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第三章 煌めきの王子と王宮勤め

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 王宮で働くというのは具体的にどういうことをするのか、エミリアはこれまで考えてみたこともなかった。

 揃いのお仕着せに身を包み、王族方の傍で身の周りの世話をするのは、実は良家の子女ばかりなのだそうだ。

 彼女たちの手伝いをするのが、庶民出身の者。



 突然入ってきた新入りたち――あきらかに庶民、それなのに王子の肝入り――に、ほとんどの者はいい顔をしなかったが、中には親切な者もいた。



「私たちみたいな下っ端は、王子殿下の物に直接手を触れることもできないから、高貴な身分の方に間に入ってもらうんですよ」



 アニータと名乗ったエミリアと同じくらいの年齢の侍女は、てきぱきと動き回りながら、エミリアたちが失敗をして叱られたりしないようにと、よく気をつけてくれた。



「この部屋にある物には手を触れないようにして、掃除もするんです」

「ふーん」



 面倒な世界なのだなと、エミリアは感心するばかりだった。



 棒の先に布を付けた道具で調度品の埃を払っていると、部屋の前の廊下のほうが騒がしくなる。



 慌てて掃除道具を背中に隠し、扉の両脇にズラリと二列に並んだアニータたちに倣って、エミリアとフィオナも、部屋の主を迎え入れる体勢を取り、頭を下げた。



 音もなく滑り開いた両手開きの立派な扉を抜けて、フェルナンド王子が部屋に入ってきた。

 うしろにはランドルフとアウレディオも従っていたが、頭を下げたままのエミリアとフィオナにはもちろん見えるはずもない。



「ここの掃除はもういいから、少しの間人払いをしておいてくれないか? ああ、エミリアとフィオナだけは残って」



 フェルナンド王子のものと思われる声が頭上で響き、侍女たちの胸中に目には見えない戦慄が走った気配を感じたが、あまりに恐ろしすぎて、エミリアはそっちを見る勇気はなかった。



 静々と出ていく侍女たちがみんないなくなってから、エミリアはふうっと本当に大きな大きなため息を吐いた。



「はははっ! ずいぶん気を遣っていたようだね」



 エミリアの極度の緊張も明るく笑い飛ばしてしまう王子は、心の中では様々なことを画策しているようでもあるが、どこか憎めない。



 どうぞと勧められるままに、さっきまでは手を触れることさえできなかった革張りの大きな椅子に腰かけ、エミリアはホッと一息ついた。



「すまない。いろいろと手続きに手間取ってしまったが、ようやく君たちを式典に同行させる許可が下りた」

「そうですか」



 王子が語っているのは、感謝祭の初日で思わぬアクシデントのために延期になっていた、王室の方々の露台での挨拶のことだった。



 結局感謝祭の最終日に行われることになり、その場にエミリアたちを同行させようとして、フェルナンド王子はあれこれと策を講じた。



 嘆願書の中には国王陛下のお気に入りの画家であるエミリアの父の名も、由緒正しき名家の出身だったアウレディオの祖父の名も、騎士の家系として名高いランドルフの家も、引っ張り出せるだけのものを引っ張り出した。



 ただ一人、フィオナだけは何の肩書きも持たなかったのだが、王宮に来て早々に見かけたある上流貴族の体調不良の原因を、オーラの色で言い当ててしまったために、『高名な占い師』という誰にも負けない箔がついた。



 自分自身の能力で道を切り開いた姿を、ランドルフが思わず、「うらやましい」と呟いてしまうほどの運の良さである。



「それで……明日の式典でエミリアにさせたいって仕事というのは、いったい何なんですか?」



 王宮の中で働かせてもらうようになってからもう二日。

 はぐらかされてばかりで一向に教えて貰えなかったことの答えを、満を持してアウレディオは求めた。



 精神力の強さを感じさせる真っ直ぐな瞳には、これ以上ごまかされはしないという意志がこめられていた。



 フェルナンド王子は、おつきのランドルフとフィオナとクラウデイオの顔を順に見渡し、ついにエミリアに視線を向けた。



「君に時間を止めてもらいたいと思って」



 いつもどこかに笑みを含んでいるふうだったフェルナンドの真剣な顔に、エミリアはつい視線を奪われ、言われた内容がとんでもないものだったにもかかわらず、とっさに反応ができなかった。



「え……?」



 ぽかんと口を開いたエミリアを薄く笑い、フェルナンドはもう一度くり返す。



「お願いだ。私のために時間を止めてくれ」



 瞳だけはずっと真剣で、いつもの華やかさとはまた違った、少し陰のある美しい表情をしていた。



「あの……本気でおっしゃってるんですか?」



 首を傾げたフィオナに、しっかりと頷いている。



「もちろん本気だ」

「エミリアにそんなことができると?」

「ああ。私はそう信じている」



 静かな声にこめられた厚い信頼に、エミリアは身震いするような思いだった。



(確かに……確かに感謝祭の初日、私が叫んだ瞬間、時間が止まったような気がした。私と王子以外の人たちはみんな動きを止めたと思った。だけど……)



 緊張で汗ばむてのひらをぎゅっと握りしめる。



(あれってやっぱり私がやったことだったのかな……? でももう一度やれっていわれたって、どうやったらいいのかもわからない……)



 寄せられる信頼の眼差しは嬉しくても、それに応えられるのかどうかが不安だった。

 不安で不安で俯くことしかできない。



「エミリア」



 ふいに名前を呼ばれた。



 ふり返ると真っ直ぐにアウレディオがエミリアを見つめていた。



「大丈夫だ。大丈夫だから、お前のやりたいようにしろ」

「ディオ……」



『何が大丈夫なのよ、無責任なこと言わないで!』といつものように声を大にして怒りたかったが、声が出なかった。

 自分を見つめる蒼い瞳のあまりの優しさに、喉が詰まって上手くしゃべれない。



「ディオ……」



 情けなく名前を呼ぶしかないエミリアに、アウレディオが少し眉を下げて小さく笑いかける。

(まったく困った奴だな)とでも言いたげなその表情に、不思議とエミリアの心が温まった。

 最初から無理だと諦めずに、せいいっぱい努力してみようと思えるだけの勇気が湧いた。



「私……やってみます。できるかどうかわからないけど、せいいっぱいやってみます」



 拳をぎゅっと握り直して、エミリアは宣言した。

 息を詰めるようにしてエミリアの返事を待っていたフェルナンド王子の顔も、ようやく綻ぶ。



「ありがとう。本当にありがとう」



 ふいに、両手を大きく広げてその中にすっぽりと抱きしめられ、エミリアの頭がぼっと火が点いたかのように熱くなる。



(え? あれ? ええっ?)



 自分が今置かれている状態を再確認し、今にも沸騰してしまいそうに、ますます頭が茹だった。

 あまりに一度に血液が集まりすぎて、だんだん意識が遠退いていく。



(待って! 待って……せっかくフェルナンド様が抱きしめて下さったのに!)



 歯ぎしりしそうに悔しく思いながら、泣く泣く意識を手放した。
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