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第三章 夜間遠行

3.最速スピード

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 登山の時。
 山に登ったからには下りなければならないと同じで、やっとの思いで登った心臓破りの坂もまた、登ったからには下りなければならない。

(あーあ……けっこうここからの景色は気に入ってたのにな……)

 眼下に広がる夜景を見ながら、心の中だけで呟いた。

 するとすぐ隣から、私が思っていたのとまったく同じセリフが聞こえてくる。

「ちぇっ、この景色見ながらだったらずっと気持ちよく歩けるのに、もう下りるのかよ……」

 まったくどこまで、私と諒は似たもの同士なんだろうと思う。
 ちょっと嬉しく思いながら隣に視線を向けたら、「なんだよ?」と怒ったように問いただされた。

「なんでもない」

 ここで喧嘩になってはもったいない。
 せっかくの夜間遠行。
 せっかくの同じグループ。

 最終的には、肉体の限界に挑むことになる過酷な行事だとはわかっていても、一晩中諒と一緒にいれるのはやっぱり嬉しい。

「そっか……行くぞ?」
「うん」

 並んで歩きだせるぐらい、最近では近くなりつつある諒との関係に、私は幸せを感じていた。
 


 
「で? 最初の問題はどこで出題されるんだよ……?」

 私と並んでグループの先頭を歩きながら、諒がうしろの貴人に問いかける。

「さあ?」

 笑い含みの答えに、案の定諒は、貴人を目を剥いてふり返った。

「さあって……お前も知らないのかよ?」
「もちろんだよ。それじゃ不公平になるだろ? オリエンテーリングふうにしたらどうかって提案をしたのは俺だけど……夜間遠行中はあくまでも一生徒、一参加者に過ぎないからね……俺たちのグループだけが優位になるような情報は何も持ってないよ」

 爽やかに鮮やかに、堂々と胸を張って言い切る貴人に、諒はちょっとため息をついた。

「まあ……そう言うだろうとは思ってたけどな……」
「ハハハッ、やっぱり?」

 二人の会話を聞いているとなんだか嬉しくなる。
 仲が良いというか、気心が知れているというか。

『HEAVEN』で半年以上も一緒に活動しているんだから当たり前と言えば、当たり前なのだが、少なくとも諒は、同じクラスの男子といるよりも貴人といる時のほうが楽しそうだ。
 そんなことを考えていたら、ドキリとした。
 私のことを好きだと言ってくれた貴人。
 私の好きな人――諒。

 もしこれから先、私が貴人になんらかの返事をしたりとか、諒に想いを告げたりとか、そんなことがあったとしたら、二人の関係はどうなってしまうんだろう。

(ギクシャクしたりしたら……そんなの嫌だな……)

 私の決断次第では、二人の仲良い姿を見れなくなるかもしれないと考えると、とても気が重かった。

(それは……嫌だな……)

 ズキリと胸が痛んだ時、ピピーッと遥か下方から、笛の音がした。

「全員止まれ! これから第一のチェックポイントを発表する!」

 坂の下のほうは真っ暗で何も見えないため、どこにいるのかはわからないが、声だけ聞けば二年五組担任の体育教師、谷先生の声だ。

「いいか! 一回しか言わないぞ!」

 暗闇から響いてくる拡声器なしでもじゅうぶんによく通る大きな声を、それでも決して聞き逃してはならないと、全校生徒八百人が口を噤んだ。

 こんな時、みんなが一斉に黙ってちゃんと沈黙の時間を作れるところが、我が星颯学園が、よく訓練された「いい子ちゃん」ばかりの学校なのだと再確認させられるところだ。

 みんなが固唾を飲む中、発表されたのはちょっと思いがけない事柄だった。

「第一のチェックポイントは坂を下りきったところ、つまり俺が今いる場所だ。先に着いた者から順番に、問題用紙を渡す。だが残念ながら、問題用紙は全グループぶんはない。百枚……百グループぶんしかないから、残りの三十組ぐらいは問題さえ手に入らない!」

 暗闇の中でも、みんながザワザワとし始めたことがわかった。
 中には、もう谷先生に向かって走りだしているグループもいる。

「待てっ!」

 谷先生が見計らったかのように声を上げた。

「いいか? ここからが大切だ。多少声を出しても大丈夫なようにと、この夜間遠行は民家の少ない道を選んでルートを作ってはあるが、それでも用心に越したことはない。大きな声は出さないこと。出したヤツは失格だ。それからおまえたちが今下りてる坂は、傾斜がかなりきついし、距離も長い……よって、俺のところまで駆け下りてきたヤツには問題は渡さない!」

 ザワザワザワとざわめきが大きくなる。

「くれぐれも怪我のないように、最善の注意を払って、静かに最速で下りてこい。以上!」

(そんな無茶苦茶な!)

