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第二章 神苑の瑠璃 前編

第十四話 剣聖結界 ―蒼い風と炎の厄災― Ⅰ

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 広く、どこまでも続く草原があった。ただ水平にどこまでも続く地平線、遠くのほうから流れてくる風は草を揺らしながらどこまでも吹いている。
 そこに一人、草原のど真ん中に立つ少年がいる。レイだ。風が流れる音と草が揺れる音だけがそこに響く。辺りを見渡しても誰もいない。彼しかそこには存在していないかのように。

「何もない」

 ぼそっと呟いた、首を振りあたりを見渡すがどこまでも続く地平線だけが彼の目に映っていた。

「自分との闘いって、先生は僕に何をさせるつもりだろう」

 ゆっくりと歩き始めた、何処までも何処までも長く続いている道なき草原を歩く。もちろん彼には見た事のない場所である、記憶の中にも、人々の話でも聞いたことのないこの広い草原。空はよく晴れていて太陽の光が心地良い、風もおそらく南風か、どことなく暖かく感じる。四季でいえば春、ちょうど昼下がりのような感じだった。

 歩き始めて数分、気が付いたことがある。進みながら後ろを振り返ると自分が歩いてきた場所に足跡がついていなかった。いくら軽いレイの体重とはいえ膝下まである草を踏めば茎は折れ曲がる。だが彼の歩いてきた場所は歩く前と変わらない状態になっている。

 とても不思議な現象だった、ふと自分の足元を見る。そこには確かに折れ曲がった草がある、試しに足をどかしてみるが草は折れたままだった。一度首を傾げ腑に落ちないまままた歩き始める。
 変化があったのは一時間ほど歩いた時だった。青空だった空は急に曇りだし、冷たい北風が突風となって彼の体を襲った。思わず目をつぶってしまうレイ、再び目を開けた時そこに草原はなかった。
 黒く焦げた大地、辺り一面焦土と化した光景だった。彼はその景色を知っている、確かに彼はそこにいた。そこで育った。そこは跡形もなく消えたケルミナの村だった。

「ここは、ケルミナ?」

 山の麓にある村、毎年のように山の洞窟では貴重な鉱石が発掘される。鋼のように固い鉱石は旅人達の武器や防具の素材となる。その中にはとても純度の高いダイヤモンドも発掘されてきた。それも昔の話。帝国がケルミナを襲った後鉱山は崩れ封鎖されてしまった。
 レイは跡形もなく消えたケルミナを歩き回る、昔の思い出を頼りに家が建っていた場所。友達と遊んだ広場や牧場、そういった思い出の場所を回る。

「この前と何も変わらない、全く同じだ」

 廃屋すら残っていない、まるで大爆発があったかのように焦げた土だけが残っている。村の中央部へと戻ってきたレイはもう一度ぐるっとあたりを見渡す。

「ん?」

 入り口の近くに人影のようなものが見えた、揺ら揺らと揺れる黒い人影。しばらくした後ゆっくりと消えた。レイはとっさにそこへ走り出す、だが何もなかった。

「今確かに……」

 そこまで言うと背中に違和感を覚えた、体ごと後ろへと振り返ると今度ははっきりとした姿をとらえる。人だ、人がレイのすぐ後ろに立っていた。

「っ!」

 瞬間的に後方へと飛ぶ距離を取る。見た事のない男性がそこに立っていた。縮れた黒く長い髪の毛に炭のように黒い肌、背格好はレイより二回り大きい。全体を影に覆われているようだった。

「誰だ!?」

 右手を腰にやるがポーチがない、霊剣を取り出そうとしたが右手はむなしく空をつかむ。舌打ちを一つして目の前の男を警戒する。

「やっと会えたな少年よ、心から待ちわびたぞ」

 恐ろしく低い声が聞こえる、それもノイズが掛かったような声。不気味にも思えるその声に、レイは一歩後ろへと後ずさりする。

「こんなに早く会えるとは思わなんだ」

 もう一度声が聞こえた、今度は直接脳内に大音量で響く。咄嗟のことにレイは両手で頭を押さえる、ひどい頭痛がするようにギンギンとエコーまで響く。

「お前、誰だ?」

 あまりの痛さに片膝をつく、片目をつむり息を切らしながら睨む。この男はレイの事を知っているようだ、だがレイは目の前の男を見たこともない。しかしこの声は聞き覚えがあった。

