月の輝く夜に出会った弟子

睡眠第一

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4.珊珊

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 宋桂影そうけいえい陸湖月りくこげつに運良く拾われてから、半月という月日が、駆け抜けていった。宋桂影そうけいえいの腹部の傷跡も癒えて大分マシになり、外へ出歩くことも、可能なまでに回復した。

 注意深く傷の手当てを受け、清潔な寝床を用意してもらい、滋味深い料理をご馳走になってと、宋桂影そうけいえいはこれまで経験したことのない、行き届いた環境の中で傷ついた心身を休めていた。
 だが、いつかそう遠くないうちに、陸湖月の気が変わって外へ追い出させるのだと、宋桂影は覚悟を決めていた。そのため陸湖月に対しても決して心を開かずに、常に距離を取っていた。そうすれば捨てられた時にも傷つかずに済むので予防線を張るためにも、宋桂影はそんな態度を取っていた。

 心を決して許さない、頑なな態度を取る宋桂影そうけいえいに対し、陸湖月りくこげつは根気強く接していた。

宋桂影そうけいえい、こっちに来なさい」

 呼ばれた宋桂影は、無言で庭先に姿を見せた。

「これから一緒に出かけよう。身支度としてその伸び切った髪を整えるから、こっちへ来い」

 宋桂影は、拒絶した。

「あんた一人で行けばいいだろっ。俺は家にいる」

 陸湖月りくこげつは柱にしがみついた宋桂影を引き離すと、切り株の上に座らせた。幼い頼りない体では、宋桂影は抵抗をしたところで、それは意味をなさなかったのだが、宋桂影は毎回気に入らない時には反抗してみせた。
 
「切った髪が目に入ると痛いから、目は閉じていろ。こら動くんじゃない、少しの時間なんだからじっとしていろって」

 櫛と鋏を器用に動かし、陸湖月りくこげつは宋桂影の髪を整えていった。

「これから君は、一緒に俺の姉の家に行くんだ。まぁ姉と言っても、本当は叔父さんの娘だから、姉じゃなくて従姉妹に当たるんだけどな」

 話に耳を傾けながら、すかさず宋桂影は不満を口にした。

「何でそんな人に、俺が会わなきゃいけないんだよ?」

「俺に、もしものことがあった場合に備えてだよ。俺が帰って来なくなったり消息不明になったら、姉の家を頼れよ。姉は信頼できる人だから、君の力になってくれる」

「そ、そんな不吉なことを、何で言うんだよ……」

「これは大切な話なんだ。俺は妖魔を退治しているだろ、だからその際に死んじゃうこともあるんだ。そうなった時に、君は俺の姉を頼るんだ、いいな、これは約束だ。よし、さっぱりしたな、さぁ出かけるから外着に着替えな」

 言いつけに従い衣服を着替えている最中、陸湖月が話していたもしものことを考えてしまった宋桂影は、暗然とした思いを抱えていた。

「何、暗い顔をしているんだよ?心配するな、俺はしぶといからそう簡単にはあの世に行かない。元気出せって、そうだ、姉の家には俺の娘がいるから、その子と仲良くしろよ」

 驚いた宋桂影は、瞬きをした。

「は?あんた、既婚者だったのか?」

「いや、未婚だが?」

「なら何で、子持ちなんだよ?」

「ーー血縁関係にはないんだが、俺が拾って、娘にしたんだ。俺の手で育てたかったけど、女の子だろ、粗野に育ったらまずいんで、姉夫婦の元で育ててもらっているんだ。その子にも会いたいから、今日は姉の家に向かうんだ」

 話を聞いていてひっかかったことを、宋桂影は尋ねた。

「その子、親がいないのか?」

「あぁ。馬鹿な俺のせいでな」

「あんたが妖魔を退治するのに、失敗したんで、その子の両親は殺されちゃったのか?」

「……俺が騙されて妖魔に情けをかけたせいで、その子の両親は、俺が逃した妖魔に殺されたんだ」

 少々呆れながら、宋桂影は言った。

「この前、あんたは魔物にも良いやつはいるって話していたけど、そんな生ぬるいことを言ってるから、そういう取り返しのつかない事態を招いたんだろ、自業自得じゃないかっ。可哀想そ過ぎるだろ、どうして妖魔に情けをかけたりしたんだよ」

 子供は、思ったままのことを忌憚きだなく口にする。向けられた率直な非難の発言に、陸湖月は返す言葉がなかった。
 それから2人は無言で、通りを歩き続けた。



 陸湖月の居宅と姉の家は、比較的近所にあったので、さほど時間を要さずに目的地には到着した。

「姉さんお久しぶりです、湖月です」

 玄関口に立つ陸湖月に向かって、一人の女の子が元気に飛びついた。女の子は5歳くらいの見た目をしており、髪にはいくつもの色とりどりの飾りをつけていた。

「湖月兄上の嘘つき、半月も会いに来てくれないなんて、珊珊さんさんのことが大事じゃなくなったんだっ!」

珊珊さんさん、膨れっ面しないでくれよ。会いたくても用事があって来れなかったんだよ」

 珊珊さんさんは、見知らぬ少年を陸湖月が連れてきたことに、気がついた。

「湖月兄上、その子は?」

 慌てて、宋桂影は陸湖月の背後に姿を隠した。宋桂影は、初対面の者と関わるのが苦手だった。

「この子は、宋桂影だ。俺の家で一緒に暮らすことになったんだ、仲良くしてくれ」

「湖月兄上、なら珊珊だって兄上の家で一緒に暮らす!ずるい、その子は兄上を暮らせて、珊珊はダメなんてっ!」

 ふっくらとした化粧気の無い女性が現れると、駄々をこねる珊珊をひょいと抱き抱えた。

「まぁまぁ珊珊、湖月さんがせっかく久しぶりに会いに来たんだから、良いお顔を見せないと。あら、隠れちゃって可愛らしい子ね、人見知りなのかしら。その子はどうしたのかしら、湖月さん?」

「この子は、ついこの間俺が拾った子で、俺の家で育てることにしたんですよ。名前は宋桂影って言います」

「あら、そうなの?あなたって子供好きなのね。よろしくね、私は芳春ほうしゅんって言うの、そしてこの子は珊珊よ。さぁいらっしゃい、お茶の用意が出来てますよ」

 芳春に手招きされて、陸湖月と宋桂影は室内に踏み入れた。
 4人はお茶の時間を終えると、陸湖月と珊珊は連れ立って庭先に出て、鞠で遊び始めた。
 珊珊は陸湖月と2人きりで遊びたがった。そのため宋桂影は室内に残り、芳春と一緒に時を過ごしていた。

 思い切って、宋桂影は芳春に尋ねた。

「あの珊珊って子の両親は、陸湖月が逃した妖魔のせいで亡くなったって話を聞いたんですけど、本当なんですか?」

 数拍遅れてから、芳春ほうしゅんは答えた。

「えぇ、合ってるわよ」

「そのこと、あの珊珊って子は知っているんですか?」

「知っているわよ。湖月さんは、珊珊に話しています」

 挑発するような言い方で、宋桂影は言葉を続けた。

「そっか、じゃあ珊珊って子は幼くて、陸湖月の言ってることが理解できていないんですね」

「それはどうかしら?私は、理解できていると思うわよ」

「だって理解できていたら、親の仇に対して、あんな風にじゃれた態度を取るはずないじゃないですか?」

 透明なため息をこぼすと、芳春ほうしゅんは言葉を続けた。

「ーー湖月さんは14の時に、ある妖魔に情けをかけたの。その妖魔は、ある時は人を親切に助けて命を救ってやって、そしてある時は人を騙して殺してということを繰り返して来た妖魔だったの。湖月さんは、その妖魔が人を助ける姿を目撃したんで、命を取らずに逃してやったのよ。

