなるのだが、それも最近ではかなり危ういかな」
「そんな――――っっ!?」
「パーシヴァル様、兎に角このままでは何にしても良くはないでしょう。アイリーン様の状況を鑑みる限り、大分御心を病んでおられます。アイリーン様のお腹のお子様にも決して良くはありません」
「そう……だね」
「パーシヴァル様、大変申し上げ難い事を敢えて申します」
「何をでしょう」
ジェンキンス医師は意を決した様にパーシヴァルを見据えて口を開く。
「今ならばまだアイリーン様のお腹に宿られました御子を流す事も出来ます。お二人はまだ正式な間柄でもなく、アイリーン様は何と申しましても未婚の女性ですから――――」
誠に不本意だが望まれぬ子ならば、このまま何もなかった事に……。
これは何もパーシヴァルとアイリーンに限った事ではない。
貴族社会において、いや身分等関係なく男と女が肌を重ねれば、ましてや隠された関係の先に望まぬ妊娠は実によくある事。
運良くこの世へ生まれ出た子が皆無条件で幸せになれる保証はほんの僅か。
そして運悪くこの世へ生まれる事なく、何の抵抗も出来ぬままに流されていく命のなんと多い事であろうか。
ジェンキンス医師とて何も好き好んでアイリーンの子を処分したい訳ではない。
だが貴族社会で生きている医師だからこそ、少しでも噂の種となる原因の、その先に待ち受けるだろう行く末を考えさせられるのだ。
世間に周知されているパーシヴァルとアイリーンの関係はあくまでも友人、若しくは幼馴染。
正式な婚約者でもまして婚姻を交わしている訳でもない。
男性であるパーシヴァルならば一時の噂と形ばかりの名誉が傷つくだけであって、これから先の人生に決して左右される事は先ずない。
それよりも問題は女性側。
婚約者もいない未婚の女性が身籠る――――それだけでその女性の未来は大きく左右されてしまうのだっっ。
何かの拍子で社交界へ一度でもその様な噂が流れれば、女性が望む様な結婚が出来なくなるばかりか、若しくは修道院で修道女として生涯を終えるだろう。
また最悪な展開としては、望まぬ裕福な男性の許へ、然も生涯隠される様に妾、愛人として生きて行くのを強要されるのだ。
だからこそアイリーンの未来を守る為にジェンキンス医師は内密に、そして早急に対応する事を進言したのであるのだが――――。
「アイリーンの子を流させる様な事は誰であろうと決して許しはしない。譬え母であるアイリーンであろうともね。今必死にアイリーンのお腹で生きているのは僕と彼女の子だ。僕には何としてもあの子が必要なのだよ」
「しかしそれでは……」
「先生、僕にとって噂等少しも怖くはないのです。寧ろ最も恐れるのは彼女と彼女とのの子を失う事です。僕はアイリーンとまだ見ぬ子が心より愛しいのですよ。それにアイリーンの将来を考えれば、このまま薬等を用いて堕胎させるよりも極秘に出産させる方が彼女の身体にとっても優しいでしょう」
「まぁ……それはそうなのですがしかし……アイリーン様はそれを受け容れられますでしょうか」
「大丈夫。僕がシリルでいる限り……彼女は無事胎の子を産んでくれるよ。その為にも先生とエステル、君達の助けが是が非とも必要になる」
「パーシヴァルさ……ま」
「――――わかりました。それでは妊婦に影響の少ない薬を処方しましょう」
「有難う御座います先生」
「パーシヴァル様っ、わ、私、私は……」
「アイリーンを頼むよエステル。アイリーンの心を最も近くで支えられるのは、悔しいけれど僕でなく今は君なのだからね。後キャラガー伯爵へは折りを見て僕より説明するからそれまでは――――秘密だよ」
ここまで言われ、手配されてしまえば最早エステルにはどうする事も出来ない。
今迄はアイリーンの望むシリルとの将来を心より応援していたのだが、突然齎されたシリルと王女の婚約後より少しずつ落ち込む主を、その方法は色々と問題はあるけれどもだっっ。
しかしどの様な形でも悲しむアイリーンを慰め、その傍で支えていたのはパーシヴァルなのだっっ。
その結果子を身籠ったと知ってもなおアイリーンを厭う事なく、彼女とその身に宿した子を愛しているとパーシヴァルは少しも躊躇う事なく、真っ直ぐにエステルとジェンキンス医師を見据えて告げた。
それにもましてアイリーンが子を受け入れなかった場合等関係なく、生まれてきた子をパーシヴァルは受け入れると言う彼はとても自信に満ち、何故か今まで見てきた中でも一番幸せそうなのがとても印象的だとエステルは思った。
そしてそんな姿を見たエステルは、叶う事ならばアイリーンとパーシヴァルが何時の日か心より幸せになれるといいと、心の中でそっと願うのだった。
0
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
安らかにお眠りください
くびのほきょう
恋愛
父母兄を馬車の事故で亡くし6歳で天涯孤独になった侯爵令嬢と、その婚約者で、母を愛しているために側室を娶らない自分の父に憧れて自分も父王のように誠実に生きたいと思っていた王子の話。
※突然残酷な描写が入ります。
※視点がコロコロ変わり分かりづらい構成です。
※小説家になろう様へも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夜会の夜の赤い夢
豆狸
恋愛
……どうして? どうしてフリオ様はそこまで私を疎んでいるの? バスキス伯爵家の財産以外、私にはなにひとつ価値がないというの?
涙を堪えて立ち去ろうとした私の体は、だれかにぶつかって止まった。そこには、燃える炎のような赤い髪の──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる