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第三章 文化祭

4.放課後の校庭

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 壮大な決意を胸に秘めて駆け戻った体育館には、もうすでに数人の人影しか残っていなかった。
 舞台を下りた真下の場所で、しゃがみこんでいる三人の女の子。

「美千瑠ちゃん……? 可憐さんに……繭香?」

 恐る恐る声をかけると三人が一斉にこちらをふり返った。

「おっ、琴美! いいところに帰ってきた!」

 とても満足そうに瞳を輝かせている繭香と、ちょっと困ったような疲れたような顔の美千瑠ちゃんと可憐さん。
 繭香が大切そうに両手に抱えている小さな水晶玉を見れば、他の二人の心境はありありと想像できた。
 
(なるほど……! 本人がいなくなったからって諦めきれずに、勝手に玲二君を占ったのね……!)

 良い結果が出る可能性はほとんどないとわかっているのに、他の人の恋の行方を意気揚々と語って聞かされたほうは、たまったもんじゃなかっただろう。

(心中お察しします……)

 静かに頭を下げると、美千瑠ちゃんと可憐さんも繭香に見えないように私に頷いてくれた。
 
「いいところって……どうしたの……?」

 繭香の機嫌を損ねない程度に早々に話を終わらせようと、自分から尋ねてみたら、繭香は長い黒髪を揺らしてすっくと立ち上がった。

「玲二の気持ちが夏姫に通じるかどうかを占ってみたんだ! なかなか興味深い結果が出たぞ!」
 
(玲二君……やっぱりもうみんなにバレバレみたいよ……)

 隠しているつもりはないなんて本人は開き直っていたが、それでもこんなに公然と語られてしまうのはどうなのだろう。
 ちょっと玲二君を気の毒に思いながら、私は黙ったまま繭香の次の言葉を待った。
 
「玲二の恋はズバリ『かん違い』だ。何がどうかん違いなのかはわからないが……少なくともその言葉だけははっきりと読み取れた!」
「かん違いって……!」

 それはあんまりじゃないだろうか。
 
(どういうことだろ? 夏姫を好きだっていう玲二君の気持ちがかん違い……? それとも……?)

 訝しげに首を捻る私を見て、繭香はちょっとムッとしたように顎を上げた。

「仕方がないじゃないか! 出て来た言葉はそれだけだ。あとは特に何もない……!」
「そう……」
 
 以前、自分が占ってもらった時に、「『難題ばかり』しかもしばらくは恋愛以外の問題も山積み」なんて出た身としては、繭香の占いはまったく当たっていないとは言い切れない。

(わざわざ玲二君に教える必要は無いけど、記憶の片隅にでも残しておいて、今後気をつけるぐらいしたほうがいいのかな……?)
 
 そんなことを考えた時、ふと思い当たった。

(……うん? そういえば私が占ってもらった時、他のみんなも自分はなんて言われたのかって教えあったよね? 確か……)

 人よりちょっとだけ記憶力のいい私の頭が、フル回転で動き出す。
 
(美千瑠ちゃんが『成就困難』で、可憐さんが『まるで見こみなし』で……そして夏姫が……『前途多難』!)

 ドキリと心臓が跳ねた。
 
(ちょっと待って? ……夏姫も占ってもらったってことは……それってつまり、夏姫には誰か好きな人がいるってことじゃない……!)

 私は慌てて繭香ににじり寄った。

「繭香! 夏姫の好きな人って誰?」
 
 繭香は心底呆れたような表情で、私の顔を見上げた。

「そんなこと、私が知るわけないだろ。知ってたらとっくに玲二に教えてる。私の占いはそんなことは見えないんだ……」
「そうじゃなくて! 前に夏姫を占った時、何か聞かなかったの?」

 繭香はふっと目を細めて私の顔を見た。
 憐れむようなその表情に、ちょっとムッとした。
 
「相手の名前を聞かなくたって占いはできる。だから誰を占う時でも、私は相手が誰なのかなんて尋ねたりしない。……だいたいそれだったら、琴美だって誰と占ってほしいのか、私に言わなければならなかったはずだろ?」
 
(そうだった!)

