ずっとキミを好きだった

シェリンカ

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13.キミが好きな人

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 その人はいったいどんな人なんだろうと、想像してみたことは一度や二度ではない。
 
 ――海里が初めて好きになった人。
   きっと一生一度の恋の相手。
 
 決して会ってみたかったわけではないが、いつだって海里の笑顔の向こうにはその人の存在を感じていた。
 
 あんなにも愛されて、あんなにも大切にされているその人が、本当言えば私はずっとうらやましかった。
 
 でももし海里に、「会わせたい」と言われても、実際には困ってしまう。
 
 私がどんなに手に入れたくても決して手にすることはできなかったものを、持っているその人を憎んでしまいそうで、恐い。
 そんな自分の醜い心を知ることが恐い。
 
 だから、ずっと会わないままでよかったのに、――神様は残酷だ。
 
 私にとっては最も耐えがたい形で、その人は突然私の目の前に現われた。



 
 電話口で指示された病院近くの川原の土手に、タクシーで乗りつけた。
 帰りも海里を連れてすぐに乗りこめるように、そのまま待っていてもらう。
 
 緊張と恐怖のあまりガタガタと震える足を必死に励まして、降り立った場所から川原を見下ろしたら、いくつかの人影が見えた。
 
 小柄な女の人を胸に抱き締めている明るい色の髪を見て、胸が軋む。

(海里!)
 
 どちらかといえば海里のほうが、今にも倒れそうな体をその人に支えてもらっているようにも見えた。
 
 だから私は、回れ右してここから逃げ出してしまいたい気持ちを必死に我慢して、二人に駆け寄る。
 
 こちらをふり返った彼女が、私の姿を見て、驚いたように海里から離れようとした。
 
 なのに海里はその人を抱き締める腕を決して解かず、それどころか私の目の前で、まるで見せつけるかのようにキスした。
 
(それって……どういうつもり?)
 
 こんなことで泣きそうになっている自分なんて、私は認めたくないし、海里に知られたくもない。
 だから悲しいとか、辛いとかいう感情を、全部怒りに置き換えた。
 全部全部置き換えた。
 
