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93 デビュタントの裏で
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カモミールのエスコートを終えたヴァージルは店舗の在庫などを置いている部屋にするりと隠れた。これは元々の段取りである。既にそこにはタマラが座っていて、音だけでお披露目会の様子を確認している。
「お疲れ様、ヴァージル。ミリーの仕上がりはどう? って、わざわざあんたに訊かなくてもこの拍手でわかるわね。……ちょっと、ヴァージルどうしたの?」
タマラの顔を見て気が抜けたのか、くたくたとヴァージルがその場にうずくまる。慌てて立ち上がったタマラがその背をさすった。
「大丈夫、ありがとう。ただ、あんまりミリーが綺麗すぎて、人間じゃないみたいで」
「自分でお化粧しておいて……」
「うん、わかってるんだ。ドレスはタマラさんがデザインしたものだし、髪のセットも化粧も僕がした。ミリーが変わっていく過程を僕はずっとこの目で見てた。
なのに、お化粧を終えて、白いバラを髪に飾って目を開けたミリーが、僕の予想よりもずっとずっと綺麗で。――今にも彼女が僕の側からいなくなってしまいそうで、怖くなった」
「ねえ、ヴァージル。あんたはミリーの手を取って、一緒に幸せになることは出来ないの?」
歳の離れた弟を労るように、タマラが優しくヴァージルの背をさすりながら問いかける。
「ミリーの手を取って、一緒に幸せに?」
「何か事情があってミリーの側にいるんでしょう? その事情は彼女と思いを通じることさえ許されないものなの? あんたは確かにいろいろしてるだろうけど、幸せになったらいけない人間なんていないんだって信じたいのよ」
「僕は――幸せが怖い」
顔を上げたヴァージルが急にぽろぽろと涙を流し始めたので、タマラはバッグからハンカチを取り出して彼の目元に当てた。
「幸せが怖いの? どうして?」
「だって、いつかその幸せから背を向けなきゃ行けない日が来るから……。幸せであればあるほど、その後が辛いんだ。お姉様にも父上にも母上にもあんなに愛して貰ったのに、あの時は間違いなく幸せだったのに、僕は」
「ああ、もう、それ以上言わなくていいわ。ごめんなさい、もう訊かない。幸せな記憶を掘り返すのが悲しみだなんて、とんでもない歪みだわ。あんたの事情を私は知らない。訊こうとも思わない。あんたの苦しむ姿もミリーの苦しむ姿も見たくない」
いつもはおっとりとしている青年が、こどものように泣いている。タマラはヴァージルの頭を抱き寄せて優しく背を撫で続けた。
「昔、とても僕に優しくしてくれた人がいたんだ。少しタマラさんはあの人に似ている……ちょっとだけ、このまま」
「いいわよ、私の胸でいいならいくらでも泣きなさい」
「……胸板固いね」
「んもう、ミリーと同じこと言うんだから」
「ううん、タマラさんはタマラさんなんだって思えてほっとするよ」
「変な子ね。でも、そうやって笑ってなさいよ。へらへらした笑顔があんたのトレードマークでしょ」
「あとちょっとだけ……タマラさんは、幸せからいつか離れなきゃいけない時が来るとわかってても、その幸せに手を伸ばす勇気がある?」
「難しいわね……私に言えるのは、幸せだと思える以上それは心の中に温かく残り続けて、離れても自分を苦しめ続けるものではないということだけよ。でも、あんたがミリーから離れるときが来るってちょっと想像つかないんだわ。離れることが決まり切ったことなら、確かに手を伸ばすのは相手のことを思うとためらうわね」
「決まり切っていないなら、彼女の手を取ることもできる……か。明日、ミリーに一緒に外出しようと誘われたんだ。街を歩いて、劇場へ舞台を見に行って、行けそうなら美術館にも行って、お土産も買って、帰りは屋台で食事して帰ろうって」
「いいじゃないの。ふたりでゆっくり楽しんできなさいよ。私は美術館に入り浸る予定だけど、あなたたちの夕食について行くような野暮はしないわ。
ヴァージル、こんな機会はもうないかもしれないわ。あなたが心配しているのは、普段見慣れているミリーが美しくなりすぎるから、誰かに見初められないかってことなのよ。離れるのも辛い、取られるのも辛いなら、想いを告げてふたりで幸せになりなさい。私は誰にでも幸せになることは許されていると思うわ」
「ミリーは、僕の気持ちを受け入れてくれるかな」
タマラを見上げるヴァージルの表情があまりに弱々しかったので、大丈夫、とタマラは彼の頭をゆっくりと撫でる。
「今は胸の奥に眠っているかもしれない。でも、前にも言ったでしょう、あの子があんたのことを想ってる気持ちは本物よ。封じた気持ちを全部解放してあげなさい。その方が、ヴァージルのためにもミリーのためにもなるわ」
