添い寝屋浅葱

加藤伊織

文字の大きさ
上 下
16 / 35
玲一編

井上の気遣い

しおりを挟む
「はぁ……」

 その日何度目かわからない玲一のため息に、井上がとうとう隣の島のデスクから立ちあがった。
「仕事中に! 何度も何度もため息を吐くな!」
「あいたたた! ごめんなさい、もうしません!」

 両手でぎりぎりと頬をつねられて、玲一は悲鳴を上げながら謝罪する。そのまま井上に耳を引っ張られ、休憩スペースの自動販売機の前まで連れ出された。

「……上司に言われれば、それは注意をされたことになる。だが、『仕事の鬼の俺』が『同期で仲の良いお前』に言うなら、それはただの小言だ。頬をつねっても『じゃれ合ってるねー』で済まされる」
「不本意ながら、その通りだね」

 じゃれ合うどころか、頬は割と本気で痛い。鏡で見たら赤くなっているのではないかと玲一は気になった。

「まあ、仕事中にじゃれ合うな、というのが俺が外野だったら言うことだがな。殺伐としたじゃれ合いだから注意まではされないだろう。
 本当に、何かあったのか? 周りの部下が不安になるからため息はやめろよ」
「……井上くんの部下になりたい」
「部長に直談判してこい。俺を昇進させるかお前を降格させるかしないと無理だからな。どうせだったら昇進の方で頼む」
「ごめん、それは冗談だ。気を張ってるときはそうでもないんだけど、一段落した瞬間とかにはーってため息吐いちゃうんだよね。無意識なんだよ」

 玲一は肩をすくめた。胸に引っかかっていることはあるが、常に気がかりになっている程ではない。しかし、そのせいで余計に、気が緩んだ瞬間に欲求不満がため息になって表面に出てくるのだ。

「布団で寝たい」
「帰ったら寝ろ」

 今の一番の欲求を素直に口に出すと、井上が鋭く切り返してくる。

「うちはベッドなんだ」
「ん? ……そういう意味か。畳の上で死ぬとか敷居を跨がせないとか象徴的なことじゃなくて、ベッドの対義語としての布団のことか。また最近まともに寝てないのかと思ったぞ」
「ああ、ごめん。そう、布団なんだ」

 互いに喫煙者だったら一服しながら話すところだろう。心肺機能が落ちることはしないというのが井上のポリシーだし、玲一も煙草に興味を持たないままで過ごしてきたので、こういうときにお互い飲むのはだいたいコーヒーと決まっている。
 自動販売機で玲一は缶コーヒーを2本買った。1本を井上に差し出すと、彼は当たり前のようにそれを受け取る。
 井上がプルタブを開けてコーヒーを一口飲んだところで玲一は話しだした。彼がこの場で缶を開けたということが、今相談があるなら聞いてやるという意思表示だからだ。

「前にも話したと思うけど、枕を買いに行ったお店があって。そこで使ってた布団が凄く良かったんだよね。そのせいでうちのベッドが冷たいのがわかって布団乾燥機を買ったりしたんだけど」
「そういえば、そんな話を聞いたな。それで?」

 続きを促されて、玲一は頷いた。

「この前たまたま、テレビでそこと同じ布団を見たんだ。最近行ってなかったけど、急に思い出しちゃってさ。はぁ、あの店の布団で寝たい」
「行けばいいじゃないか。前は行っていたんだろう? 行けていたなら時間的にも問題ないだろうし、俺だったら行きたければさっさと行くぞ」

 玲一の事情を知らないが故に、井上の答えはシンプルだ。それがいつも羨ましくもあるが、今回ははっとさせられた。
 深く考えすぎることも、意識しすぎることもない。ただ行って、ひとりで布団で寝ればいいのだ。今自分が欲しているのは、あの布団なのだから。

 浅葱に会っても、笑って見せよう。しばらく来られなかったが、眠れるようになったと。そうすれば、玲一がひとりで寝るのは当然のことだ。

「――よし、明後日行ってこよう」
「そうしろそうしろ。だから、もうため息は吐くな」

 残ったコーヒーを一気に喉に流し込んで、自動販売機の横に据えられたゴミ箱の中に井上は空き缶を押し込む。
 彼が席へ戻っていくのを見ながら、玲一も缶コーヒーを急いで飲み干した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

チョコは告白じゃありませんでした

佐倉真稀
BL
俺は片桐哲哉。大学生で20歳の恋人いない歴が年齢の男だ。寂しくバレンタインデ―にチョコの販売をしていた俺は売れ残りのチョコを買った。たまたま知り合ったイケメンにそのチョコをプレゼントして…。 残念美人と残念イケメンの恋の話。 他サイトにも掲載。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

サンタからの贈り物

未瑠
BL
ずっと片思いをしていた冴木光流(さえきひかる)に想いを告げた橘唯人(たちばなゆいと)。でも、彼は出来るビジネスエリートで仕事第一。なかなか会うこともできない日々に、唯人は不安が募る。付き合って初めてのクリスマスも冴木は出張でいない。一人寂しくイブを過ごしていると、玄関チャイムが鳴る。 ※別小説のセルフリメイクです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

処理中です...