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夏生3・梅崎家の雪解け

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「母さんががんになって、胃を全摘してから食べる物がうんと制限されて――何度も何度も、亡くなる直前も『夏生の作った餃子が食べたい』って言っていた。俺の料理でも自分の料理でもなく、お前の餃子じゃないと駄目だったんだ。あの味は、俺にも母さんにも再現できなかったし、母さんの状態ではそもそも餃子は食べられなかった。
 悔しかったなあ……。結婚して25年の俺の料理じゃなくて、息子の料理を望まれるのが。俺はお前に負けたような気になったんだ」
「そうだったんだ……」

 初めて聞く話に、夏生は手を止めたまま頷くことしかできなかった。
 夏生の餃子は一工夫していたが、それほど特別なものではないはずだった。そもそも、友人と入ったラーメン屋で食べた餃子が美味しかったので真似をしただけなのだ。

「僕の餃子は、白菜と粗挽きの豚挽肉と、ごま油とニンニクと生姜と塩とみりんと香り付けにしょうゆと、後はオイスターソースとしいたけを」
「しいたけか! それだ、それは気づかなかった」
「うん、かなり細かくみじん切りにしてたからね。大学の近くにあったラーメン屋の揚げ餃子にしいたけが入ってて、それが美味しかったんだよ。だから僕が作るときは入れてたんだけど、お母さんはそれが好きだったんだね」
「食べさせてやりたかったな。俺は変な意地に負けて、お前に伝えることができなかった」

 父の言葉には深い後悔が滲んでいた。ずっと隣にいた夫としても、料理人としても悔しかった。そう胸中を打ち明けた父は、余程それを悔やみ続けたのだろう。

「母さんみたいな発想の豊かさを持って、俺が仕込んだ確かな技術を持つお前は、自慢の息子だったよ。間違いなく俺はお前の将来を楽しみにしていた。
 そのお前がうめ咲を継いでくれないと知ったときには、目の前が真っ暗になった」
「それは……ごめん」
「いや、こどもの将来を親が強制するようなことがあってはいけないんだ。そんな当たり前のことを俺は忘れていた。多分俺はお前の才能を誰よりも認めていて、その腕をうめ咲の為に生かして欲しいと思ってた。歴史あるこの店を、夏生ならもっと盛り立てくれると期待したんだ。
 既に繁盛してる店を継がせることが、お前の苦労を少なくすることだと思ってた」

 父の言葉の中に、夏生を責める響きは一欠片もなかった。そして、苦労の少ない道を歩ませたいという気持ちは夏生にも理解できる。
 けれど、夏生の望んだ道は方向が違った。それが父とのすれ違いの原因なのだ。

 父は淡々と、4年前には自分でもはっきりと認識できなかったという胸中を夏生に明かし続ける。
 重い話ではあったが、それらは全て過去のことだ。
 夏生はクレインマジックという居場所を見つけて自分のポリシーを貫き続け、父はそれを見て息子の現在を知ることができた。
 そして、生き生きと楽しそうに料理を作る夏生と、それを美味しそうに食べる悠を見て夏生の道は正しいと思うことができたという。

「俺の道は間違ってない。うめ咲の板長として責任のある仕事をこなしてきたと自信を持って言える。だから視野が狭まっていた昔の俺は、お前の道が間違っていると思った。
 でも、それこそが間違いだった。俺の道は間違ってないが、お前の道も間違っていない」

 夏生の一番欲しかった言葉が、父の唇から紡がれる。
 昨日メールを受け取ったときには、こんな言葉を聞くことができるとは思ってもみなかった。
 気づけば、自然と涙がこぼれて頬を伝っていた。

「ありがとう……その言葉が聞けて本当に良かった。僕の料理はお父さんとお母さんから受け継いだものだから、お父さんに認めて貰えて嬉しい」

 4年前にすれ違い、凍ったままだった心の一部がじんわりと溶け出していく。

「すまなかったな。料理は人を幸せにするものであって欲しいのに、それでお前に辛い思いをさせた」
「もういいよ。今の僕をそのままお父さんが受け入れてくれたから。ああ、桑さんにもハルくんにもちゃんとお礼しなきゃ。桑さんがクレインマジックに誘ってくれなかったら、お父さんに僕の信念は届かなかった。それに、ハルくんが美味しく食べてくれたから、CMもヒットしてクレインマジックが盛り上がったんだし」
「あの子はハルくんというのか。食べてるところを見てるだけで、見た目に寄らず素直でいい子だとわかるな」
「うん、凄くいい子だよ。昨日僕がこっちに向かうときも、『あんたは間違ってないから自信を持って行ってこい』って背中を押してくれた。――正直、それまで怖かったんだ。またお父さんに否定されて、家に戻れって言われるんじゃないかって。おかしいね、僕は成人でお父さんがそう言ったからって拒むこともできるはずなのに、何故だかそう言われたら今いる場所を去らなきゃいけなくなるんじゃないかって怯えてた。
 僕自身も、お父さんを失望させたことが負い目になってたんだ」

 振り返ってやっと、自分の恐れていたものの正体に気づく。夏生が恐れていたのは自分自身の罪悪感だった。誰が何を言っても、自分の心から逃げることはできないのだ。

「俺からも、お詫びとお礼をしなければいけないな」

 味噌汁を飲みきってそう言う父は、心から息子の道を認めてくれたのがよくわかる。

「じゃあ、A5ランク和牛ちょうだい。1キロくらいぶんどってくるって言っちゃった」
「お前は……母さんに似て逞しくなったな……。まあいい、会社宛にすき焼き用の肉を送ってやろう。代わりにと言っちゃなんだが、今晩はお前の手料理を食べさせてくれないか」
「もちろんだよ! たくさん作るよ! あ、そうだ。僕さ、お父さんの作ったナポリタンがどうしても食べたいんだ。味噌汁は味噌が違うからって納得できたけど、あのナポリタンはどうしても再現できなくて」

 夏生の言葉に父は一瞬呆けたように目を見開き、それから香り高い白梅が綻ぶように笑んだ。

「夏生はあのナポリタンが好きだったなあ。ああ、嬉しいな。俺の手料理を食べたいと言ってもらえるのが、こんなに嬉しいだなんて……」
「お母さんも、ナポリタンはどこの店よりもお父さんのが一番って言ってたよ」
「そうか……夏生にはそんなことを言ってたのか」

 夏生と向かい合った父の目にも、涙がにじんでいた。
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