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怪しげなアルバイト
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皿の上に乗ったカレー風味のチキンソテーを青年はじっと見つめて、箸でゆっくりと持ち上げた。
皮の部分が見るからにパリッとしていて、湯気と共に香ばしい焼いた肉の香りとカレーのスパイシーな香りが漂ってくる。それだけでじゅわりと口の中に唾液が湧いてきた。
口に入れて噛みしめると、程良い焼き加減の鶏肉からはうま味を閉じ込めたような肉汁が流れだし、癖のない肉にカレー粉のアクセントが効いている。薄すぎもせず、濃すぎもせず、ちょっとご飯が欲しくなる程度の味の濃さは絶妙だ。
思わず頬が緩んでしまうのは当然だろう。一切れ、二切れ、食べ進む度にはっきりと笑顔になっていく。
「うまい」
言える言葉はそれだけだった。その言葉を聞き、青年の表情を見た人間なら誰でも、彼が食べた一皿の美味を想像できる。
画面の中ではその青年の顔の下に、「Crane Magic」というロゴと「初心者向け レシピアプリ」という検索ワードが並んだ。
レシピアプリ・クレインマジック。新リリースの初心者向けアプリ。
楽しく作り、美味しく食べる。自然と料理がうまくなる。
そんな謳い文句でクレインマジックは人々に魔法を掛け、小さな奇跡を起こすことになる。
これは、時給につられてアプリ開発会社でアルバイトをすることになった青年が、「美味しい魔法」と出会って自らも小さな奇跡を起こした物語である。
アルバイトをする気はないか、と悠のもとに従姉から連絡が来たのは、大学進学のために上京してから一週間もしない頃だった。
「いずれするつもりはあった。だが、授業のハード具合とかを確かめた後じゃないと決められない」
「確かにそうよね。うちは時間に融通の利く職場だから、普通のアルバイトよりはやりやすいと思うわよ」
うち、という理彩の言葉に悠は首を傾げた。
父方の従姉である速水理彩は社会人5年目だが、以前会ったときには社畜オーラ全開で、目の下に隈を作ったままうつろな目で翼を授けるドリンクを飲んでいた。普段は目鼻立ちがはっきりとしたそこそこの美人だが、目は半眼だったし、やつれようは化粧で隠しきれる範囲を超えていた。
しかも今年の元旦にそんな状態だったのだ。「新年の挨拶だけは顔を出さないと親戚に殺されると言って抜けてきた……」と言い訳のように呟いて、そのまま彼女は座布団を枕に広間の隅で寝入ってしまった。
親戚連中がどれだけ酒盛りで騒ごうが全く起きる気配がなかったので、悠はその時にこいつのようにだけはなるまい、と心に決めたのだった。
その理彩が、時間に融通の利く職場に勤めているとは思えない。
「断る」
きっぱりと告げると、電話越しに理彩の動揺が伝わってきた。
「少しは話を聞こうという気はないの!? 仕事内容も時給も何も話してないじゃない!」
「年末13連勤の後に、元旦だけ実家で潰れてたような奴の職場で働く気はない」
「ああ、そっか。まだ言ってなかったもんね。あの後転職したの。立ち上げたばかりのベンチャー企業からオファーが来て、さっさとそっちに移ったって訳」
「……立ち上げたばかりのベンチャー企業なんて、いつ潰れるかわからない会社で働きたくない」
「ちょっとあんた、私への信頼の無さは何なの!? 私がそんな先行き怪しいところで働く訳がないでしょう。あんたにとっては、高時給で時間の融通が利く、割のいいバイトよ? しかも、バイトのうちなら万が一会社が潰れてもそんなに痛手はないし」
バイトの内なら万が一会社が潰れても。
理彩の言葉は不吉だったが、それは確かにそうだろう。悠にとってはバイト代さえきちんと入ってくればいいのだ。
「それもそうだな」
「仕事内容は制作アシスタント……と言う名目の雑務ね。私の手伝いもしてもらうことになる」
「理彩の、手伝い?」
またもや悠は首を傾げた。理彩はプログラマーだったはずだ。自分は確かに情報工学科の学生ではあるけども、まだスキルはゼロに等しい。そんな自分でアシスタントが務まるのだろうか、いや、そもそもそこは何をしている会社なのか。
「アプリ開発と運営をしている会社よ。まあ、まだリリースしていないんだけどね。開発言語も学べるし、悪い条件じゃないわよ。それに、一部特殊な特徴がある人員を探しててね」
悠の疑問を見透かしたように理彩が説明をする。しかし最後の言葉が不穏だ。自分に特殊な特徴などないはずだと身構えながらも、悠は理彩の言葉を待った。
「料理が、できない人を探してるの」
「は?」
「目玉焼きもまともに焼けないような、料理経験ゼロの人間が必要なの。それでいて、その他のことはある程度こなせることが望ましい。プログラムも弄ってもらうから、そういうものに耐性があると尚良い。――もう私は、悠のことにしか思えなくて。心当たりがあると社長に伝えてあるし、一度見学に来ない?」
「おい、まだ俺が了承してないのに、既に社長に話が行ってるのか?」
「社長があんたの話を聞いて喜んでね、時給は1800円出すそうよ。破格よ、破格。この内容なら本当に破格!」
