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第2話 深海
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寒い――。桜の開花でわんさかと騒々しかった昨日が、まるで嘘のよう。
今日は届かない光。窓の外はザァーザァー降りの雨。目を開ければ、深海のように暗い部屋の中。だけれど僕のインナーシャツは、びっしょりと水分を含み湿っていた。
「ユウ」
瞼が重い。頭もズキズキと痛む。
これは悪夢を見たからか。それとも雨、だからか。
「ユウ。ご飯できてるわよ」
呼んでる。行かないと。
母の声にようやく気付いた僕は、長い空想に終止符を打ち部屋を後にした。
「カタカタカタ……」
死角から聞こえてくるキーボードの音。既に食事を済ませた母は、別室で仕事を始めていた。
12時をとうに過ぎ、出遅れた食事。それでも出来立てのように、温かいシチューと香ばしいバケットがランチョンマットの上には用意されていた。僕はいつも、もらってばかりだ――。
土砂降りだった雨は、気がつけばしとしとと降る小雨へ。変わる空模様。変わりゆく時間。それでも僕の一日は、何ら変わることは無い。
この日のテレビニュースは、僕には優しい内容ばかりだった。やっぱり僕は――太陽の下より、雨のほうが好きだ。
午後2時。僕は自室のベッドに沈み込み、適当に手に取った漫画をパラパラとめくる。なんてことない。いつものように「青春」という貴重な時間を、「虚無」へと変換するだけ。何十週となぞった一冊。他の本だってそう。ページをめくらずとも、何往復もした中身は脳内にインプットされていた。
「はあ……」
遂にはコミックを放り投げると、僕は溜息ためいきと共に天井を仰いだ。
「ユウ」
雨音は未だ止む気配が無い。
その中で突如、聞こえて来る母の声。
何だろう――。
「ユウ」
1階から2階へ。
その声は足跡と共に、徐々に近づいて来た。
「コンコン……」
「ユウ、ちょっといい?」
扉一枚を挟み、母がそっと声を掛けてきた。
「……なに」
「ユウに、買い物付き合ってほしいんだけど」
「えっ」
「これから買いに行くもの、ちょっと重たくて。量も結構あるし。ね、いいでしょ?」
「雨なのに、何でわざわざ」
「だからよ。きっと、空すいてるわ」
母は温厚だが、ごくまれに強引さを見せる時がある。部屋に籠りながらも、これまで数ヶ月に一度のペースで、外出には付き合うことがあった。主な行き先はショッピングセンターや近くのスーパーマーケット。目的は家電製品や箱モノの食料品などを大量購入する際の人員として。でもきっと、気分転換を兼ねてという母の心配りも大いに含まれている。僕は十二分にわかっていた。外に出るタイミングはいつも、学校の生徒たちに遭遇しないであろう時間帯を狙ってくれているから。母の気遣いに、できるだけ応じたい気持ちはある。でも……。雨の日に行ったことなんて、これまで一度もないのに。
「じゃあ、下で待ってるから」
返答を待たずして、階段を下りて行ってしまう母。とはいえ反抗すれば、こじれて無理やり学校に行かせる可能性だって有り得るかもしれない。考えすぎかもしれないが、こういう時は仕方なく合わせる、というのが僕の立ち回りだった。そうしてベッドから起き上がると、僕はよれたジャージ姿のまま扉を開け、玄関へと向かった。
◆
パチパチと音を立てるフロントガラスから視線を落とす。
デジタル画面の表示は「14:59」から「15:00」へ。
買い出しを終え、帰路をひた走る一台の軽自動車。その後部座席には、先程購入した食材や日用品の入ったスーパーの袋が無造作に揺れている。数は3つ。決して少なくはないものの、重量からいっても人手がいるというほどの量でもない。
助手席からチラチラと伺う横顔。……計られた。
けれど僕の心の中は、未だ不可解な「疑問符」がずっと交錯していた。
今日は雨なのに。どうしてわざわざ――。
赤信号の交差点。
僕は母に話しかけた。
「ねえ」
「ねえ、ユウ」
重なり、合わさる二人の声。すぐさま閉口する僕。
だが間を開けず、母は続けた。
「ユウ」
「ちょっと、寄り道しよっか」
「え?」
そう言って母は小さく微笑み、ワイパーの速度を一段階下げる。
弱弱しく、けれど着実に。雨は降り続いていた。
