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夏生2・父との対話
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料理を作り続けるには、喜んで食べてくれる人が必要だった。――少なくとも、自分にとっては。
夏生の原点は家庭料理であり、家族が食べる料理であり、その場には笑顔があって欲しかった。
美味しいと顔を綻ばせる悠の存在に、どれだけ心を救われてきただろう。喜んで貰えるなら、と夏生の気持ちも前向きになった。
そうして作り上げてきた料理の数々は、クレインマジックというアプリを通して様々な人が再現して、レビューという形で夏生の元に返ってくる。
私にも作れました。おいしかったです。お気に入りで何度も作っています。
そんな言葉を貰えることは、夏生が夢見た最も嬉しい事だ。桑鶴の広げた腕の中に思い切って飛び込んで良かったと思える。
家業としての料理ではなく、自分の選んだ道としての料理。
その道を夏生に示したのは、母の手と父の背中だった。
「お父さん……」
4年ぶりに再会した父は、僅かな間に驚くほど老け込んでいた。顔には皺が刻まれ、頬がたるんだせいかほうれい線がはっきりと出ている。
この家を去ったときには少ししかなかった白髪は、髪の半分以上に及んでいた。
昨日は急に断れない客が入って会うことができず、今朝になってからやっと会うことができて呼びかけたはいいが、夏生は何を口にすべきかを見失った。
何故今になって会いたいと連絡をしてきたのか、それを問いかけたかったが父の顔を見た瞬間にその老け込みようから察してしまったのだ。
「お前が元気そうで良かった」
父は4年分歳を重ね、驚くほど穏やかになっていた。
夏生がこの家にいた頃は、労りの言葉などほとんど聞いたことがなかった。昭和の男だから仕方ないのよとは母の言葉で、夏生が何かをうまくできたときも言葉でわかりやすく褒めることはなかったのだ。
「僕と、どんな話を」
「どんなという訳じゃない。ただ、お前と話をしたいと思ったんだ。今のお前の仕事や、母さんのことや、俺がどうしてお前を追い出してしまったかとかを」
「……うん」
夏生が最も危惧していた、戻って家を継げといった話ではないようだ。父が求めているのはただの対話らしくて、それに夏生は安堵した。
「今日は1日いられるのか?」
「僕がこの家で片付けなきゃいけない問題を片付けるまでは、休むって会社には言ってきたよ」
「それを許してくれる職場なんだな」
「うん、いいところだよ」
父と向かい合って座ったテーブルの上には、懐かしい朝食が並んでいた。
定番のネギに加えて旬のナスとカボチャ、そして栗が入った一風変わった味噌汁は、梅崎家の秋にだけでるメニューだ。夏生もたびたび作ったし、クレインマジックでも昼に出して「味噌汁に栗は珍しい」と言われたことがある。
炊きたての白いご飯と納豆も目の前にあり、浅漬けの盛り合わせは昔から見ると量が少ない。作るのにコツがいる温泉卵もだし付きで当たり前のように食卓にある。
「最近は魚の脂がきつく感じてな」
唯一昔と違うのは鯖などの焼き魚が並んでいないところだと夏生が思っていると、その心を読んだかのように父が漏らす。そんな歳なのかと、改めて夏生も父の老いを感じた。
「いただきます」
「いただきます」
ふたり揃って手を合わせ、父が用意してくれた朝食を味わった。箸も茶碗も以前夏生が使っていたもので、父がそれを処分していなかったことが嬉しい。
「あ、やっぱり懐かしい味だ」
料亭で使う味噌を家でも使っているので、味噌汁は普通にスーパーで買う味噌で作るものよりも風味がより深かった。母が亡くなってからは夏生が朝食を作っていたが、父の作る味噌汁はやはりどこか違い、それでも夏生にとっては懐かしい味だった。
思わず顔を綻ばせた夏生を見て、父は目を細める。父のこんなに柔らかい表情は、本当に久しぶりだった。
「味噌が違うからな。これだけは変えたくない」
「わかるよ、スーパーで売ってる味噌じゃ再現できなかったからね」
「少し持って行くか?」
「いいの? じゃあ欲しいな」
母が健在だった頃のように、父と普通の会話を交わせることがどこか不思議だった。けれど、その一方で自分たちに必要なのはこういった会話なのだとも思う。
「栗を入れたお味噌汁を会社で作ったら、珍しいって言われてさ」
「だろうな。あれは母さんが思いつきで作ったんだ。夏生に野菜を摂らせるために、味噌汁には必ず3種類以上の具を入れるようにしていただろう。ありものの組み合わせでたまたま前日に貰った栗を入れたら、思ったよりも美味しくてな」
「栗とカボチャは合うよね」
「それに味噌汁に甘みのある野菜は合う。でも何故か俺は栗を入れるというような発想が持てなかった」
父の言葉は少し悔しそうだ。そこに夏生は驚く。
「お父さんが料理のことで誰かを羨ましいと思うなんて、考えても見なかったよ」
「そんなことはない、俺は人を羨んでばかりだった。母さんのことも、お前のことも」
「えっ、僕のことを?」
