絵を描くキカイ

和スレ 亜依

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第2話

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「そういえば、美術部の子いじめられてるんだって?」
「んー、でも美術部にはもう行ってないらしいよ。いじめが始まったのはそれからだって」
 加奈のクラスでそんな噂が立ったのは十二月に入った頃だった。
(美術部? そんな人いたっけ?)
 加奈は疑問に思いつつも、関係ないことだと机に肘をつきながら流そうとした。
「何ていう子なの?」
「確か片井さんって言ってたかな……?」
 ガタンッ。
 大きな音がした。
 皆、一斉にそちらを見る。
 それは、加奈が勢いよく立ち上がった音だった。驚くクラスメイトに目もくれず、そのまま教室を飛び出していった。


「ほーらー、早く出してよぉ」
 教室で小花はクラスメイトから情報通信端末を渡すように要求されていた。
 震える手で、自分の端末を取り出す小花。それを見て、要求した生徒が小花の手から素早く奪う。
「小花の友達なんて言ったっけ?」
「加奈ちゃんって言うらしいよ」
「あーそうだったそうだった」
 呟きサイトを開き、文字を打ち込んでいくクラスメイト。
「『私の友達の加奈ちゃんの絵、やばい(笑)。小学生のお絵描きレベ―』」
「やめて!」
 小花が端末を取り返そうと手を伸ばすが、かわされる。
「何焦ってんの? ウケるんだけど」
「確か変人って噂でしょ、その子。別にいいじゃん」
 ゲラゲラと笑うクラスメイトたちをキッと睨む小花。
「おーこわっ」
 小花が必死で伸ばした手が端末をかすめた。
「あ、押しちゃった。もー途中だったのに!」
「え」
 絶望の表情を浮かべる小花。
「うそ……」
 見開いた目からポロポロと涙がこぼれる。
「はははっ、何泣いてんの!」
 大きく笑い出すクラスメイトたち。
「じゃあ、次はっと」
 クラスメイトは小花の机の上にあったノートをちぎり、落書きを始めた。
 カシャッ。
 写真を撮る音が聞こえた。
「『私の方が千倍は上手だよ』っと……」
 小花は悔しさで目をギュッとつぶった。

「……何、やってるの?」

 声が、聞こえた。
「あんた、誰?」
「そんなことはどうでもいいんだけど、これは何なの?」
 加奈の、声だった。
「何って、小花の絵が素敵だって広めてあげてるんだけ―」
「ふざけるなっ!!」
 それは小花が聞いたことがないくらい大きな声だった。恐る恐る目を開けると、そこには肩をワナワナと震わせている加奈がいた。しかし、そんなことよりも。
(泣いて、る?)
 彼女はその両目から大粒の涙を流していた。まさか、冷静沈着な彼女のそんな姿を見ることがあるとは思わなかった。
 スタスタと近づいてくる加奈。
「片井さんの絵は、お前たちが馬鹿にしていいようなものじゃない!」
 加奈は彼女の剣幕に完全に引いてしまったクラスメイトの手から端末を奪い返す。そのまま、彼女は小花の腕を引っ張った。
 教室の扉に手をかけたところで、加奈は振り返った。
「でも、片井さんの絵が素敵だってことは同意」
 そして、彼女は小花を連れて教室を出て行った。


「はい、これ」
 加奈は取り返した端末を小花に返す。その仕草が少しぶっきらぼうになってしまったのは、彼女自身が驚いていたからだ。
(恥ずかしい……)
 思わず大声を出してしまった。
「ありがとう……」
 恥ずかしさを紛らわすように、加奈は質問をする。
「美術部、辞めたって本当?」
「……うん」
「何で?」
「それは……だって山下さんを美術部にいられなくさせちゃったから……」
「どういうこと?」
「どういうことって……!」
 あまりの察しの悪さに語調を強めてしまう小花。
「どういうことって、私が合宿のときに山下さんの絵を描いてからかったからでしょ!?」
「え、あ?」
「それで山下さんは怒って部活に来なくなったんじゃん!」
 加奈はポカンとした表情をする。
「えっと、違うんだけど」
「違うって?」
「いや、何かすごくいい絵だなって思ってたんだけど……ていうかからかってたんだ……」
「いい絵? じゃあ何で怒ってたの……?」
「怒ってなんかないよ。ただ、なんて言ったらいいのかな。ちょっと自分でも整理しきれてないんだけど……」
 加奈は慎重に言葉を選びながら思いを告げていく。
「片井さんの絵を見た時、心が震えた……んだと思う。すごく上手いっていう訳ではないんだけど、そこに心がこもってるっていうか。さっき、片井さんは『からかった』って言ってたけど、そんな感じはしなかった。ただの絵としての題材を見て描いたっていうより……『ああ、この人はちゃんと私を見てくれてるんだ』って思ったんだよ…………あれ、片井さんどうしたの?」
「べ、別に何でもない」
 小花は顔を真っ赤にしていた。
 加奈の性格からして、思ったことを正直に言っているだけなのだろう。だが、聞いている小花にしてみれば恥ずかしいことこの上ない。
「そう? ならいいけど。……とにかく、私は片井さんの絵は、自分の枠の外にあるって感じた」
「枠の外?」
「うん。今まで自分は絵も見られる程度には描けるって思ってた。私にしか描けない絵だってあるとも思ってた」
(すごい自信……)
 苦笑を浮かべる小花だったが、加奈にはその自信に見合う実力があるのだから笑えない。
「でも、片井さんの絵に特別な何かを感じた」
 珍しく曖昧な表現が続く加奈に驚きつつも、小花は聞き返した。
「何かって?」
 加奈は難しい顔をする。
「それが、よく分からない。それでも、それを見た瞬間、自分の価値観がひっくり返ったんだ。だから、訳が分からなくなった。今まで自分は何をしていたのか、これから何をすればいいのか」
「それで、様子がおかしかったの?」
「たぶん」
「はぁ……」
 小花はため息をついた。
「どうしたの?」
「何か疲れちゃった……」
「ごめん、長く話過ぎた」
「ううん。でも、山下さんでも悩むことあるんだなって」
「そりゃ人間は考える葦だから悩むことくらいあるよ」
「パスカル?」
「天才物理学者パスカルも、まさかこんなくだらないことで使われるなんて思ってもないだろうけどね」
「私からすれば山下さんも大概すごいと思うけど」
 加奈は笑った。
「自分で言っといて何だけど、世の中には本物の天才と本物の努力家がいて、私みたいな中途半端なのは両方をやり繰りして生きてくしかないんだよ」
「山下さんらしいね……」
 小花は加奈の発言を単なる冗談だとしか受け取っていなかったが、加奈からすれば、真の天才は母親や小花のような人物だと思っていた。
「ところで」
「何?」
 加奈は真顔でこんなことを言った。
「私はさっきのやつらのこと、結構腹が立ってるから仕返ししようと思ってるんだけど。片井さんは参加する?」
 小花はしばらく目をまばたいてからフッと笑った。
「する」
 これが、教師をして「この二人には敵わない」と言わしめたコンビの誕生の瞬間だった。



