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玲一編
「お昼寝屋」
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視力は今でも別段悪くはない。おかげで、PC用と銘打たれた度のないレンズを入れた眼鏡は、店舗で時間を少し潰しただけで受け取ることができた。
ウエリントン型のフレームはいくらか目の周りを隠す比率が高く、シックな黒い眼鏡を掛けると見慣れた自分の顔が幾分知的に見える。
今までは不要と思って興味を持たないでいたが、予想外にフレーム毎に印象が変わるので試着するのも思ったより楽しかった。PC用はレンズの色が黄色がかっているせいで普段掛けるには向いていないから、ファッションアイテムのひとつとして伊達眼鏡を持つのも悪くないと考えが変わったほどだ。
洒落たケースを選んで真新しい眼鏡を収め、少し上向いた気持ちに引っ張られるように街を歩く。次の目的は枕を買うことだが、現在地の周りに枕が買えそうな店の心当たりがなかった。
衣類から家具家電・食品までシンプルさを売りにして取りそろえているブランドなら、一駅歩くつもりでいればなんとか場所は覚えている。これも気分転換だと自らに言い聞かせて、玲一は日の落ちきった師走の街中を散歩がてら歩くことにした。
青と白のLEDに彩られた街並みに、いつの間にか季節が駆け足で過ぎ去っていたことに気付く。以前はクリスマスともなれば恋人にせがまれてイルミネーションを見に行ったりしたが、仕事が忙しくなり、そちらに生活の比重が傾くにつれてそういったイベントとは縁がなくなっていた。交際関係も気がついたときには自然消滅という体たらくだ。それをさほど苦に思わなかった事の方が、自分の薄情さを突きつけられたようで痛かった。
改めて店の看板を見ながら歩いてみると、会社からはそれ程離れているわけではないのに、
知っていた店がなくなっていたり、様々な変化がある。新入社員の頃に何度か上司に連れてきて貰った覚えのあるビストロがなくなっていたのはがっかりしたが、もうどのくらい足を運んでいないのかを考えれば、移転なのか閉店なのかがわからなくても仕方がなかった。
久々に新しい店を発掘してみるのもいいかもしれないと、路地を覗き込みながらのんびりと歩いた。ノー残業デーで定時退社の今日ならば、外で軽く飲んで帰宅しても翌日に響くほどではないだろう。
無難にイタリアンか、たまにはエスニックもいい。そういえば日本で一番トムヤムクンがうまいと思って通っていた店があったが、徐々に名前が売れていってひとりでふらりと入るには混みすぎている店になってしまったのが残念だ。ひとりで入るには少し抵抗があるが、サラリーマンらしく焼き鳥に日本酒も悪くないかもしれない。なにしろ気分が変わる。
ふと、路地に面したテナントビルの縦に連なる看板の中のひとつに、玲一は目を止めた。
温かみのあるオレンジ色の看板に、柔らかな書体で書かれている店の名前は「お昼寝屋」。
無意識に、玲一の足は吸い寄せられるようにそちらに向いていた。
「いらっしゃいませ」
テナントビルの2階にあるその店は、暗すぎない間接照明と、穏やかな波の音が耳障りでない程度に流れていて落ち着いた雰囲気を持っていた。
ドアの正面には木製のフロントがあり、玲一に声を掛けたのはそこに立つ青年だ。
一瞬、やんちゃをしているような青年かと思ってドキリとしたが、日本人にしては濃い肌の色と焦げ茶色で長めの髪がそう思わせただけだった。店の雰囲気に馴染む穏やかな眼差しと低く落ち着いた声で、玲一は彼の第一印象を大幅に修正する。
「当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか」
存外に落ち着いた丁寧な応対に、内心ほっと息をつく。どうやら、接客だけを見るにまともな店のようだ。
「あ、はい。通りすがりに気になって入ってみただけで。ここは、寝具の販売店ですか?」
フロントの背面には多様な枕がずらりと並んでいた。値段が付いているのを見れば、販売しているのは間違いない。思わぬところで目的が済みそうで、玲一は寄り道もするものだと不思議に感動した。
「はい。当店で使用している寝具は全て販売もしております」
「使用? ここで使えるということですか?」
「当店のシステムを説明させていただきます。どうぞ、お掛けください」
