上 下
9 / 154

9 フレーメ派とマクレガー派

しおりを挟む
 テオドール・フレーメが錬金術の黄金時代を築いたのは、300年ほど前のことだ。彼はそれまで理論上は可能と言われていた賢者の石の錬成をとうとう成功させ、知恵の小人と呼ばれるホムンクルスを生み出し、万能薬エリクサーで不治の病すら癒やし、錬金術の極致とされた金を小山のように作り上げて富を積んだ。栄光に包まれた彼の錬金術師としての経歴だが、「彼に作れないものは毛生え薬以外無い」という言葉は定番の冗談として民衆に広まっている。

 その上テオドールはただの錬金術師であるに留まらず、柄に賢者の石を嵌め込んだアゾットと呼ばれる長剣で自ら戦う冒険者でもあった。フレイムドラゴンの討伐譚などは、フレーメが死後教会から破門されても、吟遊詩人の好んで歌う、誰にでも馴染み深い逸話になった。

 しかし、テオドールの死後、錬金術は急激に斜陽の時代を迎える。
 幾人もいた弟子は彼の至った境地に辿り着くことはできず、まず技術としての錬金術が衰えた。
 そこに重なるように、魔法使いの資質を持つこどもが突然減った。魔法使いを管理する魔術師の塔が早い段階で異変を感じて調査をしたところ、魔力の源となるマナが世界中から減っていることを突き止めた。

 錬金術という科学の進歩に道を譲るように、原始の力と言われた魔法はこの頃からどんどんと消えていった。しかしそれは皮肉にも、魔力を使う錬成を行っていた当時の主流の錬金術の先がないことを示していた。


 状況が変わったのは80年程前のこと。
 大陸中に疫病が蔓延し、実に人口の2割にも及ぶ死者が出た。
 大疫禍に人々が疲弊しきったとき、アリッサ・マクレガーという医師であり錬金術師でもある女性が疫病の原因を突き止めたことがきっかけで、この病は終息へと向かった。

 アリッサは夫と息子を病で亡くしながらも研究を続け、医師としての知識によりこの病が徹底した衛生管理により防げるとの結論に至った。そして、錬金術師としては石けんの大量生産を行い、体表の清潔さを保つこと、特に念入りな手洗いを推奨。意図的に石けんの価格を大幅に下落させ、平民であっても誰もがパンと同じように簡単に手に入れられる物にした。
 最初は私財を投じて行われた石けんの貧民街などへの配布は、当時の国王の理解により国費によって賄われるようになった。そして、安価な石けんの製造法を他国の錬金術師に対してでも惜しみなく開放したために、大陸から疫病を駆逐することに成功する。

 最初こそ入手しやすい獣脂が石けんには使われていたが、それだけでは供給が追いつかなかったために当時は高価であった植物油も材料として使われるようになった。それ以来、油の採りやすい植物、特にオリーブの生産は気候の適応する各所で奨励され、植物油を主な原料とする生臭い匂いもせず日持ちしやすい石けんが普及した。

 アリッサはその後も錬金術と医術を融合させた錬金医として活躍し、自らの錬金術を身の回りのささやかな物を作る錬金術として「小さな錬金術」と称した。これに対して従来の錬金術は「大錬金術」とも呼ばれるようになる。

 疫病の終息からちょうど20年、55歳で生涯を閉じたアリッサの錬金術はマクレガー派とも呼ばれるようになり、近代錬金術の祖としてその名を残したのだ。



 紺色のスカートが床に触れないように気をつけながら、カモミールは錬金釜の精霊の側にかがみ込んだ。手を伸ばして揺すり、彼を起こそうとする。

「寝てる場合じゃないですよー、起きて起きて」

 しばらく揺すっていると、眉間に皺を寄せて錬金釜が唸りながら身を起こした。彼の着ている茶色いローブは、見事に埃まみれで白くなっている。

「起きた? まずそのローブ何とかしようか。脱げる?」
「いや待て……これは変えられそうな気がする……こんなんでどうだ」

 カモミールとヴァージルの目の前で、小汚くなったローブは白いシャツと黒いズボン、それに革のベストとショートブーツという出で立ちに変化した。ヴァージルと同じ服装なのは言うまでもない。ヴァージルは笑顔を崩さず「一般的でいいんじゃないかな」と受け流している。

「まずちょっと、いろいろ確認したいことがあるんだけど」

 カモミールは身振りで錬金釜に椅子を勧め、自分も椅子に腰掛けた。

「私はこの工房の持ち主です。名前はカモミール・タルボット。愛称はミリーよ。カモミールでもミリーでも好きな方で呼んでいいわ。彼は私の友達でヴァージル・オルニー。あなた、名前は?」
「カモミールか、よろしくな。俺の名前は――名前はないな」

 顎に手を当てて考え込む錬金釜にカモミールは少し考え込み、パチリと指を鳴らした。

「テオドール・フレーメのそっくりさんなんでしょ? じゃあテオでよくない?」
「俺の好きでそっくりさんなんじゃねえけどなー!? 気がついたらこの姿形だったんだよ!」
「でもテオドール・フレーメ大好きでしょ?」
「そ、そりゃ、まあ……な。テオ、テオか……。悪くはないな」

 なぜか照れる錬金釜に、決まりね、とカモミールは手を叩いた。

「ミ、ミリー! 何やってるの!? 精霊に名前を付けるっていうのは、その名前で精霊を縛るっていうことなんだよ!?」

 蒼白になったヴァージルがカモミールの肩を掴む。聞いたことのない話に目を瞬かせながら、カモミールは首を傾げる。

「何か問題あるの?」
「大ありだよ! 精霊に名付けをして使役するには魔力が必要だって言われてる。ミリーは魔力なしだから、何か別の代償を払ってるはずなんだ」
「別の代償……って、例えば?」

 自分が魔力を持たないことは自覚していたし、魔法や精霊というものに今まで関わることがなかったので、カモミールにはヴァージルが慌てているのが理解出来なかった。

「寿命、とか」

 重々しく告げられたその一言で、カモミールは体中が凍り付いたような衝撃を受けた。ほんの少し前の自分に、軽率なことはするなと警告したい気持ちで一杯だ。

「寿命!? ど、どのくらい持って行かれるの?」
「ごめん、僕もそこまでは知らない。寿命とも限らないし、魔力に匹敵するもの、としか……」
「テオは知ってる!? 精霊なんだから知ってるんじゃないの?」
「いや、俺も知らねえけど――おい、カモミール。髪」
「髪? 髪がどうしたの!? まさか私テオに名付けたからフレーメみたいに禿げた!?」
「いやいや、そんな訳ねえだろ、どんな呪いだよ、そりゃ。そうじゃなくて、おまえの髪の毛、ちょっと短くなってんぞ」
「うええっ!?」

 テオの言葉を確かめようとカモミールが自分のお下げを手に取ろうとした瞬間、髪を束ねていた紐がはらりと落ちた。頭を動かすと、もう一本の紐も床に落ちているのが見える。

「本当だ、短くなってる……。でも結んでた先くらいかな。もしかして、私の髪の毛が代償?」
「そうだよ! 女性の髪には魔力が宿るって話があるくらいだからね! あああ、ミリー! 良かったよー、ミリーの寿命じゃなくて本当に良かった」

 ヴァージルががばりとカモミールに抱きついた。彼が震えているのに気がついて、とんでもない心配を掛けたのだと申し訳なくなる。

 それにしても、自分は「魔力無し」なのに髪の毛には魔力が宿ってるのか――そう思うと複雑な気持ちになるカモミールだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

落ちこぼれ一兵卒が転生してから大活躍

きこうダきこう
ファンタジー
 王国騎士団の一兵卒だった主人公が魔王軍との戦闘中味方の誰かに殺され命を落とした後、神の使いより死ぬべき運命ではなかったと言い渡され、魂は死んだ時のままで再び同じ人生を歩んでいく事となった。  そのため幼少時代トロルによって家族を殺され、村を滅ぼされた出来事を阻止しようと思い、兄貴分的存在の人と父親に話し賢者と呼ばれる人やエルフ族らの助けを借りて襲撃を阻止した。  その後前世と同じく王国騎士団へ入団するための養成学校に入学するも、入学前に賢者の下で修行していた際に知った兄貴分的存在の人と幼馴染みに起こる死の運命を回避させようとしたり、前世で自分を殺したと思われる人物と遭遇したり、自身の運命の人と出会ったりして学校生活を堪能したのだった。  そして無事学校を卒業して騎士団に入団したが、その後も自身の運命を左右させる出来事に遭遇するもそれらを無事に乗り越え、再び魔王軍との決戦の場に赴いたのだった······。

この幸せがあなたに届きますように 〜『空の子』様は年齢不詳〜

ちくわぶ(まるどらむぎ)
ファンタジー
天寿を全うしたチヒロが生まれ変わった先は、なんと異世界だった。 目が覚めたら知らない世界で、少女になっていたチヒロ。 前世の記憶はある。でも今世の記憶は全くない。 そんなチヒロは人々から『空の子』様と呼ばれる存在になっていた! だけど『空の子』様とは《高い知識を持って空からやってくる男の子》のことらしい。 高い知識なんてない。男の子でもない。私はどうしたら? 何が何だかわからないまま、それでも今を受け入れ生きていこうとするチヒロ。 チヒロが現れたことで変わっていく王子レオン、近衛騎士のエリサ。そしてシンを 始めとするまわりの人々。そのうち彼女の秘密も明らかになって?  ※年ごとに章の完結。  ※ 多視点で話が進みます。設定はかなり緩め。話はゆっくり。恋愛成分はかなり薄いです。   3/1 あまりに恋愛要素が薄いためカテゴリーを変更させていただきました。     ただ最終的には恋愛話のつもり……です。優柔不断で申し訳ありません。  ※ 2/28 R15指定を外しました。  ※ この小説は小説家になろうさんでも公開しています。

