絵を描くキカイ

和スレ 亜依

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第1話

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「山下さん、やっぱり上手いなぁ」
 放課後の美術室、山下加奈は同じ美術部員の女生徒に呼びかけられても手を止めずに応えた。
「別に、これくらい普通だと思うけど」
「あはは、これで普通だったら私はポンコツだよ……」
「まぁ、そうなるね」
「……相変わらずだね、山下さん」
「実際、私は母さんの足下にも及ばないし」
「あー、山下さんのお母さんか……。そりゃ、プロに比べたらね……」
 話しかけてきた女生徒、片井小花は苦笑を浮かべた。
「山下さんはやっぱり美大に行くの?」
 小花の問いに加奈はおかしなモノを見るかのような目つきで聞き返す。
「美大? 行かないけど何で?」
「え、行かないの? それだけ上手いからてっきり……」
「ああ、絵を描くのは別に画家になりたいからじゃないんだ」
「そうなの?」
「うん、小説家になるために必要なんだ」
「……どゆこと?」
「私は小説家になりたいんだけど、小説ってはっきり言って誰でも書けるし、プロとして生きてくには何か賞をとらないと相手にもしてくれない。小説は最初に「読む」という事に大きなハードルがあるからね。そんなのってバカバカしいでしょ? だけど、絵があれば別。絵は誰でも見るだけで一瞬で感じ取ることができる。宣伝にもなるしね。だから、まず絵を見てもらってそれから小説を読んでもらう。そうすれば、賞をとらなきゃデビューできないなんて狭い門にすがらずにすむでしょ?」
「何か、すごいこと考えてるね。……でも、二つのことやってて成功ってできるの?」
「言いたいことは分かるよ。私みたいな考えを披露したら片井さんみたいにできるだけ高い所を目指してる人からすれば手足をもぎたいくらいには殺意が芽生えるだろうし。でも、私からすればそれは現実を見てないだけ。多少下手な絵だって味がある絵を書ければただの文字より多くの人が見てくれる。挿絵の多い読み物が売れてるのはそういう理由でしょ?」
 一見、彼女の言うとおり、周囲からもの凄く反感を買いそうな意見だが、どうしても夢を叶えたいという思いの表れでもある。
「う、頭が痛い。……でも、確かに山下さんの言う通りかも。ただの、まっさらな文字を読む人って最近はいないからね。読み物を買う時、私も最初は絵から入るかも。実際、絵が好きかどうかで印象が変わるし……」
「まぁ、もちろん地道な努力は必要だけどね。賞をとってる人みたいに鮮烈なデビューはできないから」
「うー。私もまだまだ努力が必要ってことか……」
「そういうこと。じゃあ、私は家に帰って小説書くから帰るね」
「はーい、またね」
「あと」
「何?」
「私、片井さんの絵、好きだよ」
 最後にそう言い残して去って行く加奈。
「……そういうところなんだよな、山下さんって」
 小花がそう呟いた。
 何かと嫌みなことを言う加奈だが、思ったより敵が少ないのは裏表がないことに起因する。こういうところは母親に似ているのかもしれない。



 高校二年の夏のある日、美術部は長期休みを利用して田舎に来ていた。毎年行われている合宿で三日間絵を描き続けるという少々過酷なイベントである。
 夏真っ盛りということもあって青い空から差し込む日差しはそれなりに強烈だ。
「何もこんなに暑い日に合宿なんてしなくてもいいのにね」
 古い家を利用した民宿の縁側で汗をダラダラと流しながら小花が愚痴る。
「日にちは何ヶ月も前から決まっているんだから気温なんて分かる訳ないと思うけど。それに、夏はだいたい暑いし」
 正論を言う加奈も黒い髪が汗で肌に張り付いている。
「う。そうだけどさぁ、せめてエアコン効いてるとことかなかったのかなー」
「その費用を親が出してくれるとは限らないけどね」
 加奈は口を尖らせる小花に視線を寄越すことなく、家の外に広がる景色を画板に収めていく。
「山下さんってホントにリアリストだよねっ! いいもん、私にも考えがあるから!」
 縁側から足をプラプラさせながら「もう怒った」というジェスチャーをする小花。
「その考えはよく分からないけど今日のノルマの絵、さっさと完成させた方がいいと思うよ」
 相変わらず素っ気ない加奈だが、小花との会話のテンションにはお互いの親しさを感じる。彼女たちはこれだけフランクに会話をしているのに、お互いが名字で呼び合っているのは不思議な光景だ。だが、そこに深い意味はなく、何となく最初に出会った時の呼び方を続けているだけで、本人たちにはそれが自然なのだ。


 夏の長い日が落ち、気温も少しだけ下がった頃。夕飯を済ませた部員たちは一年生から今日の成果を発表し合う。まだ、経験が少ない一年生は色付けまで辿り着いていない者も多かった。
 続いて二年生が発表する。
「私は、縁側から見える景色を描きました。自然に囲まれつつも里山という人の手が入った温かみのある風景を描きたいと思ったのですが、構図にあまり面白みがなかったかもしれません」
「わぁ……」
「……すごい」
「山下先輩上手!」
 加奈が絵を披露すると次々と賞賛の声が上がった。
(このあとに発表とか、すごくやりにくいんだけど……)
 小花はやっぱり普通に風景だけ描けば良かったかな、と後悔した。
(でも、別に手を抜いて描いた訳じゃないし……少しネタは入ってるけど)
 意を決して小花が立ち上がった。
「私は、より人に焦点を当てた絵を描きたいと思いました。普段の自分たちの生活場所ではないここだからこそ、そこに見慣れた人を入れることで非日常的な美しさを感じて欲しいなって…………それで、その絵ですが……」
 おずおずと自分の絵を見せる小花。
「山下さん?」
「うん、そうとしか見えないけど」
「やっぱりそうだよね」
 絵の完成度とは関係ない感想が飛んでくる。絵にはショートパンツにTシャツというラフな格好で画板に向かう少女が描かれていた。
 そう、小花は縁側に座って絵を描く加奈を描いたのだ。
(やっぱりすべったかな……)
 微妙な恥ずかしさに囚われる小花はソーッと加奈の方を見た。
(あ)
 いつもと同じように表情の乏しい加奈がそこにはいた。しかし、なぜか悪寒がした。背中を冷や汗が流れるのを感じながら、小花は尻すぼみ的に自身の発表を終えた。



 加奈と小花はクラスが違う。そのため、二人の接点は主に部活に限られる。しかし、クラスメイトよりも部活の仲間の方が親しいということは往々にしてある。彼女たちもそんな感じだったのだが……。
 小花は加奈の方をチラッと窺う。加奈はそれに気づいているのか気づいていないのか、黙々と絵を描き続けている。
(やっぱり、怒ってるよね……)
 夏の合宿以降、小花が話しかけても「うん」とか「はぁ」とかだいたい二文字くらいの返事しか返ってこない。
 だから、自然と小花の話しかける回数も減り、今の状況に至る。他の部員たちもその微妙な距離感には当然ながら気づいており、それが合宿の絵に起因するということも感づいていた。かといってそれは二人の問題であり、変につついてやぶ蛇になりたくはない。彼女らは放置を決め込んでいる。
「はぁ……」
 小花の口から思わずため息が出る。自分にとってそれなりに楽しく居心地の良い場所であった美術室。それが今はどんよりとした空気に包まれている。もちろん、小花は誤った。だが、「何が?」「何で?」という一種の拒絶とも言える反応が返ってきたために、すぐに挫折した。
 今の自分ではどうしようもない。小花は絵を描くことに集中した。
 この時、小花はまだ気づいていなかった。加奈がおかしな態度をとっているのは小花にだけではないことに。



 ある日、いつも帰りのホームルームが終わるとすぐに美術室にいるはずの加奈が遅れてきた。
「今日は遅かったね」
 三年生の先輩が声をかけた。
「はぁ」
 最近小花に対してよくするように煮え切らない返事をする加奈。
「山下さん」
 先輩の声色が少し真剣なものに変わった。
 部員たちは小花を含めて、身構えた。さすがに先輩に対してその態度は良くない。皆がそう思った。
「最近、ちょっと様子がおかしいのは知ってたけど、どうしたの? 山下さんのことだから考えなしにこんなことになってる訳じゃないと思ってたんだけど、さすがにそろそろちゃんとしてもらわないと部の雰囲気も悪くてみんな集中できない」
 加奈は俯く。
「とにかく、気合い入れられるなら入れてほしい。そうじゃなければ切り替えられるまで休んで―」
 小花は慌てた。
「あ、あの先輩!」
「何?」
「山下さんの様子が変なのは私のせいで……!」
「合宿の絵のこと? 部員の絵を描いただけでしょ? そんなのは美術部だったら普通のことでしょ。それくらいで拗ねるなら美術部にはいられないよ」
「…………」
 小花の言葉も加奈には聞こえていなかったのかもしれない。加奈は、一礼して部室を出て行った。
 その日から、加奈は部活に来なくなった。



 加奈は教室で窓の外を眺めていた。美術室に行かなくなって二ヶ月が過ぎた。どことなく風通しが良くなった心の隙間の正体を、彼女は理解できずにいた。
(どうするかな……)
 加奈は悩んでいた。彼女がこれほど悩むことは滅多にない。故に、その対処方法が分からない。いや、普段の彼女ならあっさりと解決することができただろう。
(今までと、何か違うような気がするんだよな……)
 何ともモヤモヤする気持ちを抱えたまま、彼女は今日も意味のない一日を過ごす。



 加奈が部室に行かなくなったあと、小花は美術部で孤立した。普段明るい意性格の彼女は罪悪感から思い詰めた表情をすることが多くなった。明るいだけが取り柄といっていい彼女から、それを取り去ったら残るものがない。自然と部員たちは距離を置き始めた。
 彼女は、決心した。
「部長、部活辞めます」
 部長は少しだけ止めようとしたが、それだけだった。今の美術部に小花は必要なかったのだ。
 だが、それだけでは終わらなかった。
 何となく全てにやる気がなくなった小花は、クラスでも浮き始めた。急に付き合いの悪くなった彼女に、クラスメイトは声をかけなくなった。最初はそれだけだった。だが、SNSのグループから外され、別の呟きサイトで悪口を言われるまでにはそう時間がかからなかった。
「ねー、このあと遊びに行かない?」
「行く!」
 楽しそうに約束を取り付けるクラスメイトたち。
「ねぇ、小花」
 そのうちの一人が近づいてきた。
「……何?」
 小花は警戒しながら尋ねた。
「小花も遊びに行かない?」
「私は、ちょっと……」
 別の生徒がニヤニヤ笑う。
「だめだよー、小花ちゃん美術部だから部活があるしぃ」
「あ、そっかーそうだよねー頑張ってね、お絵描き!」
 わざとらしい。小花が部活を辞めたことを知っていて言っているのだ。でも、抵抗はしない。抵抗してもしなくてもいじめはエスカレートする。だったら、なるべく疲れない方を選ぶ。
 小花は目の光を消した。
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