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夏生1・得がたい友人
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夏生が実家へ戻るのは、実に4年ぶりのことだった。
22歳の冬に大学の卒業を目前にして、父から勘当を言い渡されたのだ。
「この家を継がないなら出て行け。出来損ないの跡継ぎが」
あの時の父の冷たい表情と固い声は、忘れることができない。その記憶と共にある感情は憎しみではなく悲しみだった。
この時代に勘当とか、と反論も口を突いて出かけたが、幼い頃から夏生が料理を仕込まれたのは「うめ咲」を継がせるためだったのだから当然ともいえる。
結局、夏生は父の期待に添うことではなく、自分の道を行くことを選んだ。一時は叔父の家に身を寄せ、大学を卒業するのと同時に既に内定の出ていた会社に就職をした。
叔父もうめ咲で働く料理人ではあるが、幸いなことに跡継ぎではなかったためか父のようには頑固な性格ではなく、夏生の「家庭料理を作りたい」という希望に理解を示してくれたし、父との間を取り持とうと骨を折ってくれた。
それは実を結ばなかったが、すぐにでも部屋を借りてひとり暮らしを始めようとした夏生を家に留め置き、「就職して収入が安定するまでは」と面倒を見てくれたことについてはいくら感謝してもし足りない。
ひとつ歳の違う従弟の亮介は製菓の専門学校を卒業し、ラ・フーヴェという数店舗を展開する有名洋菓子店でパティシエとして既に働いていた。
「365日、誰かの誕生日じゃない日はない」というコンセプトのもと、ラ・フーヴェには休店日がない。亮介は元旦も当たり前のように出勤していたが、彼はいつでも楽しそうだった。
当然ながら元旦が誕生日の人もいるし、クリスマスが誕生日の人もいる。「あけましておめでとう」「メリークリスマス」だけではなく、「誕生日おめでとう」とケーキを差し出される人の幸せを考えると、自分も嬉しくなると彼は話している。
「いいなあ」
自分の求めた道を、誰に反対されることもなく歩める亮介が羨ましかった。
企業理念からしても、ラ・フーヴェは「人の幸せ」を第一に考えていて、「幸せなお菓子は幸せな職場から」と、職場の雰囲気も良く福利厚生も充実しているそうだ。
将来的には料理研究家として独り立ちしたいという希望はあるが、まずは栄養にも配慮したレシピ開発で経験を積みたい。そう考えた夏生の就職先はフィットネスクラブだった。
栄養士の資格は大学で取ることができたので、トレーナーと一緒に顧客の栄養管理をし、適切なメニューを提案するのが仕事だ。
提案するのは一般家庭で作ることが難しい料理ではいけない。家庭料理を第一とする夏生にとっては腕の揮いどころだった。
元々運動が好きで体を鍛えるのが趣味だったので、社員割りで設備を使えるのも良かったし、顧客の体が変わっていくのを見ることができるのはやりがいに繋がる。
夢とは少し違うなと思いながらも、微かな諦めを含んで現状に落ち着いていたとき、大学時代に知己を得た桑鶴からの誘いがあった。
「ようやく君のための舞台を整えられるぞ!」
久々に会った歳上で変わり者の友人は、再会した夏生に「さあ飛び込んでこい」と言わんばかりに両手を広げる。
安定した今の仕事を辞め、桑鶴が立ち上げる会社に飛び込むのは勇気の要ることだ。なにせ、あの桑鶴なのだ。何をしでかすかわからない。
それに、立ち上げ直後のベンチャー企業は非常に不安定だ。5年後には廃業率が50%にもなり、10年続く会社は全体の4分の1ほどだという。
不安要素が9割。残る1割は希望的観測。
けれど、夏生は転職を決めた。クレインマジックでも会社員であり料理研究家として独立するわけではないが、桑鶴は出会ったときにもんじゃを撮影したことと、夏生が家庭料理を研究し広める道を進みたいという夢を知っていたことで、起業の準備をしたのだから。