【完結】婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫+その娘の女児付き)

シルク
ファンタジー
転生したら乙女ゲームの悪役令嬢でした。婚約破棄イベント前日に過去の記憶を取り戻した侯爵令嬢アンジュ・バーネット。シナリオ通りに、公衆の面前で王子から婚約破棄&王都追放を言い渡されたけれど、堅苦しい王妃候補生活&陰謀渦巻く学園生活とはこれでおさらば。 追放された辺境村の古びた屋敷で、のんびり自由な独り身ライフ……のはずが、成り行きで、パーティーを追放された元勇者「剣聖ユースティス」を家政夫に雇い、その娘・幼女ココも同居人に。 家事全般は元勇者の家政夫に任せて、三食昼寝付きスローライフ&まったり錬金術生活! こうなったら、思う存分自由気ままな人生を楽しみたいと思います。

孤独な腐女子が異世界転生したので家族と幸せに暮らしたいです。

水都(みなと)
ファンタジー
★完結しました! 死んだら私も異世界転生できるかな。 転生してもやっぱり腐女子でいたい。 それからできれば今度は、家族に囲まれて暮らしてみたい…… 天涯孤独で腐女子の桜野結理(20)は、元勇者の父親に溺愛されるアリシア(6)に異世界転生! 最期の願いが叶ったのか、転生してもやっぱり腐女子。 父の同僚サディアス×父アルバートで勝手に妄想していたら、実は本当に2人は両想いで…!? ※BL要素ありますが、全年齢対象です。

転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~

丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。 一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。 それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。 ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。 ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。 もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは…… これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。

錬金術師の成り上がり!? 家族と絶縁したら、天才伯爵令息に溺愛されました

悠十
恋愛
旧題:『ハーレム主人公』とサヨナラしました  家族にとって『どうでも良い子』。それが、レナだった。  いつしか家族からの愛情を諦めたレナの心の支えは、幼馴染の男の子だった。しかし、彼の周りには女の子が侍るようになった。  そして彼は言った。 「みんな好きだよ」  特別が欲しいレナは、彼から離れることを選択した。  だけど、彼が何故か追って来て…… 「なんで俺から離れるんだ⁉」 「私にハーレムは無理!」  初恋くらい、奇麗に終わらせたいんだけどな⁉ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎関連作品 『野良錬金術師ネモの異世界転生放浪録(旧題:野良錬金術師は頭のネジを投げ捨てた!)』 『野良錬金術師ネモの異世界学園騒動録』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◎お知らせ 2022/01/13 いつも閲覧いただき、ありがとうございます。 今回、『ハーレム主人公とサヨナラしました』の書籍化のお話しを頂き、現在調整中です。 また、その調整の中で、改題を検討中です。 改題をする事になりましたら、旧題も載せておきますが、少し混乱をさせてしまうかもしれません。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/01/20 現在書籍化の話が進んでいるため、該当部分を1月27日を目途に引き下げることになりました。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/01/27 書籍化調整にあたり、改題をいたしました。 また、設定の一部変更がありましたことをお知らせいたします。 イヴァン(男爵令息→伯爵令息) 書籍化予定の該当部分の小説を引き下げをいたしました。 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。 2022/02/28 書籍の販売が開始されました。 お手に取ってご覧いただけましたら幸いです。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

その幼女、最強にして最恐なり~転生したら幼女な俺は異世界で生きてく~

たま(恥晒)
ファンタジー
※作者都合により打ち切りとさせて頂きました。新作12/1より!! 猫刄 紅羽 年齢:18 性別:男 身長:146cm 容姿:幼女 声変わり:まだ 利き手:左 死因:神のミス 神のミス(うっかり)で死んだ紅羽は、チートを携えてファンタジー世界に転生する事に。 しかしながら、またもや今度は違う神のミス(ミス?)で転生後は正真正銘の幼女(超絶可愛い ※見た目はほぼ変わってない)になる。 更に転生した世界は1度国々が発展し過ぎて滅んだ世界で!? そんな世界で紅羽はどう過ごして行くのか... 的な感じです。

処理中です...