60 / 103
第四章 錆色の迷宮
60:告解2
しおりを挟む
「私がこの町に来る前に住んでいたのは、紅君が育ったあの街……そして私たちは同じ小学校に通う同級生だった……」
そういう爆弾発言から始まる昔話を、蒼ちゃんはひどく驚いたりはせず、穏やかに聞いてくれた。
私が言葉に詰まった時は助け舟を出してくれるし、言いにくいことはさらりと先に口にしてくれる。
あいかわらずの心配りがありがたかった。
「そっか……紅也と一緒に事故に遭った女の子って、千紗ちゃんだったんだ……どうりであの街でいくら探したって見つからないわけだ……」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい!」
膝につきそうなほど深々と下げた頭を、ポンと軽く叩かれた。
内心、蒼ちゃんがそういうふうに私に接してくれることはもうないだろうと思っていたので、ひどく驚いた。
(…………え?)
「謝らなくっていい……本当は思い出すのだって苦しいでしょ? なのに僕に話してくれた……それが嬉しいよ。ありがとう……だから千紗ちゃんは余計なことは気にしなくっていい」
「蒼ちゃん!」
驚いて顔を上げると、やはりいつものように笑ってくれている。
思わずその笑顔に手を伸ばして縋りつきかけ、私はそういう自分を慌てて諫めた。
(ダメだ……ダメ)
「でも……そっか……そうだったんだなあ……」
蒼ちゃんは苦笑しながら、自分のボサボサの髪に手をつっこむ。
ギュッと両目を瞑り、前髪をかき上げながらそのまま空を見上げた。
これほど動揺した蒼ちゃんを見たのは、初めてだった。
そう思ったから――気がついた。
そういえば出会った時からほぼ、私は蒼ちゃんの笑顔以外の顔を見ていない。
まるで生まれた時から笑顔だったかのように、いつも優しく笑っている人だから、不思議に思わなかったが、考えてみればおかしな話だ。
(いくら蒼ちゃんだって、嫌なことや辛いこと、悲しいことだってあるはず……なのにいつも笑顔だなんて……)
無理していたのだろうと思う。
いや、無理をさせていたのはおそらく私だ。
「ごめんなさい、蒼ちゃん……」
声に出して言うと、蒼ちゃんが私へ視線を戻した。
ぶ厚い眼鏡の向こうから私を見つめる優しい瞳。
いつ見てもそれだけは紅君とそっくりだ。
私がそういうことを考えてる間も、蒼ちゃんは苦しさを滲ませながら――やはり笑っている。
「謝らなくっていいって……千紗ちゃんには絶対に譲れないものがあるって、僕はちゃんとわかってたんだから……どう? たいしたものでしょ? ……でも、紅也に対しては態度が違ったから、ああ僕じゃダメなのかな、なのに紅也ならいいのかななんて、みっともなく落ちこんだりもしたけど……そっか……最初から紅也だったんなら納得だ……千紗ちゃんの譲れないものってあいつだったんだなあ……」
「蒼ちゃん……! 私……」
私が蒼ちゃんに惹かれていた気持ちは嘘ではない。
このまま彼の隣にいようと、一時は本気で思った。
以前自分が紅君にしてもらったように、蒼ちゃんの力になりたいと願った想いは、確かに本物だった。
ただ、やはりそれでも紅君が私にとって特別だった。
そうしようなどと頭で考える間もなく、自然と体が動いてしまった。
だから蒼ちゃんが自分を卑下する必要などない。
できることなら『私は蒼ちゃんのことも大好きだ』と言ってしまいたい。
しかしそれは絶対に口にしてはいけない言葉だ。
「紅也に本当のことを話さなくていいの?」
とても悲しそうな瞳で、それなのに表情だけは無理に笑顔を作り、どうして蒼ちゃんは私のことばかり気にするのだろう。
もう放っておいていいのに、知らんふりしていいのに、それでも気遣ってくれる。
「うん……前に蒼ちゃんが言ってたのと、私も同じ気持ちだから……思い出しても辛いことが多いから、紅君には思い出してほしくない」
蒼ちゃんは詰めていた息を少し吐いた。
「ありがとう……ごめんね……あいつにとって千紗ちゃんは、きっと特別だったんだろうにね……そして千紗ちゃんにとっても……でしょ?」
いつの間にか固く組まれていた蒼ちゃんの両手が、小さく震えている。
まるで祈るような格好で胸の前に組まれたまま、カタカタと震えていた。
「蒼ちゃん……」
だめだ、私のほうが、もう胸が痛くてたまらない。
これほど優しく、愛情に溢れた人を、どうして私は傷つけることしかできなかったのだろう。
初めから背を向けていればよかったのか、深く関わらないようにすればよかったのか、後悔ばかりが募る。
紅君ともう一度ひきあわせてくれたのは蒼ちゃんだ。
感謝のしようもないのに、私は何も返せない。
彼が望んでいたものは何か――よくわかっているのに、それは決して与えられない。
「蒼ちゃん……」
「千紗ちゃん!」
私の呟きと、蒼ちゃんの叫びが重なった。
蒼ちゃんは深く俯き、私へ背を向ける。
「ごめん……ちょっと、今はもう無理だ……今度会う時はきっといつもどおり笑うから……笑えるようになってるから……だからごめん……」
蒼ちゃんが何を言いたいのかはわかる。
ひょろりと背の高い背中が、小刻みに揺れている。
それは私が見てはいけない姿だ――蒼ちゃんがおそらく誰にも見られたくない姿だ。
だから私は蒼ちゃんへ背を向け、駆けだした。
「ごめんなさい……蒼ちゃん!」
懺悔の言葉だけ、彼の傍に残すように叫び、その場から逃げた。
涙は止まらなかった。
当然だ。
あれほど自分を大切にしてくれた人に、酷いことをした。
酷いことしかできなかった。
たとえ蒼ちゃんが、次に会う時は平気な顔をしてくれても、何事もなかったかのように笑いかけても、自分で自分が許せない。
もう許せない。
(会えないよ……! もう蒼ちゃんにも……紅君にも会えない!)
おそらくそれがいい。
私は紅君に記憶をとり戻して欲しくはないし、蒼ちゃんをこれ以上傷つけたくもない。
ましてや、私のせいであの仲のいい兄弟の関係がおかしくなってしまうのは、絶対に嫌だ。
(私が一人……いなくなればいい……)
そう決意して、叔母たちが営む小さな弁当屋へ駆け戻った。
そういう爆弾発言から始まる昔話を、蒼ちゃんはひどく驚いたりはせず、穏やかに聞いてくれた。
私が言葉に詰まった時は助け舟を出してくれるし、言いにくいことはさらりと先に口にしてくれる。
あいかわらずの心配りがありがたかった。
「そっか……紅也と一緒に事故に遭った女の子って、千紗ちゃんだったんだ……どうりであの街でいくら探したって見つからないわけだ……」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい!」
膝につきそうなほど深々と下げた頭を、ポンと軽く叩かれた。
内心、蒼ちゃんがそういうふうに私に接してくれることはもうないだろうと思っていたので、ひどく驚いた。
(…………え?)
「謝らなくっていい……本当は思い出すのだって苦しいでしょ? なのに僕に話してくれた……それが嬉しいよ。ありがとう……だから千紗ちゃんは余計なことは気にしなくっていい」
「蒼ちゃん!」
驚いて顔を上げると、やはりいつものように笑ってくれている。
思わずその笑顔に手を伸ばして縋りつきかけ、私はそういう自分を慌てて諫めた。
(ダメだ……ダメ)
「でも……そっか……そうだったんだなあ……」
蒼ちゃんは苦笑しながら、自分のボサボサの髪に手をつっこむ。
ギュッと両目を瞑り、前髪をかき上げながらそのまま空を見上げた。
これほど動揺した蒼ちゃんを見たのは、初めてだった。
そう思ったから――気がついた。
そういえば出会った時からほぼ、私は蒼ちゃんの笑顔以外の顔を見ていない。
まるで生まれた時から笑顔だったかのように、いつも優しく笑っている人だから、不思議に思わなかったが、考えてみればおかしな話だ。
(いくら蒼ちゃんだって、嫌なことや辛いこと、悲しいことだってあるはず……なのにいつも笑顔だなんて……)
無理していたのだろうと思う。
いや、無理をさせていたのはおそらく私だ。
「ごめんなさい、蒼ちゃん……」
声に出して言うと、蒼ちゃんが私へ視線を戻した。
ぶ厚い眼鏡の向こうから私を見つめる優しい瞳。
いつ見てもそれだけは紅君とそっくりだ。
私がそういうことを考えてる間も、蒼ちゃんは苦しさを滲ませながら――やはり笑っている。
「謝らなくっていいって……千紗ちゃんには絶対に譲れないものがあるって、僕はちゃんとわかってたんだから……どう? たいしたものでしょ? ……でも、紅也に対しては態度が違ったから、ああ僕じゃダメなのかな、なのに紅也ならいいのかななんて、みっともなく落ちこんだりもしたけど……そっか……最初から紅也だったんなら納得だ……千紗ちゃんの譲れないものってあいつだったんだなあ……」
「蒼ちゃん……! 私……」
私が蒼ちゃんに惹かれていた気持ちは嘘ではない。
このまま彼の隣にいようと、一時は本気で思った。
以前自分が紅君にしてもらったように、蒼ちゃんの力になりたいと願った想いは、確かに本物だった。
ただ、やはりそれでも紅君が私にとって特別だった。
そうしようなどと頭で考える間もなく、自然と体が動いてしまった。
だから蒼ちゃんが自分を卑下する必要などない。
できることなら『私は蒼ちゃんのことも大好きだ』と言ってしまいたい。
しかしそれは絶対に口にしてはいけない言葉だ。
「紅也に本当のことを話さなくていいの?」
とても悲しそうな瞳で、それなのに表情だけは無理に笑顔を作り、どうして蒼ちゃんは私のことばかり気にするのだろう。
もう放っておいていいのに、知らんふりしていいのに、それでも気遣ってくれる。
「うん……前に蒼ちゃんが言ってたのと、私も同じ気持ちだから……思い出しても辛いことが多いから、紅君には思い出してほしくない」
蒼ちゃんは詰めていた息を少し吐いた。
「ありがとう……ごめんね……あいつにとって千紗ちゃんは、きっと特別だったんだろうにね……そして千紗ちゃんにとっても……でしょ?」
いつの間にか固く組まれていた蒼ちゃんの両手が、小さく震えている。
