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29 目指すものは……

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「私――その意識を失っている間に、神様に会いました」
 私の言葉に、その場の三人が目を丸くする。そりゃそうだよね、いきなり倒れたと思った人間が「神様に会いました」って言うなんて。

「多分、お祈りを始めた途端に意識をあっちに持って行かれたんです。真っ白い空間で、神と名乗る人と会いました。男の人か女の人かよくわからない感じで……」
 それから――。彼とした会話を辿って行きながら、私は頭痛を覚えた。存在力とかいろいろ面倒な話をした気がする。その辺はややこしいから説明することはないな。
 
「結論から言うと、LV99になれば元の世界に帰れるそうです」
 結局、それが一番大事なことだった。バグがどうの、モンスターが増えすぎたからどうのなんて話は、私たちには直接関係がないのだ。
「帰る方法がわかったのね? それはよかったわ!」
 目尻に残った涙を拭って、レティシアさんは我がことのように喜んでくれた。
 
 
 私が倒れたのを見て、即レティシアさんが子供たちに声を掛けてくれて、桂太郎けいたろうくんが怪我を治してくれたそうだ。
 打ったのが頭だから動かさない方がいいとその場に寝かされていたけども、なかなか目を覚まさないからみんなが焦っていて、特に頭から血を流す私を見た桂太郎けいたろうくんと優安ゆあんちゃんは「先生死んじゃったらどうしよう」と大泣きだったとか。

 頭を打って怖いのは、切れて血が出るよりも内側に血が溜まることなんだけども。
 でも、切るとびっくりするくらい出血する場所だから、そりゃあ驚くよね。
 私は桂太郎くんと優安ちゃんとレティシアさんにお礼を言って、頭の血を洗い流すためにお風呂に入ることにした。
  
「あっ、お風呂ね! 私も入るー! あれ、入ってみたかったのよ!」
 レティシアさんが元気よく挙手したので、お風呂と脱衣所を出してもらい、ふたりで小さめの脱衣所に入った。
 その途端に、彼女は私の顔を正面から見て尋ねてきたのだ。


「元の世界に帰る方法がわかったのに、浮かない顔をしていますね」
 レティシアさんはただ好奇心でお風呂に入りたいと言ったのではなかった。私とふたりきりになるタイミングを計っていたんだろう。
「あ……。はい、そうかも、しれません」

 元の世界に帰る条件は、私が一番知りたかったこと。ぶっちゃけ、それさえわかれば「召喚された理由」なんてわからなくてもどうにかなった。
 だけど、私の心はいまいちすっきりしていない。
   
「何故神を信じられるのですか?」
 レティシアさんにそう問いかけたのは、ほとんど八つ当たりに近い感情だったと思う。私が会った「彼」は、およそ私の想像している範囲の神様らしくなかった。
 
「では、あなたは神を信じないのですか? 神に会ったのでしょう?」
 穏やかな声が返される。その声からは私を責めるような響きはない。ただ純粋に、「会った存在を信じないのは何故か」と訊いているのだ。

「私は『神』と名乗るものに会いました。……でも彼は、私が想像していたような『神』とはあまりに違いすぎて。レティさんは、会ったことがなくても神はいると信じているのですか?」

 一気にまくし立てた私に調子を乱されることなく、レティシアさんはすっと天を指し示す。そして、穏やかな声で言った。いかにも司教らしく、聖女らしく。 
「この世界がこのように在り、人が在り、生きている。それが神の御業ではなく何だというのでしょう」
 ……この場で進化論とか言うのはナンセンスなんだろうな。地動説以前のキリスト教の神父と宗教問答をするようなものだ。

 私が無言でいると、彼女は言葉を続けた。
「生きるのは楽しいことだけでも幸せなだけのことでもありません。苦しみも悲しみも、全て生にはある。楽しいときはいいのです。苦しいとき、ひとりでは押しつぶされそうなとき、高みにある尊き方が見守っていて下さると思うだけで、人は少し強くなれるのですよ」
 白い僧服から取り出した女神像を両手にそっと持って、レティシアさんは微笑む。彼女が苦しいとき、それを頼りにしていたのだとその動作だけで私には理解できた。
 
「どんなに不幸に思えても、生まれたこと自体が神の祝福なのです。もしもすぐに天に召されたとしても、生まれたことがなくなるわけではありません。
 ここに『在れ』と神が願ったからこそ私たちがいる。だから、『在っていい』のです。道を違えそうなとき、善き行いをしたとき、全て神が見守っておられると思うことが大事なのです。自分の存在が誰かに喜ばれ、祝福されていたと思えることは、人をとても強くするのですよ」

 慈愛に満ちた眼差しが私に向けられる。
 心のどこかが、パキパキと音を立てて割れていく。けれどそれは悪い感じではなかった。
「神が本当にいるかいないか、それは実は些細なことなのです。人の心が求めるとき、そこに『神が在り』ます。何もしなくても、ただあなたの側に『在り』ます」

