雨桜に結う

七雨ゆう葉

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第4話 勇者

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「行ってきます」

 翌々日の朝。
 前日に散髪を済ませた僕は、久方ぶりに制服に袖を通した。

「辛かったら、すぐに帰ってきていいからね」

 そう言って、玄関先で見送る母。
 言葉にはせず頭を小さく動かすと、僕は玄関の戸を開いた。

 不眠のまぶたに、突き刺さる朝の光。近づくにつれ、密度を増す学生服の列。校舎が見えてくると、途端に手の震えが加速しているのがわかる。やっぱり……恐い。でも、もう逃げない。決めたんだ。意識をどうにか雲散霧消うんさんむしょうさせ、僕は歩みを進めた。

 ピタリ。

 ひとたび僕が教室へと入れば、騒然が一瞬にして静寂へと切り替わる。その反応はあまりに不自然で、もはや見るまでもない。今にも発火してしまいそうな程に、一点に集まる数多の視線。遠巻きで耳を揺らすささやき声。大丈夫、全部わかっていたことだから。今の僕にはもう、関係ない――。その処世術を駆使し、僕はこの1年を乗り切ると決めていた。


「キーンコーンカーンコーン」
 この日の昼休み。漸く迎えた一日の折り返し。
 終始腫れ物に触れるような扱いをされるというのは、今の心持ちの僕にとっては返って楽に思えた。教室を後にし、廊下へと抜ける。

「よお、偽善者」

 けれど――アイツだけは違った。
 じっくりと、その時を待っていたかのように話しかけてくる、「かつての友」

(……ケンジ)


 ◆


「ねえケンジ。もう、いいんじゃない?」
「え? でもさ、ユウ」
大場おおばのヤツ、笑ってるじゃん。なあ? タケシ、ヨウヘイ」
「おうよ」
「大場ってさ。反応がいちいちおもしれーんだもん、ッハハ」

 思い起こされる過去の会話。
 中学1年の夏。ケンジ、タケシ、ヨウヘイ、そして僕。いつも仲が良かった4人。
 そんな僕たちは、やがて同じクラスの「大場」という男子生徒ともコミュニケーションを取るようになった。でもそれは、僕らのモノ・・とは違っていた。いつも当て鬼やプロレスごっこをして遊んだ休み時間。だがその対象は、いつしか大場一択という構図へと変わっていった。僕はいつも、たわむれる彼らを傍観する立場。
 僕は感じていた。こんなのは、「友達」とは言わないと。遊んでいる間、なぜか大場とはよく目が合った。今ならよくわかる。その瞳が意図していたものが――。

 1ヶ月後。教頭と担任の先生から呼び出される3人の生徒たち。
 大場は勇気を出していた。彼の両親を通じ、学校側へと連絡がいった結果がそれだった。けれどその中に、僕の名前は無かった。大場は僕を、対象者のリストから外していた。

 その一件を経てから、数日後のことだった。ケンジたちの矛先が、大場から僕へとシフトしたのは。毎日、「偽善者」とののしられながら――。
 それからまもなくして、僕は学校へ行かなくなった。

 すごいな、大場。
 僕は大場みたいに、勇気を出せ無かったから……。


 ◆


「ケンジ……」
「よう、ユウ。なんだ、一人か。折角せっかく登校しても、頼りの大場がいなくて残念だったな」
「別に……」
「……大場には、感謝してるから」
「感謝って、おいおい」
「まさかお前、大場に救われたとでも思ってんのか?」
「…………」

「ユウ、お前はな」
「俺らにも、そして大場にさえも、見捨てられたんだよ!」

 異論はない。全部ケンジの言う通り、わかっていた。
 これはきっと、大場が僕に与えた罰なんだと。いつも見て見ぬふりをした罰。手を差し伸べなかった罰。大場は僕がこうなる未来を見据えて、あえてリストから外したんだ、と。

「……その通りだよ」
「フッ、何だよ。素直に認めんだな」

「だから……」
「大場も、それにケンジも」

「……ありがと、気づかせてくれて」

「あ? 何だよそれ。バカにしてんのか」
「あの時もそうだ。その偽善ぶった態度がマジムカつくんだよ」
「…………」

「ごめん……もう、行くから」
「おい」

「おいッ、待てよ!」
「嫌なら、もう関わらなければいいだろ。ケンジと僕はもう、違う世界の人間だ」
「……てめぇ」

 憤怒したケンジが、胸ぐらを激しくつかむ。かつての仲間とは、思えないほどに。
 その時ふと。僕の目にはケンジではなく、母の姿がよぎった。

 昨夜、僕のために。白いカッターシャツを念入りにアイロンがけしていた、母の後ろ姿を。
 ケンジがギュッと握り潰した母の想い。その均整は、跡形もなく崩れ去ろうとしている。

「……はなして」
「あ?」

「離せ!!」

 僕はケンジを、思い切り突き飛ばした。

「ユウ。てめえ、この野郎!」

 ケンジがそれで収まるはずも無く。むしろ怒りに拍車をかけ、叫喚きょうかんしながら僕めがけ殴り掛かった。

「おい、お前たち! 何してるんだ!」

 その騒々しさは多くの野次馬を集め、事態に気づいた先生が駆けつける。
 こうして――。僕の久方ぶりの登校初日は、終幕へと向かっていった。



 放課後。案の定、双方の保護者が呼び出され、母も学校までやって来た。教頭と担任が双方の親子を別室に分け、それぞれに事情を伺い話をする。僕は終始震えたまま、何も言葉が出せなくなっていた。

「ケンジくんが言うには、ユウくんの方から手をあげたと、そう言っておりまして……」
「申し訳ありません。ウチの子が傷つけたことは謝ります」

 深くお辞儀をする母。

「でも、うちの子は――」
「理由もなく、そんな事をする子じゃありません」
「息子はきっと……」

「勇気を出して、戦ったんだと……そう思います」
「親バカだと思うのなら、そう思ってくださって結構です」


「――私は、息子を信じています」


 曇りない母の言葉。僕はこらえていた。

 ずっと、ケンジに罵られ、殴られ、痛くても出ることのなかった“それ”を。



 その後。教師と保護者の間でどうにか事態は収束し、僕らは校舎を後にした。頬にできた赤らんだアザを見て、そっと指で撫でる母。そして。しわくちゃになった僕の襟元を、サッと整える。

「ボタン、帰ったら付け直そうね」

 そう言って頭と肩をポンっと手で添える母。
 ここはまだ学校の敷地内。僕は恥ずかしくなって一歩下がった。

「さッ、帰ろっか」

 軽快な足取りで車へと向かう母。僕はまた迷惑をかけてしまった。初日から学校にまで来させて。けれど母は僕と目が合う度、優しく微笑んでいた。

 帰りの車内。
 いつもと違って、僕は後部座席に座った。

 すぐにでもまた、溢れてしまいそうだったから――。

「ユウ」

 僕を呼ぶ、いつもの声。
 すると母は、運転席から言葉を投げかけた。


「頑張ったね」


 それはまるで、春を告げる雪どけのように。
 その一言は、僕の全てを優しく。
 温かく、包み込んでくれた。

「……、、うん、」

 気づけば僕は、大声をあげ泣いていた。
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