まるで祈るような格好で胸の前に組まれたまま、カタカタと震えていた。
「蒼ちゃん……」
だめだ、私のほうが、もう胸が痛くてたまらない。
これほど優しく、愛情に溢れた人を、どうして私は傷つけることしかできなかったのだろう。
初めから背を向けていればよかったのか、深く関わらないようにすればよかったのか、後悔ばかりが募る。
紅君ともう一度ひきあわせてくれたのは蒼ちゃんだ。
感謝のしようもないのに、私は何も返せない。
彼が望んでいたものは何か――よくわかっているのに、それは決して与えられない。
「蒼ちゃん……」
「千紗ちゃん!」
私の呟きと、蒼ちゃんの叫びが重なった。
蒼ちゃんは深く俯き、私へ背を向ける。
「ごめん……ちょっと、今はもう無理だ……今度会う時はきっといつもどおり笑うから……笑えるようになってるから……だからごめん……」
蒼ちゃんが何を言いたいのかはわかる。
ひょろりと背の高い背中が、小刻みに揺れている。
それは私が見てはいけない姿だ――蒼ちゃんがおそらく誰にも見られたくない姿だ。
だから私は蒼ちゃんへ背を向け、駆けだした。
「ごめんなさい……蒼ちゃん!」
懺悔の言葉だけ、彼の傍に残すように叫び、その場から逃げた。
涙は止まらなかった。
当然だ。
あれほど自分を大切にしてくれた人に、酷いことをした。
酷いことしかできなかった。
たとえ蒼ちゃんが、次に会う時は平気な顔をしてくれても、何事もなかったかのように笑いかけても、自分で自分が許せない。
もう許せない。
(会えないよ……! もう蒼ちゃんにも……紅君にも会えない!)
おそらくそれがいい。
私は紅君に記憶をとり戻して欲しくはないし、蒼ちゃんをこれ以上傷つけたくもない。
ましてや、私のせいであの仲のいい兄弟の関係がおかしくなってしまうのは、絶対に嫌だ。
(私が一人……いなくなればいい……)
そう決意して、叔母たちが営む小さな弁当屋へ駆け戻った。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
彼女があなたを思い出したから
MOMO-tank
恋愛
夫である国王エリオット様の元婚約者、フランチェスカ様が馬車の事故に遭った。
フランチェスカ様の夫である侯爵は亡くなり、彼女は記憶を取り戻した。
無くしていたあなたの記憶を・・・・・・。
エリオット様と結婚して三年目の出来事だった。
※設定はゆるいです。
※タグ追加しました。[離婚][ある意味ざまぁ]
※胸糞展開有ります。
ご注意下さい。
※ 作者の想像上のお話となります。
キッカイ町立図書館フシギ分室・怪奇現象対策課 〜キッカイ町の奇怪な日常〜
牧田紗矢乃
ライト文芸
幼い頃からのあこがれだった図書館での勤務が決まり、大喜びしていた私の目の前に現れたのは今にも崩れそうなボロボロの公民館でした。
しかもそこにあったのは図書館の名を借りた「怪奇現象対策室」なんて名前の怪しげな組織。
平穏なようでどこか奇妙なここキッカイ町で起こる不思議現象たちの真相を暴くため、日々奮闘しているらしいのですが……。
一日も早くちゃんとした図書館で働かせてもらえるよう、徹底的に抗議しつつ真面目に働きます!?
他の小説投稿サイトでも公開中。
不定期更新となります。
僕の彼女はアイツの親友
みつ光男
ライト文芸
~僕は今日も授業中に
全く椅子をずらすことができない、
居眠りしたくても
少し後ろにすら移動させてもらえないんだ~
とある新設校で退屈な1年目を過ごした
ごくフツーの高校生、高村コウ。
高校2年の新学期が始まってから常に
コウの近くの席にいるのは
一言も口を聞いてくれない塩対応女子の煌子
彼女がコウに近づいた真の目的とは?
そしてある日の些細な出来事をきっかけに
少しずつ二人の距離が縮まるのだが
煌子の秘められた悪夢のような過去が再び幕を開けた時
二人の想いと裏腹にその距離が再び離れてゆく。
そして煌子を取り巻く二人の親友、
コウに仄かな思いを寄せる美月の想いは?
遠巻きに二人を見守る由里は果たして…どちらに?
恋愛と友情の狭間で揺れ動く
不器用な男女の恋の結末は
果たして何処へ向かうのやら?
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる