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ホットケーキミックスとビスケット
しおりを挟む悠の前にあるボウルに、夏生が横から牛乳を注ぐ。それを悠が捏ねている間に、夏生がしみじみと呟いた。
「ホットケーキミックス、本当に便利だよね。ベーキングパウダーも砂糖も全部入ってるし。あとは水分足すだけっていうのが楽。はい、纏まったら台の上に生地を置いて」
再び夏生と悠が場所を入れ替わった。夏生が大きな手でぎゅっと生地を押す。
「この生地に小麦粉を振りかけて、麺棒で伸ばします。なかったら、手のひらで押してもいいよ。大体2センチくらいの厚みになったら、包丁で適当に切り分けよう。スコーン用の抜き型があれば一番見栄えがいいけど、まず普通の家にあれはないだろうしね」
夏生は手のひらで押して適度な厚みにした生地を包丁で三角形に切り分けていく。ここで真四角じゃなくて三角というところが夏生らしいなと横で悠は思っていた。
きっと理彩にやらせると、妙に大きめの四角に切ったりするだろう。従姉は食に関していささか雑だ。
「オーブンは200度で15分くらい。生地を作り始めてからそれほど時間が掛からないから、余熱を先にし始めていてもいいよ。
オーブンも頃合いだから、切り分けた生地を並べよう。生地同士を近くに置きすぎると、膨らんでくっつくから気をつけて」
天板の上にクッキングシートを敷いて、夏生が生地を並べる。悠はその間夏生の手元をじーっと見ていた。クッキングシート一枚を切り取るのでもきっちり正確で、思わず見入ってしまうのだ。
「これで、後は焼き上がりを待つだけ。それじゃ、少し待ってね」
夏生の言葉でカメラが一旦止まる。
公開される動画ではここで画面が暗転して、15分後というテロップが流れるはずだ。
そして撮影が再開した15分後にはピーピーというオーブンの終了音がして、ミトンをはめた夏生が天板を取り出した。そこには、綺麗なきつね色に焼き上がってふっくらと膨らんだビスケットが並んでいる。
「はい、お待ちかねの試食タイム……と言いたいところだけど、まだ熱くて食べられないし、実は昨日作っておいたものがあるから、ハルくんにはそれを食べてもらおうか」
「……今の、焼いてる時間は無駄じゃなかったのか?」
「一応ちゃんと作らないと。焼き時間の確認もあるしね」
夏生が皿に並べた「昨日作っておいた」ビスケットは、今焼き上がったものと全然違いが見当たらない。レシピをきちんと再現すると同じものが出来るという証明のように悠には見えた。
悠は皿の上の三角のビスケットを取り上げて、じっと見つめた後で「いただきます」と呟いて口に入れた。さくりという歯応えの後に、内側が少ししっとりしているのがわかる。
しかし、いつものような笑顔は出せない。微妙に戸惑った顔をして、悠はビスケットを食べ続けながら夏生を見上げた。
「……ホットケーキの味だな」
「そりゃあ、味の部分は何も弄ってないからね……」
「いつもあんたが作るクッキーの方がうまい」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今日はそういう企画じゃないからね。ホットケーキミックスで手軽に作るビスケット、ってコンセプトだから」
「そうか」
パクパクと食べながらも、悠の眉が微妙に下がった。
これは、いつも夏生が作る料理に比べるとあまりに既製品の味だった。別に悪い事ではないのだが、意外感がない。どうやら自分はいつの間にか口が肥えてしまったらしい。
手に持ったビスケットを食べ終わると、悠はカメラの方に向き直って、真顔で言った。
「普通にホットケーキの味だ。悪くない」
「悪くないってそんな……高見沢さんじゃないんだから」
夏生が苦笑している。きっとここは視聴者も苦笑するところだろう。ある意味強烈な高見沢の個性は、ヘビーユーザーには理解されている。
「……という訳で、ハルくんの感想はごく当たり前のものかもね。でも手軽に作れて、保存が利くから重宝するよ。
そして、これが作れるようになると、粉から計量して作る本格的なビスケットも簡単に作れるようになるんだ。そっちのレシピはもう少ししたら公開予定だよ。お茶のお供にぴったりだから、是非作って試して欲しいな。バターを使うときはフードプロセッサーがあると凄く簡単に作れるようになるしね」
夏生がまとめに入る。彼の言葉とこの笑顔で、一体何人の人間がホットケーキミックスを捏ね始めるのだろうと悠は思わず考える。
「それじゃ、今日もクレインマジック公式チャンネルを見てくれてありがとう! See you!」
「またな」
手を振る夏生と、棒立ちの悠が対照的だ。動画ではここでふたりの姿がフェードアウトしていく予定になっている。それはオリジナルレシピ動画のテンプレートだ。
近所のスーパーでは、クレインマジックの動画を必ずチェックして使われた食材などを「ピックアップ!」というポップを付けて売り出しているらしい。クレインマジックの近所ならではの売り出し方だ。
この辺りでは商店街もスーパーも、クレインマジックの面々にとても好意的なのだ。
新しい試みと既存の業務とで忙しい日々を送る中、一通のメールがクレインマジックを揺るがした。
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