 ああ、そうか。ここの世界では神様ってそういうものなのか。
 あの神が言っていたように「精神的にも未熟」なんてもんじゃないよ。もし「神は本当はいないけど」とわかっていてこの教義があるなら、この世界の人たちはとんでもなく強い。
 レティシアさんの語る「神様」は、私には一切否定しようがないものだった。

「だから、ミカコさん、泣かないで」
 レティシアさんの白い手が私の頬にふわりと触れた。それで初めて、私は自分が泣いていたことを知った。
「……神様は、そんなに優しい存在じゃありませんでしたよ」
「ミカコさんが会った神様は、どんな神様だったの?」
「なんだか、穏やかそうに見えるけど冷酷で、自分勝手で……」
  
「よく考えてみて。それはもしかして、あなたが『こうなりたい』と思った姿なんじゃなくて?」
「ええっ!? 私あんな性格悪く――。ああ、そうかもしれない……。そうかも、しれません」
 
 この世界に来て非情を見せつけられて、子供たちの前ではいつもと変わらずありたいと思ったけども、私は最大限の警戒を自分に強いていた。クリスさんたちをすぐに信じられなかったのもそう。
 レイモンドさんと張り合ったのも、舐められたくなかったから。
 子供たちを守るために、私が強くないといけないと、全身に力を込めていた。

 ここのところずっと、私はありのままの私ではなくて、「こうあらねば」という像を掲げてそのように振る舞っていた……。それは確かに、一見甘く見えるかもしれないけど本質は冷酷で、『一軍の司令官として舐められないように』と見せたかったから。
 

「凄いなあ、レティさん。何でもお見通しなんですね。それも千里眼なんですか?」
 レティシアさんはにこりと微笑むと、私の手に女神像を乗せてきた。やっぱりレティシアさんに似ている。髪の毛の感じとか、顔立ちとか。
「この女神像、レティシアさんに似てますね」
「ええ、そうなの。それは私に似せて作った物だから」
「ぶぉえっ!? ゲホッゲホッ!」
 聖職者が自分に似せて神像を作る!? 聞いたことないわ!

 私が盛大に咽せていると、レティシアさんが遠い目をして語り出した。
「今の私からでは信じられないかもしれないけど、幼い頃は私は本当にお転婆で……」
「信じます」
 というか、今だってかなりそのままなんじゃないのかなあ?

「木剣を振り回してクリスを泣かすのも日常茶飯事、お勉強の時間に抜け出して厩舎の馬を全部放して庭で一緒にどろんこになって遊んでいたなんて事もあって」
 太一レベル以上かよ……。こんな子がクラスにいたら私も泣くわ。

「そんな時、お母様がこれを下さったのです。私に少し似ているけど、ずっと穏やかで、慈悲深い女神像を。私はこの女神像を一目で気に入りました。そして、お母様は私に言いました。『レティはこの神様のようになりたい?』と。幼かった私は、素直に頷きました」
 ああ、なんだか、その光景が目に浮かぶ気がする。幼いレティシアさんは女神像に憧れて、こうなりたいと思ったんだろう。

「物心ついたときから千里眼の力を見せていた私は、聖女と認められて教会に入ることが決まっていたのです。――人が『聖女』に求めるものは、元々の私からはかけ離れたもの。それに私が潰されてしまわないように、母は私に『憧れ』を示しました。そして『なりたい貴女になりなさい』と言ってくれたのです」

 きっと、その時点で人々が望む聖女像が、レティシアさんの『なりたい私』になったのだろう。
 美しく、穏やかで、慈悲深い、『聖女』に。

「ミカコさん、これをあなたに差し上げます」
 レティシアさんは今まで大事そうに手の中に包んでいた女神像を私の手に乗せてきた。木彫りの女神像は少し彼女の温もりが残っていて、驚いた私は「おっ、ええっ、あう?」と奇声を発しながら彼女の顔を呆然と見ていた。

「ぶっちゃけ言うとね、あなたが会った『神様』なんて、私たちにとってはどうでもいいの。ほら、言ったでしょ、人によって神様の姿が違っていいんだって。
 ミカコさんの会った神様は教会にとってはあんまり都合のいい存在じゃないから、あまり吹聴しない方がいいわ。せいぜいミカルさんとクリスと私と、子供たちが知っていればいい話。
 その上でやっぱり思うの。天の高きから尊き方が見守ってくれていると思うとき、人は少し強くなれる、って。この女神像、あなたの会った神様とは違うでしょう? だから、辛くなったりしたときにはこれを見て。私がずっと力づけられてきたように、あなたを支えてくれますように。あなた自身が鎧を着ることはないわ。必要なときに、強さを少し分けてもらえばいいのよ」

 それは、宗教とかよりもずっと原始的な「信仰心」かもしれなかった。
 だからこそ、純粋で、まっすぐで。
 レティシアさんの手が温かくて。

 私は今までの強がりとかを脱ぎ捨てて、しばらくわあわあと声を上げて泣いた。
 血がつくのも構わずに、そんな私をレティシアさんは抱きしめて、撫で続けてくれていた。
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