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 第一章 日常生活について

ナカニシさん

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「……匂いがきつい」

 私は温泉情報を町で得て、2日かけて温泉地に辿り着いた。
 なんかこう、卵が腐ったような匂いが辺りに充満してる。
 時間が経つにつれて少しは慣れるが、私は鼻がバカになるかもしれないと不安になった。

 しかし、体にいい事を知らない最初の人間は何を思って、こんな匂いのするもんに入ったんだろうかと疑問に思ってしまうくらいだ。

「何も知らなきゃこんな腐ったような湯に入ろうなんて思わないよな。最初に入った先人は、天才なのかバカだったのか……」

 色々と謎に思う所もあるが、今はその人間の知恵と文化に感謝し認めていこう。
 私の3食昼寝付きの野望の為に。
 そして、ノミダニ一掃の為に!

 ……いかん。順番が逆になってた、ノミダニ退治からの3食昼寝付きの野望だった。

「さて、まずは私でも入れそうなとこを探すとしよう」

 何度も言うが私は小柄であるが狼なわけだ。
 堂々と人の作った温泉に正面切って出入りはできない。
 狙いどころは、景色を満喫する為に外に作られた露天風呂に夜中に突撃するか、人の手が入っていない所に湧き出している場所を利用するかだ。

 理想は出入りが自由な後者だな。なんせ一度入っただけでノミダニの完全除去には至らないはずなので、数日かけて何度も入る必要があると思われるからだ。

「くそぉ、周囲に充満した卵の腐ったような匂いのせいでその発生源でもある温泉の場所がよく分からない……」

 恐らくだが、私が捜し求める温泉は複数あると思われた。
 それもあってうまく場所を特定できずに、人間達が利用している温泉宿から少し離れた所の森の中をうろうろと彷徨った。
 なんとか匂いで発生源を探そうと鼻に意識を集中させフンフンッ!と強く鼻を鳴らした。

 そんな時だった。私の鼻が何か獣くさい匂いを僅かに捉えた。

「なんの匂いだ……?少なくとも熊や狼や兎じゃないのは分かるが……」

 何だろうかと考えていると、鼻ではなく私の喉がゴクリと鳴った。
 なぜかというと、いつもであれば川で食べなれた子蟹を好きなだけムシャムシャしてるのだが、川を離れてからは比較的捕まえやすいバッタや蝶等の虫を主食にしていた。
 もう肉の味なんて忘れかけていた私だが、久々に狼的な本能が疼いたのだ。

 危険な生き物じゃないとは言い切れないが、私はその獣くさい匂いを追うことにしたのだった。

 その獣くさい匂いは、右へ左へあてもなく彷徨うように動き回っているようだった。
 まるで森で迷子になった人間の子供のようだとも思った程だ。
 やがて匂いがハッキリしてきて、私は目的の獲物が近い事を悟る。

 危険な生き物ではありませんように!私はそう願いつつ匂いを頼りに目的の獲物の方に目を向けた。

「ウキィ~……」

 そこにいたのは子猿だった。
 しかも、乳離れもしてないような小ささで、その体はぷるぷると小刻みに震えていた。

「う……」

 私は食う為の食料を探していた。
 目の前にいるのはまさしくその獲物だ。
 久しぶりに肉が食いたくなっていた私だった。そのはずだったんだが……。

 うるうるとした目が合ってしまうと、食料にしていいのか私の心に迷いが生じてしまっていた。

「親とはぐれただけか?あるいは見捨てられたか、親が亡くなったのか……」

 私が何もしなかったとしても、このまま放置すればこの命は自然と終わりを迎えるだろう。
 ならばせめて腐ってしまう前に、この場でその血肉を腹に収めてやるのもありだろう。
 それが自然と言うものだ。

 私はどうするか悩み、小猿はそんな私を見て怯えていた。

「ウキィィーー!」

 その時だった。
 私と子猿の前に新たな第3者が現れたのだ。
 だが、それは私にとっても子猿にとっても決して良い者ではなかった。

 子猿はさらに怯え、助けてと言っているような声を出した。

「カァー、カァー」

 それは黒い羽に覆われたカラスだった。
 カラスは雑食性で雛鳥やまだ幼い子猫を襲う事もある鳥だ。
 容易にこの子猿を狙っている事が予想できた。

 チッ……。

 私は心の中で舌打ちをした。
 どうするべきか悩んでたところに余計な奴がやってきたからだ。
 これじゃ、落ち着いて考える事も出来ず、考えてる間に子猿をさらわれてしまう。

「ガルルルゥ……」

 私はどうするか考えるのを一旦やめて、カラスに向かい威嚇するように唸り子猿に近寄った。
 勘違いしないで欲しいが食う為ではない。
 私は子猿を口で咥え、自分の背に乗せた。

 小猿は私の毛を落ちないようにだろうが、強く握り締めひっついた。

「これは私のだぞぅ!」

 子猿を背に乗せてもまだこっちを見てくるカラスに吠えてやると、カラスは諦めたようで去って行った。
 小柄とはいえ狼にカラスが戦いを挑めるわけはないので当然だろう。
 これが小型犬クラスなら隙を突いて子猿を狙ってくる可能性もあるだろうけども。

「……さて。小猿を背に乗せたはいいがどうしよ……」

 私はノープランだった。

 だって仕方ないじゃんー。
 邪魔者のカラスがいたしー。
 コイツちっさいしー。
 目が合っちゃったしー。

 思えば小さい頃に兎を捕まえた事もあったが、あの時も私はトドメをさす事が出来なかった。
 もしかしたら、小さい頃や今回の事も前世の人間的思考から来てるのかも知れない。
 私の兄弟達なら迷う事無く食料にしてるだろうし。

 ……でも私の父は人間に狩られたらしいし、人間の殺す殺さないの基準は案外曖昧なのかもしれない。

「考えても仕方ないか。私は父が殺される所を見てないし、もしかしたら自己防衛の為だったというのもあったのかもしれないし」
「ウキィ……」

 背中にしがみ付いている子猿が、不安そうな声を出した。
 私は子猿の方を見た、というか見てしまった……。
 小猿は瞳を潤ませて私の背に顔をこすり付けていた。

 私は見ない方がいいものを見てしまった気持ちになってしまい叫んだ。

「くそぉ!こんなの見たら、もう食料として見る事ができないよ!!」

 私は、食料探しも温泉探しも後回しにして、子猿の親探しを決行した。
 卵の腐ったような匂いもあってうまく匂いを辿れない。この臭い匂いさえ無ければ、小猿からする母親の匂いまで嗅ぎ分けて探せたのだが、出来たのはなんとなく理解した猿っぽい匂いを探す事だけだった。

「狼のド根性みせちゃらーーー!!」



 お昼少し前くらいから母猿の捜索を開始して、今はもう夕刻……。
 私のお腹はもうグーグーだったが、背中の小猿は必死に私にしがみ付いてるものの、もう声すら出さなくなっていた。
 だいぶ、ヤババな感じではあったがようやく猿の集団を発見する事が出来た。

「さて、どうしたものか……」

 だが、まだ問題は終わらない。
 なんたって私は狼で相手は猿なわけだ。
 すると、どうなるかもう察しが付くだろう?

 犬猿の仲というくらいに相性が悪くて、警戒されて近付く事もままならない状態なわけだよワトソン君。

「キィー!キキィー!!」

 何を言ってるかは分からないが、一匹だけではなく集団で威嚇する声や警戒する声を出してくる。
 集団で逃げ去る可能性もあったが、そうならなかった事はこっちにとっては都合が良い。
 たぶんだが、集団であるこっちが有利だと思っているんだろう。

 まぁ、私はそんな不利な状況では何もしないが、体格の良い兄あたりなら構わずデカイやつ狙いで襲い掛かったかもしれない。

「そんな事は今はどうでも良いか。ほら、お前のお仲間だぞ」

 その集団の中にこの子猿の親がいるかは不明ではあるが、今の私にはそこまでの判断は出来なかった。
 それでも可能性はあるだろうと思い背中の小猿を咥える。
 引き離そうとしたときに毛が何本かブチブチした気がしたが、我慢して引き離す。

 そして猿達の前に子猿を置いて私はそこから数歩下がり様子を見た。

「キィー!」
「キィキィ!」

 相変わらずキーキーうるさく、反応に変化が見られなかった。
 もしかしたら、この猿の群れは私と小猿が探していた群れではないのかもしれなかった。
 心なしか小猿も猿達の反応に怯えてるようにも見えたので、小猿は威嚇や警戒の声を出し続ける猿達が怖く見えてしまったのかも。

 探してる間しか知らないが、飲まず食わずで私にしがみ付き体力も落ちてきていたのだろう。震える小さな手に体、そして潤んだ目が私の方に向き、私に助けを求めようとしていたようにも見えた。

 くそぉ!
 そんな顔しないで欲しい!
 前世男らしいけど、今雌だし母性出ちゃうじゃないか!!
 父性かも知れないけど!!!!
 なんならおまけに気合でお乳も出せそうな気がしちゃうぞっ!

 ま、気合でどうこうできる訳無いんだけどね。

「ウキィーーー!!」

 試しに小猿に私のお乳でもあげてみようかとバカな事を考え始めた時だった。
 明らかに他の猿とは違う声で叫んだ猿が現れた。
 その猿は子猿に駆け寄り大事そうに抱き上げていた。

 他の猿達もその様子を見て一旦静かになり静観し始めた。

「んー。もしかして、その子の親だったりするのかな?」

 そんな質問はもはや愚問だった。
 私は小猿の様子を見てそれを悟り、嬉しさがこみ上げた。
 小猿はその抱き上げた猿に嬉しそうに抱き付き、余程お腹を空かせていたのだろう。その母乳を吸っていた。

 嬉しいことは嬉しいのは間違いない。……しかし、母性だか父性だか知らないがそれらが疼いた身としては、子猿を取られた気分もちょっとあって残念な気持ちもした。

 あと、お乳が出るかどうか試してみたかったというのは内緒な?

「ウキ、ウキキィ」

 子猿と母猿の様子を見た他の猿達の態度が明らかに変化した。
 母猿は私に対して感謝するように頭を下げ、ボス猿っぽい猿が出てきた。

「……」

 なんかいかにもなボスっぽい雰囲気で無言でこちらを見てから、軽く頷きUターンで背中を見せて歩いて行った。
 何がしたかったんだとコケそうになる意味の分からなさだった。

「ほんとに、何がしたかったんだあのボスっぽいの?」

 子猿を母猿の元に連れ行けただけでも良かったとしておくか。
 そんな風に考えてたときだった。
 ボス猿が足を止めてこっちを顔だけ向けて見ていた。

 私はどうしたんだろうかと不思議に思っていると、母猿にしがみ付いていた子猿が、私の方を見ながらボス猿の方向を片手で指差していた。

「ん?もしかして付いていけって事なのか?」

 私は子猿を助けてホントに良かったと思った。
 猿達に導かれるように進んでいった先には、猿達が利用していると思われる天然の温泉があった。
 私は喜んで温泉に浸かり硫黄臭い匂いを我慢した。

 さらには、温泉から出て体をブルブルさせて水滴を飛ばし体を乾かしていると、猿達が毛繕いまでしてくれた。

「ほんとに至れり尽くせりだな」

 空腹をちょっと我慢していた私だったが、猿達の恩返しはまだ続き今度は食べれる木の実や果物までくれたのだ。

「やばい。食べた事ない筈だけど涎が出てきた……」

 味については後回しで、子蟹やら虫やらで楽に食える物で腹を満たしてきた私にとってはまさにご馳走だった。
 前世の人間も恐らく果物系は好きだったのだろう。
 口に広がる甘い味に歓喜してたように思える。

 こうして、私は猿達のおかげでノミダニ対策をする事が出来たのだった。

「ただなぁ……」

 私は毛繕いをしてくれる猿達に目を向けた。
 猿達は私についたノミやダニも取ってくれているんだろう。
 そして毛も綺麗にする効果もあるんだろうし、私のもふもふがLv2に上がった気がする。

 が、猿達が私から取ったと思われるノミやダニを口に運び食べているようなのがなんかアレだった。

「いや、まぁ……。私も虫を食ったりしたし言える立場じゃないんだけどね……」

 ゲテモノ食いは見る方に精神的なダメージを与えるんだなとそう思った私だった。

「でも、ほんと元気になって良かったな」

 私は背中にひっつき、元気に毛繕いをしてくれている助けた子猿を見て嬉しい気持ちになったのだった。
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