もう一度『初めまして』から始めよう

シェリンカ

文字の大きさ
上 下
19 / 77
2 彼女の事情

しおりを挟む
 田んぼ道をずっと歩き、突き当りの丘を登る道へ入ると、椿ちゃんは急に口数が少なくなった。
 それまでは、小さな頃の夏休みの思い出などをしきりに私と言いあっていたのだが、それも途中でやめてしまった。
 道は綺麗に舗装されており、両側に剪定された植え込みが続いているので、もうすでに椿ちゃんの家の敷地内に入っているのではないかと思う。
 そう訊ねてみると、「そうだ」と肯定された。

「ちょっとここで待っててくれる? 和奏」

 丘を登りきると椿ちゃんは私にそう言い、どこまでも続く白塀の曲がり角から顔だけを出して、左の方角を確認した。
 どうやら入り口付近に誰もいないかを確かめているようだ。

 私はといえば、自分の背丈の二倍ほども高さがある白塀を、山の上から見た時に、椿ちゃんの大きな家をぐるりと取り囲んでいたあの塀だと、感嘆の思いで見上げていた。

(やっぱり……すごく立派なお家……)

 上に瓦を乗せたいかにも歴史ある造りの塀の向こうには、よく手入れされた大きな木々が連なる。
 松の木一本とっても、梯子を掛けなければてっぺんの剪定ができない高さの立派なものだ。

(すごいなぁ……)

 父の住居兼作業小屋のあの庭の、いったい何倍の規模だろうなどと考えていると、椿ちゃんに腕を引かれた。

「よし、今よ! 和奏行くわよ!」
「え? え?」

 促されるまま小走りで角の先にある門へ近づき、椿ちゃんと共にそれを潜る。
 まるで時代劇に出てくる武家屋敷のような、大きな木製の門だったが、椿ちゃんによるとあれは正門ではなく、裏門だったらしい。

「正門になんて回って、もし私を探している連中がいたら、たいへんなことになるわ!」
「椿ちゃん……?」

 実は彼女は、ちょっと散歩に行ってくると言っただけで、今日出かける許可を、正式に両親から取っていなかった。

(そういえば出がけにちらっと、そんなことを言っていたような……)

椿ちゃんの自室だという離れの縁先に、まるで泥棒のように足音を忍ばせて近づきながら、私は声をひそめる。

「そんなことして、もしバレたら、今後ますます出かけにくくなるよ……?」

 私の忠告に、それでも仕方がなかったのだと椿ちゃんはぷーっと頬を膨らます。

「お父さまがどんなに頑固で、私の話にどれだけ聞き耳を持たないか……和奏は知らないから……お母さまはお父さまの言いなりだし……」
「でも……」

 これは、迂闊に家へ遊びに行く約束などしている事態ではなかったのではないかと、不安を大きくしながら椿ちゃんと共に濡れ縁へ上がり、真っ白な障子を開けた時、暗い室内から押し殺した声がした。

「お嬢さまぁ……よかったぁ……」

 部屋の中央に赤い着物姿の女の子が座っており、目に涙を浮かべてふり返ったので、私は驚きのあまり椿ちゃんに抱きついた。

「――――!」

 椿ちゃんは、まあまあと私の肩を叩き、女の子の前に座る。
 椿ちゃんと背格好がよく似たその女の子は、急いで着ているものを脱ぎ始める。

「すぐにバレるんじゃないかと、もう、生きた心地がしませんでしたよ」
「誰にも気づかれなかったでしょ? 次もぜひお願いね、百合」
「もう絶対に嫌です!」
「ええーっ」

 椿ちゃんはテキパキと、女の子が脱いだ着物に袖を通し、女の子のほうは押入れから出したもう少し落ち着いた色の着物に着替える。
 二人のやり取りから、どうやら女の子は椿ちゃんの身代わりとして、この部屋に座っていたらしいと察した。

「それに『百合』はやめてください。そんなたいそうな名前、お嬢さまに呼ばれると恥ずかしくて……名付けた両親を恨んでるっていつも言ってるじゃないですか」

 私たちより少し年上くらいの女の子は、椿ちゃんの家で働いているのだろうか。
 彼女のことを『お嬢さま』と呼ぶ。

「名前じゃなきゃ、なんて呼べばいいのよ?」
「それは……『おい』とか、『お前』とか、適当でいいです」
「そんなわけにはいかないわよ」

 二人の着替えを凝視しているのも申し訳なく、純和風の部屋の中をもの珍しくきょろきょろと見回していた私に、女の子がふと視線を向けた。

「あの、こちらは……?」

 私は慌てて、畳の上に正座で座り直す。

「こんにちは、はじめまして。青井和奏といいます。椿ちゃんの……友人です」

 これでいいのかよくわからないながらも、畳に指をついて頭を下げた。

 ちょうど着替えが終わったらしい女の子も、慌てて座り直す。

「そんな! どうか頭を上げてください! 私は、お嬢さまのご友人に頭を下げていただくような人間じゃ……」

 焦りながら手を振る途中で、はたとその動作をやめ、信じられないようなものを見る目で、ゆっくりと椿ちゃんをふり返った。

「ご友人……お嬢さま……ついにお友だちができられたんですね……」

 感動的に目を潤ませ、鼻をすする百合さんを、椿ちゃんは不服そうな目で見る。

「まるで、これまで全然友だちがいなかったみたいに言わないで! まあ……遠からずだけど……」
「よかった。本当によかった……」

 百合さんはずずいと私の前に膝を進め、私の両手を取った。

「どうぞ末永く、仲良くしてあげてくださいね。ちょっとわがままで頑固ですけど、根は優しい方なんです……」
「はい……」

 頷く私の手を、椿ちゃんが百合さんから取り上げる。

「いいから! お茶とお菓子かなんか持ってきて。くれぐれもお父さまには見つからないようにね」
「はい」

 百合さんは着物の袖で涙を拭いながら、部屋から出て行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

処理中です...