48 / 77
13 人間とあやかし
⑧
しおりを挟む
ある日、いつものように田中さんの家の近くに車を停めて、建物へを続く長いスロープを上がると、異変に気がついた。
いつも様々な野菜やお茶などが入れてあるざるやかごが、整頓されて小屋の前に積まれている。
軒先に下がっていた玉葱やへちまも片づけられており、今まさに田中さんが、自分で彩色したいろいろな形の瓢箪を、大きなダンボールにしまっているところだった。
「こんにちはー」
声をかけた私を見て、「よお」と手を上げてくれたが、ごほごほと咳きこんで手にしていた瓢箪を落とす。
私は慌てて田中さんに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
しばらく背中をさすってから、縁側に置いてあった水筒から麦茶をグラスに注いで、田中さんに手渡すと、ごくごく飲んで田中さんはひと息つく。
「ありがとう、瑞穂ちゃん。助かったわ」
お礼を言うとすぐにまた作業を再開するので、私もそれを手伝う。
「全部片づけるんですか?」
田中さんは眉尻を下げて、少し寂しそうな顔になった。
「ここを引き払うんじゃよ。都会に住んどる息子が、自分のところに来いって前から言ってくれちょったんだけど、なかなかこの咳が抜けんで心配じゃから、もうすぐにでもって……」
豆太くんや私以外にも、田中さんを気にかけて、心配する存在はいるのだと気がつき、私は少しほっとした。
「そうなんですか……」
「仏壇も準備するから、位牌だけ持って来いって言われたら、いつもの言い訳も通用せん……畑は放り出すことになるけど、仕方ないの……」
荷物をたくさん運び入れる場所もないので、家財の多くも置いていくことになるのだという。
「よかったら、一つ持って行かんか?」
箱に詰められた瓢箪の中から、私は赤とオレンジで塗られた小さなものを選んだ。
田中さんが庭に植えている木から取った実を、乾燥させて中身をくり抜いて彩色して上塗りしてと、一つ一つ手作業で作って、近くの農作物直売所で売っていたのを知っているので、箱にしまわれてしまっているのを見ると、切ない気持ちになる。
「ありがとうございます。出張所に飾りますね」
「ああ」
田中さんは笑顔で、そよ風宅配便のロゴが入った箱を持ってきた。
「最後にこれを豆太に届けてくれんか。もうわしへの荷物は送らんでいい。これまでにもらったものは、全部大切に持っていくからって伝えてくれるとありがたい」
「はい、わかりました」
それを聞いた時、豆太くんがどれほど悲しむかと思うと、喉の奥に熱いものがこみあげてきそうになったが、私は必死に我慢した。
田中さんが、箱の上に封筒を乗せる。
「これは瑞穂ちゃんに。こんな遠くまで一日おきに……大変じゃったやろ? 何度も断ろうと思いながら、来てくれるのが嬉しくて……断りきれんかった。少ないけど、ガソリン代と手間賃。そしてこの宅配便の代金じゃ」
封筒の中にはかなりの額のお札が入っており、私は慌てて首を振る。
「受け取れません! 私そんなつもりじゃ……」
「わかっとるよ。善意で来てくれちょったんじゃよな。でも仕事もしながら、たいへんだったとわかっちょる。だから受け取ってくんしゃい」
深々と頭を下げられると、もう断わる言葉が出てこなかった。
代わりに、必死にこらえようとしていた涙が溢れてくる。
「出張所の仕事もがんばっての。優しい社員さんが働いちょる、いい宅配便じゃった、そよ風宅配便は……こんなじじいを、七十五まで雇ってくれたんじゃからの……これからいく街には、そよ風宅配便はないのが寂しいのう……」
涙を必死に拭って、田中さんから預かった荷物を私は大切に抱え直す。
「確かにお預かりしました。明日の夜には、豆太くんに渡せると思います」
「ああ。わしも明後日には出発じゃけ……今頃豆太が喜んどるだろうなと思いながら、明日は荷造りするよ」
「本当にありがとうございました」
「ああ。こちらこそ、ありがとうのう」
田中さんに見送られて、いつものように車に乗ったが、私はなかなか出発できずにいた。
瞳は潤ませながらも、最後まで笑顔で私を見送ってくれた田中さんが、顔をくしゃっと歪めて、腕で顔を大きく拭ったのが見えたから――。
「…………」
唇を噛みしめて、嗚咽をこらえながら車のエンジンをかけた。
涙で視界が塞がると危ないので、何度も何度も拭いながら、時には道路脇に車を停めて、いつもより長い時間をかけて、山の上の営業所までの道のりを帰った。
いつも様々な野菜やお茶などが入れてあるざるやかごが、整頓されて小屋の前に積まれている。