「さすがというか何というか……」
 加奈から渡された冊子をめくり終えると、小花はそんな感想をもらした。
「気になる点とかある?」
「ううん。皮肉が山下さんぽくていいと思う」
 一月。図書室で二人が怪しげな計画を進めていると、ふいに声をかけられた。
「ちょっといい?」
「斉藤さん?」
 彼女は斉藤理恵。先日、めでたく美術部の部長を引き継いだ二年生だった。
「ここじゃ、ちょっとうるさくなるから外に来てもらえる?」


「それで、私に話って何?」
 小花は少し暗い表情をした。美術部を辞めた今、理恵とは疎遠になっていたからだ。しかも、この寒い時期に外で話さなければならないことなど余り気乗りしないものに決まっている。
「あなたにというより、あなたたちになんだけど」
「私にも?」
「うん」
 少し離れて様子を見ていた加奈が会話に加わる。
「それで?」
「うん、端的に言うと、美術部に戻ってきてほしい」
 小花は目を見開いたが、加奈は飄々としている。
「メリットなんてないと思うけど、お互いに」
 辛辣な加奈の言葉に、理恵は渋い顔をする。
「私には、ある」
「ふぅん?」
 あくまで素っ気ない加奈に、理恵は淡々と語った。
「あなたたちが美術部を辞めたあと、一年生のほとんどが部活に来なくなっちゃったの。部の雰囲気もあんまり良くなくて……。このままじゃ、美術部がなくなっちゃうかもしれない。でも、私だけじゃ、どうにもならなくて……」
「それは、私たちには関係ないと思うけど? 人数合わせに戻ってきてほしいってこと? 逆に雰囲気悪くしない?」
「ううん。関係は、あると思う。今年の一年生って結構多かったよね?」
「確かに、多かったね」
「何でか、知ってる?」
「知らないけど、たまたまじゃない?」
「ううん。たまたまじゃない。春に『何で今年はこんなに多いんだろうね』って話をしてたら、一年生が教えてくれたの。『先輩たちに憧れたから』って。特に山下さんは絵が上手いし、片井さんは心に響く絵が描けて。それでその二人が楽しそうに絵を描いてるからって言ってたの」
 小花は目を丸くする。
「山下さんはともかく、私の絵なんて……」
「いつも思ってたけど、片井さんは自分の絵、過小評価してない?」
「え?」
「一年生だけじゃなくて、私もあなたの絵を最初に見たとき、すごい絵を描く人だなって思ったよ」
 小花は戸惑っていたが、理恵の目は真剣そのものだった。
「だから、二人には戻ってきてほしいの! お願い!」
 頭を下げる理恵。だが、加奈は厳しい言葉を投げる。
「それだけ?」
 押し黙る理恵。
 彼女はだいぶ間を置いて答えた。
「…………ごめん、本当はまだある」
 理恵は覚悟を決めたように鼻声で告げる。
「私が、戻ってきてほしいの! また、楽しくみんなで絵を描きたいの! 山下さんと片井さんと一緒に!!」
 彼女の真摯な訴え。それを聞いて、小花は思わず感極まった。さすがに、ここまで言われたら加奈だって否とは言えないはずだ。
「分かった」
「ほんと!?」
 ガバッと顔を上げる理恵。
「うん、だけど条件がある」
「私にできることなら何でも!」
 そのとき、加奈を小花は横目で見て。
(…………)
 言葉を失った。というより、呆れた。
 今、理恵からは逆光で見えていないが、小花にははっきりと見えている。
 加奈のとても悪い顔が。
(何か、企んでる……)
 まじめにお願いをしている理恵にこの態度はどうかと思うが、もう全てがどうでも良くなった小花は加奈に任せることにした。
「じゃあ……」
 加奈は条件を告げた。
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