 実際自分も、特に相手を誰とも想定せず、半ば強制的に繭香に恋占いをされたのだった。
 
「そうだね……ごめん」

 しゅんとうな垂れた私の気持ちを取り成すかのように、可憐さんが笑いかける。
 
「夏姫ちゃんの好きな人が誰なのかはわからないけど……残念ながら玲二君じゃないことだけは確かよ」

 自信たっぷりの声で囁かれるから、思いっきり彼女のほうをふり返ってしまった。

「ええっ! どうして?」
 
 可憐さんは、この秋の新色だという口紅を綺麗に塗った唇を小さくすぼめて、人差し指を当てた。

「しーっ! 前に話したことがあるの。好きな男の子のタイプ……確か、頼りになって男らしいスポーツマン。自分が生意気なことを言ったって、逆にやりこめてしまえるくらい頭の切れる人。極めつけは、夏姫ちゃんより足が速くなくっちゃダメなんだって……! どう? これってどう考えても玲二君じゃ……」

 困ったように眉根を寄せる可憐さんに、私は思わず叫び返してしまった。

「無理! スポーツマンってところ以外は……無理!」
「でしょう?」
 
 なぜか自分が失恋したかのように、ガックリと肩を落としたのは私ばかりではなかった。
 可憐さんも美千瑠ちゃんも繭香も、心底困ったような顔をしている。
 
「でも……夏姫って玲二君のことをいつも惜しい、惜しいって言ってるのよ……だからちょっとは望みがあるかなと思ったんだけど……」

 体育館に駆け戻ってきた時の、やる気に満ちた気持ちを思い出す。
 でもそんな思いはすっかり消えうせてしまった。
 夏姫に他に好きな人がいると言うのなら、いくら「惜しい!」とは言っていても、玲二君に望みはないだろう。
 
「誰なんだろう……本当にいるのかな? そんな好条件に当てはまるようなパーフェクトな人物……」

 何気なく呟きながら、自分で自分の言葉に、胸がドキリと跳ねた。
 
 ――完全無欠な学園一の王子様
 どこを取っても出来すぎの貴人のことを、みんなはそんなふうに呼んでいるし、私自身だってそう思っている。
 
(まさかね……?)

 ドキドキしながら目を向けてみたら、繭香もなんとも言えない複雑そうな顔をしていた。
 どうしていいのかわからずに、私は目をもう一度可憐さんに戻す。

「何か具体的なヒントはなかった……? 例えば、この学校の人なのかとか……」

 可憐さんは長い髪をかきあげてから、ゆっくりと腕組みをした。

「ううん。何も……ただ……条件を挙げていく口調が、よどみなくハッキリしていたし、かなり早口だったから、これはかなり以前から好きだったんだな……ってそう思ったくらい……」
「そう……」
 
 そういえば、夏姫はいったいどういう経緯で『HEAVEN』に入ったんだろうかとか、それ以前から貴人と知り合いだったんだろうかとか、もう先の先を考え始めた私の肩を美千瑠ちゃんがポンと叩いた。

「私たちで考えるより、それとなく夏姫ちゃんに聞いてみるのが一番だと思うわ。ひょっとすると琴美ちゃんにだったら、何か教えてくれるかも……?」
「私に? ……どうして?」

 訝しく眉を寄せる私に、美千瑠ちゃんは天使のような笑顔でニッコリ笑った。

「琴美ちゃんならきっと、変に遠回しに尋ねたりしないで、そのものズバリを聞いちゃうでしょう? そんなところを夏姫ちゃんは結構気に入ってると思うのよ……」
「そ、そう……?」
「うん」

 私は根が単純なので、褒められると悪い気はしない。
 ましてや、自分ではいつも短所なんじゃないかと思っている部分を、夏姫が認めてくれているのかもしれないと聞かされれば尚更だ。

「わかった。ちょっと行って来るね!」

 ついさっき駆け戻って来た運動場からの道のりを、私はもう一度反対向きに歩き出した。
 


 
 夕陽が大きく西の空へと傾いた夕暮れ。
 昼間はまだ夏のように暑いままなのに、いつの間にかこの時間の風は、秋のものに変わりつつある。
 高い空を、渡り鳥が鳴きながら飛んで行く姿なんかを見ていたら、ちょっと感傷に浸りたいような気分にさえなった。

(なんだか毎日があっという間に、飛ぶように過ぎて行くな……)

 実際、文化祭の練習と準備に追われ、本当に時間がなくて始終走り回っているのだったが、そんな中でもこうして、誰かのために一生懸命になれる心の余裕はあるのだから、私はこれでいい気がする。

(勉強が! とか……テストが! とかって言うのは、今は全然考えられないけど……いいよね……?)