軒先に下がっていた玉葱やへちまも片づけられており、今まさに田中さんが、自分で彩色したいろいろな形の瓢箪を、大きなダンボールにしまっているところだった。
「こんにちはー」
声をかけた私を見て、「よお」と手を上げてくれたが、ごほごほと咳きこんで手にしていた瓢箪を落とす。
私は慌てて田中さんに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
しばらく背中をさすってから、縁側に置いてあった水筒から麦茶をグラスに注いで、田中さんに手渡すと、ごくごく飲んで田中さんはひと息つく。
「ありがとう、瑞穂ちゃん。助かったわ」
お礼を言うとすぐにまた作業を再開するので、私もそれを手伝う。
「全部片づけるんですか?」
田中さんは眉尻を下げて、少し寂しそうな顔になった。
「ここを引き払うんじゃよ。都会に住んどる息子が、自分のところに来いって前から言ってくれちょったんだけど、なかなかこの咳が抜けんで心配じゃから、もうすぐにでもって……」
豆太くんや私以外にも、田中さんを気にかけて、心配する存在はいるのだと気がつき、私は少しほっとした。
「そうなんですか……」
「仏壇も準備するから、位牌だけ持って来いって言われたら、いつもの言い訳も通用せん……畑は放り出すことになるけど、仕方ないの……」
荷物をたくさん運び入れる場所もないので、家財の多くも置いていくことになるのだという。
「よかったら、一つ持って行かんか?」
箱に詰められた瓢箪の中から、私は赤とオレンジで塗られた小さなものを選んだ。
田中さんが庭に植えている木から取った実を、乾燥させて中身をくり抜いて彩色して上塗りしてと、一つ一つ手作業で作って、近くの農作物直売所で売っていたのを知っているので、箱にしまわれてしまっているのを見ると、切ない気持ちになる。
「ありがとうございます。出張所に飾りますね」
「ああ」
田中さんは笑顔で、そよ風宅配便のロゴが入った箱を持ってきた。
「最後にこれを豆太に届けてくれんか。もうわしへの荷物は送らんでいい。これまでにもらったものは、全部大切に持っていくからって伝えてくれるとありがたい」
「はい、わかりました」
それを聞いた時、豆太くんがどれほど悲しむかと思うと、喉の奥に熱いものがこみあげてきそうになったが、私は必死に我慢した。
田中さんが、箱の上に封筒を乗せる。
「これは瑞穂ちゃんに。こんな遠くまで一日おきに……大変じゃったやろ? 何度も断ろうと思いながら、来てくれるのが嬉しくて……断りきれんかった。少ないけど、ガソリン代と手間賃。そしてこの宅配便の代金じゃ」
封筒の中にはかなりの額のお札が入っており、私は慌てて首を振る。
「受け取れません! 私そんなつもりじゃ……」
「わかっとるよ。善意で来てくれちょったんじゃよな。でも仕事もしながら、たいへんだったとわかっちょる。だから受け取ってくんしゃい」
深々と頭を下げられると、もう断わる言葉が出てこなかった。
代わりに、必死にこらえようとしていた涙が溢れてくる。
「出張所の仕事もがんばっての。優しい社員さんが働いちょる、いい宅配便じゃった、そよ風宅配便は……こんなじじいを、七十五まで雇ってくれたんじゃからの……これからいく街には、そよ風宅配便はないのが寂しいのう……」
涙を必死に拭って、田中さんから預かった荷物を私は大切に抱え直す。
「確かにお預かりしました。明日の夜には、豆太くんに渡せると思います」
「ああ。わしも明後日には出発じゃけ……今頃豆太が喜んどるだろうなと思いながら、明日は荷造りするよ」
「本当にありがとうございました」
「ああ。こちらこそ、ありがとうのう」
田中さんに見送られて、いつものように車に乗ったが、私はなかなか出発できずにいた。
瞳は潤ませながらも、最後まで笑顔で私を見送ってくれた田中さんが、顔をくしゃっと歪めて、腕で顔を大きく拭ったのが見えたから――。
「…………」
唇を噛みしめて、嗚咽をこらえながら車のエンジンをかけた。
涙で視界が塞がると危ないので、何度も何度も拭いながら、時には道路脇に車を停めて、いつもより長い時間をかけて、山の上の営業所までの道のりを帰った。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
モナリザの君
michael
キャラ文芸
みなさんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作の一つである『モナリザの微笑み』を知っているだろうか?
