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第三章 蒼色の慈雨

38:桜の下のまぼろし4

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(紅君!)

 息を呑んだ私から、しかし次の瞬間、彼は目を逸らした。
 こちらを見た時も、目を逸らした時も、何もおかしなところはない。
 ただ何気なく目を向け、それが知らない相手だったので、目を逸らす。
 当たり前の態度だ。

 しかし彼が紅君に思えて仕方ない私には、その全てが雷に打たれたかのような衝撃だった。 

(どうして……?)

 何故だろう。
 彼が紅君であることに、私はおかしなほどに疑いを持っていない。
 私が紅君をまちがえるはずはない。
 その思いはとてつもなく強い。
 私の中で最も自信を持ち、そうに違いないと言い切れる部分だ。 

 しかしそれなら何故、彼は私から顔を逸らしたのだろう。
 考えることが恐く、私はいつの間にか歩き始めていた。
 紅君に違いないと思った人に背を向け、本来の目的地である大学へ向かう。

 よろよろとした足取りは瞬く間に速くなり、駆け足へと変わった。
 鋭い刃物で斬りつけられたかのように胸が痛むのを堪え、私は大学の敷地内へ逃げるように駆けこんだ。 

(紅君! ……紅君!)

 必死になって探せば見つけられたはずの彼を、何故自分は探そうとしなかったのか。
 その本当の理由に気づいた。
 気づいてしまった。

 自分のせいで紅君を酷い目に遭わせ、申し訳なかった思いもある。
 会わせる顔がなかった。

 だがその思いすら越え、おそらく本能で彼と会うことを回避しようとした一番の理由は、こういうふうに紅君に背を向けられたくなかったからだ。 

 常に私に笑顔を向けてくれていた紅君の冷たい表情を、私は見たくなかった。
 だから逃げた。
 あの事件をきっかけに自分と紅君の関係が変わってしまうのが恐くて逃げた。

(だからこれは……きっと罰だ……! 私に与えられた罰だ!)

 まるで知らない相手のように、私を見た先ほどの青年の反応は、私が最も恐れていた紅君の反応、そのままだった。
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