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128 真実の記憶

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 いつも仕事をするときに着ている紺色のワンピースを着て、ロクサーヌが作ってくれたエプロンを着ける。着慣れた服はやはりいい。
 この格好だと白くてフリルの付いたエプロンのせいで、実年齢よりも若く見えてしまうのが少々難ではあるが。

 かつて自分と姉の部屋だった場所を覗くと、ベッドがひとつ増えていた。頭の中でこの家に住むこどもたちを数えながら、この部屋を使っていそうな女の子を思い浮かべる。マーサの家族ともう一組の家族に、10歳を越えた女の子が合わせて3人いるのでその子たちだろうと見当が付く。

 部屋を確認した後、台所に戻ってシェリーとマーサを手伝い、昼食を仕上げる。ちょうどその頃になると畑から人が戻って来始めた。

「ミリーお姉ちゃんだ! 久しぶり! いつ帰ってくるんだろうねって皆で言ってたのよ」

 13歳のチェルシーはマーサの娘だ。5年前にカモミールが家を出るまでは一緒に育ったので、やはり少し歳の離れた妹のような感じである。
 チェルシーの妹のリンは11歳になるが、少し人見知りな上にカモミールと暮らしていたのは幼い頃なのであまり憶えていないらしい。今日もチェルシーの後ろにいて、カモミールに距離を取りつつぺこりと頭を下げている。

「ミリーちゃん! ミリーちゃん! お土産なあに?」

 対照的に人懐こく飛びついてくるのが、女の子部屋の最後のひとりであるエリカだった。
 以前カモミールが化粧品を持ち帰ったところ大興奮してしまい、それ以来カモミールが帰るのを一番楽しみにしているのは彼女である。

「大人には化粧水を持ってきたけど、エリカたちにはコロンね。ちょびっとだけど」
「ちぇー、女の子ずるいのー」

 エリカの兄がぼやくので、カモミールは苦笑した。元々、土産を持ち帰る習慣はあまりない土地柄なのだ。カモミールが土産を持ってきたのは、自分がこういう仕事をしているとわかりやすく知らせるためでもあった。

「香水欲しかった? 最近は男性用の香水も作ってるのよ」
「うーん、いらないなー」

 率直な答えが返ってきたので肩をすくめる。確かに12歳の男の子には、香水よりもハムの方が喜ばれそうだ。

「あのねえ! お父さんとお母さんが、錬金術師になってもいいって言ってくれたの! もう少ししたらミリーちゃんの弟子にして! 私も化粧品を作りたい」
「エリカが?」

 2本のお下げを揺らして、きらきらとした目でエリカはカモミールを見つめている。鼻の上にはそばかすがあるし、髪は茶色いが赤みがかっている。とどめに名前は花の名前で、カールセンの人々になら「妹です」と言っても信じて貰えそうなくらい似ている。
 近い血縁はないが、同じ村の人間だしどこかで血が繋がっているかもしれない。――思わずそんなことを思うほど、彼女はこの年の頃のカモミールに瓜二つだった。

 きっと、自分もこんな目で師であるロクサーヌを見上げていたのだろう。そう思うと微笑ましくて、つい笑顔が浮かぶ。

「いいわよ。でもまだこっちも落ち着いてないから、落ち着いて余裕ができたらね」
「やったー! あのねえ、このコロンは明るくて軽やかでとっても好きな香り! これを付けたら踊りたくなっちゃいそう。妖精と一緒にタラララーンって」

 偶然かもしれないが、カモミールが持ってきたのは「妖精の楽譜」を更に薄めてコロンにしたものだった。エリカが感じ取ったイメージは、カモミールが調香するときに立てた構想に限りなく近い。

「凄いわ、エリカ。そういう感性って大事なの。これは『妖精の楽譜』っていう香水をコロンにしたものなのよ。何かを感じたらそれを言葉にする練習をして置いたらいいわ。私はいつも名前を付けたりするときに困るから。
 お父さん、午後はエリカに私の手伝いをして貰ってもいい?」
「ああ、まあ半日くらいだからな。ハーブの収穫だろう? いいぞ」
「ありがとう! エリカ、私もあなたがカールセンに来ても大丈夫なように頑張るから、それまではここでできる勉強をしていてね。午後は化粧品や薬に使うハーブの収穫を一緒にしましょう」
「うん、嬉しい!」

 陰もなく笑うエリカは眩しかった。やりたいことがあって、それに関われるとき人はこんなにも輝くのだ。エリカは10歳なのでそのくらいの歳の差があれば、弟子にするのもおかしくない。
 自分がやりたいことの原点に立ち返ったような気がして、その日の午後はエリカにハーブの効能と収穫時期などを教えながら、カモミールは楽しく過ごすことができた。


 夕食は大人数が揃っての賑やかなものだった。昼間は慌ただしくて話す機会がなかったイアンも、酒を飲みながら上機嫌にカールセンに来たときのことなどを話している。

「荷馬車が家の前まで行けなくてさ。ちょうどミリーの友達が通りかかったからよかったものの」
「だから、今回は私と一緒にカールセンに来てよ。そしたら工房から人を呼んで、積んでるものをすぐに下ろせるし」
「まあ仕方ないな、ミリーだし。国で一番有名な化粧品にうちの作物が使われてるってのはなかなかいいもんだ。この近隣では凄い知られてるんだぞ? 母さんもシェリーも羨ましがられてるし。この村だと……ああ、そういえば、おまえと同い年のエドナな、結婚したぞ。なんかお祝い持ってってやれ」
「えっ、エドナが結婚したの? この村にいる?」

 急に幼馴染みの名前が出て、しかも結婚したと言われてカモミールは大きな声を出してしまった。エドナはカモミールと同い年では唯一の女の子だったので、村にいたときは仲がよかった。
 カモミールがカールセンに行くときは「村から出るなんて凄い」と言われたのを思い出す。彼女はあまり新しいことに前向きではないタイプだったので、慣れた環境を離れるのが嫌だったのだろう。

「いるいる。相手はジルバートだからな」
「あ、なんかしっくりくる。元々仲良かったもんね」

 兄の口からジルバートという名を聞いて、カモミールは納得した。彼はヴァージルと同い年で、弟妹が多く面倒見がいい。その上長男だから家の後を継ぐことが決まっている。この村で農業をやっていくジルバートと結婚したのは、いかにもエドナらしかった。

「私の分の化粧水持って行ってあげなさいよ。で、明日イアンが帰りにその分貰ってくればいいでしょ」

 母の提案にカモミールは頷く。確かに明日兄に送って貰ったついでに化粧水を託せばいい。どうせなら直接顔を見て、エドナとジルバートにお祝いの言葉を伝えたかった。

「ジルバートと言えばなー。ミリーが小さい頃、舟遊びをしてるときに身を乗り出しすぎて落ちてさあ。ジルバートが慌てて手を出して、ミリーがそれに掴まろうとしたもんだからジルバートまで落ちかけて……俺が一緒に乗ってて止めなかったら危ないところだったな。あいつは面倒見はいいんだがときどきそういうことをやらかすから」
「何言ってるの、お兄ちゃん。あの時一緒に舟に乗ってたのはヴァージルよ?」
「いや、ジルバートだよ」
「ヴァージルだってば。ヴァージルだってあの時のこと憶えてるし」
「おまえ……俺はあの時もう成人してたんだぞ? おまえは小さかったから多少記憶が混乱してるかもしれないが、そもそもヴァージルはカールセンに行ってからできた友達だろう?」

 食い違う意見にカモミールが声を荒げかけたとき、呆れたような顔で兄が言った言葉はカモミールを凍り付かせた。

「そんな……ことないよ。だってヴァージルは私の幼馴染みで」
「どういう勘違いだ? 俺も二三度会ったことがあるけど、この村の人間じゃないぞ。なあ? シェリー」
「名前だけはミリーから聞いてるけど、私は会ったことがないわね」
「え? 待って……お父さん、お母さん、私の幼馴染みのヴァージルよ? ひとつ歳上で、髪の毛がふわふわした金髪で緑色の目をしてて……」

 助けを求めるように両親を振り返れば、そこには困惑しながら首を振るふたりの姿があった。

「ミリーが溺れたときに一緒だったのは、エドナとジルバートだった。あの時は寿命が縮む思いをしたから、忘れるわけがない」

 父の言葉に、目の前が真っ暗になる。
 夏のぬるい川の中で、必死にもがいた記憶が蘇る。

 頭が上下する度に必死に呼吸をしようとすると、水がごぶりと流れ込んできて呼吸すらままならなかった。足をどれだけばたつかせても、水の流れはカモミールの小さな体を無情に押し流していく。そして――。

『ミリー!』
 
 耳に残る、幼い少年の高い声。
 こちらに伸ばされた小さな手。その持ち主は――金髪と緑の目ではなく、茶色い髪と青い目をしていた。
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