「わかった。とりあえず一度見学に行く」
時給につられて手のひらを返した悠は、即座に理彩にそう答えていた。
皮の部分が見るからにパリッとしていて、湯気と共に香ばしい焼いた肉の香りとカレーのスパイシーな香りが漂ってくる。それだけでじゅわりと口の中に唾液が湧いてきた。
口に入れて噛みしめると、程良い焼き加減の鶏肉からはうま味を閉じ込めたような肉汁が流れだし、癖のない肉にカレー粉のアクセントが効いている。薄すぎもせず、濃すぎもせず、ちょっとご飯が欲しくなる程度の味の濃さは絶妙だ。
思わず頬が緩んでしまうのは当然だろう。一切れ、二切れ、食べ進む度にはっきりと笑顔になっていく。
「うまい」
言える言葉はそれだけだった。その言葉を聞き、青年の表情を見た人間なら誰でも、彼が食べた一皿の美味を想像できる。
画面の中ではその青年の顔の下に、「Crane Magic」というロゴと「初心者向け レシピアプリ」という検索ワードが並んだ。
レシピアプリ・クレインマジック。新リリースの初心者向けアプリ。
楽しく作り、美味しく食べる。自然と料理がうまくなる。
そんな謳い文句でクレインマジックは人々に魔法を掛け、小さな奇跡を起こすことになる。
これは、時給につられてアプリ開発会社でアルバイトをすることになった青年が、「美味しい魔法」と出会って自らも小さな奇跡を起こした物語である。
アルバイトをする気はないか、と悠のもとに従姉から連絡が来たのは、大学進学のために上京してから一週間もしない頃だった。
「いずれするつもりはあった。だが、授業のハード具合とかを確かめた後じゃないと決められない」
「確かにそうよね。うちは時間に融通の利く職場だから、普通のアルバイトよりはやりやすいと思うわよ」
うち、という理彩の言葉に悠は首を傾げた。
父方の従姉である速水理彩は社会人5年目だが、以前会ったときには社畜オーラ全開で、目の下に隈を作ったままうつろな目で翼を授けるドリンクを飲んでいた。普段は目鼻立ちがはっきりとしたそこそこの美人だが、目は半眼だったし、やつれようは化粧で隠しきれる範囲を超えていた。
しかも今年の元旦にそんな状態だったのだ。「新年の挨拶だけは顔を出さないと親戚に殺されると言って抜けてきた……」と言い訳のように呟いて、そのまま彼女は座布団を枕に広間の隅で寝入ってしまった。
親戚連中がどれだけ酒盛りで騒ごうが全く起きる気配がなかったので、悠はその時にこいつのようにだけはなるまい、と心に決めたのだった。
その理彩が、時間に融通の利く職場に勤めているとは思えない。
「断る」
きっぱりと告げると、電話越しに理彩の動揺が伝わってきた。
「少しは話を聞こうという気はないの!? 仕事内容も時給も何も話してないじゃない!」
「年末13連勤の後に、元旦だけ実家で潰れてたような奴の職場で働く気はない」
「ああ、そっか。まだ言ってなかったもんね。あの後転職したの。立ち上げたばかりのベンチャー企業からオファーが来て、さっさとそっちに移ったって訳」
「……立ち上げたばかりのベンチャー企業なんて、いつ潰れるかわからない会社で働きたくない」
「ちょっとあんた、私への信頼の無さは何なの!? 私がそんな先行き怪しいところで働く訳がないでしょう。あんたにとっては、高時給で時間の融通が利く、割のいいバイトよ? しかも、バイトのうちなら万が一会社が潰れてもそんなに痛手はないし」
バイトの内なら万が一会社が潰れても。
理彩の言葉は不吉だったが、それは確かにそうだろう。悠にとってはバイト代さえきちんと入ってくればいいのだ。
「それもそうだな」
「仕事内容は制作アシスタント……と言う名目の雑務ね。私の手伝いもしてもらうことになる」
「理彩の、手伝い?」
またもや悠は首を傾げた。理彩はプログラマーだったはずだ。自分は確かに情報工学科の学生ではあるけども、まだスキルはゼロに等しい。そんな自分でアシスタントが務まるのだろうか、いや、そもそもそこは何をしている会社なのか。
「アプリ開発と運営をしている会社よ。まあ、まだリリースしていないんだけどね。開発言語も学べるし、悪い条件じゃないわよ。それに、一部特殊な特徴がある人員を探しててね」
悠の疑問を見透かしたように理彩が説明をする。しかし最後の言葉が不穏だ。自分に特殊な特徴などないはずだと身構えながらも、悠は理彩の言葉を待った。
「料理が、できない人を探してるの」
「は?」
「目玉焼きもまともに焼けないような、料理経験ゼロの人間が必要なの。それでいて、その他のことはある程度こなせることが望ましい。プログラムも弄ってもらうから、そういうものに耐性があると尚良い。――もう私は、悠のことにしか思えなくて。心当たりがあると社長に伝えてあるし、一度見学に来ない?」
「おい、まだ俺が了承してないのに、既に社長に話が行ってるのか?」
「社長があんたの話を聞いて喜んでね、時給は1800円出すそうよ。破格よ、破格。この内容なら本当に破格!」
「わかった。とりあえず一度見学に行く」
時給につられて手のひらを返した悠は、即座に理彩にそう答えていた。
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