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第一章
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「だって……こんなに美しい人が、この世に二人もいるなんて、思いもしないじゃないか……」
リリーアが勧めた丸椅子に腰かけて、王子めいた美貌の男はがっくりとうなだれる。
輝く髪が白い頬にかかる横顔は、愁いを帯びて美しい。
「国中を探し回り、この地方が最後だった……最近になって町はずれに住み始めた、人間離れした美しさの娘がいると聞いて、やっと見つけたと思った……実際にこうして会っても、あなたは、デモネイラの妖精と呼ばれるコンスタンツェ姫、本人にしか見えない……それなのに……?」
いくら、願いを込めた縋るような眼差しを向けられても、リリーアは正直に答えることしかできない。
「……別人だと思います」
「思います?」
言葉尻を鋭く捉えたのは、別の男だった。
椅子に座っている美男子――名前はフィオレンツィオというらしい――の従者だというその男は、小屋の入口を入ってすぐの場所に立っている。
フィオレンツィオが窓枠を飛び越えて、小屋の中へ入って来たのと同時に、正当な手段で入口から入って来たようだが、リリーアは気が付いていなかった。
まるで気配を感じさせなかったからだ。
それなのに、リリーアの否定の言葉を聞いたフィオレンツィオが、驚きに思わず膝をついた瞬間、すかさず腰に佩いた剣を抜いたので、主人を守ることに並々ならぬ情熱を注いでいることは確かだ。
見た目は優しげな雰囲気の、榛色の目をした薄茶色の髪の男なのだが、表情は穏やかな笑みを浮かべているようでも、目が笑っていない。
今も、リリーアを探るような目で見つめる。
「ずいぶん歯切れが悪いんですね」
「ドナテーノ!」
疑うような物言いをフィオレンツィオに咎められて、ドナテーノと呼ばれた男は口を噤んだが、鋭い眼差しは緩まない。
リリーアは、慎重に口を開く。
「私……十日以前の記憶がないので……」
フィオレンツィオの顔が、ぱあっと輝いた。
「えっ……じゃあ……!」
「でも、姫ではないと思います」
即座に否定されて、またがっくりとうなだれる。
どうやら彼は、感情がそのまま表に出る素直な性質のようだ。
「どうしてそう思うのです?」
ドナテーノの問いかけに、リリーアは体ごと彼のほうへ向き直った。
「私はこの小屋に住むようになってから、自分で料理をしています。掃除もしますし、編み物も出来ます。もちろん身支度も、全部自分でやります」
長い銀髪を器用に編みこんでいるリリーアの複雑な髪型を見て、ドナテーノは頷いた。
「なるほど」
身の回りのことは全て侍女がやってくれるような身分の者ではないと、理解してくれたようだ。
リリーア自身も、だからこそ、自分は彼らが捜している『姫』などではないと思っている。
「だとしたら、もう他に手がかりはない……これからいったいどうしたら……!」
柔らかそうな金髪をぐしゃぐしゃとかきむしって、悲嘆にくれるフィオレンツィオが気の毒で、リリーアは頭を下げた。
「すみません……」
「いや! きみが謝ることじゃない! こちらこそ……すまない」
すぐに謝り返して、リリーアより深く頭を下げるフィオレンツィオからは、実直さがにじみ出ている。
飾緒や肩章や金釦が美しい上着に、マントを羽織り、ブーツを履いて剣を携えているので、おそらく城に仕える騎士だろう。
(護衛役……とか言ってたような……)
彼が護らなければならない『姫』が行方不明なのだとしたら、見つからないまま城へ帰った場合、フィオレンツィオはどうなるのだろう。
(気の毒だけど……私には、どうすることもできないし……)
困った思いで、頭を抱えるフィオレンツィオを見ていると、耳元で話しかけられた。
「ひとつ……あなたにご提案があるのですが?」
「――――!」
突然、頬が触れそうな距離に誰かの顔の気配を感じ、リリーアは驚いてその場から飛び退いたが、にじり寄った本人は全く動じた様子がない。
眉一つ動かさず、涼しい顔をしている。
ドナテーノだった。
小屋の入口に立っていたはずが、いったいいつの間にリリーアのすぐ傍に迫っていたのか、何の気配もなかった。
「提案……?」
用心深く彼から距離を取りながら、聞き返したリリーアへ、ドナテーノは恭しくお辞儀をしてみせた。
