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浅葱編
立場は違えど、「客」
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インターフォンにのろのろと手を伸ばしかけて、浅葱は重い息を吐いた。
朝まで入れてあった枠を全て買っていたのは、やはり赤羽根玲一だ。半ば予想していたが、実際にそうだとわかると頭が混乱して、本当にぐるぐると目が回った。
彼はどう見てもノンケに見えるのだ。同類に感じる空気が何もない。それは他の客と比べれば一目瞭然だ。体中を這い回る値踏みするような視線や、ねっとりと声に表れるいやらしさ。今までに玲一からそういったものを感じたことがない。お昼寝屋で布団の中にふたりきりだった時も、さっきの公園でも。
いや、もしかすると、本気で添い寝だけのために呼ばれたかもしれない。そっちの方がボーイの依頼としては異常だが、案外天然っぽいあの男ならあり得る。
期待するな。彼が自分を抱こうとしているとは限らない。
浅葱がどういう人間か知った上で、「さっき断られたけどお礼がしたかったから」と食事を振る舞われる可能性もゼロではない。シチュエーションとしてはかなりおかしいが。
期待するな。
何度も自分に向かって繰り返すのは、本当は抱かれたいと思っているからだ。
上げた手が引力に従って落ちる途中で、なんとかインターフォンのボタンに引っかかった。
すぐにドアが開いて、眩しいイケメンが花が開くように笑いかけてくる。
「うわあ、本当に来てくれた! どうぞ、中に入って」
「赤羽根様、ご指名ありがとうございます。浅葱です」
頭を下げて、複雑な自分の顔が見えないように慇懃な挨拶をすると、頭の上から盛大なため息が降ってきた。
「一度普通に話してるんだから、その超接客モードやめてくれないかな。ここはお昼寝屋じゃないし、誰も君を失礼だって注意したりしない。本名を聞こうとかしないし、君のことは浅葱って呼ぶから、僕のことも玲一って呼んで欲しい」
今していることも接客には違いないし、年上の人間を呼び捨てにするのは抵抗がないわけでもないが、客である彼がそういうなら仕方がなかった。
「……わかった。玲一」
渋々顔を上げて名前を呼び捨てにすると、玲一は満足そうに頷いた。あんたは誰にでもそんなに親しげに名前を呼ばせるのか? と喉元まで質問が出かかったが、それはなんとか飲み込んだ。
この男相手に限っては、多少特別扱いに思えるくらいが心地いいのだ。
浅葱が脱いだコートを玲一は当たり前のように受け取って、ハンガーに掛けてくれた。彼の部屋は1LDKの造りだったが、浅葱の部屋よりあらゆる所にゆとりがある。風呂とトイレも別らしいとチェックした。指名を受けても店やホテルで事に及ぶ事がほとんどで客の家に呼ばれることはあまりないが、家の場合はこういうところが重要だ。
男の独り暮らしにしては綺麗に片付いている。慌てて掃除をしたのかもしれないが。
「時間通りだったね。助かったよ」
「仕事だからな」
「確かに、こういう仕事だったら遅れることはできないだろうね」
玲一の口から出た言葉にドキリとしながら、勧められるままにソファに腰掛ける。
「夕方ハンバーガーを食べてたけど、もう9時だし軽くだったら食べられるかい? お腹空いてる?」
どうやら本当に玲一は食事をさせるつもりらしい。客の中には時間を余らせてラーメンに付き合わされた男もいたから、客と一緒に食事をしたことがないわけではない。
「あんたはどうなんだ? 夕飯を食べてないんじゃないのか?」
玲一に合わせるべきだろうと思って尋ねると、玲一は悪戯がバレた子供のように肩をすくめて見せた。この男は欧米人的な仕草が妙に似合っている。
「実はそうなんだ。帰ってきてから掃除をしたりしたからね。それに、どうせなら君と一緒に食べたかった」
「じゃあ、食べる」
「良かった。これから作るよ。嫌いなものはないかい? ああ、アボカドが嫌いだっけ」
「別にアボカドが嫌いなんじゃない。選ぶ余地なく入ってくるのが嫌なだけだ」
「なるほど。僕は嫌いじゃないな。アボカドはわさび醤油で食べると美味しいよね」
アボガトにわさび醤油。意外な取り合わせが整った唇から漏れて、浅葱は真顔で玲一を見つめた。
「それは、食べたことがない」
「マグロの中トロの味ってよく言うよ。脂っこくて、舌で蕩ける柔らかさで、そこにわさび醤油だからそれっぽく思うんだろうなあ。酢飯と一緒に手巻き寿司にして食べると本当にそれっぽい」
「へえ……あんたもそういうものを食べるんだな。意外だ」
「君の中で僕はどういうイメージ?」
「夜景が見える高級ホテルのバーでカクテルを飲んでるか、青山辺りで高級イタリアンを食べていそうだ」
「……おかしいな、それと同じ事を言われたの五人目なんだけど」
解せないといった様子で玲一が口を曲げる。本当に自分の外見から高級そうな男だと思われるのが彼はよくわかっていないらしかった。
浅葱が知る限りでは玲一のコートもスーツもそれなりに高そうな品だったから、それ程的は外れていないはずだった。質の良いコートは軽くても温かいというし、玲一のコートは手触りも良くて軽かった。自分の着ている量販店のコートと比べると重さが倍近く違う気がする。高級の基準が単に浅葱と違うのかもしれない。
「確かにホテルのラウンジで飲んだこともあるし、青山でイタリアンを食べたこともあるけど、特にそれが好きってわけじゃないよ。さーて、僕が食べたいものを作るけどいいよね」
玲一は妙にうきうきとして楽しそうだ。ダークグレーのセーターの袖をまくり上げると、ネイビーのエプロンを出してきて身に着けている。本格的に料理をしそうな装いで、浅葱は急に興味がわいてきた。
朝まで入れてあった枠を全て買っていたのは、やはり赤羽根玲一だ。半ば予想していたが、実際にそうだとわかると頭が混乱して、本当にぐるぐると目が回った。
彼はどう見てもノンケに見えるのだ。同類に感じる空気が何もない。それは他の客と比べれば一目瞭然だ。体中を這い回る値踏みするような視線や、ねっとりと声に表れるいやらしさ。今までに玲一からそういったものを感じたことがない。お昼寝屋で布団の中にふたりきりだった時も、さっきの公園でも。
いや、もしかすると、本気で添い寝だけのために呼ばれたかもしれない。そっちの方がボーイの依頼としては異常だが、案外天然っぽいあの男ならあり得る。
期待するな。彼が自分を抱こうとしているとは限らない。
浅葱がどういう人間か知った上で、「さっき断られたけどお礼がしたかったから」と食事を振る舞われる可能性もゼロではない。シチュエーションとしてはかなりおかしいが。
期待するな。
何度も自分に向かって繰り返すのは、本当は抱かれたいと思っているからだ。
上げた手が引力に従って落ちる途中で、なんとかインターフォンのボタンに引っかかった。
すぐにドアが開いて、眩しいイケメンが花が開くように笑いかけてくる。
「うわあ、本当に来てくれた! どうぞ、中に入って」
「赤羽根様、ご指名ありがとうございます。浅葱です」
頭を下げて、複雑な自分の顔が見えないように慇懃な挨拶をすると、頭の上から盛大なため息が降ってきた。
「一度普通に話してるんだから、その超接客モードやめてくれないかな。ここはお昼寝屋じゃないし、誰も君を失礼だって注意したりしない。本名を聞こうとかしないし、君のことは浅葱って呼ぶから、僕のことも玲一って呼んで欲しい」
今していることも接客には違いないし、年上の人間を呼び捨てにするのは抵抗がないわけでもないが、客である彼がそういうなら仕方がなかった。
「……わかった。玲一」
渋々顔を上げて名前を呼び捨てにすると、玲一は満足そうに頷いた。あんたは誰にでもそんなに親しげに名前を呼ばせるのか? と喉元まで質問が出かかったが、それはなんとか飲み込んだ。
この男相手に限っては、多少特別扱いに思えるくらいが心地いいのだ。
浅葱が脱いだコートを玲一は当たり前のように受け取って、ハンガーに掛けてくれた。彼の部屋は1LDKの造りだったが、浅葱の部屋よりあらゆる所にゆとりがある。風呂とトイレも別らしいとチェックした。指名を受けても店やホテルで事に及ぶ事がほとんどで客の家に呼ばれることはあまりないが、家の場合はこういうところが重要だ。
男の独り暮らしにしては綺麗に片付いている。慌てて掃除をしたのかもしれないが。
「時間通りだったね。助かったよ」
「仕事だからな」
「確かに、こういう仕事だったら遅れることはできないだろうね」
玲一の口から出た言葉にドキリとしながら、勧められるままにソファに腰掛ける。
「夕方ハンバーガーを食べてたけど、もう9時だし軽くだったら食べられるかい? お腹空いてる?」
どうやら本当に玲一は食事をさせるつもりらしい。客の中には時間を余らせてラーメンに付き合わされた男もいたから、客と一緒に食事をしたことがないわけではない。
「あんたはどうなんだ? 夕飯を食べてないんじゃないのか?」
玲一に合わせるべきだろうと思って尋ねると、玲一は悪戯がバレた子供のように肩をすくめて見せた。この男は欧米人的な仕草が妙に似合っている。
「実はそうなんだ。帰ってきてから掃除をしたりしたからね。それに、どうせなら君と一緒に食べたかった」
「じゃあ、食べる」
「良かった。これから作るよ。嫌いなものはないかい? ああ、アボカドが嫌いだっけ」
「別にアボカドが嫌いなんじゃない。選ぶ余地なく入ってくるのが嫌なだけだ」
「なるほど。僕は嫌いじゃないな。アボカドはわさび醤油で食べると美味しいよね」
アボガトにわさび醤油。意外な取り合わせが整った唇から漏れて、浅葱は真顔で玲一を見つめた。
「それは、食べたことがない」
「マグロの中トロの味ってよく言うよ。脂っこくて、舌で蕩ける柔らかさで、そこにわさび醤油だからそれっぽく思うんだろうなあ。酢飯と一緒に手巻き寿司にして食べると本当にそれっぽい」
「へえ……あんたもそういうものを食べるんだな。意外だ」
「君の中で僕はどういうイメージ?」
「夜景が見える高級ホテルのバーでカクテルを飲んでるか、青山辺りで高級イタリアンを食べていそうだ」
「……おかしいな、それと同じ事を言われたの五人目なんだけど」
解せないといった様子で玲一が口を曲げる。本当に自分の外見から高級そうな男だと思われるのが彼はよくわかっていないらしかった。
浅葱が知る限りでは玲一のコートもスーツもそれなりに高そうな品だったから、それ程的は外れていないはずだった。質の良いコートは軽くても温かいというし、玲一のコートは手触りも良くて軽かった。自分の着ている量販店のコートと比べると重さが倍近く違う気がする。高級の基準が単に浅葱と違うのかもしれない。
「確かにホテルのラウンジで飲んだこともあるし、青山でイタリアンを食べたこともあるけど、特にそれが好きってわけじゃないよ。さーて、僕が食べたいものを作るけどいいよね」
玲一は妙にうきうきとして楽しそうだ。ダークグレーのセーターの袖をまくり上げると、ネイビーのエプロンを出してきて身に着けている。本格的に料理をしそうな装いで、浅葱は急に興味がわいてきた。
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