殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺

加藤伊織

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ネージュ編

47 聖女覚醒(side:ソニア)

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 ただ、3人で喋りながら歩いていただけだった。
 真ん中にサーシャ、その両脇にソニアとジョー。これから食事をしながら落ち着いて今後のことをもう少し詳しく相談しようと言っていた矢先のこと。

 ジョーの歩みが止まり、妙にゆっくりと前のめりに倒れた。
 その背からは、血が激しく噴き出している。
 ソニアは恐怖に心臓を掴まれたような感覚を覚えた。
 心臓――そう、ジョーは背の側から、心臓を一突きにされていた。


「ジョーさん!? ジョーさん!!」

 サーシャの悲鳴が響く。混乱と恐怖の入り交じった、ソニアが聞いたことのない悲痛な声だ。
 その声にソニアは自分を叱咤した。怯える自分を心の奥に押し込んで、友のために心を鎧う。
 サーシャとジョーは父にも言った通り自分を支えてくれた大事な友人だ。そして、自分は最も年上でもある。

 ――こんな時に、怯えていられるものですか。

 震える指をジョーの首筋に当て、既に彼が事切れていることをソニアは知った。
 鬼気迫る勢いで振り返れば、ちらちらとこちらを見ていた男が猛然と走り去ろうとしている。

 ソニアはその男に見覚えがあった。先程冒険者ギルドに完了報告に行ったときに、依頼を確認していた男のひとりだ。妙にこちらを見ていたので、ソニアもさすがに気にしていた。
  
 流れるような動作で胸元から杖を抜き、真っ直ぐ男に向ける。
 絶対に外さないという気合いが、今までにないほど体中に満ちていた。

「《暴風斬ストームブラスト》!!」

 その風による斬撃は、男の足を狙ったもの。
 殺してはいけない。生きて捕らえて、何故ジョーを殺したのかを吐かせなければ。
 死んだ者のために生きている者ができることは、その死を納得できる形で受け入れることだけだ。

 激情に翻弄されながらも、ソニアの頭の一部だけは妙に冷たく冴えていた。
 

 ソニアの放った《暴風斬ストームブラスト》は、未だかつてなく正確に対象を襲っていた。周囲で驚いている市民を巻き込むことなく男の両足の腱を断ち、男は走ることができなくなってもんどり打って倒れる。

「誰か! 衛兵を! 衛兵を呼んで!! 人殺しよ!」 

 大声で叫び周囲に助けを求めながら、ソニアは自分で発した「人殺し」という言葉に打ちのめされていた。
 両足をズタズタに切り裂かれた男は、それでも自らの流した血で筋を作りながら腕で体を引きずって逃げようとしている。
 
 その往生際の悪さに、ソニアの中の何かがぷつりと音を立てて切れる。
 気がつけば、男の背を力一杯踏みつけていた。男が潰れたカエルのようにべしゃりと地面に伏す。

「選んでいいわよ、ここで死ぬか、吐くことを吐いて生き延びるか。そうね、死ぬにしても首を落とすなんて楽な殺し方はしてあげられそうにないわ。その脚みたいに全身を切り刻んで、指を1本1本落としてあげる」

 なんで自分はこんなことをすらすらと言えるのだろうと戦慄したが、怒りに満ちた表情は見事にソニアの内心の動揺を抑え込んでいた。
 杖を男の首筋に向けると、男が顔を歪ませて舌打ちをする。

「女、貴様……剣士じゃなくて風魔法使いだったのか!」
「……師匠の言った通りこのシミターが素性を隠すのに役立ったわね。お生憎様、私はあんたの言う通り風魔法使いよ」
「くそっ! 聞いてないぞ! プリーストと戦闘能力のろくにない空間魔法使いと奴は言っていたのに」
「黒幕のことは詰め所で存分に言うといいわ。――ほら、衛兵が来た」

 有事の時のために、ネージュでは一定距離を置いて衛兵が巡回をしている。そして市民は衛兵を迅速に呼ぶために、伝言リレーをしたのだ。

 ソニア以外にも一部始終を目撃していた市民が何人かいた。説明はそちらに任せ、ソニアは血だまりの中に倒れたジョーとサーシャの元に重い足取りで戻った。

「ジョーさん、ジョーさん! お願いですから起きてください! サーナ・メンテュア・エトゥ・モービス・インイルニアム・エピシフィクス・ディアム・ロン・ネリ・テットゥーコ! ……なんで? なんで治癒魔法で血が止まらないの!? なんで! サーナ・メンテュア・エトゥ……」

 サーシャは完全に我を失って泣き叫ぶ。効くわけもない治癒魔法を、彼女は何度も何度も唱えていた。
 たった数分前までは一緒に笑い合っていた青年は、虚ろな目を開けたままで横たわっている。
 
 信じられないし、信じたくもない。
 けれど、ジョーはあの男に殺された。凶器のナイフも男が手にしたままだった。だからこそ背中から血が噴き出した。
 向かい合った状態で人を襲い、心臓を貫くのは肋骨に阻まれて難しい。けれど、背後からは心臓を守る骨がない。
 男は明らかに殺しの手口に手慣れていたのだ。

「サーシャ……ジョーは、死んでるわ」
「嘘です! ジョーさんが死ぬなんて嘘です! だって、一緒にいてくれるって約束したのに! ジョーさんは、約束を破る人なんかじゃ……」

