添い寝屋浅葱

加藤伊織

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浅葱編

求められているのは「浅葱」という偶像

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「ところで、君、寝るときはどうする?」

 風呂の湯を溜めている間に突然そんなことを言い出されて、浅葱は肩を跳ね上げた。
 何の話だろうか。サイトには両方OKと書かれているネコかタチかの確認か、それとも、位置的に右側か左側かの話か。位置の話なら玲一が右で自分が左だ。お昼寝屋の最初の時からそれはわかっている。

「……あんたはどうなんだ」

 悩んだ挙げ句に、逆に玲一に同じ問いを投げ返す。この答えを聞けば、彼が聞こうとしていることがわかるはずだ。

「僕? 僕はパジャマ派だよ。しまった、もしかして、急に泊まりを入れちゃったから、泊まれるようなアイテムって何も持ってなかったりする?」
「あ? ああ」

 パジャマなど持ち歩くわけがない。そもそも持っていないし、家で寝るときだってTシャツにパンツで寝ている。しかし、まさかそこを尋ねられるとは思わず、浅葱は少し間抜けな声を出した。

「歯ブラシは、使い捨てにできる奴があったなあ。パジャマは――もし君が下着だけで寝る派でも、一緒に寝るときに下着だけっていうのは、僕的にアウトだからね。そうだ、確かバスローブがあったからそれを出してあげるよ」
「バスローブ!」
「急に食いついたけど、なんだい?」
「あんたに似合いすぎで、気持ち悪くなった」
「……君さあ、さっきもちょっと思ったけど、時々表現が独特だね。言っておくけど、僕が自分で買ったんじゃないよ。一昨年辺りに友達の結婚式の二次会でビンゴやったときにもらったんだ。僕は使ってない」
「ちっ……」
「だから、君の抱いてるイメージをそろそろ現実の僕寄りに修正してくれるかな」

 呆れたように言いながら、玲一はビニール袋を開けて新品のバスローブを浅葱に差し出した。

「歯ブラシは今持ってくるよ」
「さすがにそのくらいは持ってるからいい。――それで、わざわざ家にボーイを呼んで、食事を振る舞って、まさか『眠るまで側にいて』なんて言うつもりじゃないだろうな」

 さっさと別の場所に行こうとしている玲一を捕まえ、そろそろ腹を括るべきだと浅葱は心に決めて玲一に切り出す。この家に入る前から懸念していたことだ。心の準備も体の準備も必要なのだし、これ以上先延ばしにすることはできない。

「僕はそのつもりだけど」

 半分予想していた答えが返ってきて、浅葱は眉を吊り上げた。

「ちゃんとサイトを見たのか?」

 予想はしていたが問い質さずにはいられなかったのは、玲一が浅葱がしている仕事について理解していないと困るからだ。玲一が納得して支払った金に相応のサービスを、浅葱は提供するべき義務がある。
 玲一はいつもの笑顔を消して、真顔で浅葱の前に立った。色の薄い目がひたと浅葱の目を見つめていて、背筋が一瞬ぞくりとした。

「見たよ。君のいる店がどういうサービスを提供しているのか、ちゃんとわかってる。でもその上で、僕が望んでるのはそういうことなんだ。……君に、性的なサービスを求めるつもりはない」

 やはり、そういうことだった。

 薄々わかってはいた。彼があのサイトを見ても、それを理由にして自分を疎むタイプの人間ではないことを。
 繊細で優しく、爽やかで愛情深くて寂しがり屋で――どうしようもないくらい時々鈍感だ。
 だったら、こちらは玲一の望むものを与えるしかない。鈍感な彼が、浅葱の気持ちに気付かないことを祈りながら。

「……客はあんただからな。あんたがそういう希望なら、俺は求められたことをしてやる。添い寝の他に、俺にして欲しいことはないのか」

 それでも声のトーンは落ちた。声が低くなったせいで落ち着いた口調に聞こえる。そうだ、これでいい。「浅葱」はこれでいいのだ。
 玲一にとって正しい「浅葱」はこうなのだ。その証拠に、玲一はいつかのような縋る表情を浮かべながら浅葱に向かって手を伸ばしてくる。

「ハグを、して欲しい」
「ああ」

 バスローブをソファに置いてから口元に笑みを浮かべて腕を広げると、玲一がそっと浅葱の体に手を回してきた。服の上からでも鍛えられているのが感じられる、厚みのある固い体を力を込めて抱きしめる。彼に向けた複雑な思いも、全て一緒に抱え込んだ。

 頭半分背の高い玲一が、浅葱の薄い肩に頭をもたれかけた。耳元で深くため息を吐かれて、今は入れてはいけないスイッチが入りそうになるのを全ての理性で押さえつける。

「ああ、ほっとする――僕は、君が側にいてくれるだけでいい」

 彼の心底安堵したような呟きを聞いて、胸にぽかりと泡が浮かび上がってきた。なんだろうと思ってから少し遅れてパチンと割れた泡の中から、自分の思いが溢れてくる。

 これでいいか。

 心の中で響く自分の声は、絶望と諦めと妥協と、ほんの少しの安堵が混じったものだった。
 高い金を出して買われても、求められているのは男としての自分ではなかった。
 玲一が一番に望むのが、「添い寝」の関係ならば、それでいい。

 そう、思うしかなかった。
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