【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!

加藤伊織

文字の大きさ
上 下
88 / 154

88 もう、これ以上

しおりを挟む
「ミリー、イヴォンヌ様を中へ運ぶからドアを開けて」
「わかったわ」

 カモミールがドアを開け、ヴァージルがイヴォンヌを抱きかかえてラウンジへと運ぶ。
 ラウンジのソファにヴァージルがイヴォンヌを横たえると、彼女の顔色は白く、まぶたは固く閉ざされていた。

「ど、どうしよう……お医者様は一緒に乗っていないのよね?」
「侯爵家の使用人の中にいなければいないと思う。顔色は悪いけど、呼吸は安定してる。眠っているようにも見えるけど、気絶じゃないかな。――失礼します」

 律儀に断りを入れてからヴァージルはイヴォンヌの手を取った。そして少し眉を曇らせる。

「手が冷たいかな。もしかして冷たい風に急に当たって貧血とか起こしたのかもしれない。時々ミリーが倒れるときも、こんな感じなんだ」
「そうなのね、私自身はよく憶えてないんだけど――ヴァージル、このショールもイヴォンヌ様に掛けてあげて。私、メリッサ様にイヴォンヌ様のことを伝えてくるわ」
「わかった。ミリー、船が揺れるかもしれないから走らないようにね」

 カモミールは頷くとラウンジを出て階段を下った。
 だから、背後でヴァージルが小さく呟いた声は彼女には届かなかった。


「お姉様……あなたは今でも僕のことを忘れきってはいなかったんですね……」

 掠れる声で呟いたヴァージルの方が、イヴォンヌより顔色が悪い。
 冷えたイヴォンヌの手を握りしめ、ヴァージルはその手に頬を寄せた。

「ごめんなさい、記憶を完全に消せれば良かったけど、僕の未熟さのせいで優しいお姉様に辛い思いをさせていた……」

 誰かに見られれば、イヴォンヌとヴァージルの関係を疑われるところだ。
 ヴァージルは自分の目に滲んだ涙を手の甲で拭って、カモミールから受け取ったショールをイヴォンヌに掛ける。そのまま、彼女の頭の近くに立って控えていた。

 バタバタという足音がヴァージルの耳に届く。こういうときカモミールは気配を消したりすることがないのでわかりやすい。走らなくても、早足になるのを堪えられなかったのだろう。

「イヴォンヌ? まあ、本当に顔色が悪いわ。でもヴァージルも酷い顔色よ。立っていないでソファにお掛けなさい」

 カモミールの後に続いてやってきたのは、メリッサではなく侯爵夫人だった。その後にイザベラがゆっくりと続いている。

「お気遣いありがとうございます。失礼します」

 ヴァージルはソファに座り、深くため息をついた。ヴァージルの焦燥した様子に気づいたらしい侯爵夫人が視線を向けてくる。

「目の前でイヴォンヌ様が倒れられたので驚いてしまいました。呼びかけても意識は戻りませんが、呼吸は落ち着いております」
「あなたがイヴォンヌを運んでくれたのね、ありがとう。それにしても、そんなに青くなるほど驚かせてしまったのね」
「いえ、マーガレット様、ヴァージルが顔色を悪くしたのはその前からなのです。わたくしがイヴォンヌ様と話して笑っていたとき、急に『消えてしまうかと思った』と青くなって私の腕を取って。
 そう、その後です。イヴォンヌ様が少し様子をおかしくされ、『あなたまで私の前からいなくならないで』と仰って。……マーガレット様、イヴォンヌ様に弟様はいらっしゃるんでしょうか? いえ、いらっしゃったのでしょうか。トニーのように、と確かに仰いました」

 カモミールの説明に、ヴァージルは俯き、侯爵夫人は顎に手を当てて考え込んだ。

「エドマンド男爵家には男子はいないわ。ただ、『私の知る限り』という注が付くけれども。私が嫁ぐ前のことまでは詳しく知らないから、もしかすると幼いうちに亡くなったイヴォンヌの弟がいるのかもしれないわね。そういった話は一度も聞いたことがないのだけれど……」

 エドマンド男爵家はカモミールが養子に入る話も出た家門である。その話は立ち消えたが、書類上男子がいるという話はなかった。

「脈拍も特に問題ございませんね。まぶたの裏は……やはり貧血のようでございます、奥様」

 イザベラがイヴォンヌを診て、貧血らしいと言う診断を下した。経験豊かな侍女であり、女性の側に長く仕えているだけあって、女性が陥りやすい症状に詳しいのだろう。

「イヴォンヌが目を覚ましたら、今日は無理しないように休ませましょう。もしかすると準備で疲れていたのかもしれないわ。このショールは?」
「それは私とイヴォンヌ様が外にいたときにヴァージルが風が冷たいからと持ってきてくれた物です」
「ショールはタマラから借りて参りました。貧血と言うことでしたら、何か掛ける物をお持ちした方がよろしいですね」
「イヴォンヌとメリッサの部屋はミリーたちの部屋の向かいよ。ベッドにある毛布を持ってきてあげてちょうだい。ミリー、場所を案内してあげて」