やがて、赤から青に変わるシグナル。
口ごもる僕をよそに。
母の運転する車は、自宅とは反対方向の道へと右折した。
今日は届かない光。窓の外はザァーザァー降りの雨。目を開ければ、深海のように暗い部屋の中。だけれど僕のインナーシャツは、びっしょりと水分を含み湿っていた。
「ユウ」
瞼が重い。頭もズキズキと痛む。
これは悪夢を見たからか。それとも雨、だからか。
「ユウ。ご飯できてるわよ」
呼んでる。行かないと。
母の声にようやく気付いた僕は、長い空想に終止符を打ち部屋を後にした。
「カタカタカタ……」
死角から聞こえてくるキーボードの音。既に食事を済ませた母は、別室で仕事を始めていた。
12時をとうに過ぎ、出遅れた食事。それでも出来立てのように、温かいシチューと香ばしいバケットがランチョンマットの上には用意されていた。僕はいつも、もらってばかりだ――。
土砂降りだった雨は、気がつけばしとしとと降る小雨へ。変わる空模様。変わりゆく時間。それでも僕の一日は、何ら変わることは無い。
この日のテレビニュースは、僕には優しい内容ばかりだった。やっぱり僕は――太陽の下より、雨のほうが好きだ。
午後2時。僕は自室のベッドに沈み込み、適当に手に取った漫画をパラパラとめくる。なんてことない。いつものように「青春」という貴重な時間を、「虚無」へと変換するだけ。何十週となぞった一冊。他の本だってそう。ページをめくらずとも、何往復もした中身は脳内にインプットされていた。
「はあ……」
遂にはコミックを放り投げると、僕は溜息ためいきと共に天井を仰いだ。
「ユウ」
雨音は未だ止む気配が無い。
その中で突如、聞こえて来る母の声。
何だろう――。
「ユウ」
1階から2階へ。
その声は足跡と共に、徐々に近づいて来た。
「コンコン……」
「ユウ、ちょっといい?」
扉一枚を挟み、母がそっと声を掛けてきた。
「……なに」
「ユウに、買い物付き合ってほしいんだけど」
「えっ」
「これから買いに行くもの、ちょっと重たくて。量も結構あるし。ね、いいでしょ?」
「雨なのに、何でわざわざ」
「だからよ。きっと、空すいてるわ」
母は温厚だが、ごくまれに強引さを見せる時がある。部屋に籠りながらも、これまで数ヶ月に一度のペースで、外出には付き合うことがあった。主な行き先はショッピングセンターや近くのスーパーマーケット。目的は家電製品や箱モノの食料品などを大量購入する際の人員として。でもきっと、気分転換を兼ねてという母の心配りも大いに含まれている。僕は十二分にわかっていた。外に出るタイミングはいつも、学校の生徒たちに遭遇しないであろう時間帯を狙ってくれているから。母の気遣いに、できるだけ応じたい気持ちはある。でも……。雨の日に行ったことなんて、これまで一度もないのに。
「じゃあ、下で待ってるから」
返答を待たずして、階段を下りて行ってしまう母。とはいえ反抗すれば、こじれて無理やり学校に行かせる可能性だって有り得るかもしれない。考えすぎかもしれないが、こういう時は仕方なく合わせる、というのが僕の立ち回りだった。そうしてベッドから起き上がると、僕はよれたジャージ姿のまま扉を開け、玄関へと向かった。
◆
パチパチと音を立てるフロントガラスから視線を落とす。
デジタル画面の表示は「14:59」から「15:00」へ。
買い出しを終え、帰路をひた走る一台の軽自動車。その後部座席には、先程購入した食材や日用品の入ったスーパーの袋が無造作に揺れている。数は3つ。決して少なくはないものの、重量からいっても人手がいるというほどの量でもない。
助手席からチラチラと伺う横顔。……計られた。
けれど僕の心の中は、未だ不可解な「疑問符」がずっと交錯していた。
今日は雨なのに。どうしてわざわざ――。
赤信号の交差点。
僕は母に話しかけた。
「ねえ」
「ねえ、ユウ」
重なり、合わさる二人の声。すぐさま閉口する僕。
だが間を開けず、母は続けた。
「ユウ」
「ちょっと、寄り道しよっか」
「え?」
そう言って母は小さく微笑み、ワイパーの速度を一段階下げる。
弱弱しく、けれど着実に。雨は降り続いていた。
やがて、赤から青に変わるシグナル。
口ごもる僕をよそに。
母の運転する車は、自宅とは反対方向の道へと右折した。
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