顔は笑顔の形になったが、やはり目は笑っていない。
「はい。コンスタンツェ姫として城へ来ていただき、しばらく姫として過ごしていただけないでしょうか?」
「それって……」
思いがけない提案に息を呑むリリーアへ、ドナテーノはにっこりと笑いかける。
相変わらず目は笑っていない。
「身代わりのご提案です。その間に、我々が本物のコンスタンツェ姫を捜し出します。ようは……時間稼ぎですね」
「時間稼ぎ……」
二人の会話を聞いたフィオレンツィオが、ドナテーノにきりっとした目を向けた。
「何を言ってるんだ。彼女にそんなことをする義務はない。我々の事情に巻き込むな」
「義務ですか……」
ドナテーノは顎に指を当てて、何かを考える仕草をしたが、すぐにまた口を開く。
「だったら……交換条件というのはどうでしょう。身代わりをしていただいている間に、我々が、あなたの本当の素性を調べてさしあげます。記憶がなくて困ってらっしゃいますよね? 自分がこれまでどんな生活をしていたのか……知りたいですよね?」
「私は……」
実を言えば、リリーアは自分の過去にそれほどの執着はなかった。
のんびりとここで暮らすうちに、いつか思い出せれば、それでいいという程度に思っていた。
しかし、いかにも「そうですよね?」とドナテーノに圧をかけられて、返答に困る。
こちらを見ているフィオレンツィオの、淡い期待を込めた眼差しも無視できない。
(そんな、捨てられた子犬みたいな目で、こっちを見ないで……)
葛藤した挙句、リリーアはドナテーノに頷いた。
「わかりました。私でよければ、ご協力します……できる範囲で、ですけど」
瞬間、フィオレンツィオが椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、リリーアに駆け寄ってきた。
リリーアの手を取り、感動に瞳を潤ませて、半泣きの笑顔でリリーアの顔をのぞき込む。
「ありがとう! 本当にありがとう! きみのことは、俺が絶対に護る! きみの本当の素性も……必ず調べてみせる!」
感激に任せてぶんぶんと手を上下に振られ、リリーアは反動でよろけながらも、かろうじて頷いた。
「……はい」
その様子を見ていたドナテーノが、したり顔で笑っていることに気が付き、早まったことをしてしまったかもと、軽く後悔を覚えずにはいられなかった。
リリーアが勧めた丸椅子に腰かけて、王子めいた美貌の男はがっくりとうなだれる。
輝く髪が白い頬にかかる横顔は、愁いを帯びて美しい。
「国中を探し回り、この地方が最後だった……最近になって町はずれに住み始めた、人間離れした美しさの娘がいると聞いて、やっと見つけたと思った……実際にこうして会っても、あなたは、デモネイラの妖精と呼ばれるコンスタンツェ姫、本人にしか見えない……それなのに……?」
いくら、願いを込めた縋るような眼差しを向けられても、リリーアは正直に答えることしかできない。
「……別人だと思います」
「思います?」
言葉尻を鋭く捉えたのは、別の男だった。
椅子に座っている美男子――名前はフィオレンツィオというらしい――の従者だというその男は、小屋の入口を入ってすぐの場所に立っている。
フィオレンツィオが窓枠を飛び越えて、小屋の中へ入って来たのと同時に、正当な手段で入口から入って来たようだが、リリーアは気が付いていなかった。
まるで気配を感じさせなかったからだ。
それなのに、リリーアの否定の言葉を聞いたフィオレンツィオが、驚きに思わず膝をついた瞬間、すかさず腰に佩いた剣を抜いたので、主人を守ることに並々ならぬ情熱を注いでいることは確かだ。
見た目は優しげな雰囲気の、榛色の目をした薄茶色の髪の男なのだが、表情は穏やかな笑みを浮かべているようでも、目が笑っていない。
今も、リリーアを探るような目で見つめる。
「ずいぶん歯切れが悪いんですね」
「ドナテーノ!」
疑うような物言いをフィオレンツィオに咎められて、ドナテーノと呼ばれた男は口を噤んだが、鋭い眼差しは緩まない。
リリーアは、慎重に口を開く。
「私……十日以前の記憶がないので……」
フィオレンツィオの顔が、ぱあっと輝いた。
「えっ……じゃあ……!」
「でも、姫ではないと思います」
即座に否定されて、またがっくりとうなだれる。
どうやら彼は、感情がそのまま表に出る素直な性質のようだ。
「どうしてそう思うのです?」
ドナテーノの問いかけに、リリーアは体ごと彼のほうへ向き直った。
