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第九話 盗品

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 何日たっただろうか。とても長い間揺られていた気がする。
 ミンは夜のうちに足だけヒモが外された状態で馬車を降ろされた。暗くてよく見えなかったが、連れて行かれた先には様々な品が置かれていた。
 これらも盗品だろうか。
 床は固かったが、馬車の中と大差ない。ミンは丸くなって膝を抱えると、そのまま眠りにつくことにした。
 自分では、もうどうにもできないのだから。

 次の日の午後になると、急に周りが慌ただしくなった。
 遠くで声が聞こえる。
「皆様、今日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回も古今東西、様々な品をご用意しております。皆様のお眼鏡にかかる物がありますことをお祈り致します。それでは、オークションを開始させていただきます」
 大きな拍手の音。たくさんの人がいるらしい。
 先ほどから貨幣の枚数を言い合う声が聞こえてくる。おそらく、品物の値段をつけているのだろう。
(そうか、私はこうやって売られるんだ)
 しばらくすると、見知らぬ男がミンを連れていった。
「お次は、青い目と茶色の髪を持つ少女。ワンドルクと西方人のハーフかと思われます。奴隷にしてもよし、飾り物にしてもよし、遊郭で働かせてもよし。話題にもなるのではないでしょうか」
 ミンは顔を無理やり上げさせられた。予想より多くの人の目がこちらを見ていた。仮面を付けている物も多い。薄暗い会場と相まって、不気味さを感じた。
「ワンドルクと西方……今戦争をしている二国か」
「確かに珍しいな……」
「器量も悪くない」
 出席者はざわざわと話し合う。
「それでは、始めは銀貨一枚からどうぞ」
 ミンの競売が始まった。
「十枚」
「三十枚」
「七十枚」
 ミンは思う。この人たちは自分のことを何も知らない。何も知らないのに値段を付けていく。自分は、物言わぬ品と一緒だ。
(価値って、何だろう)
 客席を見上げながら、ミンは意味のないことを考える。
「はい、金貨が出ました。金貨一枚」
(私に、金貨ほどの価値ってあるの?)
 人間の価値など考えたこともないミンには、それがよく分からなかった。
「他にいませんか? いなければこれで……おっと十枚です! 十枚が出ました!」
 客達がざわめく。
 普通、人間に対してはその人物が稼ぎ出すであろう値を計算し、黒字を見越して額を提示する。飾り物だとしても、金貨十枚はどう考えても多過ぎる。
「他にいませんか? はい、それでは金貨十枚で落札です!」
 ミンには客の反応で金貨十枚という額が多いということは分かったが、嬉しさなど露ほども感じなかった。
(売られたことには変わりない)


 その日のうちに、ミンは落札者へ引き渡されることになった。また、馬車に乗って移動した。今度は目隠しをされている。
 目的地まで着くと馬車を降ろされ、そのまま歩かされた。
 どうやら、建物の中に入ったようだ。建物の中には香がたかれているのだろう。品の良い香りがする。
「確かにお預かりしました」
 周りは見えないが、どうやら正式な取引が行われているようだ。
「それでは、私どもはこれで。今後ともごひいきにしてくださいね」
 取引が終わり、オークション側の者が去っていった。
 しばらくすると、両手の拘束が解かれ、目隠しが外された。
 まず、目に入ったものはシンプルながらも美しい内装、高そうな調度品。
 そして。
「どうだい、どこか調子の悪いところはないかい?」
 そう穏やかに言ったのは、ソファに腰掛ける中年くらいの紳士だった。
「特には……」
 ミンは周囲の物に目を奪われて、素っ気ない返事を返した。この穏やかそうな男性も、どうせ自分を何かの道具として扱うのだろう、と興味が湧かなかったのである。
「そんなに珍しいかい?」
 男性は苦笑しながら聞いた。
「はい、見たことがないので……」
「そうか、名前は?」
「ミンです」
「ふむ。私はレイズ・カーシュタット・ソードという」
「偉い人なんですか?」
「偉いかどうかは分からないが、一応伯爵だ」
「伯爵って何ですか?」
 レイズと名乗った男性に目を向けるミン。
「貴族階級の一つだね。やっと興味を持ってくれたのかな?」
「少し、気になりました」
「ははは。君は面白いね。もっとお話をしようか。私は君のことを何も知らないのでね」


「事情はだいたい分かった」
 レイズは紅茶を一口、口に含んだ。
「大変だっただろう、今日はゆっくり休むといい。細かいことはまた明日にしよう」
 話が終わると、侍女がミンを連れて行った。
 侍女はミンをお湯に入れ、寝間着を着せたあと、部屋へと案内した。エトスにもあった湯だが、侍女に、「この国にはどこにでもあるのか」と聞いたら、そんなことはないと言っていた。また、着せられた寝間着は肌触りが良く、部屋もイリスの風見亭より豪華かもしれなかった。
 食事も給仕され、ミンは面食らっていた。この国では奴隷とはこのようなものなのだろうか。それとも、金貨十枚という破格の値段で買ったから丁重に扱っているのだろうか。
 自分の処遇について考えていたミンだが、久しぶりに柔らかな寝床に横になったからか、すぐに眠気が襲った。
「明日、聞いてみようかな……」


 翌日。
 華美ではないが上品なドレスに着替えさせられたミンは、レイズの書斎に呼び出された。
「少し、そこで待っていてくれ」
 レイズは何やら書類の処理をしていた。
 書斎の本棚には多くの書物が並び、ミンはそれらを眺めながら時間を潰していた。
「本が気になるのかね」
「少し」
「そうか」
 レイズが視線を紙に戻そうとしたとき、ミンが遠慮がちに声をかけた。
「あの……」
「何だい?」
「この『星図録』っていう本、読んでみてもいいですか?」
「!」
 レイズは驚きのあまり、持っていたペンを落とした。
 文字を読み書きできるのは上流階級か商人ぐらいだ。大抵の人間は自分の名前すら書くことができない。
(この少女はまさか! いや、そんなはずは……)
 レイズのただならぬ様子に、ミンはやはり奴隷が物を借りるなど失礼だったかと思った。
「ごめんなさい」
 ミンは謝ったが、レイズはそれには答えなかった。
「ミンは、字が読めるのか?」
 半信半疑で問いかけるレイズ。ミンの出生や身分で文字を読むことができるとは思えなかったのだ。
 ミンは首を傾げた。
「読み書きはできますけど……それがどうかしたんですか?」
「!」
 レイズは絶句した。遊牧民の娘が文字を読めるだけではなく、書くこともできると言う。
「……文字は、どこで覚えたんだい?」
「父さんに教えてもらいました」
「父君の名前は?」
「ラザックと言います」
 レイズは顎に手をやった。
(ラザック……どこかで聞いたような……)
 一分がたち、二分が過ぎる。
「あの……?」
 うんうんと唸るレイズに耐えられなくなったミンが声をかけた。
「もう少しだ……もう少しで思い出せそうなんだが……」
 さらに、二分が経過したとき。
「ラザック……遊牧民のラザック…………そうか!」
 レイズは立ち上がり、ミンの所まで歩み寄った。
「君の父君はもしや弓の名手ではないかい?」
「はい、たぶんカルタに住む人たちの中では一番上手いはずですけど……?」
「そうか、やはり!」
 レイズはミンの肩に手をやり、揺さぶった。
「そうかそうか! どことなく面影もある! こんな偶然もあるのだな!」
 突然の激しいスキンシップに戸惑うミン。
「あ、あの。父のことを知ってるんですか?」
 その問いでレイズはやっと揺さぶるのをやめた。
「ああ、知っているとも! あの男は本物だったよ!」
 レイズはそう言うと少し遠い目をして昔の話を語り出した。

 遊牧の民に恐ろしく弓の上手い男がいる。クーデニアにそんな話が舞い込んだとき、現王が興味を持った。すぐに使いが送られ、その男、ラザックが王城に召喚された。この時、彼の年齢は二十二、レイズは二十五だった。
「そなたは弓が得意と聞くが、自信はどれほどか?」
 王の問いにラザックは淡々と答えた。
「ワンドルクでは多少の腕だと自負していますが、あいにく生まれてこの方、草原しか知らぬ田舎者ゆえ、最強と名高いクーデニアの中では霞んでしまうかと」
「ふむ。では比べてみるとしよう」
 謁見から三日後、ラザックはクーデニアの中で武術に優れていた者と弓の十本勝負を行うことになった。その相手こそがレイズだった。
 当時、貴族の息子だったレイズは、どこの馬の骨とも知れない者に負けることなどあり得ないと思っていた。事実、彼の矢は十本のほぼ全てが中心の円かそれに近い所を射抜いた。
 レイズはその時、すでに勝った気になっており、後攻のラザックを高見の見物という具合に見守った。
 しかし、レイズは我が目を疑った。いや、その場にいた全ての者が仰天した。
 ラザックの放った十本の矢は全てど真ん中を射抜いたのだ。