「そうだね。ありがとう、タマラさん。勇気が出たよ」
自分のハンカチを取り出し、ヴァージルは涙を拭いて鼻をかむ。その音はちょうど拍手にかき消された。
「お疲れ様、ヴァージル。ミリーの仕上がりはどう? って、わざわざあんたに訊かなくてもこの拍手でわかるわね。……ちょっと、ヴァージルどうしたの?」
タマラの顔を見て気が抜けたのか、くたくたとヴァージルがその場にうずくまる。慌てて立ち上がったタマラがその背をさすった。
「大丈夫、ありがとう。ただ、あんまりミリーが綺麗すぎて、人間じゃないみたいで」
「自分でお化粧しておいて……」
「うん、わかってるんだ。ドレスはタマラさんがデザインしたものだし、髪のセットも化粧も僕がした。ミリーが変わっていく過程を僕はずっとこの目で見てた。
なのに、お化粧を終えて、白いバラを髪に飾って目を開けたミリーが、僕の予想よりもずっとずっと綺麗で。――今にも彼女が僕の側からいなくなってしまいそうで、怖くなった」
「ねえ、ヴァージル。あんたはミリーの手を取って、一緒に幸せになることは出来ないの?」
歳の離れた弟を労るように、タマラが優しくヴァージルの背をさすりながら問いかける。
「ミリーの手を取って、一緒に幸せに?」
「何か事情があってミリーの側にいるんでしょう? その事情は彼女と思いを通じることさえ許されないものなの? あんたは確かにいろいろしてるだろうけど、幸せになったらいけない人間なんていないんだって信じたいのよ」
「僕は――幸せが怖い」
顔を上げたヴァージルが急にぽろぽろと涙を流し始めたので、タマラはバッグからハンカチを取り出して彼の目元に当てた。
「幸せが怖いの? どうして?」
「だって、いつかその幸せから背を向けなきゃ行けない日が来るから……。幸せであればあるほど、その後が辛いんだ。お姉様にも父上にも母上にもあんなに愛して貰ったのに、あの時は間違いなく幸せだったのに、僕は」
「ああ、もう、それ以上言わなくていいわ。ごめんなさい、もう訊かない。幸せな記憶を掘り返すのが悲しみだなんて、とんでもない歪みだわ。あんたの事情を私は知らない。訊こうとも思わない。あんたの苦しむ姿もミリーの苦しむ姿も見たくない」
いつもはおっとりとしている青年が、こどものように泣いている。タマラはヴァージルの頭を抱き寄せて優しく背を撫で続けた。
「昔、とても僕に優しくしてくれた人がいたんだ。少しタマラさんはあの人に似ている……ちょっとだけ、このまま」
「いいわよ、私の胸でいいならいくらでも泣きなさい」
「……胸板固いね」
「んもう、ミリーと同じこと言うんだから」
「ううん、タマラさんはタマラさんなんだって思えてほっとするよ」
「変な子ね。でも、そうやって笑ってなさいよ。へらへらした笑顔があんたのトレードマークでしょ」
「あとちょっとだけ……タマラさんは、幸せからいつか離れなきゃいけない時が来るとわかってても、その幸せに手を伸ばす勇気がある?」
「難しいわね……私に言えるのは、幸せだと思える以上それは心の中に温かく残り続けて、離れても自分を苦しめ続けるものではないということだけよ。でも、あんたがミリーから離れるときが来るってちょっと想像つかないんだわ。離れることが決まり切ったことなら、確かに手を伸ばすのは相手のことを思うとためらうわね」
「決まり切っていないなら、彼女の手を取ることもできる……か。明日、ミリーに一緒に外出しようと誘われたんだ。街を歩いて、劇場へ舞台を見に行って、行けそうなら美術館にも行って、お土産も買って、帰りは屋台で食事して帰ろうって」
「いいじゃないの。ふたりでゆっくり楽しんできなさいよ。私は美術館に入り浸る予定だけど、あなたたちの夕食について行くような野暮はしないわ。
ヴァージル、こんな機会はもうないかもしれないわ。あなたが心配しているのは、普段見慣れているミリーが美しくなりすぎるから、誰かに見初められないかってことなのよ。離れるのも辛い、取られるのも辛いなら、想いを告げてふたりで幸せになりなさい。私は誰にでも幸せになることは許されていると思うわ」
「ミリーは、僕の気持ちを受け入れてくれるかな」
タマラを見上げるヴァージルの表情があまりに弱々しかったので、大丈夫、とタマラは彼の頭をゆっくりと撫でる。
「今は胸の奥に眠っているかもしれない。でも、前にも言ったでしょう、あの子があんたのことを想ってる気持ちは本物よ。封じた気持ちを全部解放してあげなさい。その方が、ヴァージルのためにもミリーのためにもなるわ」
「そうだね。ありがとう、タマラさん。勇気が出たよ」
自分のハンカチを取り出し、ヴァージルは涙を拭いて鼻をかむ。その音はちょうど拍手にかき消された。
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