上 下
116 / 154

116 魔女の軟膏の効き目

しおりを挟む
 エミリアが帰路についてから、カモミールはもう一度マシューの傷痕を改めた。
 3日前、もう一度彼の腕には薬を塗ってある。その経過がどうなったかを知りたかったのだ。

 傷痕は、最初に見たときの半分ほどになっていた。
 思っていたより治りが悪い。逆に、それはカモミールにとっては願ってもないことである。
 薄めた軟膏をエノラの古傷に毎日塗ってはいるが、それはさすがに効果が出なかったのだ。

「新しい傷はあっという間に治ってしまったから、これはまずいって思ったんだけど。古傷はさすがに一度じゃ治らないのね」
「いやいや、これでも十分異常ですよ」

 マシューの傷痕を眺めながら感心しているカモミールに、キャリーが冷静に指摘した。
 たった2回で傷痕が半分まで消えるというのは、確かに普通ではない。

「そもそも、古傷ってのはもう安定しちまってて、『治る力』がねえんだよ。怪我したばかりの傷は、『治る力』がある。だから薬も良く効く。わかってるか?」

 テオが今更入れてきた説明に、カモミールはぐっと詰まった。

「そ、それは……そうね。新しい傷と比較しちゃってた私が間違ってたみたい。そう考えると、古傷すら治すってとんでもない薬だわ」
「古傷に残っていない『治る力』を、傷の奥に働きかけて強制的にかつするんだ。新しく皮膚ができあがるには本来日数がかかるが、白アロエとラベンダーは強力にそこを引き上げる。新しい傷ならその効果ですぐに治るし、古い傷でも綺麗な皮膚を作る手助けになるってことだ」
「ねえー! そういう説明は最初にしてよ!」

 今更詳細に説明をしてくれたテオに、カモミールは思わず噛みついた。けれどテオは涼しい顔をしている。

「だっておまえ、大錬金術に興味ないだろ? 錬金医のことも興味ないじゃねえか。そのカモミールに傷が治る仕組みを説明したって意味ねえだろうが」

 よりによってテオに正論を言われ、カモミールは黙るしかなかった。
 確かに、錬金術師とはいえ魔力がないために生活錬金術師になるしかなかったのだが、同じ「錬金術」に括られる大錬金術は全く勉強しようと思わなかったし、ロクサーヌが修めていた錬金医の技術や知識も最低限しか触っていない。

 錬金医の分野に口を出すかも、とガストンには言ったが、カモミールは圧倒的に知識不足だったのだ。

「あー、私ガストンのところへ行ってくる! マシュー先生、申し訳ないんですけどちょっと付き合って貰えませんか?」
「お嬢さんは老体に対して人使いが荒いのう……まあ、付き合うがな」

 曲がった腰を叩きながらマシューがぼやく。マシューは石けんが関わることならすっ飛んで来るのに、自分の気が乗らないときだけ「腰が」とか「脚が」とか言うのだ。単に面倒なのだろう。

 カモミールは最初にマシューの傷をスケッチしたメモを持つと、マシューの手を引いて工房を後にした。


 ガストンの家へ着くと、患者がひとりいたのでその対応が終わるまで待つ。
 ふと、マシューを連れてきた自分は知らない人が見れば「祖父と孫」に見えるのではないかと思った。
 そういえば、エミリアがいる間にマシューの弟子が女性ばかりな件で、エミリアとカモミールとキャリーが「石けん三姉妹」と呼ばれたことがあった。その時エミリアはものの見事に「自分が長女、キャリーが次女、カモミールが三女」と間違えた。

 その後、お約束の「私これでも20歳なんです」を経てエミリアの勘違いを解くことができたが、事前に年齢を言わないと確実にキャリーより若く見られるのは確かなようだ。

 診察室になっている居間から、初老の女性が出て来てガストンに礼を言い、カモミールに会釈をして去って行く。

「ガストン、ちょっといい?」
「ああ、来ていたのか」

 カモミールを見てガストンは一度家の外に出た。カランという音で「受付中」の札をひっくり返したのだとわかる。音だけでそれがわかるくらいには、カモミールはこの家に馴染んでいた。