資金を集めるのも容易ではなかったろうし、誰よりも桑鶴自身が1番大きな賭に出ている。それに乗らないというのはあまりに不義理だし、自分のために整えられた舞台なら上がる以外の道はない。
料理ができない人のための、「楽しく作り、美味しく食べる。自然と料理がうまくなる」アプリ。
美味しく食べるのは当然としても、キャッチコピーの「楽しく作り」という部分に心が躍った。自分がやりたいことはまさにそれだったから。桑鶴は以前語った夏生の夢をしっかりと心に留めていて、多くの人に向けてアピールできるものへと昇華させていた。
日々作る料理が苦痛では、人は忌避感を感じてしまう。
食卓を彩る料理を作り上げる母は、いつも楽しそうだった。時折しか家のキッチンに立たない父も、仕事ではない事からか楽しそうにフライパンを振るっていた。
そしてふたりとも、夏生が美味しいと言って料理を食べると嬉しそうな顔をしていた。
夏生は両親から、「食べる人が喜んでくれると、作った側も嬉しい」という気持ちを学んだのだ。
新しい職場で働き始めてから2ヶ月が経った頃、夏生は同僚の理彩の従弟だという青年に出会った。
驚くほど料理の手際が悪く、玉子焼きすらまともに作れない、少し目つきの悪い青年――悠は、クレインマジックに欠けていた部分にぴったりとはまることができる人間だった。理彩が「もう、悠のことにしか思えない」と断言しただけある。
プログラミングに耐性があり、料理が全くできなくて。
そして――。
「……うまい」
夏生の作った玉子焼きを、彼はこぼれ落ちそうな程に目を見開いて感動しながら食べてくれた。
卵を3個使った玉子焼きを一皿ぺろりと平らげ、溜息をつきながらも箸を持ったまま両手を合わせて「ごちそうさま」と言ってくれた。少々行儀は悪いが、丁寧で心のこもった感謝の言葉であったことは間違いない。
その後は眉を寄せて寂しそうに「もっと食べたかった」とまで呟いてくれた。
――ああ、僕は、こうして料理を食べて貰いたかった。
桑鶴ですら、夏生のその気持ちに気づけなかった。それは仕方がないだろう。
悠に出会って、夏生は自分がその欲求を抱えていたことに気づいたのだから。
22歳の冬に大学の卒業を目前にして、父から勘当を言い渡されたのだ。
「この家を継がないなら出て行け。出来損ないの跡継ぎが」
あの時の父の冷たい表情と固い声は、忘れることができない。その記憶と共にある感情は憎しみではなく悲しみだった。
この時代に勘当とか、と反論も口を突いて出かけたが、幼い頃から夏生が料理を仕込まれたのは「うめ咲」を継がせるためだったのだから当然ともいえる。
結局、夏生は父の期待に添うことではなく、自分の道を行くことを選んだ。一時は叔父の家に身を寄せ、大学を卒業するのと同時に既に内定の出ていた会社に就職をした。
叔父もうめ咲で働く料理人ではあるが、幸いなことに跡継ぎではなかったためか父のようには頑固な性格ではなく、夏生の「家庭料理を作りたい」という希望に理解を示してくれたし、父との間を取り持とうと骨を折ってくれた。
それは実を結ばなかったが、すぐにでも部屋を借りてひとり暮らしを始めようとした夏生を家に留め置き、「就職して収入が安定するまでは」と面倒を見てくれたことについてはいくら感謝してもし足りない。
ひとつ歳の違う従弟の亮介は製菓の専門学校を卒業し、ラ・フーヴェという数店舗を展開する有名洋菓子店でパティシエとして既に働いていた。
「365日、誰かの誕生日じゃない日はない」というコンセプトのもと、ラ・フーヴェには休店日がない。亮介は元旦も当たり前のように出勤していたが、彼はいつでも楽しそうだった。
当然ながら元旦が誕生日の人もいるし、クリスマスが誕生日の人もいる。「あけましておめでとう」「メリークリスマス」だけではなく、「誕生日おめでとう」とケーキを差し出される人の幸せを考えると、自分も嬉しくなると彼は話している。
「いいなあ」
自分の求めた道を、誰に反対されることもなく歩める亮介が羨ましかった。