 あまりにも痛々しいサーシャの様子に、ソニアは思わず目を背けた。
 
 強い少女だと思っていた。物理的にだけでなく精神的にも。
 ジョーのことで嫉妬を見せる場面は何度かあったが、サーシャがここまで脆く崩れるほどジョーに依存していたことは知らなかった。

 このままでは、サーシャが狂ってしまう。
 新たな恐怖がソニアを突き動かした。これ以上、友を失えない、と。
 サーシャの手を取り、その手にジョーの手首を乗せる。強張ったサーシャの指を解いて、ジョーの手首の脈を探らせた。

「あ……」

 少女の心に、常に一緒にいた青年の「死」という現実が流れ込んできたようだった。
 目を見開き、唇をわななかせたサーシャは泣き叫びながらジョーの体に覆い被さる。

「いやぁ! そんな、そんな! ジョーさん!」

 自らの服が血に染まるのも構わずに、少女は青年を抱きしめていた。

「嫌です、嫌です……我が女神、我らが母、テトゥーコ様……どうかただ一度の請願をお受けください……我が生涯、我が魂は永遠に女神のしもべ。ですから、どうかこの人を、あなた様の加護を受けた人を! この世に呼び戻してください! お願いです、2回もの理不尽な死を、この人に与えないでください! 私は、私は――」

 はらはらとサーシャが涙を流す。血の気を失ったジョーの頬を、サーシャの涙が伝っていった。

「ジョーさん、私はあなたが好きなんです。やっとわかりました。あなたのことが、好きなんです! ジョーさんを失ったら、生きていけないくらい好きなんです! 私の心を守ってくれるって言ってくれたじゃないですか! 女神様、お願いですから私からジョーさんを奪わないで!」

 あまりにも悲痛な愛の告白に、ソニアは言葉を失って立ち尽くしていた。
 サーシャの行動は傍から見ていても明らかにジョーに恋心を抱いているのが丸わかりだったのに、時折自覚していないかのような振る舞いがあった。
 それに、ジョーもあからさまな好意をサーシャに向けながらも、変に焦ることなく穏やかにサーシャを見守っていた。

 自分より若くて、恋心を持て余して暴走してもおかしくない年頃なのに、とソニアはわざとサーシャをせっついたりしたけれども、それもジョーに止められている。

 今、やっとソニアにも得心がいった。

 サーシャは、恋というものを知らなかったのだ。気持ちを抱えながらも、その感情に名前を付けることができないでいたに違いない。
 そして、それを自覚したきっかけは、愛するジョーの死。

「酷いわ……」

 涙で視界が滲む。サーシャの金色の髪が滲んで、ぼやけて、金色の光が周囲に広がっているかのように見えた。

 ――否、実際にサーシャはジョーを抱きしめたままで柔らかな金色の光に包まれていた。

 
『我が愛し子、サーシャ。その請願を聞き届けました。女神の僕として生きる覚悟がおありね?』

 高い女性の声が、どこからか響いた。まるで空から降ってきたかのような声は、年配の女性のもの。

 これが、女神テトゥーコ。
 何の疑問もなくソニアにはそれを信じることができた。

「はい! 私の生涯を女神に捧げます!」

 サーシャはジョーを抱えたままで天に向かって叫んだ。それに少し早口の声が返ってくる。
 
『結構よ、アナタの願いを叶えましょう。サーシャ、アナタはこれから聖女として生きなさい。本物の愛を知ったアナタなら、女神テトゥーコの聖女という役割を背負っていけるのよ。あまねく命に慈愛を――そして、ジョーを大事になさいね』

 その場に居合わせた人々は全て、奇跡を目の当たりにした。

 血だまりの中で事切れていた青年の顔に血の気が戻り、虚ろだった目が焦点を結ぶ。

「サーシャ……?」

 ソニアが二度と聞くことはないと思っていた声が、サーシャの名を呼んだ。
 涙を流しながらも無理に笑顔を浮かべたサーシャが、掠れた声ではい、と応える。

「ごめん、君の心を守るって言ったのに、守れなくて傷つけて泣かせて……俺の油断で」
「ジョーさん、あなたが好きです。だから泣いちゃいました。これが、この感情が恋なんですね。……私は、『恋』を自覚してやっと本当の『愛』に気付きました」

 ジョーの首元に顔を埋めて嗚咽を漏らすサーシャを、ジョーの腕が柔らかく抱きしめた。

「俺もサーシャのことが好きだよ。初めて会ったときからずっと好きなんだ。……はは、こんな道でぶっ倒れてて言うなんて、情けないね。ごめん、サーシャ」
「いいえ、いいえ! そんなの関係ありません! 女神様、私をジョーさんに会わせてくれたことを心から感謝します」
「サーシャ……ごめん、首絞まってる……ちょっと苦しいよ」
「あわわ、ごめんなさい!」

 どこからともなく、拍手が起きた。それは瞬く間に周囲に広がり、その場の人々は愛によって奇跡を起こした少女と、彼女を想い続け守り続けていた青年を祝福する。
 
「んもー、遅いのよ、気付くのが」

 自分も涙を流しながら、ソニアはふたりを見守っていた。
 

「聖女だ! 聖女サーシャ! 俺たちは聖女降臨の奇跡に居合わせた! 聖女サーシャと女神テトゥーコに栄光あれ!」

 誰かがあげた歓喜の声が、周囲を震わせる。
 それに唱和する者はいなかったけれども、人々はサーシャの請願が女神に届きジョーを生き返らせたことを知っている。


 ふたりは収まるべきところに収まった。
 けれども、一抹の不安が拭いきれないことにソニアは困惑していた。 
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