「この人は私の今の石けんの師匠で、マシュー先生。先生、腕を見せてあげてください」

 古傷をスケッチして測った大きさとともにメモした紙をガストンに差し出しながら、カモミールはマシューをガストンに紹介した。
 ガストンのことはここに来るまでの間にマシューには説明してある。かつて家を追い出されたことも、今は同じ目的のために和解したことも。

「これは……」

 ガストンは灯りを付け、眼鏡の位置を直すとマシューの腕をじっくりと見た。

「1回目が約10日前で、2回目が3日前。それで傷が半分ほどになっているとは。残りの傷を見るに、色素沈着があったはずなのにそれも消えている。――予想外の効果だ。それに、腰が曲がっている年齢とは思えないほど肌の状態がいい」
「それは石けんのおかげじゃ」

 得意げにマシューが胸を張る。カモミールは、今作っている石けんが既存のマルセラ石けんとは全然違うと言うことを今説明しないといけなかった。

「なるほど、使っている石けんがそもそも違うと。確かに、傷に関係ない右腕や顔も乾燥が見られずにいいですね。ふむ……カモミール、この薬の材料を訊いてもいいか」
「えーっと、白アロエとラベンダーと、ムラサキ草と……あれ、なんだっけ」

 テオから一度しか聞いていないので、肝心の材料を忘れてしまっていてカモミールは焦った。ポーションと共通している部分があるという事は憶えているのだが、材料の名前までは憶えていない。
 けれど、ガストンは呆れた様子も見せず「おまえに興味のない分野だからな」と一言で済ます。全くもってその通りなので、言い返すこともできなかった。

「私の方でも調べたが、生憎古傷に対する経過観察はできる対象がいなかった。しかもマリアさんの顔の傷はマシューさんの傷と同じように色素沈着を起こしているから、切り傷などとは対処を変えねばならない。しかし、よく身近でこんなに条件の揃った被検体を見つけられたものだ」

 何故か最後には感心された。ガストンが言うには、大錬金術をやっている人間は実験の失敗で怪我を負いやすいらしい。しかも圧倒的に多いのが爆発による器具での切り傷と火傷だそうだ。
 マシューの石けん作りでの怪我も確かにそれに類するものだろう。逆に、実験をすることが少ない錬金医と、石けんをあまり作らないタイプの生活錬金術師は怪我をすること自体が稀だ。

「白アロエ……文献では見たが実物は見たことがないな。それはどうやって入手したんだ? いや、それ以前にレシピの全てを知りたい。私がこれを作った精霊に会うことは可能だろうか?」

 独り言のようにぶつぶつと呟いていたかと思うと、ガストンは急にカモミールに尋ねてきた。確かに、作り方を訊くのならばテオに直接訊いた方が早い。

「いいわよ」
「いいのか?」

 自分で会うことは可能かと訊いたくせに、カモミールが許可をしたことにガストンが自分で驚いている。
 だが、気持ちはわかる。ガストンは和解した今でも、自分のカモミールに対する仕打ちに罪悪感を抱えているのだろう。
 カモミールは特に寛容なわけでもないが、自分の分野というものはわきまえるべきだと思っているので、「これはやはりガストンの分野」と判断しただけだ。合理的判断と感情は別の物である。

「だって、私の専門分野じゃないんだもの。作ったばかりの切り傷がすぐ治るから、これはとんでもない効果だって使い方を悩んでたわ。でも、古傷と新しい傷は根本的に治療方針が違うのよね。そこのところ、私はほとんど知らないから詳しい人同士で話した方がいいに決まってるでしょ。
 さっき、古傷を治す原理について軽くテオに説明されたけど、それを聞くまで私は全くそこに思い至らなかったし、あっちもあっちで私が興味ないだろうからって説明省いてたのよ。そういう奴なの、精霊って。だから、要点を的確に訊けるガストンが話した方がいいわ」
「……ありがとう。さっそく工房へ行ってもいいか?」

 頷きながらも、ガストンがお礼を言ったことにカモミールは驚いていた。
 5年一緒に暮らしたが、日頃から礼を言うことなどほとんどなかった人なのだ。それだけでも、この2ヶ月あまりで彼がどれだけ変わったかがわかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

楽しくて異世界☆ワタシのチート生活は本と共に強くなる☆そんな私はモンスターと一緒に養蜂場をやってます。

夏カボチャ
ファンタジー
 世界は私を『最小の召喚師』と呼ぶ。  神から脅し取った最初の能力は三つ!  ・全種の言葉《オールコンタクト》  ・全ての職を極めし者《マスタージョブ》  ・全ての道を知る者《オールマップ》 『私は嘘はついてない!』禁忌の古代召喚の言葉を口にしたその日……目の前に現れた使い魔と共にやりたいように楽しく異世界ライフをおくるそんな話。 失恋旅行にいった日に、天使に自殺に見せ掛けて殺された事実に大激怒する主人公は後に上司の巨乳の神アララからチートゲットからの異世界満喫ライフを楽しむ事を考える。 いざ異世界へ!! 私はいい子ちゃんも! 真っ直ぐな人柄も捨ててやる! と決め始まる異世界転生。新たな家族はシスコン兄と優しいチャラパパと優しくて怖いママ。 使い魔もやりたい放題の気ままな異世界ファンタジー。 世界に争いがあるなら、争うやつを皆やっつけるまでよ! 私の異世界ライフに水を指す奴はまとめてポイッなんだから! 小説家になろうでも出してます!

落ちこぼれ一兵卒が転生してから大活躍

きこうダきこう
ファンタジー
 王国騎士団の一兵卒だった主人公が魔王軍との戦闘中味方の誰かに殺され命を落とした後、神の使いより死ぬべき運命ではなかったと言い渡され、魂は死んだ時のままで再び同じ人生を歩んでいく事となった。  そのため幼少時代トロルによって家族を殺され、村を滅ぼされた出来事を阻止しようと思い、兄貴分的存在の人と父親に話し賢者と呼ばれる人やエルフ族らの助けを借りて襲撃を阻止した。  その後前世と同じく王国騎士団へ入団するための養成学校に入学するも、入学前に賢者の下で修行していた際に知った兄貴分的存在の人と幼馴染みに起こる死の運命を回避させようとしたり、前世で自分を殺したと思われる人物と遭遇したり、自身の運命の人と出会ったりして学校生活を堪能したのだった。  そして無事学校を卒業して騎士団に入団したが、その後も自身の運命を左右させる出来事に遭遇するもそれらを無事に乗り越え、再び魔王軍との決戦の場に赴いたのだった······。

異世界最強の賢者~二度目の転移で辺境の開拓始めました~

夢・風魔
ファンタジー
江藤賢志は高校生の時に、四人の友人らと共に異世界へと召喚された。 「魔王を倒して欲しい」というお決まりの展開で、彼のポジションは賢者。8年後には友人らと共に無事に魔王を討伐。 だが魔王が作り出した時空の扉を閉じるため、単身時空の裂け目へと入っていく。 時空の裂け目から脱出した彼は、異世界によく似た別の異世界に転移することに。 そうして二度目の異世界転移の先で、彼は第三の人生を開拓民として過ごす道を選ぶ。 全ての魔法を網羅した彼は、規格外の早さで村を発展させ──やがて……。 *小説家になろう、カクヨムでも投稿しております。

この幸せがあなたに届きますように 〜『空の子』様は年齢不詳〜

ちくわぶ(まるどらむぎ)
ファンタジー
天寿を全うしたチヒロが生まれ変わった先は、なんと異世界だった。 目が覚めたら知らない世界で、少女になっていたチヒロ。 前世の記憶はある。でも今世の記憶は全くない。 そんなチヒロは人々から『空の子』様と呼ばれる存在になっていた! だけど『空の子』様とは《高い知識を持って空からやってくる男の子》のことらしい。 高い知識なんてない。男の子でもない。私はどうしたら? 何が何だかわからないまま、それでも今を受け入れ生きていこうとするチヒロ。 チヒロが現れたことで変わっていく王子レオン、近衛騎士のエリサ。そしてシンを 始めとするまわりの人々。そのうち彼女の秘密も明らかになって?  ※年ごとに章の完結。  ※ 多視点で話が進みます。設定はかなり緩め。話はゆっくり。恋愛成分はかなり薄いです。   3/1 あまりに恋愛要素が薄いためカテゴリーを変更させていただきました。     ただ最終的には恋愛話のつもり……です。優柔不断で申し訳ありません。  ※ 2/28 R15指定を外しました。  ※ この小説は小説家になろうさんでも公開しています。

孤独な腐女子が異世界転生したので家族と幸せに暮らしたいです。

水都(みなと)
ファンタジー
★完結しました! 死んだら私も異世界転生できるかな。 転生してもやっぱり腐女子でいたい。 それからできれば今度は、家族に囲まれて暮らしてみたい…… 天涯孤独で腐女子の桜野結理(20)は、元勇者の父親に溺愛されるアリシア(6)に異世界転生! 最期の願いが叶ったのか、転生してもやっぱり腐女子。 父の同僚サディアス×父アルバートで勝手に妄想していたら、実は本当に2人は両想いで…!? ※BL要素ありますが、全年齢対象です。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

錬金術師の成り上がり!? 家族と絶縁したら、天才伯爵令息に溺愛されました

悠十
恋愛
旧題:『ハーレム主人公』とサヨナラしました  家族にとって『どうでも良い子』。それが、レナだった。  いつしか家族からの愛情を諦めたレナの心の支えは、幼馴染の男の子だった。しかし、彼の周りには女の子が侍るようになった。  そして彼は言った。 「みんな好きだよ」  特別が欲しいレナは、彼から離れることを選択した。  だけど、彼が何故か追って来て…… 「なんで俺から離れるんだ⁉」 「私にハーレムは無理!」  初恋くらい、奇麗に終わらせたいんだけどな⁉ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎関連作品 『野良錬金術師ネモの異世界転生放浪録(旧題:野良錬金術師は頭のネジを投げ捨てた!)』 『野良錬金術師ネモの異世界学園騒動録』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎お知らせ 2022/01/13 いつも閲覧いただき、ありがとうございます。 今回、『ハーレム主人公とサヨナラしました』の書籍化のお話しを頂き、現在調整中です。 また、その調整の中で、改題を検討中です。 改題をする事になりましたら、旧題も載せておきますが、少し混乱をさせてしまうかもしれません。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/01/20 現在書籍化の話が進んでいるため、該当部分を1月27日を目途に引き下げることになりました。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/01/27 書籍化調整にあたり、改題をいたしました。 また、設定の一部変更がありましたことをお知らせいたします。 イヴァン(男爵令息→伯爵令息) 書籍化予定の該当部分の小説を引き下げをいたしました。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/02/28 書籍の販売が開始されました。 お手に取ってご覧いただけましたら幸いです。

【完結】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫+その娘の女児付き)

シルク
ファンタジー
転生したら乙女ゲームの悪役令嬢でした。婚約破棄イベント前日に過去の記憶を取り戻した侯爵令嬢アンジュ・バーネット。シナリオ通りに、公衆の面前で王子から婚約破棄&王都追放を言い渡されたけれど、堅苦しい王妃候補生活&陰謀渦巻く学園生活とはこれでおさらば。 追放された辺境村の古びた屋敷で、のんびり自由な独り身ライフ……のはずが、成り行きで、パーティーを追放された元勇者「剣聖ユースティス」を家政夫に雇い、その娘・幼女ココも同居人に。 家事全般は元勇者の家政夫に任せて、三食昼寝付きスローライフ&まったり錬金術生活! こうなったら、思う存分自由気ままな人生を楽しみたいと思います。

処理中です...