 ふと不安にかられて、自問自答しながら目を向けた先では、たくさんの人たちが部活に頑張っていた。

 ふり返れば図書室にはもう電気が点いている。
 あそこではきっと、同じクラスの人たちが下校時間まで今日の復習と明日の予習に励んでいるのだろう。
 誰にとって何が大切かなんて、そんなの人によって様々で、だから今の自分はこれでいいと思う。

(うん……夏姫と話をしてみよう……!)

 陸上部の練習が終わるまで待っていようと、運動場とは少し距離のある中庭の芝生に腰を下ろした。

 野球部は野球場を、テニス部はテニスコートを使っているので、実際運動場を使用しているのは、トラックを使っている陸上部と、その中にフィールドがあるサッカー部だけだ。
 奇しくも夏姫と同時に玲二君の姿も見る事ができ、その上今日はサッカー部に顔を出す日だったらしい貴人の姿まで見える。

(うーん……これって夏姫の反応を見るには、好都合なのかな?)

 双眼鏡かオペラグラスでも欲しいくらいの気持ちで、私は三人の姿をじっと観察した。

 当たり前と言えば当たり前だが、練習中の夏姫は走る事に集中しているようで、玲二君のことも貴人のことも、まるで眼中にない。
 真っ直ぐに進行方向に目を向けて、全力で、風を切って走る。
 その姿は本当に綺麗で力強くて、しなやかな生命力に満ち溢れていた。

(いつも夏姫を追いかけ回して、きゃあきゃあ騒いでる下級生の女の子たちの気持ちが、ちょっとわかるわ……)

 ドキドキするような姿に目も心も奪われたように、しばらくただじっと夏姫を見たあと、私は今度はサッカー部へと目を移した。

 夏姫とは対照的に、玲二君は柔軟体操の最中も、走りこみの順番待ちの間も、よくチラチラと夏姫を気にしていた。
 気をつけて注目して見ていなければ、気づかないくらいの一瞬の視線。
 どうりで今まで気がつかなかったわけだ。
 でも、そうと知ってしまった今となっては、玲二君が夏姫を気にする様子は、あまりにもわかりやすい。

(うん……これはもう誰が見てもそうだってわかるよね……でも最初に気がついた貴人はやっぱり凄いな……)

 貴人があんなふうに言わなければ、私たちは誰もまだ、玲二君が夏姫のことを好きだなんて気がつかなかったかもしれない。

(いったいいつから気がついてたんだろう? まさか『HEAVEN』を作る前から? そんなことはないよね……)

 玲二君と共にフィールドを走りまわっている貴人の姿を見ながら、頬杖をついて考えた。

(でもわかんないな……貴人ってなんだか、なんでもお見とおしなところがあるから……)

 そんなふうに思った、まさにその時、他ならぬ貴人がこっちをふり返った。

「琴美!」

 私がこんな所にいることさえも、まるで当たり前のように、満面の笑顔で大きく手を振る。
 つられてついつい手をふり返してから、運動場にいたかなりの人数の視線を、自分が一身に浴びていることに気がついた。

(ひええええっ!)

 顔の横でヒラヒラと振った右手を、このあとどうしたものかと私が途方にくれている間に、貴人はクルリとこちらに背を向けて、反対方向に向かって走り出した。
 ざわざわっと、運動場にいた人たちがざわめきに揺れ、人並みが一斉に貴人が走り出した方向に向かいだしたので、私も座っていた芝生から腰を上げた。

(何? どうしたの?)

 2、3歩、運動場に向かって歩き出したら、何が起こったのかは見えた。
 陸上部の女の子が、トラックの途中でうずくまっている。
 右足を庇うように腕で抱えこんでいるから、ひょっとしたら足をどうかしたのかもしれない。

(大丈夫かな……?)

 さらに2、3歩進んで、全身から血の気が引く思いがした。
 短く切りそろえられた癖のない短い髪。
 よく日に焼けたスラリと長い手足。
 女の子としてはかなり背が高い細身の体。

「夏姫!」

 気がつけば私は大声で叫びながら、制服姿のまま、場違いな運動場の中に向かって走り出していた。

 先に駆け出していた貴人の背中が見える。
 そのさらに先には、貴人よりも速いスピードで彼を追い越して行った大きな背中が見えた。

(えっ? 玲二君?)

「夏姫!」

 近くにいたはずの陸上部員たちよりも速く、玲二君はうずくまる夏姫の元に駆けつけた。
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