作家の先生と私

黒崎

文字の大きさ
上 下
2 / 2

先生と私

しおりを挟む
 私があの人を先生、と呼びはじめてからどれほど経ったか。先生に出会ってから、長いようで短い時が流れた。

 先生は作家の職で生活を送っている。
 巷では名の売れた作家のようで、流行には疎い私にも、友人達を通じて先生の話は耳にすることがある。
 前に1度、先生の書いた小説を読んだことがある。……内容はとても……語れるようなものではなくて。大人の世界とはとても怖いものね、としばらくの間悶々としたのは秘密だ。

 先生は自身を多く語らない。先生には先生なりの、事情があるのだろうと分かってはいる。

 先生、と私が呼ぶと、先生はいつも微笑んでどうしたんだいと尋ねる。
 私の大好きな笑顔を浮かべて。
 その笑顔が崩れる日が来ることが、私は酷く恐ろしい。




 私が先生に拾われたのは14の頃。
 私には両親と小さい弟がいた。
 幸せだった。家族と囁かな生活を送って、それで十分だった。それ以上何も望まなかった。穏やかな日常を送っていたある日、戦争が全てを奪った。
 戦争孤児になった私と弟は、余裕のない孤児院に詰め込まれた。親を失った寂しさと孤独さから、穏やかな日常を奪った全てを憎んでいた。孤児院の生活は楽ではなかった。人も多く食べ物も油断すれば誰かに奪われる。戦争は終わったけれど、孤児院では戦争の余波がまだ続いているようだった。お腹がすいた、寂しい苦しい。寒い。
 そんな声が飛び交う貧しい孤児院内。
    劣悪と言える環境下でも、明日を凌げるだけの食事ができるのは、異教の神の言う平等が説かれていたおかげだった。
 姉ちゃん、と弟が苦しげに呼ぶ声。ここでは十分な治療ができない。ただの風邪でも、こじらせれば命取りだ。ましてや、この孤児院で十分な栄養を摂る、なんてことは酷く難しい。奪えば奪われる。度をすぎた行動はそれこそ諌められるが、基本、手が回らないここでは無法地帯同然。
 医者を呼んでも、一体その金を誰が払う? 戦争が奪う前の生活ならば、両親が医者を呼んでくれたことだろう。厄介な病気にかかった弟は隔離され、長く持つこともなく儚く散った。
 戦争は全てを奪った。両親を弟も。
 戦争が無ければ幸せは続いただろうか? 
 神は死んだ!   もう居ない。
 
 弟が死んだ。孤児院ではそう珍しくない事だった。多い年では二、三人ほどーーもっと多ければ五人ほど死んでしまうことはある。
    特に幼い子供を預かる場所でもあったから、病を拗らせてころりと逝くことはよくあったのだった。
   その1人に、弟が加わっただけ。そんな孤児院にとってのよくある事は――私にとっては、良くあることの一つではなかった。
 
 両親が死んで、弟が死んでも、孤児院での生活は変わらない。孤児院の職員は悲しむ素振りは見せるものの、新しく入ってくる孤児の席が空いたと安堵のため息を着く。当たり前のこととなっているのだろう。
 
 空っぽだった。戦争が終わったと喜ぶ人々を後目に、孤児院の生活は変わらず進む。弟が死んで2年がたち、14歳になった。孤児院にいることが出来るのは16歳まで。
  そうして空っぽの私に、ある一人の男が訪れる。だれか孤児を引き取りたいと考えている、様子見だと。
 男と言っても、青年と呼んだ方が良いくらい若い容姿。
 艶のある黒髪に、端正な顔立ち。仄暗い瞳でこちらを見入るその人。恵まれているとひと目でわかるような品質の服装(もっともそれは、彼にとっての一張羅なのかもしれない)に身を包んだ青年。柔和な笑顔を浮かべながらも、何処か瞳に憂いがある。
 孤児院で孤児を引き取りたいという人は少なくない。もっともそれは、優秀な孤児がほとんどでありーー私のような食い扶持を削る孤児は引き取られないことが殆どだ。
 だから、いつもの事だろうと興味を抱くことも無く無関心を貫いていた。
 そんな私に、興味を持って近づいたのは青年の方だった。
 一言二言質問をされ、当たり障りのない答えをし、ふとぽつりと呟く。
 
「……ああ、やっぱり君が欲しい」
 
 欲しい、という言葉に驚き、変哲もない私に何故ーーと混乱する。
 
「ああ、すみませんが……この子を引き取りたいのですが」
 そう言って案内役の職員に尋ねた青年に、職員も驚いた様子で本当にいいんですか、と繰り返し聞き返した。
 職員との会話の声が遠のいていく。
 その後かすかながらも、紹介した子ほど良くは無いですよ、とも。
 その言葉に、言い表せない感情を掻き乱される。が、その言葉に青年が返した。
「僕は紛れもなくあの子がいいんですよ、他の誰よりも、あの子だけを」
 
 その青年が後に先生と呼びしたうことになる人だった。
 
 私が引き取られた当初から既に、先生は作家としての仕事をしていたようだった。常日頃仕事が舞い込むわけではないようだったが、それなりに名の知れた人だということを知らされた。
 引き取られた私が連れていかれたのは、その青年の家だった。
 青年はリョウと名乗った。
 
「君は今日から、この家でここで暮らすんだ」
 
 ここで暮らすーーその言葉は、戦争の混乱に巻き込まれ数年間、孤児院で過ごしていた私にとっては特別な響きを持っていた。
 
 ちらりと青年の方を見上げれば、私を見て薄く微笑んだ。
 赤の他人に引き取られ、右も左も分からないまま。
 私の新しい生活は、その日始まった。
 
 リョウと名乗る私を引き取った青年は、巷では名のしれた作家だと言う。「僕の呼び名は自由でいいよ。僕は君を引き取ったけど、あくまでも、親代わりでしかないからね。君の意思を尊重するよ」
「僕は随分長いこと一人でいたからね。……人肌恋しくて、君を迎えたんだ」
 そう言って笑み浮かべたその瞳には、人寂しさから迎えたと言うにはーーあまりにも真剣な、何処か怪しい光があった。
 作家の職を得て生活をしている。親代わりと言えど父と呼ぶには無理があり、名前で呼ぶのも気恥ずかしいーーならば先生と呼べばいい。リョウと名乗った青年のーー"先生"のその言葉を、私は甘んじて受け入れた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

シチュボ(女性向け)

身喰らう白蛇
恋愛
自発さえしなければ好きに使用してください。 アドリブ、改変、なんでもOKです。 他人を害することだけはお止め下さい。 使用報告は無しで商用でも練習でもなんでもOKです。 Twitterやコメント欄等にリアクションあるとむせながら喜びます✌︎︎(´ °∀︎°`)✌︎︎ゲホゴホ

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

トリスタン

下菊みこと
恋愛
やべぇお話、ガチの閲覧注意。登場人物やべぇの揃ってます。なんでも許してくださる方だけどうぞ…。 彼は妻に別れを告げる決意をする。愛する人のお腹に、新しい命が宿っているから。一方妻は覚悟を決める。愛する我が子を取り戻す覚悟を。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...