「この声、時々夢の中で語りかけてくる奴か!?」
「あぁ、この瞬間をどれほど待ちわびたか。少年には感謝している、この声は聞き取り辛いか? まだ調整が上手くいかなくてね。少し我慢してほしい」

 今度は穏やかに聞こえた、ノイズも次第に取れてクリアに聞こえてきた。脳内に響くのは相変わらずだが格段に良い、違和感までは取り除けないにしろ頭痛は取れた。両足でしっかりと地面に立つと警戒しながらもレイは語り掛ける。

「もう一度聞く、お前は誰だ」
「少年も知っているだろう。私がそう名乗り少年がそう名付けたのだから」

 ドクン、心臓が一度大きく鳴った。右手で心臓付近の服を鷲掴みにする、心臓が痛い……握りつぶされるような痛みだ。同時に目の前の視界が霞む、チラチラと見た事のない景色が映し出される。真っ赤に燃える家々、逃げ惑う人々。次に嗅覚に異変があった。焦げた匂いがした、髪の毛が燃える匂いがする。

(なんだこれっ!)

 続いて聴覚、女性の悲鳴が聞こえる。女、子供と続いて男性の助けを求める叫び。遠くから聞こえる獣のような声、犬だろうか? いろんな音がすべて混ざりレイの耳に届く。

「僕に……僕に何をしたっ!」
「私の過去を見せているだけだ、少年に危害は加えない」

 男はニッコリと笑う、目元は影に覆われていて見えないが口元だけははっきりと見える。不気味、その言葉が此処まで似合う者は早々居ないだろう。
 一つ分かったことがある。この男、黒い影が覆っているように見えていたがそうではない。焦げている。全身真っ黒に焦げていた。それに気が付いたのは嗅覚に異常が出た時だ。目を凝らして男を見ると今も体全体が燻っているようだ。視界にはっきりと捉えたそれは、顔いっぱいに口が裂けたように広がって笑っていた。そしてレイは確信する。

「炎の厄災『イゴール・バスカヴィル』」
「後の世界ではそう呼ばれているのか、いい響きだ」
「過去の魔族……いや、魔人が僕に何の用だ」
「そう警戒しなくてもいい」

 今から千年以上昔に起こった一つの厄災、世界の三分の一を焦土に変えた人類史最悪の大火災。それが炎の厄災である。記録として残っているものは数少なく一部は伝承として語り継がれてきた、西大陸の中央部に位置する当時の国家で異変は起きた。
 街外れの犬小屋から突如出火し、巨大な爆発を起こす。その爆風は数千度に到達し衝撃波を伴い西大陸全土を襲った。爆心地グラウンド・ゼロから数十キロは爆発により吹き飛び、吹き飛ばされた瓦礫は中央大陸の東部に落下したと伝わる。被害は東大陸の一部でも確認されている。爆発時のきのこ雲は現在のケルヴィン領主が納めている地域でも目撃情報があった。

 当時の帝国は異変を調べるべく調査団を西大陸へと派遣した。被害は大陸全土、山は吹き飛ばされ原型を保っていない。現在の西大陸に山がないのはその影響もある。爆心地からほど近い場所は瓦礫一つ残っておらず巨大なクレーターが出来ていた。その中央から突如として巨大な炎が巻き起こる。火柱というにはあまりにも巨大すぎるそれは調査団の一部を瞬間的に溶かした。灼熱、その言葉通りである。岩石は溶け溶岩となる、生き残った調査団からの報告で爆心地で何が起きたのかが判明する。

 人だった、それも真っ黒に焦げた人間からいきなり炎が噴き出したのである。当時の帝国はそれを討伐するために軍を派遣したが二度失敗する。討伐どころか近づくことすらできないと分かった当時の帝国は、法術士による大規模な封印を決行する。クレーターの周りに五百人以上の法術士を並べ一斉に法術を唱える。永久に溶けることのない氷を一瞬にして生成し厄災の元凶を封じ込めたのだ。そしてソレを異次元空間に封印した。
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