 大声で叫べない本音を心の中で叫んだ瞬間、隣にいた諒が私の腕に自分の腕をまわした。

「は? なに!? ……なにすんの!」

 思わず叫ぶと、小さな手で口を塞がれる。
 繭香だった。

「大声を出すな、馬鹿者! 失格になりたいのか!」

 私は慌てて首をぶんぶんと横に振った。

(ごめんなさい……)

 夜の闇の中でも爛々と輝く繭香の大きな黒い瞳が、怒りを含んで真近から私を見上げる。

「歩く速度を上げる時には、グループ全体で合わせる……チェックポイントにはグループの全員が揃わないと辿り着いたことにはならないからな。最初からそう決めていただろう?」

(そうだった……!)

 出発前にみんなで交わしたいくつかの約束を思い出して、私はうんうんと頷いた。
 繭香がようやく口を塞いでいた手を除けてくれる。

「だから俺たちは、速度を上げる時には早い者が遅い者をサポートする。OK?」

 貴人に念を押されて、私は慌てて頷いた。

「お、OK……」

 すかさず、諒と組んでいるのと反対の私の腕に、貴人が自分の腕を絡めてきた。

(ぎゃあああああ!)

 今度はなんとか悲鳴が漏れずに済んだ。
 これ以上繭香の怒りを買わなくてよかったと胸をなで下ろす。

 しかし見るからに『両手に花』のこの状況はいったいなんなんだろう。
 疑問の答えはすぐにわかった。

「琴美……ついて来れなくなったらすぐにそう言って? 俺が抱き抱えてでも連れて行くから」
「…………へっ?」

 私が満足に答えもできない内に、諒と貴人に両側から抱え上げられるようにして、私の体が半分宙に浮いた。

(えええええええっ!?)

 声に出さずに心の中の悲鳴だけで済んだ自分を、自分で褒めてあげたい。

「行くよ」

 笑いたいのを必死で我慢しているような声で貴人が囁いた瞬間、二人は私を抱えて猛スピードで歩き始めた。
 すぐうしろには、佳世ちゃんの手をしっかりと引いた渉が続く。

(え? でも、繭香は?)

 一人だけどんどん置いていかれる小さな人影を、私が焦りの気持ちでふり返った瞬間、繭香がジャージのポケットからスマホを取り出した。

「あ、先生、藤枝です。坂を下りてたらちょっと辛くなってきたので、しばらく見学のほうにまわってもいいですか?」

 携帯の向こうから帰って来たはずの返事は、私にはまったく聞こえなかったけれど、
 繭香がこちらに親指を立てて見せたということは上手くいったということだろう。

「これが俺たちのグループの最速……だろう?」

 クククと声を忍ばせて笑う貴人は、私を挟んで諒に向かって話しかける。

「確かに!」

 諒だって、間にいる私のことなんて、単なる荷物だとでも思っているかのように、貴人に笑い返した。

 かなり近い距離で密着しているというのに、そこに照れとか恥ずかしいとかいう気持ちがあるのは私だけなんだろうか。
 なんだか理不尽さを感じずにはいられない。

 不満に頬を膨らました私に、諒が目ざとく気がついた。

「なんだよ……なんか言いたいことがありそうだな?」
「別に」

 ちょっとふて腐れ気味に返事したら、諒が貴人に向かって二カッと笑った。

「貴人。こいつ、もっとスピード上げても大丈夫だってさ」
「は? ちょっと待って、なに言って……」

 それ以上はもう、言葉にならなかった。

「了解」

 艶やかに笑った貴人と、悪戯っ子みたいな顔で私を見る諒に挟まれて、私は肉体の限界を越えて歩かされた。

(いやああああああ!!)

 それは確かに、私たちのグループにとっては、最速だったと思う。
 
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