殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺

加藤伊織

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ハロンズ編

85 かきくけこ!

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「サーシャー! おけえり! まめであったしかー! そっひどがジョーさけ! サーシャのおどだ、よろしぐなあ!」

 やたらフレンドリーなイケオジに抱きつかれた。
 サーシャのお父さんらしい。
 もう思考が回りきらない。
 呆然としていたら、サーシャが「上の3人の姉も結婚してますし、慣れてるんですよ」と耳打ちしてくれた。
 そうか、それはちょっとありがたい。恐怖の面談にならなくてよかった。

「牡蠣のっちり取ってぎだ。んめえぞ! ばんげさこ! サーシャ、でみんなこっちさ来るからよろしくなあ」
「わがっだ」

 サーシャのお父さんが帰ってきてから磯の匂いが強くなったなと思ったら、網の中にでっかい牡蠣をたくさん持ってきてくれていた!
 牡蠣って単語はなんか聞き取った気がしたんだけど、そこは当たってたのか。 

「デウス・トゥレ・マルーム・エトゥ・ベネニューム・ロン・ネリ・テットゥーコ!」

 シンクの中に置かれた牡蠣にサーシャが聖魔法を掛ける。

「牡蠣に聖魔法?」
「はい、浄化の魔法です。下位聖魔法に入るんですが、結構使う機会が多いんですよ。あ、ほら! レベッカさんとか、市場から買ってきた食材にも調理前に掛けてます」
「……もしかして、浄化を掛けた牡蠣なら、食べてもあたらない、とか?」
「そうですよ。牡蠣みたいに運が悪いとあたる食べ物も、浄化を掛けておけば大丈夫です。当たってしまった場合も同じ魔法で治癒します」

 マジか。牡蠣の食中毒といえばノロウイルスが有名だけど、浄化の魔法で取り除けてしまうんだ……。
 なんて便利な!
 そういえば、こっちの世界で何かを食べて腹を壊したことがない!

「もしかして、茸とかも?」
「はい、毒のある茸もこれで食べられますよ。それ以前に、美味しくないものは毒がなくなっても余程のことがないと食べませんが。どこの村にもひとりは下位聖魔法が使えるプリーストがいるくらいです。いないと生死に関わりますからね」

 なるほどなあ……。
 こっちの世界に来て、文明レベルより豊かだなあと思ってたんだけど、食べ物に関する問題が地球で「中世」と言われる時期よりも解決策が豊富だからなのか。
 江戸時代なんか飢饉が起きたら凄かったらしいし、中世ヨーロッパも飢饉は多かったらしい。それに比べて「有毒の物でも食べる方法がある」というのは凄く強みなんだろう。

「サーシャー! これも!」
「おお、サーシャだべ! 久ずぶりだなあ!」

 ……ということはこの村にも下位聖魔法が使えるプリーストがいるはずなんだけど、妙にみんなサーシャのところに持ってくるんだよなあ。
 そして、サーシャが牡蠣の浄化をする度に、何かしら置いていく。
 まんずまんず、とかへば、とか、わかるようでわからない言葉が飛び交い――気付いたら俺はサーシャのお父さんと並んで、手土産のクッキーを摘まんでいた。

「おおっ! んめーなぁ! こったらんめえ菓子は初めでだ」
「そうですか、よかったです。たくさん作ってきたので、よかったらご近所の方にも」

 早口だけど、なんとなくフィーリングで言っていることを感じ取って返事をする。
 俺は別にコミュ障じゃないけども、ヒアリング&理解に集中しすぎて背中を流れる汗が止まらない。
 
「ばんげはサーシャのはばきぬぎでねのさ。牡蠣!」
「く!」
「こ!」

 ……何故かきくけこで会話が成立してるんだろうか。
 サーシャが嬉しそうに「く!」と言い、周りのお姉さんが「こ!」と言っていた。
 ……うん。わからない。でもサーシャの表情を見るに嬉しそうだから、これは「食べますー」といつも言っている時の顔。つまり、「く」は「食べる」、つまり「食う」かな。
 ああ、言語学者みたいな人ってこういう推察から広げていくんだよな。
 俺にはとても無理だわ。
 

 …………なんて思っていた時期が俺にもありました。

「んめえなあ!」
「け!」
「く! まんずすまねす!」

 俺は満面の笑み(当社比)でお替わりの牡蠣を受け取った。
 サーシャが途中の街でレモンを買い込んでいた理由がわかった。
 生牡蠣は大粒で、とれたてだから臭みとかも全くなくて、レモンとほんの少しの塩だけ掛けて口にちゅるんと入れるとそのまま飲み込んでしまいそうになる。
 がぶりと噛むと、潮の香りとレモンの爽やかさと牡蠣の濃厚な風味が口の中で混ざり合って、「んめえ~!」しか言えなくなった。

 今日はサーシャが帰ってきたから夕飯は御馳走だよ(意訳)というようなことをサーシャのお母さんが言っていたけども、もらいものも多くて牡蠣祭りになった。俺的には物凄い贅沢!
 そして気がついたら近所の人たちも牡蠣やお酒を持って来ていて、宴会になっていたのだ。
 飛び交うケルボ弁。最初は何を言ってるのかちんぷんかんぷんだったけど、食事の場になってくると言葉が限られてくる。そして俺は部分的にケルボ弁を喋れるようになった。
 日本にいた時の英語教材で「最初はリスニングできなくてもいい! ネイティブの喋る英語を浴び続けろ!」ってのがあったけど、まさにそれ。
 
 お酒も勧められたけど一応断って、サーシャの家の犬の「ブチ」とクロに焼いた肉を上げ、テンテンには果物をもらって食べさせている。
 テンテンはめんこいめんこいと大好評だ。うん、めんこいは可愛いって意味だな。これは俺でも聞いたことがある。
 
「サーシャぁめんこいべ?」

 酒で赤くなったサーシャのお父さんに肩を組まれる。俺は口の中の牡蠣を飲み込みながら「んだ」と答えた。

「めんこいだけでね。優しい! んだから聖女になったんだべ」
「聖女!?」
「あ、おれテトゥーコ様の聖女さなっだ」
「おおー!」
「まんず、すげなぁ!」

 俺のちょっと怪しいケルボ弁でも通じるらしい。そしてぽろっとこぼしてしまった「聖女」に関しては物凄く軽く扱われ、拍手が沸き起こった後で元の話題に戻っていく。
 いいなあ……こだわりの薄い漁村。

「サーシャ、この牡蠣、買えるなら買ってお土産にしたいんだけど」
「いいですね! 氷漬けで運んだりしますけどやっぱり鮮度が落ちるので、ネージュで食べた牡蠣はこんなに美味しくなかったです。どっちかというとネージュだと冬の真牡蠣の方が入ってきやすいので、今の時期の牡蠣は贅沢でしたね。ジョーさんの空間魔法だったら時間が止まるので鮮度も落ちないし最高ですよ」
「あ、これ、もしかして商売になるかも!? ほら、サイモンさんのところの」
「そうですね! 多少高値でもいいと思いますし! うちの村は養殖もしてますから、もっと増やしてもらえば結構いい商売になると思います! おど! 牡蠣買いでえんだけども」

 ちょっと興奮気味のサーシャが早口になって、そこから先はヒアリングできなかった。
 けど、お父さんが乗り気だし、よそのおじさんたちも話に入ってきたりしてたから、悪い話ではないみたいだ。

「牡蠣は売れる先が限られてたので今までは大規模な養殖はしてなかったんですが、規模を広げることは十分可能だそうです」
「サイモンさんのところじゃなくてもレベッカさんのところでも喜ぶと思うよ。それに俺の魔法収納空間の中なら季節関係なく提供できるし」
「今年の牡蠣は限られてるので、あまり大量に買い占めることはできませんね。買えるだけ買いますが」

 だよなあ。今年の牡蠣は限られてる。
 牡蠣食べ放題なんてやったら大ウケするんじゃないかと思ったけど、ちょっと商売にするには心許ないな。
 でも食べ放題を俺は諦めてない! 帰ったらサイモンさんに相談だ!

 それにしても、牡蠣だけで満腹だなんて凄い経験だ。
 食後に俺は片付けを手伝おうとしてお姉さんたちに止められ、なんとなく居心地悪くお父さんたちの側で話を聞いていた。
 居心地悪いというのは言葉がはっきりわからないせいで、ここの人たちは明るくておおらかでいいと思う。
 だからこそ普通にお喋りをしたいんだけどな。


 翌日からは村長のところに挨拶に行ってサーシャが聖女になったことを報告したり、フォーレの教会を訪れてサーシャの師である司祭様に挨拶して聖女のことを報告したり、いろんなものを買い込んだりとバタバタとした日々を過ごした。
 一度だけオープン直後の蜜蜂亭ハロンズ店に移動してレベッカさんたちに生牡蠣を食べてもらったら、真顔で肩を掴まれて「押さえられるだけ押さえておいて」と言われたので、ケルボだけでなく近隣の漁村でも牡蠣を買い込んで、養殖の増産をお願いしておいた。そのために設備投資費として前金も置いていく。
 こっちの岩牡蠣は美味しいけども、鮮度がやっぱり重要なので今まではあまりいい商売にはなってなかったらしい。

 この地域で牡蠣の養殖の規模を大きくすることについて、「俺が死んだ後は」とちょっと考えた。
 俺は移動魔法があるからフットワーク軽くあちこちに行ったり、気軽にものを大量に買い付けしたりできるけども、俺の次の世代の空間魔法使いが同じことをできるわけじゃない。
 だから、俺が運べない牡蠣が大量に出てしまうことになると、この地域の人にとってはよくない。
 ……ということを牡蠣の養殖を増やして欲しいというレベッカさんに詰まりながら説明したら、けろりとした顔で「大丈夫よ」と言われた。
 
 まず、牡蠣の美味しさをハロンズやネージュで広める。それが浸透すれば、空間魔法使いが討伐の荷物持ち以外にも流通分野に積極的に介入してきて、往復の日数は掛かっても新鮮な牡蠣を流通させることが可能になる。
 これは牡蠣に限ったことではなくて、今は「冒険者」という面が強い空間魔法使いが、流通の主軸になってくるとレベッカさんは言うのだ。
 そっちの方が安定してお金が稼げるし、安全だから。その分野に踏み込まなかった理由は、ヘイズさんのように「希少な空間魔法使いがそんな誰でもできる仕事を」というプライドがあるから。
 そこを俺が今ぶち壊している。空間魔法は運んだ物の質と距離が問題になるから、とにかく運びまくるのが移動魔法習得への近道であり、それも俺が証明している。

 つまり、俺は「空間魔法使いの成功ケース」なのだそうだ。自然と、後を追う人は真似をするようになる。
 俺はなるほどなーと納得して、牡蠣増産の話はそのまま進めてもらうことになった。
 
 空間魔法使いの考え方を変えるには少し長い時間が掛かるだろうけども、牡蠣の方は早ければ来年にも取れるという。

 よし、ハロンズとネージュにバンバン牡蠣を売りまくって、俺も美味しい牡蠣を食べ放題にするぞ!
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