「私はこの小屋に住むようになってから、自分で料理をしています。掃除もしますし、編み物も出来ます。もちろん身支度も、全部自分でやります」
長い銀髪を器用に編みこんでいるリリーアの複雑な髪型を見て、ドナテーノは頷いた。
「なるほど」
身の回りのことは全て侍女がやってくれるような身分の者ではないと、理解してくれたようだ。
リリーア自身も、だからこそ、自分は彼らが捜している『姫』などではないと思っている。
「だとしたら、もう他に手がかりはない……これからいったいどうしたら……!」
柔らかそうな金髪をぐしゃぐしゃとかきむしって、悲嘆にくれるフィオレンツィオが気の毒で、リリーアは頭を下げた。
「すみません……」
「いや! きみが謝ることじゃない! こちらこそ……すまない」
すぐに謝り返して、リリーアより深く頭を下げるフィオレンツィオからは、実直さがにじみ出ている。
飾緒や肩章や金釦が美しい上着に、マントを羽織り、ブーツを履いて剣を携えているので、おそらく城に仕える騎士だろう。
(護衛役……とか言ってたような……)
彼が護らなければならない『姫』が行方不明なのだとしたら、見つからないまま城へ帰った場合、フィオレンツィオはどうなるのだろう。
(気の毒だけど……私には、どうすることもできないし……)
困った思いで、頭を抱えるフィオレンツィオを見ていると、耳元で話しかけられた。
「ひとつ……あなたにご提案があるのですが?」
「――――!」
突然、頬が触れそうな距離に誰かの顔の気配を感じ、リリーアは驚いてその場から飛び退いたが、にじり寄った本人は全く動じた様子がない。
眉一つ動かさず、涼しい顔をしている。
ドナテーノだった。
小屋の入口に立っていたはずが、いったいいつの間にリリーアのすぐ傍に迫っていたのか、何の気配もなかった。
「提案……?」
用心深く彼から距離を取りながら、聞き返したリリーアへ、ドナテーノは恭しくお辞儀をしてみせた。
顔は笑顔の形になったが、やはり目は笑っていない。
「はい。コンスタンツェ姫として城へ来ていただき、しばらく姫として過ごしていただけないでしょうか?」
「それって……」
思いがけない提案に息を呑むリリーアへ、ドナテーノはにっこりと笑いかける。
相変わらず目は笑っていない。
「身代わりのご提案です。その間に、我々が本物のコンスタンツェ姫を捜し出します。ようは……時間稼ぎですね」
「時間稼ぎ……」
二人の会話を聞いたフィオレンツィオが、ドナテーノにきりっとした目を向けた。
「何を言ってるんだ。彼女にそんなことをする義務はない。我々の事情に巻き込むな」
「義務ですか……」
ドナテーノは顎に指を当てて、何かを考える仕草をしたが、すぐにまた口を開く。
「だったら……交換条件というのはどうでしょう。身代わりをしていただいている間に、我々が、あなたの本当の素性を調べてさしあげます。記憶がなくて困ってらっしゃいますよね? 自分がこれまでどんな生活をしていたのか……知りたいですよね?」
「私は……」
実を言えば、リリーアは自分の過去にそれほどの執着はなかった。
のんびりとここで暮らすうちに、いつか思い出せれば、それでいいという程度に思っていた。
しかし、いかにも「そうですよね?」とドナテーノに圧をかけられて、返答に困る。
こちらを見ているフィオレンツィオの、淡い期待を込めた眼差しも無視できない。
(そんな、捨てられた子犬みたいな目で、こっちを見ないで……)
葛藤した挙句、リリーアはドナテーノに頷いた。
「わかりました。私でよければ、ご協力します……できる範囲で、ですけど」
瞬間、フィオレンツィオが椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、リリーアに駆け寄ってきた。
リリーアの手を取り、感動に瞳を潤ませて、半泣きの笑顔でリリーアの顔をのぞき込む。
「ありがとう! 本当にありがとう! きみのことは、俺が絶対に護る! きみの本当の素性も……必ず調べてみせる!」
感激に任せてぶんぶんと手を上下に振られ、リリーアは反動でよろけながらも、かろうじて頷いた。
「……はい」
その様子を見ていたドナテーノが、したり顔で笑っていることに気が付き、早まったことをしてしまったかもと、軽く後悔を覚えずにはいられなかった。
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