青年がフロントの脇にあるソファとテーブルを示したので、玲一はコートを脱いで彼の話を聞くことにした。
ウエリントン型のフレームはいくらか目の周りを隠す比率が高く、シックな黒い眼鏡を掛けると見慣れた自分の顔が幾分知的に見える。
今までは不要と思って興味を持たないでいたが、予想外にフレーム毎に印象が変わるので試着するのも思ったより楽しかった。PC用はレンズの色が黄色がかっているせいで普段掛けるには向いていないから、ファッションアイテムのひとつとして伊達眼鏡を持つのも悪くないと考えが変わったほどだ。
洒落たケースを選んで真新しい眼鏡を収め、少し上向いた気持ちに引っ張られるように街を歩く。次の目的は枕を買うことだが、現在地の周りに枕が買えそうな店の心当たりがなかった。
衣類から家具家電・食品までシンプルさを売りにして取りそろえているブランドなら、一駅歩くつもりでいればなんとか場所は覚えている。これも気分転換だと自らに言い聞かせて、玲一は日の落ちきった師走の街中を散歩がてら歩くことにした。
青と白のLEDに彩られた街並みに、いつの間にか季節が駆け足で過ぎ去っていたことに気付く。以前はクリスマスともなれば恋人にせがまれてイルミネーションを見に行ったりしたが、仕事が忙しくなり、そちらに生活の比重が傾くにつれてそういったイベントとは縁がなくなっていた。交際関係も気がついたときには自然消滅という体たらくだ。それをさほど苦に思わなかった事の方が、自分の薄情さを突きつけられたようで痛かった。
改めて店の看板を見ながら歩いてみると、会社からはそれ程離れているわけではないのに、
知っていた店がなくなっていたり、様々な変化がある。新入社員の頃に何度か上司に連れてきて貰った覚えのあるビストロがなくなっていたのはがっかりしたが、もうどのくらい足を運んでいないのかを考えれば、移転なのか閉店なのかがわからなくても仕方がなかった。
久々に新しい店を発掘してみるのもいいかもしれないと、路地を覗き込みながらのんびりと歩いた。ノー残業デーで定時退社の今日ならば、外で軽く飲んで帰宅しても翌日に響くほどではないだろう。
無難にイタリアンか、たまにはエスニックもいい。そういえば日本で一番トムヤムクンがうまいと思って通っていた店があったが、徐々に名前が売れていってひとりでふらりと入るには混みすぎている店になってしまったのが残念だ。ひとりで入るには少し抵抗があるが、サラリーマンらしく焼き鳥に日本酒も悪くないかもしれない。なにしろ気分が変わる。
ふと、路地に面したテナントビルの縦に連なる看板の中のひとつに、玲一は目を止めた。
温かみのあるオレンジ色の看板に、柔らかな書体で書かれている店の名前は「お昼寝屋」。
無意識に、玲一の足は吸い寄せられるようにそちらに向いていた。
「いらっしゃいませ」
テナントビルの2階にあるその店は、暗すぎない間接照明と、穏やかな波の音が耳障りでない程度に流れていて落ち着いた雰囲気を持っていた。
ドアの正面には木製のフロントがあり、玲一に声を掛けたのはそこに立つ青年だ。
一瞬、やんちゃをしているような青年かと思ってドキリとしたが、日本人にしては濃い肌の色と焦げ茶色で長めの髪がそう思わせただけだった。店の雰囲気に馴染む穏やかな眼差しと低く落ち着いた声で、玲一は彼の第一印象を大幅に修正する。
「当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか」
存外に落ち着いた丁寧な応対に、内心ほっと息をつく。どうやら、接客だけを見るにまともな店のようだ。
「あ、はい。通りすがりに気になって入ってみただけで。ここは、寝具の販売店ですか?」
フロントの背面には多様な枕がずらりと並んでいた。値段が付いているのを見れば、販売しているのは間違いない。思わぬところで目的が済みそうで、玲一は寄り道もするものだと不思議に感動した。
「はい。当店で使用している寝具は全て販売もしております」
「使用? ここで使えるということですか?」
「当店のシステムを説明させていただきます。どうぞ、お掛けください」
青年がフロントの脇にあるソファとテーブルを示したので、玲一はコートを脱いで彼の話を聞くことにした。
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