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第3話 誓言
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「よーし、着いた」
フットブレーキをグッと引き上げ、静止する車。エンジン音がポツポツと屋根を打つ冷雨へと切り替わる。駐車場にはポツン、僕たちが乗るたった一台だけ。それもそのはず。
やって来たのは、街中にある「ひだまり公園」という大きな公園だった。広い敷地の端には、野球やサッカーのできるグラウンド。さらに中央にはシーソーや滑り台、ジャングルジムなどの遊具が設置されている。そして全体を囲み、楕円の曲線を描くように、敷地の外周には桜並木がずらっと並んでいた。
「……ねえ」
「うん?」
「何しに行くの?」
すると母は僕を見て、柔和な眼差しと表情を見せる。
「サクラよ」
「え?」
「お花見するの。見て見て、満開よ」
「…………」
何を考えているのか。正直馬鹿かと思った。朝からずっと、そして今もずっと。雨は降り続いているというのに。強引に降りるよう促された僕は、仕方なしに母と共にしぶしぶ敷地内へと入って行った。
誰もいない公園。用務員と思しき人すら、誰一人と見当たらない。そんな中を歩く親と子。雫滴る濡れきった並木道の中を、鮮やかな赤い傘が先行する。その数歩後ろを、くたびれた黒い傘が続いてゆく。母は傘をひらめかせながら、桜に見入っている様子。一方の僕は、雨水に浸された花びらと折れた枝葉で散らかった地面を、じっとただ見つめるだけ。
「思った通り。誰もいないわね」
「当たり前じゃん。こんな天気の日に、誰が好き好んで」
「そう? 2人で独占できてるんだよ」
「恵みの雨って思わなきゃ」
「そんなの、こじつけじゃん……」
「フフ、そうかな」
すると母は僕を呼び止め、遠くの空を指差した。
「きっと。そろそろ、雨も止むわ」
疑わしくも、僕は空を仰ぎ見る。
すると厚い雲は徐々に裂け目を作り、太陽の兆しが微かに見え隠れしていた。
「ねえ、ユウ」
「ほら見て」
「雨に濡れた桜が、ピカピカと光ってるみたい。風情があってキレイじゃない?」
「……別に」
「フフ。ユウは子どもだから、まだわからないか」
「関係ないから。ていうか、何で……」
そこから先の言葉を吐息へ昇華させ、僕はいやいや傘をずらし木々を眺めた。なんてことはない。ただの桜だ。春の風物詩が、雨に濡れているだけ。ただそれだけのこと。
すると母は足を止め、桜の一輪に人差し指を這わす。花びらから花びらへ。花びらから指先へ、滴る透明の雨露。そして手を離すと、ピンッとバネのように跳ね返る細い枝。と、花びらの先から宙を舞った一滴が「ピチャッ」っと、母の頬を濡らした。
「冷たッ」
そう言ってフフッと微笑む母。
「………ッ」
だがその横顔に、僕はギュッと胸が締め付けられた。
僕には、泣いているように見えたから――。
その後。より一層静かになった僕は、コツコツと靴音を響かせ前を歩く母の後を追う。傘を差しているのに、潤い始める瞳。やがて見つめ続ける傘越しの母の後ろ姿が、徐々に滲んでいくのがわかった。
わかっていたんだ。ここに来たのも、全部僕のためだって――。
(本当はきっと、青空の下が良いはずなのに……)
(雨の日で……太陽の下を歩けなくて……)
(ごめん……母さん)
僕は必死に、涙をこらえていた。
「ユウ? どうかした?」
息子の違和感に気づき、咄嗟に振り返る母。
「ううん。別に、何でもない」
踵を返し駆け寄ろうとする母を振り切り、僕は桜の木の下へ。ちょうどいい。このまま、雨に紛れてしまえば――。僕は傘を取り払い、空を見上げた。
「見て、ユウ」
「虹よ、虹が出てるわ」
雲の切れ間からきらめく陽光の柱。その輝きを纏うように、色鮮やかな虹が大きな弧を描いているのが視界の端に映る。僕の想いとは裏腹に、雨模様は無情にも終わりを告げていた。きっとその七色はとても、とても美しくて。けれど僕は、母の方へ振り向くことはできなかった。
公園を後にし、再び発進した車。
助手席に揺られながら、僕はじっと窓の外を眺める。
広がる青の中に、投影され続ける映像。
ずっと……濡れたその赤い傘は、消えてはくれなかった。
「お腹空いたわね」
「夜ごはん、何にしよっか?」
そう言って笑みをこぼす母の横顔が、僕には切なかった。
焼き付いたままの桜雨。そして――。
その後帰宅し、キッチンへと向かう母。
僕は、意を決した。
「母さん」
「僕、学校に行こうと思う――」
その日、僕は心に誓った。
来年の春。また、あの場所で。
