11 / 17
11話 夢から醒めて
しおりを挟む
わたしたちは席に座り、料理人が緊張しているのを目で追っていた。
一国に名を連ねている令嬢と王子を相手にどんな料理を出すか、一生懸命に絞り出そうとしているのだ。
それをただ座してしばらく待つ。
妖しい薄明かりが厳選してきた赤いドレスを鈍く照らし、わたしをうっとりとさせる。
独特の雰囲気に、わたしの意識は段々とゆったりと、低い次元をたゆたっていた。
そこに弾かれるピアノの曲もあって、思わず意識をその場から切り離し、煌びやかな風景に溶け込ませる。
「一音一音が耳に溶けていく」
わたしは音楽を聴くのがとても好きであり、この辺りの有名な作曲家が手掛けたものは大概網羅している。
「なかなかどうして、こう音楽はわたしに安らぎを与えてくれるのかしらね」
「私には少し、分からないかな」
「あら、もったいないことをしているのね」
聴覚を誇張し、生活音を絡めた雄大な合唱に聞き惚れる。
音楽は心に安らぎを、強張った体を解す働きをわたしに何度も贈ってくれる。
今回もそうしたリラックスに一役買っており、やや激しかった胸の鼓動もあるべき状態へ戻っている。
一方で、ローウェンは音楽や景観には興味を持っていないようだ。
「もうお腹が空いてしまったよ」
そんなことよりもディナーと言わんばかりに、厨房を凝視している。
なんてはしたないのだと、わたしは今にも飛び出しそうな彼に視線を送り、嫌悪感を示す。
「何もここへは食べるためだけに来たわけではないのよ」
わたしは彼との掛け替えの無い思い出を作りたくて、この風情ある店を選んだ。
高くて美味しいだけの店なら他に幾らでもある。
わたしがかつて訪れ、記憶に深く刻まれた店を紹介したのに、彼の頭には食事で空腹を満たすことしか無い。
「押し付けがましかったかしら……」
自分の理想を彼に押し付け過ぎたきらいがあると考えると、目の前をどんよりとした暗雲が包み込む。
「あの男にはデリカシーというものが無いのでしょうか」
シエルは落ち込むわたしを庇うように裏で歯軋りをし、彼に怒りをぶつけている。
もちろんそんな態度をここでそのまま出してはまずいので、表面上は落ち着きを取り繕っていた。
「どうかしたのかい?」
何も分かっていないきょとんとした表情で、俯いていたわたしに話を振るローウェンは空腹を誤魔化すためにしきりに水を飲む。
わたしを心配してはいるけど、その理由には気付いていない。
「いきなり俯くなんて、おかしなリエナだね」
「ふん、何でもないわ」
彼の気分まで押し付けで害しては本末転倒だ。楽しいデートのはずが、自分から後味を悪くするなんてあまりに滑稽である。
彼が美よりも食を愛する。ローウェンについて、新たな一面を垣間見られただけ良かったと考えるべきだ。
「食事が来たわよ」
彼はわたしが薦めたコース料理を見るや、真っ先に食べていき、こちらとはろくに会話ん交わさなくなる。
わたしの奢りにあやかって遠慮したりは特に無し。来る料理にとにかくかぶりつく。
ソースが服に飛び散ろうがお構い無しの、捕食とも形容できる食い散らかしようには、わたしもみるみるうちに頭から足先にかけて冷めていった。
「なんとはしたない……」
シエルは露骨な嫌悪感を示し、口元を手で覆っている。
思えば、彼は食べ物に夢中な人間で、食い意地がとにかく張っていた。
そんな彼にわたしは補正という名の膜を張って、貴族の枠に囚われない男だと好意的な解釈をしていたのだ。
「うめ、美味いよこれ!」
それに、ローウェンが女遊びをしているとの噂が横行していた時期もある。
ローウェンに限ってそんなことと、わたしは信じようともしなかったけど、レイナとの付き合い方を見たら信憑性も沸いてくる。
「そ、そう。嬉しいわ」
夢は次第に醒めていき、わたしの周りには骸がたくさん散らばっていた。
すっかり消沈してしまったわたしは、彼の奥に見える扉が開くのを見る。
「なんであんたがそこにいるの」
なんと、屋敷にいて来ないと確信していたレイナが満を辞してこのレストランに足を踏み入れてきた。
わたしの夢は粉々を通り越して、無残な塵となって虚空へと吸い込まれる。
「お義兄様が誘ってくれたの!」
えらく単純な理由だが、わたしを奈落の底へ追い立てるにはこれ以上に最強の口撃は無い。
「二人きりのデートをするって、言ったわよね」
「いつまでするとは言っていない。レイナのかわいいこの子がいた方が盛り上がるし、構わないだろう」
酒の入った彼は屁理屈を捏ねて、自身の蛮行を無理やり正当化するという暴挙に出る。
「同じ姉妹とは思えないくらい君の性格がキツいからかわいいレイナで中和するのはありだろう? さっきからうるさくてご飯に集中できないよ」
挙句、猫を被った腹黒レイナをそのわたしよりかわいいと言った盲目ぶりに、いよいよわたしの許容量は限界を超える。
「わたし、帰るわね」