 ヴァージルが立ち上がったので侯爵夫人が頷き、指示を出した。それに応えてカモミールとヴァージルは階段を下り、侍女たちの部屋へと向かう。

「イヴォンヌ様が心配だわ」
「そうだね……僕も心配だよ」

 カモミールは自分の部屋の前に辿り着き、反対側のドアをノックした。いらえがないのでメリッサは今中にはいないのだろうと勝手にドアを開ける。
 この部屋もカモミールたちの部屋と同じようにベッドが4つだった。しかしどれがイヴォンヌのベッドかわからないので、カモミールは一番手近なベッドから毛布を取り上げる。

「どれでも同じよね。ここが別の方のベッドだったら、後でイヴォンヌ様のベッドから毛布を移せばいいだけだし。――マーガレット様も心配していらっしゃったわね。私が侯爵邸で倒れたときもきっと凄くご心配をお掛けしたのよね……」
「待って、侯爵邸で倒れたって? そんな話僕は聞いてなかったよ?」

 カモミールを覗き込むヴァージルは相変わらず顔色が悪い。うっかり口を滑らせた話でこの過保護な幼馴染みを心配させたと気づいて、カモミールは少し顔をしかめてからわざと軽く話した。

「いつもの頭痛よ。頭痛の薬を持って行ってなかったものだから、侯爵様とマーガレット様との晩餐中にまた急に頭痛を起こして倒れたの。ちょっと痛みが酷くて気を失ったんだけど、次の日にはもうなんともなかったわ。おかげで次の日は一日中安静にしてなさいって言われちゃって……そっちの方が大変だったのよ」
「ミリー、そんなに意識を失うほど辛い頭痛が何度も起きてるの? 僕の前以外で?」
「たまーに、たまーに、よ。それにヴァージルが頭痛の原因のわけはないでしょ。いつどこで起きるかわからないだけ」
「……良くないよ。絶対良くない」
「そうね、その時診察してくださったスミス先生は、原因がわからなければ錬金医に見てもらうのもひとつの手だと仰ってたわ。通常の医学を飛び越えて、原因を解決することがあるからって。でも私の知ってる腕のいい錬金医って、ガストンなのよね……。それで行くに行けなくて、そのままになってるの」

 ヴァージルが毛布を抱えて歩きながら俯いていることは、前を歩くカモミールからはわからなかった。


 ラウンジに戻るとカモミールはイヴォンヌに掛けられたショールをどかし、ヴァージルがそこへそっと毛布を掛けた。

「それでは、わたくしは失礼いたします。意識のないご婦人の側にいるのも無作法かと思いますので」
「あら、イザベラにお茶を用意させているところよ。あなたも顔色が悪いのだし、温かい物を飲んでからにしたら?」
「侯爵夫人のお気遣いはありがたく存じます。――ですが、わたくしも少し船室で休みたいと思いますので」
「ヴァージル、本当に顔色が悪いわ。大丈夫?」

 カモミールはヴァージルの異変に気づいて、その手を取った。先程外にいたカモミールよりも手が冷たくなっている。

「まさかヴァージルまで貧血?」
「貧血を起こしたことがないから自覚症状はよくわからないけど、頭から血が下がったような感じだよ」
「それは良くないわ。王都についてからが大変なのだから、今はゆっくりお休みなさい?」
「はい、失礼いたします。――ミリー、そんなに心配そうな顔をしなくてもいいよ。部屋で横になってるから。君はお茶を楽しんで」
「辛かったらすぐに言ってね? 私に何ができるかわからないけど」

 カモミールの言葉にヴァージルは弱々しく微笑んで頷き、ラウンジを出て行った。


 ヴァージルに宛がわれた船室は使用人と一緒だったが、幸い今部屋には誰もいなかった。
 精神的にショックを受けたせいで、少し具合が悪くなったのは確かなことだった。自分のベッドに潜り込み、壁を向いて丸くなりヴァージルは独りごちる。

「もう……ミリーに魔法は絶対使えない。駄目だ、これ以上彼女を苦しませるなんて。僕の役目は終わってないけど、ミリーを壊したくない……いざというときには、またあそこから離れるしか……でも、その時に記憶を消すことでミリーに負担が掛かるなら……僕は、どうしたら」

 きつく目を閉じると、涙がこぼれて顔を伝い枕を濡らした。
 誰にも見られぬように頭から毛布を被り、いつしかヴァージルは眠りに落ちていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

【完結】契約結婚は円満に終了しました ~勘違い令嬢はお花屋さんを始めたい~

九條葉月
ファンタジー
【ファンタジー1位獲得!】 【HOTランキング1位獲得!】 とある公爵との契約結婚を無事に終えたシャーロットは、夢だったお花屋さんを始めるための準備に取りかかる。 花を包むビニールがなければ似たような素材を求めてダンジョンに潜り、吸水スポンジ代わりにスライムを捕まえたり……。そうして準備を進めているのに、なぜか店の実態はお花屋さんからかけ離れていって――?