青空の下。
満開の桜と共に、母さんと再び歩くことを――。
フットブレーキをグッと引き上げ、静止する車。エンジン音がポツポツと屋根を打つ冷雨へと切り替わる。駐車場にはポツン、僕たちが乗るたった一台だけ。それもそのはず。
やって来たのは、街中にある「ひだまり公園」という大きな公園だった。広い敷地の端には、野球やサッカーのできるグラウンド。さらに中央にはシーソーや滑り台、ジャングルジムなどの遊具が設置されている。そして全体を囲み、楕円の曲線を描くように、敷地の外周には桜並木がずらっと並んでいた。
「……ねえ」
「うん?」
「何しに行くの?」
すると母は僕を見て、柔和な眼差しと表情を見せる。
「サクラよ」
「え?」
「お花見するの。見て見て、満開よ」
「…………」
何を考えているのか。正直馬鹿かと思った。朝からずっと、そして今もずっと。雨は降り続いているというのに。強引に降りるよう促された僕は、仕方なしに母と共にしぶしぶ敷地内へと入って行った。
誰もいない公園。用務員と思しき人すら、誰一人と見当たらない。そんな中を歩く親と子。雫滴る濡れきった並木道の中を、鮮やかな赤い傘が先行する。その数歩後ろを、くたびれた黒い傘が続いてゆく。母は傘をひらめかせながら、桜に見入っている様子。一方の僕は、雨水に浸された花びらと折れた枝葉で散らかった地面を、じっとただ見つめるだけ。
「思った通り。誰もいないわね」
「当たり前じゃん。こんな天気の日に、誰が好き好んで」
「そう? 2人で独占できてるんだよ」
「恵みの雨って思わなきゃ」
「そんなの、こじつけじゃん……」
「フフ、そうかな」
すると母は僕を呼び止め、遠くの空を指差した。
「きっと。そろそろ、雨も止むわ」
疑わしくも、僕は空を仰ぎ見る。
すると厚い雲は徐々に裂け目を作り、太陽の兆しが微かに見え隠れしていた。
「ねえ、ユウ」
「ほら見て」
「雨に濡れた桜が、ピカピカと光ってるみたい。風情があってキレイじゃない?」
「……別に」
「フフ。ユウは子どもだから、まだわからないか」
「関係ないから。ていうか、何で……」
そこから先の言葉を吐息へ昇華させ、僕はいやいや傘をずらし木々を眺めた。なんてことはない。ただの桜だ。春の風物詩が、雨に濡れているだけ。ただそれだけのこと。
すると母は足を止め、桜の一輪に人差し指を這わす。花びらから花びらへ。花びらから指先へ、滴る透明の雨露。そして手を離すと、ピンッとバネのように跳ね返る細い枝。と、花びらの先から宙を舞った一滴が「ピチャッ」っと、母の頬を濡らした。
「冷たッ」
そう言ってフフッと微笑む母。
「………ッ」
だがその横顔に、僕はギュッと胸が締め付けられた。
僕には、泣いているように見えたから――。
その後。より一層静かになった僕は、コツコツと靴音を響かせ前を歩く母の後を追う。傘を差しているのに、潤い始める瞳。やがて見つめ続ける傘越しの母の後ろ姿が、徐々に滲んでいくのがわかった。
わかっていたんだ。ここに来たのも、全部僕のためだって――。
(本当はきっと、青空の下が良いはずなのに……)
(雨の日で……太陽の下を歩けなくて……)
(ごめん……母さん)
僕は必死に、涙をこらえていた。
「ユウ? どうかした?」
息子の違和感に気づき、咄嗟に振り返る母。
「ううん。別に、何でもない」
踵を返し駆け寄ろうとする母を振り切り、僕は桜の木の下へ。ちょうどいい。このまま、雨に紛れてしまえば――。僕は傘を取り払い、空を見上げた。
「見て、ユウ」
「虹よ、虹が出てるわ」
雲の切れ間からきらめく陽光の柱。その輝きを纏うように、色鮮やかな虹が大きな弧を描いているのが視界の端に映る。僕の想いとは裏腹に、雨模様は無情にも終わりを告げていた。きっとその七色はとても、とても美しくて。けれど僕は、母の方へ振り向くことはできなかった。
公園を後にし、再び発進した車。
助手席に揺られながら、僕はじっと窓の外を眺める。
広がる青の中に、投影され続ける映像。
ずっと……濡れたその赤い傘は、消えてはくれなかった。
「お腹空いたわね」
「夜ごはん、何にしよっか?」
そう言って笑みをこぼす母の横顔が、僕には切なかった。
焼き付いたままの桜雨。そして――。
その後帰宅し、キッチンへと向かう母。
僕は、意を決した。
「母さん」
「僕、学校に行こうと思う――」
その日、僕は心に誓った。
来年の春。また、あの場所で。
青空の下。
満開の桜と共に、母さんと再び歩くことを――。
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