父が自分の何を羨んだか、全く思い当たるような節はなかった。納豆を混ぜている手を止めて夏生が驚いて尋ねると、父はあっさりと頷く。
夏生の原点は家庭料理であり、家族が食べる料理であり、その場には笑顔があって欲しかった。
美味しいと顔を綻ばせる悠の存在に、どれだけ心を救われてきただろう。喜んで貰えるなら、と夏生の気持ちも前向きになった。
そうして作り上げてきた料理の数々は、クレインマジックというアプリを通して様々な人が再現して、レビューという形で夏生の元に返ってくる。
私にも作れました。おいしかったです。お気に入りで何度も作っています。
そんな言葉を貰えることは、夏生が夢見た最も嬉しい事だ。桑鶴の広げた腕の中に思い切って飛び込んで良かったと思える。
家業としての料理ではなく、自分の選んだ道としての料理。
その道を夏生に示したのは、母の手と父の背中だった。
「お父さん……」
4年ぶりに再会した父は、僅かな間に驚くほど老け込んでいた。顔には皺が刻まれ、頬がたるんだせいかほうれい線がはっきりと出ている。
この家を去ったときには少ししかなかった白髪は、髪の半分以上に及んでいた。
昨日は急に断れない客が入って会うことができず、今朝になってからやっと会うことができて呼びかけたはいいが、夏生は何を口にすべきかを見失った。
何故今になって会いたいと連絡をしてきたのか、それを問いかけたかったが父の顔を見た瞬間にその老け込みようから察してしまったのだ。
「お前が元気そうで良かった」
父は4年分歳を重ね、驚くほど穏やかになっていた。
夏生がこの家にいた頃は、労りの言葉などほとんど聞いたことがなかった。昭和の男だから仕方ないのよとは母の言葉で、夏生が何かをうまくできたときも言葉でわかりやすく褒めることはなかったのだ。
「僕と、どんな話を」
「どんなという訳じゃない。ただ、お前と話をしたいと思ったんだ。今のお前の仕事や、母さんのことや、俺がどうしてお前を追い出してしまったかとかを」
「……うん」
夏生が最も危惧していた、戻って家を継げといった話ではないようだ。父が求めているのはただの対話らしくて、それに夏生は安堵した。
「今日は1日いられるのか?」
「僕がこの家で片付けなきゃいけない問題を片付けるまでは、休むって会社には言ってきたよ」
「それを許してくれる職場なんだな」
「うん、いいところだよ」
父と向かい合って座ったテーブルの上には、懐かしい朝食が並んでいた。
定番のネギに加えて旬のナスとカボチャ、そして栗が入った一風変わった味噌汁は、梅崎家の秋にだけでるメニューだ。夏生もたびたび作ったし、クレインマジックでも昼に出して「味噌汁に栗は珍しい」と言われたことがある。
炊きたての白いご飯と納豆も目の前にあり、浅漬けの盛り合わせは昔から見ると量が少ない。作るのにコツがいる温泉卵もだし付きで当たり前のように食卓にある。
「最近は魚の脂がきつく感じてな」
唯一昔と違うのは鯖などの焼き魚が並んでいないところだと夏生が思っていると、その心を読んだかのように父が漏らす。そんな歳なのかと、改めて夏生も父の老いを感じた。
「いただきます」
「いただきます」
ふたり揃って手を合わせ、父が用意してくれた朝食を味わった。箸も茶碗も以前夏生が使っていたもので、父がそれを処分していなかったことが嬉しい。
「あ、やっぱり懐かしい味だ」
料亭で使う味噌を家でも使っているので、味噌汁は普通にスーパーで買う味噌で作るものよりも風味がより深かった。母が亡くなってからは夏生が朝食を作っていたが、父の作る味噌汁はやはりどこか違い、それでも夏生にとっては懐かしい味だった。
思わず顔を綻ばせた夏生を見て、父は目を細める。父のこんなに柔らかい表情は、本当に久しぶりだった。
「味噌が違うからな。これだけは変えたくない」
「わかるよ、スーパーで売ってる味噌じゃ再現できなかったからね」
「少し持って行くか?」
「いいの? じゃあ欲しいな」
母が健在だった頃のように、父と普通の会話を交わせることがどこか不思議だった。けれど、その一方で自分たちに必要なのはこういった会話なのだとも思う。
「栗を入れたお味噌汁を会社で作ったら、珍しいって言われてさ」
「だろうな。あれは母さんが思いつきで作ったんだ。夏生に野菜を摂らせるために、味噌汁には必ず3種類以上の具を入れるようにしていただろう。ありものの組み合わせでたまたま前日に貰った栗を入れたら、思ったよりも美味しくてな」
「栗とカボチャは合うよね」
「それに味噌汁に甘みのある野菜は合う。でも何故か俺は栗を入れるというような発想が持てなかった」
父の言葉は少し悔しそうだ。そこに夏生は驚く。
「お父さんが料理のことで誰かを羨ましいと思うなんて、考えても見なかったよ」
「そんなことはない、俺は人を羨んでばかりだった。母さんのことも、お前のことも」
「えっ、僕のことを?」
父が自分の何を羨んだか、全く思い当たるような節はなかった。納豆を混ぜている手を止めて夏生が驚いて尋ねると、父はあっさりと頷く。
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