そうしたらその妖魔はね、それから、長男が病に伏せっていて、苦しむ珊珊の両親と偶然出会ったの。珊珊の両親は、病弱な長男を何としても生かしたかったの、それを知った妖魔は珊珊の両親に、新たに子供を設けるように説得したの、新たに生まれた子の肉体に、長男の霊魂を移動してやるって言ってね」

 思わぬ展開の話を聞いた宋桂影は、びっくりして瞬きをした。

「何だよ、それ……」

「妖魔の言葉を信じた珊珊の両親は、長男を助けるために、妖魔の言葉を聞き入れて、子供を新たに設けることにしたの。だけどね、それは嘘だったのよ、妖魔はただ生まれたての赤子が食べたかったからって理由だけで、珊珊の両親を騙したの。結局、珊珊の兄は病のせいで亡くなって、そして珊珊の両親も妖魔の手によって殺されて、残された珊珊も妖魔に食べられかけた時に、助け出したのが湖月さんだったの」

「その妖魔は、何で人を殺すだけじゃなくて、助けたりもしたんだ?」

「わからないわね、妖魔の考えることは。ーーねぇ桂影さん、あなたはしっかりしてそうだから、そばにいて湖月さんのことを助けてくれないかしら?お願いできる?」

 緊張から、声を上擦らせながら宋桂影は言った。

「何であなたも陸湖月も、そうやって良い人ぶりたがるんですか?本音を言えばいいじゃないですか、俺みたいな素性の知れないけったいなガキを陸湖月が拾ったことを、あなたは本音では、不愉快に思ってるんでしょう?それなのにどうして俺に陸湖月のことを守ってくれなんて、そんなしらじらしいことを言うんですか?」

 不審に満ちた目を目を向けられた芳春は、揺るぎのない口調で返答した。

「あなたの素性が知れなくたって、それがどうしたっていうの?」

「俺のような素性の知れない卑しいガキは、あなたたちの財産を、持ち逃げしたりするかも知れないですよ?」

 陸湖月そっくりの、屈託のない笑声を芳春は漏らした。

「はっはっはっは……あなた、それなら心配ないわ。湖月さんの家も私の家も、財産を持ってないから持ってかれる心配はないのよ、残念ね」

「……あなたは俺を憐れんで同情してるから、そうやって表面上は優しく接してるんでしょう?同情しなくていいですよ、無理して俺に親切に接しないで、本音で話してくださいよ」

「あなた、今はひねくれものなのね。湖月さんは不器用なところもあるけれど、人を裏切ったりはしない人よ。だから桂影さん、安心してあの子のそばにいなさいね」

 憎まれ口を叩くのを、宋桂影はやめられなかった。

「口では、いくらだってそういう綺麗事が言えますよ。だけどちょっと気に入らないことがあれば、すぐに路上に放り出されるんだ。善人面した陸湖月だって、その内俺に嫌気が差して、面倒をみることをやめますよ。俺は、わかっているんだ」

 見放す言葉をかけられるだろうと、宋桂影は思った。

 しかし、芳春はこれまで同様に穏やかに語りかけた。

「じゃあその時は、代わりにおばさんが面倒をみてあげるから家へいらっしゃい。ーーあら桂影さん、どこへ行くの?」

 いたたまれなくなった宋桂影は、別室に駆け込んだ。

 食うや食わずの生活を送って来た宋桂影は、いつだって生きるのに必死で、他人に優しくする余裕を持ち合わせていなかった。
 陸湖月や芳春のように、見ず知らずの者に見返りを求めずに優しく振る舞える人たちのことが、宋桂影は羨ましく、妬ましかった。
 それと同時に、自分もこういう風に他人に振る舞える境遇に生まれたかったと、切実に思うのだった。
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