「それはもう、完敗だったよ」
 一通り話を終えると、レイズは笑いながらそう言った。
 ミンとレイズは話の場をソファに変えていた。
「それで、話はここからが面白いところだ。勝負の後、王がラザックを褒めたんだが、彼は何と言ったと思う?」
 身を乗り出して問うレイズに押され気味のミンは正直に答えた。
「わ、分かりません」
 レイズはそれを待っていたかのように、息を荒げて言った。
「あいつは、『自分も的も動いていないのに、どうして外せましょうか』と言い放ったんだ」
 ゲラゲラと大笑いするレイズ。
 対して、ミンはばつが悪そうに縮こまる。
「すみません、父さんが失礼なことを……」
「全くだ。しかし、その時彼を糾弾する者はいなかったよ。その実力が全てを物語っていたからね」
 レイズはカップを手に取り、紅茶を飲みほした。
「その後、彼は二年間、軍のひよっこ達の指南役として王都にとどまることになった。王都で暮らすには読み書きも必要で誰かに教わったんだろう」
「父さんとは親しかったんですか?」
「いや、たまに挨拶くらいはしたが、彼は王に気に入られてずいぶんこき使われてたからな。中々会う機会はなかったよ」
「そうですか……」
 もっと父の話を聞きたかったミンは少しがっかりした。
「個人的にはもっと話をしてみたかったんだがな。そうだ、また呼んでみるのも悪くないな。昔と違って、今はそれなりの地位が手に入ったからな。彼は今元気にしているかい?」
 レイズの何気ない質問に、ミンは俯いた。
「……父は、戦争に出かけました」
「そうか……安否は分からないのかい?」
「はい……」
「ふむ、それは申し訳ないことを聞いた」
「……いえ」
「だが、あれほど武術に優れた者がそう易々とやられるとは思えないな」
 それが、彼の本心なのか、はたまた娘のミンを元気づけるための方便なのかは分からなかった。
 少し、間を置いてレイズは思い立ったように言った。
「ミン、この屋敷で働いてみないか?」
「え」
 唐突な申し出に驚くミン。
「読み書きのできる者は貴重だからな。一から教えようと思ったらそれなりに手間がかかる。給金も出すが、ダメかね?」
 ミンは混乱した。自分は売られて奴隷になったのではなかったのか。
「あの、私奴隷じゃないんですか?」
 思わず口から漏れた質問に、レイズは首を傾げた。
「奴隷とは?」
「私、売られたからそうなんじゃないかと思ったんですけど……」
 レイズの目が点になった。
 そして。
「がははははは!」
 笑われた。
「違うんですか?」
 目尻に浮かんだ涙を擦りながら、レイズは言う。
「いや、すまん。確かに私は何も話してなかったな」
 少し真剣な表情になったレイズは自分のことを話し始めた。
「君を買ったオークションだが、時々出回ってはいけない品が出品されていることがあるんだよ。オークション自体は貴族の道楽やガス抜きに必要なものだ。取り締まってもまた別のオークションが作られてしまう。だから、秘密裏に怪しい品を買い取ったり、その調査をする必要がある。それが私の仕事の一つだ。そして、たまたま絶対に出回ってはいけない品が昨日出品されていた」
 レイズは立ち上がると机の引き出しから二つの物を取り出した。
「それがこれだ」
「それは……」
 ケインとイリスからもらったブローチと短剣だった。
「そして、これを君が所持していたという噂を耳にした。だから、君がどういう顛末でこれらを入手したのか知りたかった。元々奴隷などにする気なんてなかったんだよ」
「ケイン……様っていったい誰なんですか?」
「それは、またいずれ分かるだろう」
「……」
「だから、どうだい? 恩を着せる気はないが、悪い話でもないはずだ。ここで働いてくれないだろうか?」
 もう一度問うレイズ。
 ミンは考えた。今の自分には何もない。ここで断ったら恐らく何もできないし、素性の知れない自分を雇ってくれる者もいないだろう。ひょっとしたらまた捕まってどこかに売られてしまうかもしれない。
 選択肢は、なかった。
「……よろしく、お願いします」
「そうか、それはよかった! 歓迎するよ!」
 レイズはミンの両手を握った。
「ああ、それから、読みたい本があったら言いなさい。貸してあげよう」
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