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第一章 桜色の初恋

2:さし伸べられた手2

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 私が小学校に上がる直前、突然父が亡くなった。
 持病があったわけではなく、事故などでもなく、風邪をこじらせてからの、本当に突然の死だった。
 以来、母と二人で生きてきた。
 大好きだった父にもう会えないことは、とてつもなく悲しかったが、母と二人きりの生活に不満などなかった。
 料理も洗濯も掃除も、私は自分から進んでひき受け、教えてもらい、母の助けになれることがうれしかった。

 しかし私が小学二年生の夏に、母は工場に出入りするトラック運転手の澤井という男と、再婚を決めた。
 初めて澤井にひきあわされた時の印象は、昨日のことのようによく覚えている。



 ミンミンと蝉の声が神社の境内にこだまする、よく晴れた八月の暑い日だった。
 神社で催されていた夏祭りで、普段は買ってもらえないかき氷を買い与えられた私は、とても機嫌がよかった。
 夢中で食べていると、ふいに母に声をかけられた。

『千紗、この人が澤井さん。千紗の新しいお父さんよ』
『え……?』

 いつの間にか自分たちの隣に寄り添うように立っていた背の高い男を、私は驚きの思いで見上げる。
 ストロースプーンですくい上げ、今にも口へ運ぼうとしていたかき氷が、しゃくりと私の足もとへ落ちた。

 グレーの繋ぎを着て、髪を短く刈りこんだ澤井は、はるか頭上からじいっと私を見下ろした。
 温度の感じられない、なんだか怖い目だと直感的に思った。

『まだ小さいんだから、よくはわからないだろ』

 それだけ言うと、澤井はふいっと私から視線を背け、母へ向き直る。
 大きな声で母を『奈美さん』と呼び、楽しそうに談笑するばかりで、母のスカートの陰に隠れてしまった私には、それきり目を向けることはなかった。
 緊張しながらも、私のほうはそれから何度か話しかけようと試みたのに、まるでそこに存在しないかのように、二度とふり返られなかった。

(お母さん……)

 母のスカートを掴む手に、自然と力がこもった。
 母は澤井と楽しそうに笑いながら、話をしている。
 私を見てくれない。

(ねえ、お母さん……)

 呼べばいつだって目線をあわせて、『なあに?』と笑ってくれる母を、その時だけは呼べなかった。
 幸せそうな横顔は、私を育てるためにたった一人で朝から晩まで働いて、疲れきったいつもの表情とは別人のようだ。
 父の写真を夜中に泣きながら抱きしめていた面影は、今はどこにもない。
 この世に二人きりの家族のはずだった母と自分が、切り離されていく感覚を、私は苦しく受け止めていた。

(お父さんを忘れて、その人を好きになったの?)

 子どもだからって、何もわからないわけじゃない。
 何も知らないわけじゃない。
 生まれて七年という短い月日の中でも、自分をこよなく愛してくれた父との別れを経験し、それから一変した生活を知った。

『千紗はお父さんによく似ているね』

 嬉しそうに――だけど寂しそうに笑う母と二人で、これからも父の思い出を胸に生きていくのだと思っていた。

(でもお母さんは恋をした。目の前に立つ、この父とはまったく似ていない男に恋をしたんだ)

 それぐらいは私にだってわかった。
 『子供』にだってよくわかっていた。
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