企業理念からしても、ラ・フーヴェは「人の幸せ」を第一に考えていて、「幸せなお菓子は幸せな職場から」と、職場の雰囲気も良く福利厚生も充実しているそうだ。
将来的には料理研究家として独り立ちしたいという希望はあるが、まずは栄養にも配慮したレシピ開発で経験を積みたい。そう考えた夏生の就職先はフィットネスクラブだった。
栄養士の資格は大学で取ることができたので、トレーナーと一緒に顧客の栄養管理をし、適切なメニューを提案するのが仕事だ。
提案するのは一般家庭で作ることが難しい料理ではいけない。家庭料理を第一とする夏生にとっては腕の揮いどころだった。
元々運動が好きで体を鍛えるのが趣味だったので、社員割りで設備を使えるのも良かったし、顧客の体が変わっていくのを見ることができるのはやりがいに繋がる。
夢とは少し違うなと思いながらも、微かな諦めを含んで現状に落ち着いていたとき、大学時代に知己を得た桑鶴からの誘いがあった。
「ようやく君のための舞台を整えられるぞ!」
久々に会った歳上で変わり者の友人は、再会した夏生に「さあ飛び込んでこい」と言わんばかりに両手を広げる。
安定した今の仕事を辞め、桑鶴が立ち上げる会社に飛び込むのは勇気の要ることだ。なにせ、あの桑鶴なのだ。何をしでかすかわからない。
それに、立ち上げ直後のベンチャー企業は非常に不安定だ。5年後には廃業率が50%にもなり、10年続く会社は全体の4分の1ほどだという。
不安要素が9割。残る1割は希望的観測。
けれど、夏生は転職を決めた。クレインマジックでも会社員であり料理研究家として独立するわけではないが、桑鶴は出会ったときにもんじゃを撮影したことと、夏生が家庭料理を研究し広める道を進みたいという夢を知っていたことで、起業の準備をしたのだから。
資金を集めるのも容易ではなかったろうし、誰よりも桑鶴自身が1番大きな賭に出ている。それに乗らないというのはあまりに不義理だし、自分のために整えられた舞台なら上がる以外の道はない。
料理ができない人のための、「楽しく作り、美味しく食べる。自然と料理がうまくなる」アプリ。
美味しく食べるのは当然としても、キャッチコピーの「楽しく作り」という部分に心が躍った。自分がやりたいことはまさにそれだったから。桑鶴は以前語った夏生の夢をしっかりと心に留めていて、多くの人に向けてアピールできるものへと昇華させていた。
日々作る料理が苦痛では、人は忌避感を感じてしまう。
食卓を彩る料理を作り上げる母は、いつも楽しそうだった。時折しか家のキッチンに立たない父も、仕事ではない事からか楽しそうにフライパンを振るっていた。
そしてふたりとも、夏生が美味しいと言って料理を食べると嬉しそうな顔をしていた。
夏生は両親から、「食べる人が喜んでくれると、作った側も嬉しい」という気持ちを学んだのだ。
新しい職場で働き始めてから2ヶ月が経った頃、夏生は同僚の理彩の従弟だという青年に出会った。
驚くほど料理の手際が悪く、玉子焼きすらまともに作れない、少し目つきの悪い青年――悠は、クレインマジックに欠けていた部分にぴったりとはまることができる人間だった。理彩が「もう、悠のことにしか思えない」と断言しただけある。
プログラミングに耐性があり、料理が全くできなくて。
そして――。
「……うまい」
夏生の作った玉子焼きを、彼はこぼれ落ちそうな程に目を見開いて感動しながら食べてくれた。
卵を3個使った玉子焼きを一皿ぺろりと平らげ、溜息をつきながらも箸を持ったまま両手を合わせて「ごちそうさま」と言ってくれた。少々行儀は悪いが、丁寧で心のこもった感謝の言葉であったことは間違いない。
その後は眉を寄せて寂しそうに「もっと食べたかった」とまで呟いてくれた。
――ああ、僕は、こうして料理を食べて貰いたかった。
桑鶴ですら、夏生のその気持ちに気づけなかった。それは仕方がないだろう。
悠に出会って、夏生は自分がその欲求を抱えていたことに気づいたのだから。
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