殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺

加藤伊織

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ハロンズ編

76 料理は腕力、レベッカ無双

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 俺とサーシャが4つの卵を割り分けるだけで疲労困憊している間に、レベッカさんは使う道具を全て出して洗ってくれていた。俺が事前に書いておいたメモを見て、オーブンに薪を入れて火を付けて、余熱まで始めている。

「そういえば型がひとつしかないんだ。先にレベッカさんのからやろう」
「は、はいっ! そうしましょう!」

 俺はサーシャが一生懸命分けた卵を収納する。俺も「一息つける」と思ったけど、サーシャも明らかにほっとした顔をしていた。

「サーシャはそこでまずは見ていて」
「そうします」
「じゃあ、腕を振るわせてもらうわね」

 レベッカさんはとても楽しそうだ。本当に料理が好きなんだなあ。

「まず、卵黄の生地を作ります」

 卵黄に砂糖の半分を入れ、よく混ぜてから油を入れ、きっちり乳化するまで混ぜる。レベッカさんの泡立て器捌きはさすがのもので、俺が口で指示を出すだけでとろりとした生地を作った。振るった小麦粉をそこに入れてよく混ぜると、もう工程は半分近く終わったも同然。
 これは手だときついよなと思ったメレンゲも、ガシガシガシッと派手な音を立てながら見事に作り上げていく。そして作業をしているレベッカさんの腕を見たら、結構がっちり筋肉が付いていた。
 そうだよな、料理は腕力だよ……。特に便利な道具がない時代なら尚更だ。
 
 うーん、電動は無理だけど、歯車で回転させるハンドル式のハンドミキサーはコリンに相談してみよう。俺もあれなら仕組みくらい覚えている。コリンが無理でも、鍛冶ギルドの職人さんも巻き込めばきっとなんとかなるはず。

「凄い! 卵白がこんなにふわふわになるのね!」
「それを焼いても美味しいんですが、そのふわふわを潰さないように卵黄生地と混ぜることで、ケーキが膨らみます」
「いろんなことに応用が効きそうね! 私、明日からもしばらくここに籠もりたいわ!」
「や、休みも取ってくださいね……」

 ピンと角が立ったメレンゲの中から、1/3程先に卵黄の生地に入れてよく混ぜる。その後はメレンゲを潰さないように気を付けながら生地を混ぜ、型に流し込み、最後は少し高いところからトンと落として空気を抜く。
 オーブンは「何秒手を入れていられるか」で温度を測るという凄技があり、ケーキの定番170度で中に入れてもらった。

 シフォンケーキの仕上がりが気になるのか、レベッカさんだけでなくてサーシャもそわそわと歩き回っている。そして、30分ちょっとが経ったとき、オーブンの中を覗いたふたりは歓声を上げていた。

「わああ! 凄く膨らんでる! ジョーさん、これは凄いですね! 私、こんなケーキ見たことないです!」
「面白いわ! 最高ね! 開店準備はウェンディに任せて私はメニュー開発に没頭して良いかしら……大丈夫よね」
「レベッカさん、メニューは徐々に増やしましょう。泡立て器を改良できるようにコリンと相談してみますから」

 シフォンケーキが膨らんだことでほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、俺はいつになく前のめりなレベッカさんにブレーキを掛けないといけなかった。
 ウェンディさんはハロンズ支店副店長のお姉さんなんだけど、いきなり準備を丸投げされるのは不憫すぎる。

 細い串を刺してみて中まで焼き上がっているのを確認し、俺はミトンをはめた両手でケーキの型を持つと、瓶の上に逆さに刺した。それを見てサーシャとレベッカさんは更に驚いている。

「焼き縮みの防止です。自分の重さで潰れていっちゃうので、冷めるまで逆さにしておくんです」

 レベッカさんは「面白いわ」を連発し、サーシャはキツネ色に焼き上がったケーキにうっとりとしている。
 そうだ、サーシャが喜ぶから、これからは俺もたまにお菓子を作れるといいな。
 

 シフォンケーキを冷ましている間に、今日の大本命、スポンジケーキに入ることにする。
 この世界にもどっしりしたケーキは存在してるし、俺もそれは食べてるし、違いは……多分、やはり泡立てだろう。

 さっきサーシャが割るのに失敗した卵を取り出す。スポンジケーキは共立てと言って全卵を泡立てて作るのだ。

「レベッカさん、これを混ぜて砂糖を入れたら、かき混ぜた後の筋が綺麗に残るくらいまで泡立ててください」
「全卵で泡立つの? やってみるわ!」

 レベッカさんは20段の跳び箱を前にしたアスリートみたいな顔をしている。そしてまたもやガガガガガッ! と勢いの良い音を立てながら怒濤の泡立てを始めた。

 途中で何度か盛大に息継ぎをしながらも、レベッカさんは共立てをやりきった。純粋に凄い。俺なんかハンドミキサーでしかやったことがないのに!

「レベッカさん凄いですね! ここまで綺麗にできていれば、粉を入れたときに潰さないように気を付けるだけです」
「あらそう? 腕力と根気で済むならお安い話よ。マークやウェンディたちもすぐできるようになるわ」

 蜜蜂亭スタッフ、半端ないな……。もしかしたら星1冒険者よりも強いんじゃないだろうか。

 スポンジケーキは膨らむと言うよりは「へこまない」が大事で、型にバターを塗ってから生地を流し込み、温度を保っているオーブンに入れた。
 かなりのハイペースで全てが進んでいる。俺が思ってたのは1日がかりとかだったけど、普通に作れてる。レベッカさんはやっぱり凄いな!

 スポンジケーキも初めてとは思えないほど綺麗に焼き上がった。
 それをコリンに簡単に作ってもらったケーキクーラーの上で冷やしている間に、俺たちはシフォンケーキを小さめに切り分けて試食することになった。
 ふわふわの生地に包丁を入れるレベッカさんが緊張気味だ。見ている俺も緊張する。その上、緊張がうつったサーシャが俺の腕にしがみついている。緊張と天国。訳がわからない。

 型から外すときに少し壊れてしまったけど、シフォンケーキは程良い弾力があって、綺麗に切り分けられた。
 俺たちは参加者特権みたいな感じで、1/4ずつ切り分けたものを手にした。

「いただきます!」
「いただきます!!」
「いただきます」

 3人のいただきますがそれぞれ響いた後、俺はシフォンケーキをゆっくり口に運ぶ。
 いや、わかってたよ。手に持った感じでもう成功してるって。
 でも、やっぱり食べて、美味しいって言って、成功を喜びたかった。
 そして、やはりレベッカさんの初めて作ったシフォンケーキは、俺の慣れ親しんだ味がした。

「おいひいれふっ! ん、んんっ……ジョーさんもレベッカさんも凄いです! こんなふわふわのお菓子を食べたのは初めてです。幸せ!」

 蕩けるように嬉しそうな顔でサーシャが頬を押さえている。ほっぺた落ちそうーって状態なんだろうな。

「美味しいです。凄いですよ、レベッカさん。一発で成功させるなんて」
「これで成功でいいのね? コツはメレンゲをがっちり泡立てることと、その泡を潰さないこと、それと卵黄に油を混ぜるときにしっかり乳化させること。こんなところかしら」
「間違いありません!」

 もう手放しで褒めるしかない。回数をこなせばどんどん完成度も上がるだろう。

 スポンジケーキも失敗する気がしなかったので、デコレーションする果物を切り、デコレーションのコツや、果物じゃなくてジャムを挟むだけのヴィクトリアンサンドイッチケーキを教えたりして時間が過ぎた。
 オーブンから出したケーキはやはり綺麗に焼けていて、オーブンペーパーさえどうにか用意できれば卵の色だけのスポンジケーキが焼けそうだ。

 本日の大トリは生クリーム!
 生クリーム自体の入手は思ったほど難しくはなかった。
 牛乳買ったら上に溜まるから。当たり前に。これを振りまくるとバターができる。
 今回は砂糖を入れて泡立て、俺のよく知っているホイップクリームにする。この時点でサーシャが目をキラキラさせていたんだけど、今回は絞り出しの練習もあるから味見はなし。

「こうして、一度下げてから持ち上げるだけで模様を描いたような形になります」

 口金はノーマルな星形のものと、平たいものと、平たいものに片面ギザギザを入れたものの3種類作ってもらってある。
 平たいものでうまくやるとバラの花が作れますよとうっかり言ったら、レベッカさんは鼻息荒くバラの花を作り始め、10個目くらいで綺麗に花の形を作り上げた。

「すっごくいいじゃない! これ、貴族にウケるわよ! 蜜蜂亭はギルドの側に出すけども、ケーキの専門店をこの近くに出すのも考えましょ。もっとうまくならないといけないけどね」
「泡立てるときにジャムを入れるとクリームに色も付くし、泡立てやすくなりますよ」
「色! なにそれ最高じゃなーい! 私本気で明日から籠もるわね! しばらく食事はケーキだと思って!」
「食事がケーキ!? 最高です!」

 俺が一言言う度にヒートアップしていくレベッカさんと、純粋にケーキを食べられることを喜ぶサーシャ……。
 いや、俺は知ってる。ケーキというか、クリーム食べ続けるの結構キツいんだよな……。
 今から酸っぱいものでも口直しに用意しておくか。

「泡立て器なんですが、泡立て器をふたつ使ってですね、こう、上を固定して歯車を使ってハンドルを使って回すハンドミキサーっていうのもあるんですよ。泡立て器より複雑ですけど、コリンや職人さんに相談すれば作れるかなーって。それがあるとメレンゲも全卵のクリームももっと楽に作れるようになります」

 皿にバラの花を咲かせたレベッカさんは、俺からの情報でキラリと目を光らせた。

「すぐに作ってもらって! でも、まずは泡立て器を売りましょう。ハンドミキサーは私たちが使う分だけあれば良いわ。それで、泡立て器が浸透しきった頃にハンドミキサーを売り出せばいいのよ。一気に売れるから、それまでは在庫を作ると思えば良いわ」

 わ、悪いなー! これは確かにクエリーさんから「がめつい」とか言われるだけある。
 でも、一理ある。泡立て器を作るスキルはまた別のことに生かされるだろうし。


 その後、レベッカさんはさすがの手際で、少しでこぼこしてしまったけどもフルーツショートケーキを作り上げた。
 家中大喜びでフォークで一口ずつの試食大会になったけど、その翌日から山のように試作ケーキが量産されるようになるとは、その時は俺とレベッカさんとサーシャしか気付いていなかった……。
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