もちろん、知っているだろう。
まさか、知らない人はいないだろう。
まあ、別に知らなくても問題はない。
例え、知らなくても知っているふりをしてくれればいい。
だけど、知っていてくれると作者嬉しい。
それを前提でのあらすじです。
あるところに、モナリザそっくりに生まれてしまった最上理沙(もがみりさ)という少女がいた。
この物語は、その彼女がなんの因果かお嬢様学園の生徒会長を目指す話である。
それだけの話である。
ただキャラが濃いだけである。
なぜこんな話を書いてしまったのか、作者にも不明である。
そんな話でよければ、見て頂けると幸いです。
ついでに感想があるとなお幸いです。
神様たちのみそ汁 ~女神と死神と白猫が迎え入れます~
成木沢ヨウ
キャラ文芸
社会人二年目。二十四歳の胡桃 アキ(くるみ あき)は不幸体質。
これまでの人生で起きてきた数々の不幸・ストレスは、食べることで発散してきた。
しかし、食べることでは解消できないくらいの不幸が重なってしまう。
失恋、会社の人間関係、さらには父親の死……抱えきれなくなったアキは、ついに自死を考えるようになった。
――そんな中、たまたま紹介してもらった人形町にある古びた食堂に行くことに。
『みそ汁食堂 めいど』
都心の喧騒から離れた下町で出会ったこの食堂は、人の姿をした女神と死神が営んでいた。
そして白猫が一匹。
昼の部は、女神の定食屋。
夜の部は、死神の酒場。
一汁三菜。ご飯とおかずと、そしてみそ汁。
お酒とおつまみ、締めのみそ汁。
二人の神がもてなす究極のみそ汁には、人生を導くヒントが隠されている。
与えられるのは幸福か、はたまた降伏か。
寄り添う優しさが胃に沁みる、不思議な食堂の物語。
高尾山で立ち寄ったカフェにはつくも神のぬいぐるみとムササビやもふもふがいました
なかじまあゆこ
キャラ文芸
高尾山で立ち寄ったカフェにはつくも神や不思議なムササビにあやかしがいました。
派遣で働いていた会社が突然倒産した。落ち込んでいた真歌(まか)は気晴らしに高尾山に登った。
パンの焼き上がる香りに引き寄せられ『ムササビカフェ食堂でごゆっくり』に入ると、
そこは、ちょっと不思議な店主とムササビやもふもふにそれからつくも神のぬいぐるみやあやかしのいるカフェ食堂でした。
その『ムササビカフェ食堂』で働くことになった真歌は……。
よろしくお願いします(^-^)/
天乃ジャック先生は放課後あやかしポリス
純鈍
児童書・童話
誰かの過去、または未来を見ることが出来る主人公、新海はクラスメイトにいじめられ、家には誰もいない独りぼっちの中学生。ある日、彼は登校中に誰かの未来を見る。その映像は、金髪碧眼の新しい教師が自分のクラスにやってくる、というものだった。実際に学校に行ってみると、本当にその教師がクラスにやってきて、彼は他人の心が見えるとクラス皆の前で言う。その教師の名は天乃ジャック、どうやら、この先生には教師以外の顔があるようで……?
煌焔〜いつか約束の地に至るまで〜
紫南
キャラ文芸
浄化の力を持つ一族『華月院』
そこに無能と呼ばれ、半ば屋敷に軟禁されて生きてきた少女
華月院樟嬰《カゲツインショウエイ》
世話役の数人にしか見向きもされず、常に処分を考えられる立場。
しかし、いつしか少女は自分を知るため、世界を知るために屋敷を脱け出すようになるーーー
知ったのは自身に流れる特別な血と、人には持ち得ないはずの強力で膨大な力。
多くの知識を吸収し、身の守り方や戦い方を覚え外での立場を得る頃には
信頼できる者達が集まり、樟嬰は生きる事に意味を見出して行く。
そしてそれは、国をも揺るがす世界の真実へと至るものだったーーー
*異色のアジアン風ファンタジー開幕!!
◆他サイトで別名で公開していたものを移動、改稿の上投稿いたしました◎
【毎月10、20、30日の0時頃投稿予定】
現在休載中です。
お待ちください。
ファンタジーからキャラ文芸に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる