添い寝屋浅葱

加藤伊織

文字の大きさ
上 下
17 / 35
玲一編

思わぬ邂逅

しおりを挟む
 水曜日の退社後、玲一は足早にお昼寝屋に向かった。逸る気持ちが自然と足を急がせたのだ。
 重めの木のドアを押して店内に入ると、いらっしゃいませと女性の声が掛けられる。
 いつも浅葱が立っていて玲一を出迎えたフロントの中には、見知らぬ女性スタッフがいた。

 てっきり浅葱に会うと思っていたから、拍子抜けする。財布の中から会員証を出しながら、玲一は女性スタッフに思わず尋ねていた。

「あの、いつもフロントにいた浅葱くんは?」
「浅葱ですか? 申し訳ありませんが、浅葱は他の曜日に移ってしまって」

 完璧な営業スマイルで女性は答えた。なんでもない言葉のはずなのに、玲一は目の前が一瞬真っ白になるようなショックを受けていた。

「そうなんですか……いつ頃?」

 問いかける自分の声はどこか震えていないだろうか。不安に思いながら玲一は声を絞り出す。

「今月からです」
「そっか、ああ、すみません、今日はいいです」

 彼と添い寝ができなくても、ここの布団が恋しいのだと思ったのに。
 井上に頬をつねられるくらいのため息を吐くほど、ここの布団で寝たいと思ったはずなの
に。
 彼に合わせる顔がないと思い、会っても最低限のことだけやりとりすればいいと決めてきたのに。

 彼がここにいないという事実は、恐ろしく玲一を打ちのめした。


 返された会員証を受け取って、気がつくと玲一は回れ右をして本当に店から出てしまっていた。
 胸の中を占めるのは、驚くほどの寂しさだ。手までが冷たくなるほど、冷え冷えとした風が心中で吹いている。
 浅葱がいなくなったのではない。彼はまだこの店で働いている。別の曜日に移っただけだ。それもつい最近。
 自分が避けられたのではないはずなのに、そんな気がしてしまうのは自意識が過剰すぎるだろうか。なんとなく、彼はいつでもここで待っていてくれると当然のように思っていた。

 ぽっかりと開いた時間をどう過ごそうかと思案する。このまま真っ直ぐ帰宅しても良いのだが、気分転換をした方がきっといいだろう。その程度には落ち込んでいる。
 映画館でも行ってみようか。ふとそんな事を思いついた。特に見たい映画があるわけではなかったけども、実際に行ってから一番近い上映時間のものを選んでチケットを買えばいい。いっそ普段見ないジャンルだったら尚更いい。
 ここからなら、9つのシアターがある大型シネコンが歩いて行ける距離にある。それだけ選択肢があれば、時間が合うものが何かしらあるだろう。

 途中で近道のために玲一は公園を通り抜けようとした。日が落ちたばかりの冬の公園は寒々しく、ベンチに座っている人影もひとつしかない。
 そのまま足早にそこを通り過ぎようとして、玲一は巡らせた視線を慌てて戻した。
 あまりのことに自分の視力を疑って、眼鏡を度入りのものにした方が良いのかと考え直すところだった。

 たったひとり、公園のベンチで長い足を組んで座っているのは浅葱だ。彼の横にはバーガーショップのロゴが入った紙袋があって、口を大きく開けてハンバーガーにかじりついているところだった。

「えっ……浅葱、くん?」
「あ」

 思わず呼びかけると、浅葱が玲一に気付いてこちらを向いた。
 彼に会ったらどんな顔をしていいのかと悩んでいたはずなのだが、驚きが上回ったせいで自分から声を掛けてしまった。
 お互いに見つめ合ったままで、微妙な沈黙がしばし落ちた。

「猫が逃げた……」
「猫?」

 沈黙を破ったのは浅葱の呟いた一言だ。意外な言葉に思わず側に寄って彼の視線を追うと、植え込みの中からこちらを伺う猫に気付く。いつでも逃げられるような態勢を取っている猫は痩せていて、白に茶色のぶちが入った毛並みは薄汚れていた。

「ほら、こっちに来い」

 浅葱が足元に置いたタッパーを振ってガサガサと音をさせると、猫は耳をピクリと動かしてしきりにこちらを気にしている。人間に近づきたくはないが、餌は気になる。そういうことなのだろう。

「餌やりしてるのかい? 怒られたりしない?」
「こいつは昨日見つけたばかりだ。それに、俺の目の前でしか餌はやらないことにしてる。目の前で食べさせて、食べ終わったらタッパーは持って帰る。保護できるなら保護もするから餌やりだけ無責任にやってるって文句は言わせない。でもこいつは俺に近寄らないから今すぐは保護できないな」
「待って。もしかしていつも猫の餌持ち歩いてるの?」
「そうだが?」

 ハンバーガーの残りを口に押し込んで、浅葱は傍らに立ったままの玲一を見上げた。少しぞんざいな口調は彼の素なのだろう。極めて自然に会話してしまったことも驚きだが、他にもいろいろと驚いたことがあって玲一は軽く飽和状態になった。
 そんな中で意識の一番上にぽかりと浮かんできたのは、浅葱が口の横にケチャップを付けていることだ。

 コートのポケットからハンカチを出して、玲一は彼の口元を拭う。浅葱は何をされているかわからないといった風にきょとんとしていた。

「ケチャップ付いてたよ」

 カッと浅葱が顔を赤らめた。慌てて玲一にハンカチを押し返してくる。

「手を出す前に先に言ってくれれば紙ナプキンで拭いたのに……どうするんだ、ケチャップは洗っても落ちにくいぞ」
「あっ、ごめん。そうだね、一緒に紙ナプキン入ってくるよね。忘れてたよ」
「ハンカチ、買って返す」
「このくらいいいよ、気にしないで。それより君の口元が汚れてる方が気になっちゃったんだ」
「……あんた、いつもその調子なのか」
「何がだい?」

 浅葱の質問の意味がわからずに玲一は首を傾げる。下がり気味の眉を寄せて浅葱はため息を吐いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

変態村♂〜俺、やられます!〜

ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。 そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。 暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。 必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。 その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。 果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?

女装趣味がバレてイケメン優等生のオモチャになりました

都茉莉
BL
仁科幸成15歳、趣味−−女装。 うっかり女装バレし、クラスメイト・宮下秀次に脅されて、オモチャと称され振り回される日々が始まった。

可愛い男の子が実はタチだった件について。

桜子あんこ
BL
イケメンで女にモテる男、裕也(ゆうや)と可愛くて男にモテる、凛(りん)が付き合い始め、裕也は自分が抱く側かと思っていた。 可愛いS攻め×快楽に弱い男前受け

俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ

雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。 浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。 攻め:浅宮(16) 高校二年生。ビジュアル最強男。 どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。 受け:三倉(16) 高校二年生。平凡。 自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

手作りが食べられない男の子の話

こじらせた処女
BL
昔料理に媚薬を仕込まれ犯された経験から、コンビニ弁当などの封のしてあるご飯しか食べられなくなった高校生の話

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

平凡腐男子なのに美形幼馴染に告白された

うた
BL
平凡受けが地雷な平凡腐男子が美形幼馴染に告白され、地雷と解釈違いに苦悩する話。 ※作中で平凡受けが地雷だと散々書いていますが、作者本人は美形×平凡をこよなく愛しています。ご安心ください。 ※pixivにも投稿しています

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

処理中です...