「なによ! ……じゅうぶん元気じゃないのよ!」
 
 私の怒声を聞いた途端、海里がホッとしたように笑ったので、その選択は間違っていなかったんだと思う。
 
 電話で助けを求めた私のことなんかてんで無視で、小さな声で腕の中の彼女に何かを語っている海里の姿に、ポーズじゃなく本当に腹が立つ。
 
 どんなに気にしないでおこうと思っても、その人がどんな人なのか。
 二人が何を話しているのか。
 気になってしまう自分が本当に嫌だ。
 
「じゃあ約束……」
 
 何かを彼女と約束してから、海里はあつかましくも私に向かって手を伸ばした。
 
「ありがとう……ひとみちゃん……」
 
 いつものようにその手を握って、海里が立ち上がるのを手伝う瞬間――彼女がどんな思いをするのかは、よくわかるのに、ほんの少し優越感を得る。
 そんな自分を軽蔑する。
 
「いつかこんなことになるんじゃないかと思ってた……」
 
 嫌味たっぷりに呟きながら、流した視線が思いがけず彼女に向いてしまった。
 そしたら即座に、海里が口を開いた。
 
「真実さんのせいじゃない……!」 
 
 全然そんなこと思ってもいなかったのに、あまりにもきっぱりと言い切られたので、かえって反発心が湧く。
 
「だって……!」
 
 泥だらけで地面に座りこんでいる、その『真実さん』を見る。
 
 小さな顔にも細い腕にも、血が滲んだ擦り傷がいっぱいできている。
 しかも彼女の傍らで伸びている、大柄な男はいったいなんなんだろう。
 
 あきらかに何かの事件に巻きこまれたっぽいのに、海里はいかにも彼女を庇っている。
 そのなりふり構わなさに腹が立つ。
 
「俺が自分で決めたことだから」
 
 苦しそうに大きく肩で息をくり返しているくせに、あまりにも潔い海里の態度に、こんな時だというのに不覚にもドキドキした。
 
「なによ……格好つけちゃって……! ねえ……あそこで伸びてる男……ひょっとして海里がやったの?」」
 
 心の動揺を知られたくなくて、話題を変えたつもりだったのに、なおさら困ることになった。
 
「うんそう……どう? やっぱり格好よくない? 見直した?」
 
 嬉しそうに笑いながら尋ねられるから焦る。
 心から焦る。
 
「バカ!」
 
 いつものように怒り混じりに叫び、ポーカーフェィスのできなくなった顔を逸らしたまま、私は海里に肩を貸して歩き始めた。
 
 こちらに背を向けている海里の彼女には、あえて話しかけることはしなかった。
 
 ヨロヨロと歩く海里が、かなり危ない状態になっているのがわかる。
 これまで何度もそういう場面に直面してきた私には、よくわかる。
 
「ほんっとに……バカ……!」
 
 こみ上げてくる涙を必死に我慢して、もう一度呟いても、海里はもう否定の言葉も非難の言葉も口にはしなかった。
 そのことに焦る。
 次第に肩にかかる体重が重くなってくることに、どうしようもなく焦る。
 
「しっかりしなさいよ!」
 
 ともすれば挫けてしまいそうになる自分の心を支えるためにも、私は海里を怒鳴り続けた。
 懸命に怒った。
 
「もしも……なんてことになったら、絶対に許さないわよ!」
 
 微かに――ほんの微かに海里が私の肩の上で頷いたような気がした。



 
 私たちが後部座席に倒れこむように乗り込むとすぐに、タクシーは病院へ向かって走りだした。
 
 本当は気になってしかたがなかったのに、川原が遠くなって大きな道路に出るまでずっと、私はとうとう一度も背後をふり返らなかった。
 
 私に支えられていなくなる海里を、彼女がどんな思いで見送ったのかなんて――そんな思い、知りたくなかった。



 
 ひと月前にようやく出ることができた集中治療室に、もう一度もどる事態になった海里を誰も責めなかった。
 忙しく立ち回る石井先生に深々と頭を下げた陸兄は、思っていたよりも穏やかな顔で、私に目を向ける。
 
「ありがとう、ひとみ……辛かったな」
 
 海里が彼女と一緒だったこととか。
 その光景を見て私がどんな気持ちになったのかなんて、陸兄にはまったく話していないのに、またしても心理を読まれきっている。
 
「ううん。本当に辛かったのは、私のほうじゃないかも……」
 
 最初に私の姿を認めた時の、海里の彼女の表情が忘れられない。
 大きな目を見開いて、まさしく息をのんでいた。
 ――そのあまりにも悲しげな顔。
 
「優しいな、ひとみは……」
「ううん」
 
 私は慌てて首を横に振った。
 
 私がもし本当に優しい人間だったら、あの場で海里の従兄妹だと名乗っていたはずだし、海里の彼女にも何か言葉をかけてあげていたはずだ。
 あてつけがましく、無言を貫きとおしたりはきっとしなかった――。
 
「全然……優しくなんかないよ……」
 
 もう一度呟いたら、陸兄に引き寄せられた。
 そのまま胸の中に抱き締められて、そしたら不思議と涙が溢れてきた。
 
 海里から連絡が来た時も。
 迎えに行く時も。
 病院に連れて来てからも。
 全然涙なんか浮かばなかったのに、なぜだろう。
 ――私にとって陸兄は、いったいなんなんだろう。
 
「いいや。優しいよ……」
 
 願わくは、これからは本当に陸兄の言葉のような自分でありたいと思った。
 現実はほど遠いからこそ、そうであれたらと憧れた。



 
 心拍数も、血圧も、心電図の波形も、血液中の酸素濃度も、海里はとっくに限界値を越えていた。
 
 もし体力がもたなくなったら、もうそれで全てが終わりになる緊張感の中、私にできることといえば、ただ祈るしかない。
 
 でも意識のない海里にいくら私が呼びかけたって、何の力にもなれない気がした。
 
(そう……きっと……呼びかけてあげたら一番の力になれるのはあの人なのに! ……変に意地を張って私が口もきかなかったから、ここに呼んであげることさえできない……!)
 