「デートはもう飽きたし、全然構わないよ」
「行くわよ、シエル……」
わたしは前髪の奥に影を落としながら、レイナによってぶち壊された思い出の場所を後にする。
「もう、これまでね」
「ん?」
「あんたとは婚約破棄をさせてもらうわ」
「なんでだい、意味が分からないよ」
「……!」
込み上げる怒りのあまり、側にあった花瓶の水をローウェンにかける。
「自分の心に聞きなさいよ!」
わたしはびしょびしょに濡れた彼を尻目に、シエルと共に夜の町へと消えていく。
一国に名を連ねている令嬢と王子を相手にどんな料理を出すか、一生懸命に絞り出そうとしているのだ。
それをただ座してしばらく待つ。
妖しい薄明かりが厳選してきた赤いドレスを鈍く照らし、わたしをうっとりとさせる。
独特の雰囲気に、わたしの意識は段々とゆったりと、低い次元をたゆたっていた。
そこに弾かれるピアノの曲もあって、思わず意識をその場から切り離し、煌びやかな風景に溶け込ませる。
「一音一音が耳に溶けていく」
わたしは音楽を聴くのがとても好きであり、この辺りの有名な作曲家が手掛けたものは大概網羅している。
「なかなかどうして、こう音楽はわたしに安らぎを与えてくれるのかしらね」
「私には少し、分からないかな」
「あら、もったいないことをしているのね」
聴覚を誇張し、生活音を絡めた雄大な合唱に聞き惚れる。
音楽は心に安らぎを、強張った体を解す働きをわたしに何度も贈ってくれる。
今回もそうしたリラックスに一役買っており、やや激しかった胸の鼓動もあるべき状態へ戻っている。
一方で、ローウェンは音楽や景観には興味を持っていないようだ。
「もうお腹が空いてしまったよ」
そんなことよりもディナーと言わんばかりに、厨房を凝視している。
なんてはしたないのだと、わたしは今にも飛び出しそうな彼に視線を送り、嫌悪感を示す。
「何もここへは食べるためだけに来たわけではないのよ」
わたしは彼との掛け替えの無い思い出を作りたくて、この風情ある店を選んだ。
高くて美味しいだけの店なら他に幾らでもある。
わたしがかつて訪れ、記憶に深く刻まれた店を紹介したのに、彼の頭には食事で空腹を満たすことしか無い。
「押し付けがましかったかしら……」
自分の理想を彼に押し付け過ぎたきらいがあると考えると、目の前をどんよりとした暗雲が包み込む。
「あの男にはデリカシーというものが無いのでしょうか」
シエルは落ち込むわたしを庇うように裏で歯軋りをし、彼に怒りをぶつけている。
もちろんそんな態度をここでそのまま出してはまずいので、表面上は落ち着きを取り繕っていた。
「どうかしたのかい?」
何も分かっていないきょとんとした表情で、俯いていたわたしに話を振るローウェンは空腹を誤魔化すためにしきりに水を飲む。
わたしを心配してはいるけど、その理由には気付いていない。
「いきなり俯くなんて、おかしなリエナだね」
「ふん、何でもないわ」
彼の気分まで押し付けで害しては本末転倒だ。楽しいデートのはずが、自分から後味を悪くするなんてあまりに滑稽である。
彼が美よりも食を愛する。ローウェンについて、新たな一面を垣間見られただけ良かったと考えるべきだ。
「食事が来たわよ」
彼はわたしが薦めたコース料理を見るや、真っ先に食べていき、こちらとはろくに会話ん交わさなくなる。
わたしの奢りにあやかって遠慮したりは特に無し。来る料理にとにかくかぶりつく。
ソースが服に飛び散ろうがお構い無しの、捕食とも形容できる食い散らかしようには、わたしもみるみるうちに頭から足先にかけて冷めていった。
「なんとはしたない……」
シエルは露骨な嫌悪感を示し、口元を手で覆っている。
思えば、彼は食べ物に夢中な人間で、食い意地がとにかく張っていた。
そんな彼にわたしは補正という名の膜を張って、貴族の枠に囚われない男だと好意的な解釈をしていたのだ。
「うめ、美味いよこれ!」
それに、ローウェンが女遊びをしているとの噂が横行していた時期もある。
ローウェンに限ってそんなことと、わたしは信じようともしなかったけど、レイナとの付き合い方を見たら信憑性も沸いてくる。
「そ、そう。嬉しいわ」
夢は次第に醒めていき、わたしの周りには骸がたくさん散らばっていた。
すっかり消沈してしまったわたしは、彼の奥に見える扉が開くのを見る。
「なんであんたがそこにいるの」
なんと、屋敷にいて来ないと確信していたレイナが満を辞してこのレストランに足を踏み入れてきた。
わたしの夢は粉々を通り越して、無残な塵となって虚空へと吸い込まれる。
「お義兄様が誘ってくれたの!」
えらく単純な理由だが、わたしを奈落の底へ追い立てるにはこれ以上に最強の口撃は無い。
「二人きりのデートをするって、言ったわよね」
「いつまでするとは言っていない。レイナのかわいいこの子がいた方が盛り上がるし、構わないだろう」
酒の入った彼は屁理屈を捏ねて、自身の蛮行を無理やり正当化するという暴挙に出る。
「同じ姉妹とは思えないくらい君の性格がキツいからかわいいレイナで中和するのはありだろう? さっきからうるさくてご飯に集中できないよ」
挙句、猫を被った腹黒レイナをそのわたしよりかわいいと言った盲目ぶりに、いよいよわたしの許容量は限界を超える。
「わたし、帰るわね」
「デートはもう飽きたし、全然構わないよ」
「行くわよ、シエル……」
わたしは前髪の奥に影を落としながら、レイナによってぶち壊された思い出の場所を後にする。
「もう、これまでね」
「ん?」
「あんたとは婚約破棄をさせてもらうわ」
「なんでだい、意味が分からないよ」
「……!」
込み上げる怒りのあまり、側にあった花瓶の水をローウェンにかける。
「自分の心に聞きなさいよ!」
わたしはびしょびしょに濡れた彼を尻目に、シエルと共に夜の町へと消えていく。
305
あなたにおすすめの小説
【完結】精神的に弱い幼馴染を優先する婚約者を捨てたら、彼の兄と結婚することになりました
当麻リコ
恋愛
侯爵令嬢アメリアの婚約者であるミュスカーは、幼馴染みであるリリィばかりを優先する。
リリィは繊細だから僕が支えてあげないといけないのだと、誇らしそうに。
結婚を間近に控え、アメリアは不安だった。
指輪選びや衣装決めにはじまり、結婚に関する大事な話し合いの全てにおいて、ミュスカーはリリィの呼び出しに応じて行ってしまう。
そんな彼を見続けて、とうとうアメリアは彼との結婚生活を諦めた。
けれど正式に婚約の解消を求めてミュスカーの父親に相談すると、少し時間をくれと言って保留にされてしまう。
仕方なく保留を承知した一ヵ月後、国外視察で家を空けていたミュスカーの兄、アーロンが帰ってきてアメリアにこう告げた。
「必ず幸せにすると約束する。どうか俺と結婚して欲しい」
ずっと好きで、けれど他に好きな女性がいるからと諦めていたアーロンからの告白に、アメリアは戸惑いながらも頷くことしか出来なかった。
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
婚約破棄の夜の余韻~婚約者を奪った妹の高笑いを聞いて姉は旅に出る~
岡暁舟
恋愛
第一王子アンカロンは婚約者である公爵令嬢アンナの妹アリシアを陰で溺愛していた。そして、そのことに気が付いたアンナは二人の関係を糾弾した。
「ばれてしまっては仕方がないですわね?????」
開き直るアリシアの姿を見て、アンナはこれ以上、自分には何もできないことを悟った。そして……何か目的を見つけたアンナはそのまま旅に出るのだった……。
隣国の王族公爵と政略結婚したのですが、子持ちとは聞いてません!?
朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくしの旦那様には、もしかして隠し子がいるのかしら?」
新婚の公爵夫人レイラは、夫イーステンの隠し子疑惑に気付いてしまった。
「我が家の敷地内で子供を見かけたのですが?」と問えば周囲も夫も「子供なんていない」と否定するが、目の前には夫そっくりの子供がいるのだ。
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n3645ib/ )
婚約者から悪役令嬢だと言われてしまい、仕方がないので娼婦になります。ところが?
岡暁舟
恋愛
あらぬ疑いをかけられて、婚約者である王子から婚約破棄されることになった。もう誰も面倒を見てくれなくなったので、娼婦になることを決意する。新たな人生が軌道に乗り始めた矢先のこと、招かれざる客人がやって来た。
当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!
朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」
伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。
ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。
「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」
推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい!
特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした!
※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。
サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる