春に落ちる恋

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　土曜。仕事が奇跡的に１９時で片付き、将仁さんが支店の鍵を閉めながら俺に言った。
「せっかくだから、どこかで外食してくか」
「わあ、いいですね」
　ここのところ仕事が忙しすぎて、同じ職場で働いていても将仁さんとすれ違いの日々だった。
　美味しい物を食べながら、お互いの顔を見て、ゆっくり話がしたかった。

「ちょっと歩いたところに、美味いあんこう鍋をだす居酒屋ができたって聞いたぞ。行ってみるか？」
「はい」
　俺達は並んで歩き始めた。
「春はあんこう好きか？」
「実は俺食べたことないんですよね」
　見た目のグロテスクさから、正直積極的に食べたいとも思っていなかった。
「アンコウの身はくせがなくて、食べやすいと思うけど」
　そんな俺を面白そうに見つめながら将仁さんが言う。

　駅に近づくにつれ、人通りが多くなる。駅前のイルミネーションを見に来たのか、カップルたちがやたらと目についた。
　人混みの中、前から来る黒いパーカをフードまで被った男にぶつかりそうになり、俺は慌てて避けた。
　男は真冬なのにコートも着ないで、足取りもふらついていた。
　酔っ払いかな。
　そばを通り過ぎようとした時、俺の腕がふいに強く掴まれた。
「おい、春。お前春だよな？」
　パーカーの男が言う。
「俺のこと覚えてないか？海だよ。遠坂海(トオサカ　カイ)」
　そう言って、男がフードをあげる。　
　綺麗に通った鼻筋。薄い唇。真黒で切れ長の瞳。
　肩まで伸びたくせのない黒髪も記憶のままだった。
　忘れるわけない。忘れられるわけがない。
　こいつは俺を……。

「春。知り合いか？」
　将仁さんの呼びかけに、はっとなった。
「知り合いっていうか」
　言い淀む俺に、横から海が口を出す。
「ああ、春の昔の友達です」
　そう言いながら、海は妙にじろじろと将仁さんを見る。
　将仁さんも値踏みされているような海の視線に居心地の悪さを感じたのか、憮然とした顔をする。

「悪いけど、俺達急ぎますので」
　将仁さんの言葉に、海が俺を掴んでいた手を離し、一歩後ろに下がる。
「ああ、そいつは失礼しました」
　海と別れ、少し歩いた路地で将仁さんが立ち止まり、俺の頬にそっと触れる。
「今日はこのまままっすぐ帰ろう。お前、顔色が悪い」
　せっかく久々の二人での外食だったのに、俺は将仁さんに謝る余裕すらなく、ただこくりと頷いた。
　将仁さんが俺の手を握り、通りでタクシーを捕まえる。

　乗り込んだタクシーで、将仁さんは運転手の目も気にせず、俺の肩をしっかり抱いた。
　将仁さんのぬくもりにいつもならほっとするのに、先ほどの再会で、暗い過去がぱっくりと口を開け、俺の心臓はどくどくといつもでも嫌な音をたてていた。