蟲神様の加護を授って新しい家族ができて幸せですが、やっぱり虫は苦手です!

ちゃっぷ
ファンタジー
誰もが動物神の加護を得て、魔法を使ったり身体能力を向上させたり、動物を使役できる世界であまりにも異質で前例のない『蟲神』の加護を得た良家の娘・ハシャラ。 周りの人間はそんな加護を小さき生物の加護だと嘲笑し、気味が悪いと恐怖・侮蔑・軽蔑の視線を向け、家族はそんな主人公を家から追い出した。 お情けで譲渡された辺境の村の領地権を持ち、小さな屋敷に来たハシャラ。 薄暗く埃っぽい屋敷……絶望する彼女の前に、虫型の魔物が現れる。 悲鳴を上げ、気絶するハシャラ。 ここまでかと覚悟もしたけれど、次に目覚めたとき、彼女は最強の味方たちを手に入れていた。 そして味方たちと共に幸せな人生を目指し、貧しい領地と領民の正常化・健康化のために動き出す。

追放された引きこもり聖女は女神様の加護で快適な旅を満喫中

四馬㋟
ファンタジー
幸福をもたらす聖女として民に崇められ、何不自由のない暮らしを送るアネーシャ。19歳になった年、本物の聖女が現れたという理由で神殿を追い出されてしまう。しかし月の女神の姿を見、声を聞くことができるアネーシャは、正真正銘本物の聖女で――孤児院育ちゆえに頼るあてもなく、途方に暮れるアネーシャに、女神は告げる。『大丈夫大丈夫、あたしがついてるから』「……軽っ」かくして、女二人のぶらり旅……もとい巡礼の旅が始まる。

ぽっちゃり令嬢の異世界カフェ巡り~太っているからと婚約破棄されましたが番のモフモフ獣人がいるので貴方のことはどうでもいいです~

翡翠蓮
ファンタジー
幼い頃から王太子殿下の婚約者であることが決められ、厳しい教育を施されていたアイリス。王太子のアルヴィーンに初めて会ったとき、この世界が自分の読んでいた恋愛小説の中で、自分は主人公をいじめる悪役令嬢だということに気づく。自分が追放されないようにアルヴィーンと愛を育もうとするが、殿下のことを好きになれず、さらに自宅の料理長が作る料理が大量で、残さず食べろと両親に言われているうちにぶくぶくと太ってしまう。その上、両親はアルヴィーン以外の情報をアイリスに入れてほしくないがために、アイリスが学園以外の外を歩くことを禁止していた。そして十八歳の冬、小説と同じ時期に婚約破棄される。婚約破棄の理由は、アルヴィーンの『運命の番』である兎獣人、ミリアと出会ったから、そして……豚のように太っているから。「豚のような女と婚約するつもりはない」そう言われ学園を追い出され家も追い出されたが、アイリスは内心大喜びだった。これで……一人で外に出ることができて、異世界のカフェを巡ることができる!?しかも、泣きながらやっていた王太子妃教育もない!?カフェ巡りを繰り返しているうちに、『運命の番』である狼獣人の騎士団副団長に出会って……

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです

ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。 女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。 前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る! そんな変わった公爵令嬢の物語。 アルファポリスOnly 2019/4/21 完結しました。 沢山のお気に入り、本当に感謝します。 7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。 2021年9月。 ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。 10月、再び完結に戻します。 御声援御愛読ありがとうございました。

婚約破棄され逃げ出した転生令嬢は、最強の安住の地を夢見る

拓海のり
ファンタジー
 階段から落ちて死んだ私は、神様に【救急箱】を貰って異世界に転生したけれど、前世の記憶を思い出したのが婚約破棄の現場で、私が断罪される方だった。  頼みのギフト【救急箱】から出て来るのは、使うのを躊躇うような怖い物が沢山。出会う人々はみんな訳ありで兵士に追われているし、こんな世界で私は生きて行けるのだろうか。  破滅型の転生令嬢、腹黒陰謀型の年下少年、腕の立つ元冒険者の護衛騎士、ほんわり癒し系聖女、魔獣使いの半魔、暗部一族の騎士。転生令嬢と訳ありな皆さん。  ゆるゆる異世界ファンタジー、ご都合主義満載です。  タイトル色々いじっています。他サイトにも投稿しています。 完結しました。ありがとうございました。

【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する

影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。 ※残酷な描写は予告なく出てきます。 ※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。 ※106話完結。

処理中です...