 いつまで経ったってまるで子供のままの自分が、悔しかった。
 
「名前は『真実さん』だったっけ……?」
 
 陸兄がいくら海里のスマホを調べても、履歴にもアドレス帳にもその人らしき名前は存在しなかった。
 
 見れば見るほど、メール履歴にも着信履歴にも私の名前ばかりが並んでいるのが、なんだか申し訳ない。
 
「連絡先教えてないんだな……いったいどうやって連絡を取りあってたんだろう?」
 
 首を傾げた陸兄の疑問は、そっくりそのまま私の思いだった。
 
 でも私には思い当ることがある。
 
 ――だからこそ海里は、毎日毎日決まった時間に、欠かさず彼女に会いに行っていたのだ。
 
 実際に足を運ぶのだけが、逢瀬を重ねるためのたった一つの方法なんて、まるで数世代前の恋人同士のようだが、どうして海里がそんな面倒なことをしていたのか、私にはわかる。
 
 小さな頃から耳にたこができるくらい、何度も何度も聞かされた決意を、私はまだ忘れてはいない。
 
「海里は……誰かの中に自分の思い出が強く残るのを嫌がってたから……だから本当は必要なはずの情報も彼女に教えてないんだと思う……名前さえ、ちゃんと教えてたか怪しい……」
 
(だってあの人は、海里のことを『うみくん』って呼んでた。本当ならそこは『かいくん』になるんじゃない? ……そんな呼び方、私は絶対にしないけど……!)
 
「海里らしいな」
 
 陸兄が小さく笑った。
 不思議だ。
 その声につられるように、私もほんの少しだけ気持ちが浮上する。
 
「他の人に頼ろうとしたらダメだよ……海里が目を覚ますように私たちが呼びかけなきゃ……これまでだってずっとそうしてきたじゃない……ね?」
「ああ」
 
 力強く頷いた陸兄がギュッと強くつかんだ自分の肩に、私も手を添えた。
 
 またもう一度、海里を自分たちのところに呼び戻そうと、誓うように私たちは頷きあった。
 



 もし気を緩めて眠ってしまったら、海里が危ない時にまにあわないような気がして、すぐ横の椅子に腰掛けて顔をのぞきこんだまま、私はそれから一睡もできなかった。
 
「ごめんひとみ……もう代わるから……」
 
 家のことや学校のことで席を外した陸兄が、急いで帰って来てそう言ってくれても、眠る気になんてなれなかった。
 
 ――一秒足りとも、海里から目が離せない。
 
「大丈夫……私は大丈夫だよ……」
 
 何度もくり返したセリフを、あいかわらずなんの抑揚もなく口にする私に、陸兄は困った顔を向ける。
 
「大丈夫なわけないだろ……そんなに青い顔して……」
 
 呆れきったような言い方に、ちょっとカチンときた。
 
「陸兄こそ! 病院と学校と家の間を駆け回ってて、全然寝てないくせに!」
「俺はいいんだよ。男だから……」
「男尊女卑、反対! 女だったら何がいけないっていうの?」
「ひとみの可愛い顔が、やつれたら悲しいだろ……」
「だ、誰も悲しくなんかないわよ! きっと海里だって……そんなの見慣れてるって、目を覚ましたら笑うんだから!」
「俺が悲しい」
「…………!」
 
 ダメだ。
 勝てない。
 
 海里相手にだってからかわれてばかりの私が、五つも年上の大学生の陸兄相手に口喧嘩したって、敵うわけがない。
 
 ムッとして口をつぐんだ瞬間、大声で言いあっていた私たちの声がうるさいとでも言うように、海里の固く閉じていた瞼が震えた。
 
「海里……?」
 
 恐る恐る呼びかけたら、まるで飛びつくようにして、陸兄も私の隣に来た。
 
「おい! 海里! ……海里!!」
 
 私が誰にも負けないと自負している声の大きさを、発揮するなら今だ。
 あとで隣の処置室から苦情が来たって、そんなの知るものか――。
 
「海里!」
 
 お腹の底から声を出したら、感情が高ぶっていたからか、涙まで混じってしまった。
 でもその甲斐あって、海里がゆっくりと身じろぎする気配がする。
 
 薄く開いたような気がする目を見つめながら、私は夢中で叫んだ。
 
「海里! 気がついたの?」
 
 点滴の管が何本も繋がった左手を、海里が微かに持ち上げた。
 ゆっくりと開いた綺麗な瞳の端から、涙がひとすじ白い頬を伝って、シーツに落ちた。
 
「真実さん」と声にならない声で、海里があの人の名前を呼んだ気がした。
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